ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

タントラ (Tantra)

Tantra大晦日だけに今年最後となりますが、ここはひとつ純粋にディスコらしいグループを紹介しておきましょう。幻惑スペーシーディスコの真髄を究めたイタリアの5人組ディスコグループ、タントラ(Tantra)さんたちでありま〜す!

プロデュースを担当したのはCelso Valli(セルソ・ヴァリ)。ほかにもMachoやAzotoなどのギンギンなダンスチューンを70年代後半から80年代半ばにかけて世に送り出していた人でして、Easy Goingのクラウディオ・シモネッティ(Claudio Simonetti)やステファノ・プルガ(Stefano Pulga)、ジョルジオ・モロダーらと共に、イタロディスコのパイオニアの一人に数えられます。

タントラとはインド密教やヒンドゥー教の経典のことですが、その音楽もまさに神秘の精神世界を演出しており、西洋と東洋の音楽的融合、さらにアフリカの大地の祈りをも随所に感じさせる独創的なサウンドが特徴。インストゥルメンタル中心でボーカルは抑え目であり、その後のハウスミュージックにもつながる催眠術系の曲調にもなっております。

代表曲は、なんといっても「The Hills  Of Katmandu」(80年、米ディスコチャート2位)。ヒットはこれだけですので一発屋のカテゴリーに入るのですけど、逆に言えば「この1曲だけでディスコの殿堂入り」も可能なぐらい、発売当時から現在までディスコ好事家たちの人気を集め続けている曲で、アナログシンセサイザーが縦横無尽、うねうねに大展開した佳作となっております。

特に、かのパトリック・カウリーがリミックスを手がけたThe Hills Of Katmanduは、12インチのプレス数が少なかったこともあり「幻の名曲」扱いでした。実際に13分以上もあるそのリミックスを聴いてみると、同様にカウリーさんがリミックスを手がけたドナ・サマーの「I Feel Love」を、さらに果てしなく催眠術系に変貌させた感じです。彼ならではの職人技がちりばめられており、「次はどんなカウリー風うにょうにょ音が入ってくるかな?」とバカ長いのに最後まで飽きさせません。

ほかにも、「Hills of」と同じくオリエンタルな楽器音(シタールなど)が印象深く立ちあらわれてくるWishboneという曲があります。これまた12インチだと15分以上もあるのですが、「単調な反復」の美学を感じさせてくれています。催眠術系がある極限まで達し、気がつけば催眠ならぬ睡眠をも誘ってしまい、太古ヴェーダの修行のごとく、「眠りながら踊る」という未だかつて誰も到達したことがない瞑想の境地をも味わえるかもしれません。

一方で、見事に無難でディスコテークなGet Ready To GoGet Happyといった曲もありまして、いやはや、続けて聴いていってもけっこう飽きずに楽しめるグループなのでありました。

CDは、なんと1年ほど前にどど〜んと復刻・発売となりました(上写真)。以前に取り上げたあの「Disco Discharge」の姉妹シリーズである「Disco Recharge」の一つでして、2枚組となっております。ほぼすべての主要曲とバージョン(パトリック・カウリー・リミックスも)が網羅されていて、新年早々(間もなく)、かなりお勧めではあります。

ベイ・シティ・ローラーズ (Bay City Rollers)

Bay City Rollersいやあ、今回はまたまた突飛な展開、ベイ・シティ・ローラーズと参ります。先ごろ、「独立しちゃうの?」ってな具合で、地味だったのにいきなり話題になり、それが国民投票で否決されると一瞬にして記憶から遠ざかってしまったスコットランドの出身。ビートルズやモンキーズを意識した典型的な男性アイドル・ロックグループで、本国英国や米国だけでなく、日本でも相当に売れました。うちの妹も、メンバーだった「パット・マグリン」のステッカーを部屋の柱に貼ってましたし。

基本的には、世の少女たちを熱狂させたアイドルバンドですので、この人たちにはかる〜い感じがどうしてもつきまといます。でも、よ〜く探ってみると、楽曲の中には音楽的に工夫の跡が見られるものがあり、ディスコな雰囲気も多少あわせ持っていたことが分かります。なにしろ、結成自体は1960年代後半と古いものの、主な活動時期がディスコブームの最中の1970年代半ばから後半でしたから。

