2008年07月19日
オー・ロミオ (Oh Romeo)
3連休・時間がちょっと空いたので・とっとと投稿いたします(七五調で)。というわけで、「もういいよボビーO」……と言われること必定ですが、思い入れを含めましてもう一丁「オー・ロミオ」であります。フラーツ、ディバインほどではないにせよ、ボビーOがプロデュースしたアーチストの中では重要な位置を占める人々で、特に欧州やカナダ、日本のディスコで人気でした。写真を見てお分かりのとおり、このアーチストは女性デユオ……だとは思うのですが、ボビーはほとんど自分だけで制作した曲を、色んな無名アーチストに歌わせてどんどんリリースしていましたから、これも「ボビーの分身」といっても過言ではありません(写真の2人も実際に歌っている人たちではなく、ただのモデルだったりして)。
代表曲は、哀愁ハイエナジーの傑作「These Memories」のほか、「Once Is Not Enough」「One More Shot」、デッド・オア・アライブ「ユー・スピン・ミー・ラウンド」に少し似た「Saving Myself」などで、いずれも1983年から85年にかけてリリースされました。変わったところでは、妻帯者との「禁じられた恋」を歌った不倫ディスコ「Try It (I'm In Love With A Married Man)」(83年)というのもありました。この曲はつい5年前にペット・ショップ・ボーイズがやや暗〜い感じにリメイクしています。
オーロミは私が高校生のとき、「Once Is Not Enogh」を札幌のディスコで聞いて知りました。最も有名な「These Memories」は、ディスコで聞いた記憶がなぜかありません。しかし、「YOU&愛」という全国チェーンの貸しレコード店に、東京の著名ディスコのチャートを載せた小冊子が置いてあり、その中で複数の店で上位にランクインしていたのを覚えています。
「東京で人気なんだからいい曲なんだろう」というトホホな直感を頼りに、さっそく「These Memories」の購入を決めたものの、札幌の輸入盤店では見つからず、しょうがないので東京・六本木の「ウィナーズ」という輸入盤店の通販で買いました。聴いてみたら美メロ系のとても良い曲でしたので、この時は「うまく予想が当った」と独りほくそ笑んだものです。
この曲はリミックスを含めていくつかのバージョンがあるのですが、届いたのはイントロが4分ぐらいあるバージョンでした。途中で非常に印象的なピアノのソロが入っており、今でもこのバージョンが最も出来が良いと思っております。ただし、ラストが中途半端なコーラスで終わっているのはいただけないのですけど、これについては、マスター自体の音質が悪く雑な作りの曲も多いボビー0には珍しいことではないので許容範囲です(寛大)。
写真のCDは、当ブログではたまに出てくる米マイアミのHot Productionsレーベルのベスト。オーロミのほぼ唯一のCDです。米アマゾンのレビューでは「CDリマスターの音質が悪い」などと不評ですが、いやあ、ボビー0はもともと、新品レコードだって音質は良くないケースが目立ちますからねえ。音楽CDではなく、CD-Rの場合が多いHot Productionにしては珍しくちゃんとした音楽CDですし、選曲も網羅的で無難です。意外と完成度は高いと思います。These Memoriesについては、私が好きなやつを含めて3バージョン入っています。
2008年07月15日
ディバイン (Divine)
ディスコ界には奇人変人がいっぱいいますが、極めつけは何といってもディバインでしょう。「ドラッグ・クイーン」(女装好きのゲイ)の元祖! 太った風貌といい、きらびやか過ぎる服装といい、過激な言動といい、常識の範囲をはるかに越えていました。ディバインさんは前回紹介のフラーツと同様、80年代前半から中盤にかけて、ボビー・オーランドのプロデュースでハイエナジーのディスコヒットを量産しました。「Native Love」(82年、全米ディスコチャート21位)、「Shoot Your Shot」(82年、同39位)、「Love Reaction」(83年)、「Shake It Up」(83年、イントロがニューオーダーの「ブルー・マンデー」そっくり)などがよく知られています。声はだみ声ですし、はっきり言って下手です。チャートアクションもさほどではないのですが、記録よりも記憶に残るアーチストです。
1945年イギリス生まれ。幼少時から太った変わり者でいじめられっ子だったディバインは、学校を出て一時美容師になったものの、数年後には辞めて俳優の道に進みました。当初からキワモノ役者の扱いでして、72年には伝説のカルトムービー「ピンク・フラミンゴ」に主演し、一気に名声を高めました。
「伝説」「名声」といっても、そこはキワモノ変人の面目躍如。この映画はいまだに悪趣味、下品の頂点とも言われる低俗なコメディーでして、殺人からレイプからスカトロジーまで、卑劣な人間像が極限まで表現されています。その中でディバインは、なんと「犬の隣に座り、その糞を食べる」という有名なシーンまでやってのけています。本人は少しイメージを変えようと努力した時期もあったようですが、ここに完全に変態としての地位を確立したわけです。
私も20年ほど前にこの映画を観たことがあります。やはり今でも印象に残っているのは「糞食い」シーンですね。どうやら本当に食べているのですよ!これを見て吐き気を催さない人がいたら不思議です。