さて、彼らの大ヒットといえば、誰もが耳にタコだったであろう「サタデーナイト」(1975年、米ビルボード一般チャート1位)です。お隣の大イングランドからの数百年にわたる圧迫や懐柔を巧みにかわしながら、独自の文化を保ってきたスコットランド人だけに、独特のタータンチェックとストライプ靴下のキメキメのファッションで、ビジュアル効果も満点でした。文字どおり世界中のお茶の間の人気者となったわけです。このサタデーナイト自体、以前に紹介したジグソーの「スカイ・ハイ」みたいに、とってもベタだが親しみやすいメロディー展開で、血沸き肉踊る名曲だとは思います。

彼らのベスト盤「Bay City Rollers」(Arista Records)のライナーノーツによると、まだ無名時代の70年ごろ、彼らに転機が訪れました。ある日、大手レコード会社Aristaの前身レーベルであるベル・レコード(Bell Records)の重役が、出張先のスコットランドからロンドンへの帰途、飛行機に乗り遅れてしまいました。数時間後の別の便に乗るべく、時間つぶしに立ち寄ったエジンバラ市のクラブで、地元の少女たちから黄色い声援を受けて演奏するローラーズをたまたま見かけたのでした。あまりの熱狂ぶりに、「これはいけるかも」と感じたその重役は契約を申し込み、本格デビューを果たしました。そこから「サタデーナイト」も生まれたというわけです。

この人たちにはほかにも、ドゥービー・ブラザーズの「Listen to The Music」(1972年)そっくりのギターリフで軽やかにスタートする「Sweet Virginia」とか、私の好きな「Rock And Roll Love Letter」(同28位)みたいな疾走感あふれる良曲もありますし、往年の女性アイドルのダスティ・スプリング・フィールドが大ヒットさせた「I Only Want To Be With You」(邦題:二人だけのデート)のリメイク(同12位)とか、男前ハードロック全開の「Yesterday's Hero」(同54位)とか、体が自然と動き出すようなヒット曲がいくつかあります。

ほかにも、ビーチボーイズ風あり(「Remember (Sha La La La)」とか)、ELO風(「Turn On The Radio」や「Would't You Like It」)ありと、なんでも揃っています。かと思えば、「Dedication」(同60位)、「The Way I Feel Tonight」(同24位)のような美メロバラードなんかもしっかり発表しています。

もちろん、ディスコの影響をもろに受けた曲も混じっています。76年に発売したアルバム「Rock N' Roll Love Letter 」には、前述のアルバム同名曲のほかに、珍しく12インチのディスコバージョンも制作した「Don't Stop The Music」(米ビルボード・ディスコチャート24位)という四つ打ちの曲も入っています(あまりインパクトがない曲調だが)。最もディスコを意識した内容の77年発売のアルバム「It's A Game」(写真)には、アルバム同名曲やしっとりしたAOR風の「You Made Me Believe In Magic」(同10位)、それにファンキーな感覚が漂う「Love Power」や「Dance, Dance, Dance」のようなフロア向けの曲が入っています。

…とここで冷静になって考えてみれば、これまたやっぱり「ジグソー」のごとく一貫性がないみたいです。真面目な音楽好きの人々からは、なんだかちょいと支離滅裂で中途半端な展開といわれかねません。

実は、このバンドはいちおう、レス・マッコーエン(Les McKeown)とかデレク・ロングマー(Derek Longmuir)といった著名な主力メンバーがいるにせよ、結成直後からメンバーチェンジを繰り返しておりまして、リードボーカルを担当していたのも、アルバムによって誰が誰やら。そんな背景もあって、音楽職人的なこだわりと統一性に欠ける結果になった可能性があるのです。しかも、彼らはこの70年代後半、お約束のメンバーの不仲説が飛び出したり、ストレスから放蕩生活に陥ったり、ギャラへの不満が噴出したり、ドラッグに溺れたりと、ありがちな絶頂アイドルの転落の道を歩み始めてもいました。