さて、そんなディバインさんを、「非常識オッケー」のディスコ界が見逃すはずはありません。試しに曲を発表したところ、特にゲイたちに人気のハイエナジーの世界ではヒーローとなりました。明らかに怪しいルックスと特徴的な声は、世界中のフロアを熱狂させたのです。
もちろん、彼を音楽的に育てたのはボビー・オーランド(ボビーO)にほかなりません。ボビーO自身、若いころはボクサーを目指したものの顔がプリティーフェイス(童顔)だということで断念し、後に売れっ子音楽アーチスト、弁護士にまでなったという世にも珍しい経緯をたどった人です。すっかり意気投合し、人気曲をどんどん世に送り出したというわけです。
私などはとりわけ「Shake It Up」には熱中しました。12インチの怪獣みたいなディバインが載ったジャケットには毎晩うなされたものの、ドラムなしのシンセのイントロから始まり、ドラムボックス、パーカッションが加わって少しずつドライブ感が増していうというボビーOの典型パターンにはハマりました。
ところが、ディバインは84年に突然、ボビーと袂を分かつことになります。当時頭角を現していたハイエナジー/ユーロビートのプロデュースチームで、デッド・オア・アライブやカイリー・ミノーグなどを手がけたことで知られる「ストック・エイトケン・ウォーターマン」(SAW)とのコラボレーションを選択したのでした。やっぱりディバインさん、もっと売れたかったのでしょうね。
SAWとのコラボでは、「You Think You're A Man」(84年)、「I'm So Beautiful」(同)などのド派手系のヒット曲を出しました。アメリカでは今ひとつでしたが、それ以外の欧州や豪州や日本では大人気でした。私自身、この2曲ともディスコではよく耳にしたものです。
80年代後半は歌手としては失速したものの、相変わらず破天荒なタレントぶりを発揮。テレビや舞台で手堅く活躍していたのですけど、88年3月、仕事で滞在していた米ロサンゼルスのホテルで急死。もともと肥満からくる睡眠障害、呼吸障害、心臓肥大などの状態になっており、それが死の原因だったといわれています。
享年42。あっけない幕切れとなったドラッグクイーンですが、空前絶後、どうしたって忘れようもない愛すべき超個性派ディスコ・クイーンでもありました。
CDはベストを中心に比較的たくさん出ています。写真のDelta Blue盤「The Best of Divine」の音質がよく、選曲も網羅的でよいかと思います。CDではなかなか見つからない「You Think You're A Man」の編集なしの完全ロングバージョン(8分)は、英Pickwick盤のベスト「The Cream Of Divine」などに収録されています。もう一つ、「You Think…」については、ナレーション入りでなかなかカッコいいリミックスバージョンが「Stock Aitken Waterman Gold」という3枚組コンピに収録されています。
2008年07月10日
ザ・フラーツ (The Flirts)
久しぶりに"シンセサイザーたっぷり"系ディスコを取り上げましょう。ご存知ボビー・オーランド(ボビー・オー)がプロデュースした"秘蔵っ子"で、こてこてハイエナジー・ディスコの女性3人組「フラーツ」であります。この人たちは80年代初頭、ニューヨークで結成されました。単純にボビーOがNY在住だったからですが、欧州や米西海岸で人気だったハイエナジー系にしては珍しいことです。「NY発ハイエナジー」であることから、ディスコブーム後のアメリカの代表的なダンスミュージックであるフリースタイルの要素も取り入れられています。
発売した新作アルバムは、ディスコアーチストとしては多く計5枚。女性3人組ディスコということで察しがつくように、歌詞も容姿もセクシー路線なわけですが、メンバーはころころ変わりました。どちらかというと、本国アメリカよりもヨーロッパでの人気が高かった人たちです。
代表曲は、82年のデビューアルバム「10¢ A Dance」(テンセント・ア・ダンス)からのシングルカット曲「Passion」(82年、全米ディスコ21位)のほか、同時期のハイエナジー&イタロヒット「Slice Me Nice」(Fancy)に似た、というかあからさまにパクったとされる(もともとボビーOはちょいパクリの名手)「Helpless」(84年、同12位)、「You & Me」(同1位)、「New Toy」(同5位)、「Danger」(83年)あたりです。若きニコラス・ケイジが出演した青春映画「ヴァレー・ガール」(83年)にも使われた「Jukebox」(82年、同28位)というのもありました。
異色なところでは、83年発売のアルバム「Born To Flirt」に入っている「Oriental Boy」というのがあります。直訳すると「東洋の男の子」ですが、歌詞に「スシ」「ソニー」「トヨタ」「サヨナラ」などの日本語が次々出てくるため、対象はモロ日本人だとわかります。内容は「すしバーで出会った東洋人に恋したけど結局フラれちゃったよ〜ん」と嘆く米国人女性の恋物語ですが、これってかつて紹介したアネカの「ジャパニーズ・ボーイ」とおんなじ展開です(トホホ)。
私自身は、中でもパッション、ヘルプレス、ユー・アンド・ミーを当時のディスコで耳にしました。好きなボビーO作品ということで、もう手放しに興奮し、フロアを駆けずり回って踊りまくった記憶があります。特にユー・アンド・ミーのイントロは、マドンナの「イントゥー・ザ・グルーブ」を彷彿させるカッコよさです(ていうか、これもちょいパクった?)。