80年代に入るころには、日本など一部の国でしかセールスを維持できなくなり、あえなく過去の人となっていきます。それでもまあ、そのなりふり構わぬ音楽性は、「なんでもあり」ディスコ時代における一つの成果として記憶されてよいとは思っております(試行錯誤にせよ)。

この人たちのCDは、お騒がせながらもメジャーだっただけに、まさに百花繚乱雨あられ、ベスト盤を含めていろいろと揃っております。晩秋の夜長、40年近い時を経て、アイドルバンドに隠された意外な「楽曲のデパート」ぶりをあらためて味わうのも一興でしょう。

次回は満を持して、純粋ディスコものに回帰する予定でございます!

マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア (Marilyn Mccoo & Billy Davis Jr)

Marilyn McCoo秋も深まってまいりました。今回は「こみ上げ系ソウルディスコ」の代表格として一時代を築いた夫婦(めおと)デュオ、マリリン・マックー&ビリー・デイビス・ジュニアと参りましょう。

2人とも、聴いているうちに宇宙の果てまで飛んでいくこと必定の「アクエリアス」をはじめ、60年代から70年代にかけて豪快でサイケなヒットを連発した米国のソウル・ボーカルグループ「フィフス・ディメンション」の主力メンバーでした。

2人は1976年、「フィフス」を脱退して夫婦で仲良く初のアルバム「I Hope We Get To Love In Time」を発表。この中のミデアムテンポのダンスシングル曲「You Don't Have To Be A Star」(邦題:星空のふたり)が、全米ビルボード一般、R&Bチャートでともに第1位を記録する特大ヒットとなります。

このアルバムからは、ダンサブルながらも哀切な香りを放つ「Your Love」(一般15位、R&B9位)もヒット。2人の息のあったボーカルは、以前に紹介した同様の仲良し夫婦ディスコデュオのアシュフォード&シンプソンにも似た感じ。特に、妻マリリンさんの伸びのあるド迫力4オクターブの歌声を軸に展開する、流麗なメロディーラインが出色であります。もちろん、いくつか収録されているバラードも聴きごたえがあります。

2人は翌77年、2枚目のアルバム「The Two Of Us」をリリース。この中からは、シングルカットされた正統派ダンスナンバーの「Look What You've Done To My Heart」やミデアムスローの「Wonderful」、妙な緊迫感とおトボケ感がある「The Time」あたりがディスコ向けの曲になっていますが、ヒット曲は生まれませんでした。

この後、ディスコブーム最盛期の78年には、3枚目のアルバム「Marilyn & Billy」を大手コロムビア・レーベルから発売。「Shine On Silver Spoon」という爽やかなアップテンポの曲が、ディスコではまあまあのヒットになりました(米ディスコチャート32位)。ユニークなところでは、後にホイットニー・ヒューストンがカバーしてヒットさせた「Saving All My Love for You」のオリジナル曲も収録されています。

結局、金字塔の「星空のふたり」以降はさしたるヒットには恵まれず、夫婦(めおと)アルバムの制作はここでひとまず終了となりました。でも、妻マリリンさんの方は、名門UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)出身という知性と美貌を生かし、80年代に米国で一世を風靡した音楽番組「Solid Gold」の司会を務め、人気を博しました。

ついでにマリリンさんは、そのまんま「Solid Gold」とタイトルをつけたソロアルバムを83年に発売します。そのシングル曲であるこれまたそのまんまの「Solid Gold」は、80年代らしく、フラッシュダンスみたいなわざとらしい盛り上がりを見せるけっこうなロックディスコで、私も当時はFM番組からカセットテープにエアチェック録音して、一人ウキウキ気分で聴いていたものでした。

このソロアルバムには、そのころ流行っていたヒット曲のカバーがいくつか収録されています。とりわけデビッド・ボウイメン・ウィズアウト・ハッツのヒット曲のメドレー「レッツ・ダンス〜セーフティ・ダンス」は、なんだかもっさりしていて変てこです。ここでちょいとずっこけてしまうわけですが、彼女の歌唱力は折り紙つきであるだけに、全体としては、アゲアゲで文字通りソリッドな内容にはなっているとの印象です。