ボビーOは多作のプロデューサーとして知られ、ピーク時の80年代前半には年間数百枚の12インチをプロデュースしたと言われています。「作品1曲をミリオンセラーにするより、200曲を5000枚ずつ売る方が好きだ」という本人の有名な言葉があり、実際にその通りの活動ぶりでした。もの凄くたくさんのアーチストを手がけているわけですが、このフラーツは「Shoot Your Shot」などのヒットで知られるディバインと並んで、長く深く付き合ったアーチストでした。
その期間は、82年のデビュー時から、ボビー自身がサンプリングなどの新しくて手間要らずの打ち込み音楽に嫌気がさし、音楽活動と距離を置くようになった92年ごろまでです。フラーツはドラムマシーン&シンセサイザー満載の典型的な"ボビーO"サウンドではありますけど、まだ電子音楽も素朴な時代でしたし、ギターやパーカッション(カウ・ベル)などの生音も少々入っているので、ほどよい手作り感があります。
フラーツのCDは、カナダのユニディスクレーベルから各種発売されています。どれも音質は良好で、ロングバージョンもふんだんに含まれています。上写真はその一つの「10¢ A Dance」で、「パッション」「ジュークボックス」「Calling All Boys」などが入っています。
2008年07月04日
フランキー・ヴァリ (Frankie Valli)
ビージース、オリビア・ニュートンジョンに続いて登場するのは、フランキー・ヴァリ。彼最大のヒット「グリース」(78年、全米一般チャート1位)はバリー・ギブの作曲ですし、その曲はそのまんまオリビアの主演映画「グリース」の主題歌となっております。37年米国生まれのフランキーさんは、「シェリー」(62年、同1位)などのヒットで知られる男性ボーカルグループ「フォー・シーズンズ」の中心ボーカリストでした。ソロとしても60年代から活躍しており、アメリカを代表する名ボーカリストといえます。67年には大定番ディスコのオリジナルの「君の瞳に恋してる」をヒットさせています。この曲は全米2位まで上昇しましたが、ディスコ風ではまったくなく、バラード調です。
本当の転機となったのは、プライベートストック・レーベルから75年に発売したソロアルバム「Close-Up」でした。この中に10分を超す長尺ディスコ曲「Swearin' To God」(全米一般6位、ディスコ4位)が入っており、以後、ディスコにかなり傾倒していくわけです。
アルバムでいえば、翌76年にはパティー・オースティンのボーカルも入った「Our Day Will Come」(ディスコチャート10位)を収録した「Our Day Will Come」、78年には前述の「グリース」を収録した「Frankie Valli...Is The Word」をリリース。さらに79年には「Boomerang」などのディスコ曲が入った「Valli」、80年にはもろディスコの「Soul/Heaven Above Me」(同11位)を収録した「Heaven Above Me」をリリースしています。
この人の特徴は、なんと言ってもキーの高い特徴的な歌声でして、バラードでこそ本領発揮するタイプです。上記のディスコ期アルバムにもバラードはたくさん入っています。ディスコとはいっても、やや形容矛盾ですが上品な「ディスコ・バラード」の雰囲気があります。
私の知人で、多くの新人アーチストを育ててきた東京の老舗ライブハウスの店長さんは、「成功する男性歌手は総じてキーが高い」と話していたことがあります。確かに、キーが高い70−80年代の著名男性ボーカリストは、ドン・ヘンリー(イーグルス)、フィリップ・ベイリー(EW&F)、マイケル・ジャクソン、スティーブ・ペリー(ジャーニー)、ピーター・セテラ(シカゴ)などなど、ジャンルを問わず枚挙にいとまがありません。理由についてはきちんと取材しなければいけませんが、高音男性の声はよく伸びて、耳に心地よく響くからなのでしょうか。
バリー・ホワイトとか、アイザック・へイズとか、低音バリトンの魅力を売りにする歌手もいるにはいました。でも、例えば、日本でも小田和正とか山下達郎などを聴いても分かるように、成功している歌手には声が高い人が多いことに気付きます。
フランキーさんの声には、米西海岸ロック、ポップス、ソウル、AOR、カントリーの要素もある。曲をじっくり聴くと、バリー・ホワイトを白人ファルセット風にした感じもあります。ディスコ時代にしても、単なるドンドコディスコに留まらず、非常に多様な曲調を取り入れることができた人だと思います。
フランキーさんのディスコ時代のソロアルバムは最近、アメリカの「Collectors' Choice」というレーベルから、CDで立て続けに再発されています。写真はその一つで「Frankie Valli...Is The Word」と「Heaven Above Me」が1枚のCDに収められています。「Our Day Will Come」とか「Close-Up」など、ほかのアルバムもCD化されました。日本でも手に入りやすいので、こりゃおススメですわな。
2008年06月23日
オリビア・ニュートン・ジョン (Olivia Newton-John)
オリビア・ニュートン・ジョンは、ビージーズと同様にイギリス生まれオーストラリア育ちです。元英国高級軍人の大学教授を父に、ノーベル賞を受賞した物理学者マックス・ボルン氏を祖父に持つエリート家庭のお嬢様でもあります。オーストラリアに住んでいた10代半ばのころ、故郷のイギリスに渡って新人歌手のオーディションを受けて合格しデビュー。以来、70年代を通してイギリス、アメリカ、オーストラリア、そして世界中で大人気のポップ、カントリー歌手、さらには女優として活躍しました。
アメリカでは、70年代はとりわけカントリー歌手としてもてはやされました。「アメリカ生まれじゃないのに!?」と反発の声も出ましたが、その歌声とルックスによって大ヒット曲を連発し、こうした疑問の声をかき消してしまったわけです。
70年代の代表曲は、日本でもおなじみの「そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)」(74年、全米一般チャート1位)ですね。「愛の告白(I Honestly Love You)」(同、同)もグラミー賞「レコード・オブ・ザ・イヤー」を獲得するなど、名曲の一つとして数えられます。
70年代後半になると、彼女の「可憐な隣の美人お姉さん」的なキャラにも陰りが見えてきて、セールスが落ちました。そこでイメージチェンジのため、青春映画「グリース」にジョン・トラボルタとともに主演し、活発な女子高生役を演じたところ、再びブレイク! サントラで歌った「You Are The One That I Want」(78年)で、ビルボード1位に返り咲いたというわけです。ただし、このころには既に29歳になっていたので、「女子高生役」にはかなり無理がありましたが。
キャラ変えを果たし、「今度はディスコだ!」というわけで、次にディスコソングをフィーチャーしたファンタジー映画「ザナドゥ」にも主演。サントラでは、彼女が歌った「マジック」が全米一般チャート1位、「ザナドゥ」が同6位になりました。
この映画が公開されたのは80年ですから、既にディスコは下火でした。でも、恐れを知らない彼女は、さらに肌を露出するセクシー路線へと急旋回し、ディスコ道を突き進むのです。
翌81年、彼女はアルバム「フィジカル」(上写真。邦題はちょっと意味不明な「虹の扉」)を発売し、これがとてつもない大当たりとなりました。シングルカットされたダンサブルな表題曲は、なんとビルボード一般チャートで10週連続1位! 2枚目のシングルカット「メイク・ア・ムーブ・オン・ミー」も5位まで上昇したのです。私自身はディスコに行き始める直前でしたので、フロアで聞いた記憶はありませんが、ラジオの深夜放送やFMなどからはしつこく流れていたのを思い出します。
このように遅ればせながら“ディスコ化”して、大成功した珍しい例ではありますが、この人の場合、80年代のアメリカではもう禁句となっていた「ディスコ」をうま〜く回避したところに勝因があります。
ジャケ写真を見てお分かりの通り、ヘアバンド(ねじり鉢巻ではない)、レッグウォーマーに象徴される「エアロビクス大作戦」を展開したのですな。同時期に彼女が歌って踊る「フィジカル」のビデオも発売されています。同じダンスでも、「直球ディスコ」から、流行の「エアロビ」に微妙に座標軸をずらしたのです。
いやあ、これなら「ディスコだべ〜」と後ろ指さされないで済みます。実際、当時のアメリカでは、彼女の影響により、ヘアバンド姿のファッショナブルな男女が、街角のストリートにも溢れ出たと伝えられます。
けれども、オリビアさんの怒涛のような活躍も、だいたいここまでです。この後、セクシー路線が飽きられたり、結婚して子育てに集中したりして、セールスは急下降。ディスコ的にはアップテンポなシンセポップ「Twist Of Fate」(83年、ディスコチャート51位)などがあり、私も札幌のディスコで耳にしたことがあるのですけど、もはや往時の勢いを失っていきましたとさ。それでも、カントリー/ポップ時代、ディスコ(エアロビ)時代と大ピークが2度もあったわけですから、キャリア的にはこれで十分でしょうね。
90年代前半には、乳がんに罹患していることがわかり、克服後は「乳がん撲滅運動家」としても活動するようになりました。このころに離婚もしています。さまざまな人生経験を積んだ結果、曲調は癒し系かつスピリチュアルになり、かつての元気いっぱいな雰囲気ではなくなりました。
この人のCDは、ベスト盤を中心にたくさん発売されています。ディスコの代表盤「フィジカル」は国内盤でも出ています。ちなみにフィジカルの12インチバージョン(仏盤)は、7分以上あってなかなかの出来なのですが、これは今では非常にレアになっています(YouTube動画。ただし賛否両論の(?)ハードゲイバージョンで未成年者禁)。
最後に、最近見つけたオリビア、アンディ・ギブ、アバの「夢の競演モノ」のYouTube動画(2分割)を張っておきます。いやあ、みんな若いっす…。
2008年06月16日
ビージーズ (Bee Gees)
アメリカを中心としたディスコブームの最大の立役者ビージーズは、実はイギリス・マンチェスター出身でオーストラリア育ちの3人組です。バリー、モーリス、ロビンのギブ兄弟は、70年代後半の世界音楽シーンをほぼディスコ一色に染め上げました。77年に発売した映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラでは、全17曲のち「ステイン・アライブ」「恋のナイト・フィーバー」などお馴染みの8曲を担当しています。映画の主役のジョン・トラボルタとともに一躍、ディスコの象徴にまでなったのは周知の通りです。