この人たちのアルバムは長らく、CD化されていたとしても超レアものだったのですが、なぜか最近になって海外で次々とCD発売されています。上写真は前述のデビューアルバム「I Hope We Get To Love In Time」。まずは、このアルバムが基本になると思われます。

ブリック (Brick)

Brick今回は少々渋めに「ブリック」と参りましょう。腕っこきの演奏者や歌い手たちが結集し、70年代後半から80年代前半にかけて、ジャズとファンクをうまく調合した味わい深いディスコをいくつか発表しておりました。

1972年に米アトランタで結成した黒人男性5人組。地元でバンド活動をしているうちに評判となり、1976年、ポール・デイビスやニール・ダイアモンドが輩出したバング(Bang)というレーベルからデビューアルバム「Good Enough」をリリースしました。

そのアルバムの中に入っているシングル曲「Dazz」こそが、この人たちの最大のヒットであり代表曲です。文字通り、ディスコ(Disco)とジャズ(Jazz)をうま〜くメロウに融合させた逸品で、米ビルボードR&Bチャートで1位、米一般チャートで3位、米ディスコチャートで7位まで上昇しました。

ほかの曲群もしかり。サタデー・ナイト・フィーバーが公開になるまさに1年前、ディスコの可能性にいち早く目を付け、ディスコならではのシンプルでダンサブルなリズム構成を土台にしつつ、ホーンセクションやベースなどの基本楽器をきちんと取り込んだジャズファンクを展開しています。

ただし、なんといってもこの人たちの特徴は、「ぴーぴーひょろろ、ぴーひょろろ♪」と時折、響いてくる笛の音色にあります。奏者は、リードボーカルもサックスも器用に担当していたジミー・ブラウンなる人物で、「Dazz」の中間奏でもしっかり存在感を示しています。

ジャズ系フルートのディスコといえば、ハービー・マン、ボビー・ハンフリーあたりを思い出します。D.D.サウンドの「カフェ」とか、トランプスの「トランプス・ディスコのテーマ」とか、ヴァン・マッコイの「ハッスル」といったディスコのメジャーどころでも、フルートは不可欠な存在になっております。繊細な音ですので主役になることは少ないとはいえ、フルートは、地味ながら意外にアゲアゲな曲でも威力を発揮しているわけです。

さて、デビューアルバムがかなり好調だった彼らですけど、1977年に発売した2枚目「Brick」からは、R&Bチャートで2位まで上昇した「Dusic」というさらにフォンキーでディスクテックなヒット曲が生まれました。ここでも、ジミーさんのフルートが効果的に使われています。前半からドラム、ベースや吹奏楽器を軸にした重厚なうねうねファンキーぶりを見せつけつつ、「あれあれ?まだかな」と思ったあたりの中間奏で突如、「ぴーひょろろん♪!」と素っ頓狂に登場してきます。

けれども、こうした勢いもだいたいここらへんまでで終息です。その後も、「Stoneheart」(79年、ボズ・スキャッグスを手がけたビル・シュネーがプロデュース)、「Waiting For You」(80年)、「Summer Heat」(81年、「ゴーストバスターズ!」のレイ・パーカー・ジュニアがプロデュース)、「After 5」(82年)と、立て続けにアルバムをリリースしたものの、セールス的には下降線をたどり、あえなく「過去の人たち」に。

それでも、ありそうでなかった「Disco + Jazz」というコンセプトを初めて明確に打ち出した先駆者として、また華麗なる「フルート・ディスコ」の実践者として、なかなかインパクトがある活動ぶりだったとはいえましょう。ディスコらしい能天気かつおバカさんな要素はほとんど感じられないにしても、正統派の“ザ・ファンク・ディスコ”として一定の評価は得られると思います。

CDは各アルバムとも再発されています。写真は、4年前に英国のレーベルFunky Twon Grooveから発売された「Waiting For You」。アルバム全体がディスコ中心の軽快な内容になっている上に、あの「Dazz」と「Dusic」のロングバージョンもボーナストラックとして入っていてお得感があります。