この3人組は、もともとビートルズを模倣してイギリスで売り出され、60年代からフォーク、ソフトロック、ポップスといった分野で音楽活動を展開していました。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(67年)などの中ヒットを飛ばしていたのですが、70年代半ばにはスランプに陥りました。そこで彼らと長年の付き合いがあったロバート・スティグウッドというイギリスの大物プロデューサーの仲介でサタデー・ナイト・フィーバーを担当することになり、大成功を収めたというわけです。
勢いに乗った3人は、79年にアルバム「Spirits Having Flown」(上写真)を発売し、これも大ヒットさせます。ディスコ系では「Tragedy(哀愁トラジェディ)」というのが入っていて、ビルボード一般チャート1位、ディスコチャートで22位となりました。
この間、3人の末弟でアイドル顔のアンディ・ギブも「シャドウ・ダンシング」(78年、ビルボード一般1位)などのディスコ系の大ヒット曲を連発。“ギブ兄弟”はまさに時代の寵児となりました。バリーはついでに78年には、オリビア・ニュートンジョンとジョン・トラボルタの大ヒット青春映画「グリース」のサントラまで担当しております。
ところが、やはりよいことは長くは続かない。80年代に入ると、ディスコブームの終焉とともに、一気に人気が凋落していきました。ディスコから離れて、かつてのソフトロック路線に戻ったものの成果は今ひとつ。バリーについては、ちょっと前に紹介したディオンヌ・ワーウィックとかバーブラ・ストライザンドといった大物アーチストのプロデュースなどはやっており、かなりの知名度は保っていたのですが、もうピークはとっくに過ぎていました。
異常な人気が終わった後には、反動がありました。バリーは背中の難病にかかり、かつてのような活動はできなくなりました。モーリスはアルコール中毒になり長年、苦しんだ末に2003年に53歳で死去。弟のアンディはドラッグとアルコールに溺れ88年、心筋炎により30歳で早世しました。
まあ、こうした暗い後日談は、当ブログでも何度も触れてきたように、AIDS禍をはじめとして、ディスコ界では珍しくありません。あまりにもアナーキーで狂気の空間、時代だったがゆえに、「宴のあと」は空しいものです。
それでも、人種やジェンダーなどの垣根を越え、精紳の解放をもたらし、なんとなく融合できた自由でアナーキーな時代など、音楽史的にはほかに見当たりません。
自由の思想を日本に広めようと奮闘した大正期のアナキスト大杉栄は、評論「新秩序の創造」でこう言っています。「みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。(略)この発意と合意との自由のないところになんの自由がある、なんの正義がある」。
まったくディスコとは、こうした自由調和の空間だった気がします。みな勝手に踊っていても、なんとなく秩序があった。DJという“船頭役”はいるにせよ、勝手にフロアから離れることもできるわけですから、支配者などではないわけです。ここが「ミュージシャンが観客を独占して離さない」通常のライブと大きく違う点です。
身体性がすべてであり、非常に愚かで頭の悪いおバカ空間ではありますが、そんないい加減な場所に、私は何度救われたか知れません(笑)。そして何よりも、ドスンと全身に響いてくる大音量の音楽があればこそでしたね。
(トラボルタの“決めポーズ”付きで)「ディスコっていえばビージーズかい?」なんて、私は今も言われることがありますけど、ディスコの礎を築いた功労者たちとして、ギブ兄弟は永遠に讃えられるべきでしょう(大断定)。
さて、この人たちのCDは一通り出ています。どれも比較的入手しやすい状況であります。おススメは下写真のワーナー盤2枚組「グレイテスト・ヒッツ」ですね。ヒット曲がほぼ網羅されている上、かの「ステイン・アライブ」の12インチバージョンが収録されているのです。これは中間奏で入ってくるサックスの音色がここち良く、曲自体がけっこうレアでもあります。

2008年06月11日
ナイジェリア・ディスコ・ファンク (Nigeria Disco Funk)
「欧米じゃないディスコ」を探っていたらアフリカにたどり着きました――ということで、今回は「ナイジェリア・ディスコ」です。非常に珍しい音源を集めた9曲入りCD「Nigeria Disco Funk Special」(左写真、試聴可)が最近、発売されたので取り上げようと思いました。このCDは1974年から79年まで、主に西アフリカ・ナイジェリアの中心都市ラゴスのディスコやダンスクラブでかかっていた曲を集めたもの。Soundwayというイギリスのマイナーレーベルが、アフリカ発の70年代ロックやファンクやポップスを含む「アフリカ・シリーズ」の一つとして発売しました。
言うまでもなく、アフリカ音楽はソウル/ディスコの最大のルーツですから、まあいいかな、と思ったのですが、こりゃ純粋なディスコというよりもファンクの要素が強い。しかも、とびきり荒削りな“どファンク”です。
聴いてみると、演奏自体はなかなかしっかりしている。録音状態もまずまずです。とりわけ、アメリカのファンクの帝王ジェームズ・ブラウンの影響がもろに伝わってきます。サックス・ソロなどは、JBバンドの主軸であるメイシオ・パーカーのノリになっていますし。
ライナーノーツなどを参照すると、貿易港でもあるラゴスには当時、アメリカから輸入レコードが大量に入ってきており、現地のクラブやディスコでガンガンかけられていたといいます。JBに代表されるファンクは、黒人移民をルーツとするアフロ・アメリカン音楽でもあるわけですから、いわば大西洋をまたにかけたダイナミックな逆輸入現象が起きていたのですね。
このCDには、ラゴスの現地バンドが、そうした輸入音楽の要素を取り入れ、まったくローカルにヒットさせていた曲群が収録されています。バンド名として「T-Fire」、「The Sahara All Stars」、「Asiko Rock Group」などの名前が並んでいますが、もちろん、どれも無名です。
JB以外にも、オハイオ・プレイヤーズとか、スタックスレコード時代のバーケイズとかを彷彿とさせる、70年前後の「プレ・ディスコ期」の要素が感じられます。もちろん、(少々シブめながらも)ダンサブルであることは間違いないわけで、個人的には気にって毎日のように聴いています。
あまりにも遠く離れた国なので、ちょっと想像がつきにくいのですけど、70年中期のラゴスにも、若者たちが集まるような歓楽街やディスコがあった、とライナーノーツなどには記されています。私などは「ラゴス」と聞くと、サード・ワールドのレゲエ風ディスコ曲「ラゴス・ジャンプ」を思い出すのですが…。
音楽のルーツとばかり考えていたアフリカですが、ディスコ時代にも立派な「発信源」だったのですね。ただ、アメリカなどに「再輸出」して売り出したバンドも一部にはあったものの、それはうまくいかなかったようです。
それにしても、「あまりにも掘りすぎてアフリカに来ちゃいました」みたいな、「カルトで誰も知らない」シリーズです。もう「レア」という枠を飛び越えています。イギリスとかフランスには、こういうマニアックで探究心旺盛なレーベルがけっこうあるんですけど、まあ、内容が悪くないので、たまにはいいかもしれません。
2008年06月06日
ファンキー・ビューロー (Funky Bureau)
前回からの流れでついでにファンキー・ビューローです。お馴染みの和製ディスコですが、これは凡百の和モノと比べると内容が充実していると思います。歌詞が英語だというのも、「なにかとダサダサ和製ディスコ」をあまり感じさせない理由でしょうかね。プロデュースは、前回紹介のDr.ドラゴンのほか、「Desperately」のヒットで知られるラブ・マシーンという和モノグループも手がけたサトシ・ハッスル・ホンダ。リードボーカルは、(なぜか)ジャマイカ人のミッチェル・ブラックマンという黒人男性です。
ノリノリの「クラップ・ユア・ハンド」があまりにも有名でして、1977年ごろに全国のディスコで大ヒットしました。ドラムソロで始まるイントロはすこぶる印象的で、私もフロアでかなり耳にした覚えがあります。とくにロッキングダンスにはぴったりですね。ただ、正規12インチがないようなので、4分ちょっとで終わってしまうのが残念なところです。
このグループにはほかにも「ブギー・ウォーク」、「ディスコ・ジャック」、「ブギー・トレイン」といったディスコ曲がありますけど、「クラップ…」ほどの知名度はありません。けれども、いずれも曲自体は文字通りファンキーで、アレンジ、ボーカルも案外しっかりしています。全体的には「可もなく不可もなし」でまとめた雰囲気であります。
このグループが出てきた76〜77年というのは、世界でもディスコが「大ブレイク直前」といったところでしたので、なかなか先見の明があったとは思いますね。海外でも発売されたようですが、今ひとつの成績(というかほとんど無視)でした。
それでも、いまの海外のディスコマニアの中には、レコードを必死になって探している人もいるとかいないとか(いいかげんな表現)。というのも、ハッスル・ホンダのプロデュース作品、特にDr.ドラゴン、ファンキー・ビューロー、ラブ・マシーンは、海外のディスコサイトなどで熱烈に紹介されているのをたまに見かけることがあるからです。
ほかにも、1982年に発売された、ミッドナイト・パワーズという吉岡正晴プロデュースによる和製グループのビレッジピープル風の佳曲「イッツ・マイ・ライフ」が、下写真の米Importeレーベルのディスコ・コンピアルバム「Prime Cuts 1」(インスト、81年、アルバムとして米ディスコチャート8位)や米ディスコネット(Disconet)のDJ用12インチ・コンピアルバムに収録されている例がありますが、こうした日本発ディスコが欧米勢に混じってエントリーされること自体、非常に珍しいことではあります。まあ、いずれもインストだったり、外国人が英語で普通に歌っていたりするわけで、中身は外国産ディスコとほぼ変わりはなく、よくよくレベルなどを見なければ「和モノ」だということは分からないのですけどね。
写真のCDは、92年に発売されたファンキー・ビューローの国内盤ベスト。主な曲が網羅されていて、これ1枚あれば、「ファンキービューローは一丁上がり!」という感じです。レアということでもなく、中古店などで普通に見かけます。
2008年05月30日
Dr.ドラゴン & オリエンタル・エクスプレス (Dr.Dragon&The Oriental Express)
とはいっても、国内産ディスコ音楽は歴然としてありました。ピンクレディーやYMOなどのように、海外でもまずまずのヒットを記録し、相応の評価を得たアーチストも少しはいました。でも、当ブログでも3年ほど前、少し紹介したことがありますけど、曲自体はオモシロ系(超オバカ系)な歌謡曲であることが多く、私自身、特別好みというわけではありませんでした。
「ディスコに真面目に取り組んだ」例外といえるのは、一連の筒美京平作品だったとはいえないでしょうか。筒美氏いうまでもなく、70年代のディスコ期に山のように歌謡ヒットを世に送り出した著名作曲家ですが、バリー・ホワイトとかヴァン・マッコイとかボリー・ミドニーといった欧米のディスコ作曲家たちのように、自らミュージシャンを集めて「Dr.ドラゴン & オリエンタル・エクスプレス」(上写真)というインストグループを編成し、国内でディスコヒットを出していた時期がありました。
代表曲は何といっても「セクシー・バスストップ」(76年)ですね。尺八を使ったユニークな和製ディスコで、歌手・浅野ゆう子によるボーカルバージョンもありました。中古レコード店では、必ずと言ってよいほどこの曲の7インチを見かけますね。ほかに「ハッスル・ジェット」なんていう曲もありました。曲の作りについては、バリー・ホワイトみたいな70年代後半の重厚なオーケストラと比べると、全体的に薄味で軽く、躍動するディスコの魅力が今ひとつ感じられない気もします。実際、当時の欧米のディスコではほとんど無視されています。でもそこがいいのかな?。このあたり、好みや評価が分かれるところでしょう。
和製ディスコについては、海外のディスコ関連サイトやディスコ解説本を見ても、とんと登場してきません。しかし、6年ほど前に買った代表的なディスコ解説本の一つである「Saturday Night Forever」(Alan Jones、Jussi Kantonen著)では、世界の代表的なディスコアーチストとして「Pink Lady」というのが出てきて驚いた記憶があります。「日本ではスーパースターだった。『バカラ』風の女の子2人組。マニアなコレクターには向いているかも」などと書かれています。
実は先週、この本の著者で、以前にもちょっと紹介したことのある“日本びいき”フィンランド人のユッシー・カントーネン氏(右写真。「ぜひ載せろ」というので載せました)と再会しまして、あらためて「日本のディスコはいかに素晴らしいか」という熱い大絶賛論を聞かされたのでした。

写真を見てお察しの通り、今回も100枚規模で日本のディスコを買い漁っていきました(笑)。前回は「ピンク・レディー」(当然)や「西城秀樹」といったメジャーどころが中心でしたが、今回は東京だけでなく、京都や大阪にも出没し、もっとマニアックな世界に没入していったようです。「相変わらず良質ディスコが格安で売ってるねえ。とくに京都は東京と違い、掘り出し物が安かったよ」とご満悦でした。その購入レコードの中には、前述「セクシー・バスストップ」の7インチもしっかり入っておりました。あとは「ディスコ月光仮面」(!)みたいな、私も聞いたことのない「珍品」ばかり。妙に関心したものです。
このユッシーさん、本国では多忙な建築士として活躍中ですが、合間を縫って、本国やパリやイタリアなどでDJなどディスコ活動も精力的にやっております。最近、東京・六本木のクラブからもオファーがあったそうですけど、「『KC&ザ・サンシャインバンドのような大ヒットメドレーをやってくれ』って言うんで、申し訳ないけど断った。自分の好きなように曲をかけさせてほしいんだ。日本ならノーギャラでもやるのに……」と言っておりました。なかなかこだわりがある人です。
自ら運営に参加しているディスコサイトでは、つい2ヶ月ほど前、かのグロリア・ゲイナーに電話インタビュー!。彼女のディスコの思い出や新譜なんかを紹介しています(当ブログの解説も参照)。ユッシー氏は「すごく気さくで話しやすかったよ。かつてはいろいろ(ドラッグ漬けとか)あった人だけど、いまは完全に『神に祈りを捧げる』という敬虔な態度で歌手活動に打ち込んでいるようだ。サイトには書かなかったけど、けっこう政治に関心が高くて、『ブッシュは大嫌い』って盛んに言っていた。すごいリベラル派なんだね」と語っておりました。
さすがにディスコの知識は豊富で、しかも基本的にアメリカ嫌い(笑、しかし、カナダ人とか欧州人にはけっこう多い)。だからかどうかは知りませんが、やけに日本のディスコを評価します。なんでも「日本語の響きが、ディスコの旋律に微妙な味わいを与えている」のだとか。日本語が分からないから、かえって面白いんだそうです。「特にパリあたりでは受けると思うから、今回買ったやつをどんどんかけてみたい」と意気込んでおりました。
物事には、逆照射することで、かえってよく見えてくるものがあります。ユッシーさんの日本ディスコ論は、確かに「もう少し和モノに目を向けてみようかな」と私に思わせるくらいの迫力がありました。……でも、日本語の歌詞も分かるだけに(笑)、まだ抵抗感がありますけどね。
上写真のCDは、2年前に発売された国内盤。「Dr.ドラゴン」の主な曲が網羅されていて、まとまった内容にはなっております。友人ユッシーの話を聞いた後、よ〜く聴いてみたら、「案外、悪くないかな」とも思ってしまいました。特徴的な尺八や三味線、琴といった“和”の音色のほか、随所に文字通りの東洋的な旋律が入っています。一風変わったディスコとして楽しめるかもしれませんな。
2008年05月22日
ジェリービーン (Jellybean)
自由な発想を基本としたアメリカ発の「フリースタイル」は、80年代初頭に登場以降、ディスコシーンにさまざまな影響を与えました。踊りもラインダンス(ステップダンス)のような形式ばったものではもちろんなく、ブレイクダンスに象徴されるようにおおらかになりまして、「オレの身体能力の限界に挑戦してやるぜ!」みたいに爆発的に派手になっていきました。まあ、以前にも触れましたが、踊りが音楽ともども一層フリーになった分、「リズムに合わせる」という基本が、ちょいと疎かになってなっていった部分がありますが、それはご愛嬌でしょうか。
いずれにせよ、「アメリカではもうディスコの時代は終わった」というわけで、ヤケになったのかどうか、いろんな場面で既成の枠を越える現象が出てきました。「フィリーサウンド」(例:オージェイズ、MFSB)みたいな生音オーケストラのディスコは見事に駆逐され、代わってドラムマシーンやシンセサイザーの電子音満載の音楽が幅を利かせるようになります。
それはニューウェーブだったりロックだったりパンクだったりファンクだったりと、いろんな姿で飛び出してきました。とにかくシンセサイザーは「かっきり、くっきり」鋭角的にバカ正直にビートを刻みますから、踊り手としては非常に踊りやすい。DJもつなぎやすい。どんなジャンルの音楽にせよ、ドラムにこうした電子音を利用してしまうと、もう否応なしに「もしかしてディスコ?」な音になってしまうのでした。
実際、私も一生懸命、「ディスコでも踊れそうな曲はないかな」って思ってFMラジオでエアチェック(カネがないのでトホホ)するうち、あらゆるジャンルがカセットテープに録音されていることに気付き、愕然とした記憶があります。「えぇ? スティーブ・ミラー・バンドが?、クラッシュが? Jガイルズ・バンドが? トッド・ラングレンが? デビッド・ボウイが?」という具合にです。
こうした「お手軽に枠越え」現象が続出する中、ディスコのDJたちの中にも、それまでの単に「曲をかけて紹介して、つないで、踊らせる」という役割を離れようとする状況が生まれました。ディスコが衰退しつつも、なお踊りたい人はいっぱいいたわけですから、ディスコDJの需要そのものはあり続けたのですけど、それだけにとどまらなかったのです。ついに禁断の「制作者サイド」にまで進出してしまったのでありました。
その最大の例は、「パラダイス・ガラージ」の主力DJだったラリー・レバンや「スタジオ54」、「ファンハウス」の超人気DJだったジェリービーンといえましょう。特にジェリー・ビーンは、当時最先端の「フリースタイル」を踏襲したディスコリミックスを数多く手がけ、「ディスコ(ダンス)ミュージック)」という領域を飛び出し、日本で言う一般的な「洋楽ポップ界」でも大活躍でした。
何しろ、マイケル・ジャクソンからポインター・シスターズ、シーナ・イーストン、トーキング・ヘッズ、ホイットニー・ヒューストン、ボニー・タイラー(「秀逸のダンスリミックス「ヒーロー」!)に至るまで、いろんなトップ・アーチストたちの「12インチリミックス」を次々と手がけた人なのです。私自身、12インチシングルを買い始めた80年代前半、「Remix: John "Jellybean" Benitez」というクレジットを何度、目にしたか分かりません。80年代の12インチ全般にいえることですが、この人のリミックスは、最近のものとは違い、原曲を損ねない程度にうまくアレンジし、かつ踊りやすくしているところが高評価であります。
ジェリービーンの本名はJohn Benitezで、1957年生まれのプエルトリコ系アメリカ人。少年期を過ごしたニューヨークでディスコ音楽と出会い、自室で姉のレコードをかけながら、「ベッドルームDJ」に熱中するうちに、プロ入りを決意。さまざまなディスコを渡り歩き、1980年代以降にはそのセンスを買われて、レコード会社関係者やアーチストと行動するようになり、リミキサーとしての地位を不動のものとするのです。
イケメンDJでもあったジェリービーンは、ブレックファスト・クラブ(87年に「ライト・オン・トラック」がディスコで大ヒット)が80年代前半、リミックスを頼みに来た際、当時メンバーだったかのマドンナを紹介され、彼女と恋仲になったことでも知られます。ただし、後に特大スターとなったマドンナには結局、振られてしまい、自分がDJを務めるディスコで大暴れしたとのエピソードも残しています(当時の報道より)。
ジェリービーンは、他のアーチストのリミックスやプロデュースだけではなく、自分名義のアルバムやシングルもいくつか出しています。84年には、もろフリースタイルのアルバム「Wotupski!?!」を発売し、その中で「ザ・メキシカン」と「サイドウォーク・トーク」(マドンナがボーカル担当)が、全米ディスコチャートで堂々1位を獲得しています。ほかに「ザ・リアル・シング」(87年、同1位)、「Who Found Who」(87年、同3位、ボーカルはなぜかマドンナ似のElisa Fiorillo)、「ジャスト・ア・ミラージュ」(88年、同4位)「ジンゴ」(88年、同2位)なども、彼のラテンでダンサブルな個性がにじみ出ていて、とても印象深い佳曲であります。
一時代を築いた“DJミュージシャン”、ジェリービーン。……ところが、CDの再発状況は、実に心許ないのでした(しょんぼり)。1988年(!)発売の12インチ集「ロック・ザ・ハウス」(上写真)はなかなかよいのですが、代表曲の「ザ・メキシカン」が入っておらず、中途半端な印象。ほかにもいくつか出てますけれども、たいしたことなし。せめて珠玉の「Wotupski!?!」(下写真)を早くCD化してほしいと、心から願っております。