トロピカル・ディスコの数々 (Tropical Discos)

1どど〜んとお盆に入りましたが、まだ大方暑さが続いております。夜半過ぎになっても近くの公園のアブラゼミたちが全力で鳴きまくって宴を楽しんでおりますので、今回はおもむろにトロピカルなディスコをいくつか。

まずはバート・バスコーン(Bart Bascone)!!いきなりお盆らしからぬド迫力な名前ですけど、曲調もけっこう積極的。彼が1979年に発表した左写真のディスコアルバム「ブルーハワイ・ディスコ」(Blue Hawaii Disco)の表題曲はハワイアン音楽をベースにした非常に珍しいディスコで、ウクレレをフィーチャーした軽快ビートが連なり、南国の心地よい潮風を感じさせています。

このアルバムには、「My Hawaii」という曲もあって、こちらはハワイアンミュージックの打楽器乱れ打ちの中間奏が小気味よい。ハワイアンとディスコの相性は特別良好というわけではないですけど、その試み自体は評価しておきたいと思います。ただし、あまりに珍盤で、CDは発売されておらず、レコードでもあまりお目にかからない変り種ディスコとなっております。

あと、南国ディスコの類いとしては、1970年代後半に出てきたリスコ・コネクション(Risco Connection)というグループもあります。以前にも少し紹介したレゲエディスコの系統でもかなりレアなグループ(それとこれあたりもご参照)。ニューヨークにあった人気会員制ディスコ「The Loft」の「ロフトクラシック」として知られるカリプソバージョンの「Ain't No Stoppin' Us Now」という代表曲があります。こちらは4年前、グループの12インチ音源集のCD「Risco Connection」(Musica Paradiso盤)が発売になっております。

この「Ain't No…」もそうですが、この人たちは既存のディスコのヒット曲をしっぽりとレゲエ(カリプソ)風にリメイクするのが得意でした。シックの大ヒット「グッド・タイムズ」やインナーライフの「アイム・コート・アップ」のカバーもやってます。いずれも、うんと激しく盛り上がるわけにはいかないにしても、のんびりとすまし顔で聞き流しつつ、気が向いたら手足や腰をくねくねと動かしてリズムに乗ってみたい、という人向けの曲調です。緩急自在なディスコワールドの中でも、極めて「緩」系のサウンドになっています。

さて、お次は下写真の「Disco 'O' Lypso」。プエルトリコのレコード会社Trans Airから4年前に発売されたCD。カリブの70年代後半を中心としたほとんど誰も知らないディスコ曲が収録された、ひなびた感じのコンピレーションになっています。しかし、「Disco」の単語が随所に出てくる上に、かなりファンキーな力作が多くて楽しめます。

もちろん、トレードマークのスティールドラムも、レトロなオルガンも、おとぼけ「ウホホホホホホ!」音でお馴染みのクイーカ(Cuica)も全開。幻惑のレゲエファンクであるタッパ・ズッキーの「フリーク」とか、ザ・ビギニング・オブ・ザ・エンドの名曲「ファンキー・ナッソー」のリメイク「Nassau's Disco」なんてゴキゲンな曲も入っています。

まあ、このあたりは基本的には70年代のソウル&ファンク&レゲエの正統派ですので、ディスコの真骨頂であるおバカさ加減についてはあまり望めないわけですが、とっても渋くて夏らしくて趣があると思います。世界のすみずみまで「DISCO」が行き渡っていたことを改めて実感する次第です。
Disco O Lypso

B. B.・アンド・Q. バンド (B. B. & Q. Band)

BB&Q「エッブリィバディ、ダンシン、エッブリィバディ、オンザビート♪」の軽快なサビが踊り心をくすぐる「On The Beat」でおなじみのB. B. and Q. バンドは、1981年に結成されたセッションミュージシャン集団のディスコグループ。86年に解散するまで、計4枚のアルバムを発表しましたが、やはりオンザビートが入ったファーストアルバム「The Brooklyn, Bronx & Queens Band」(写真)が代表作となりましょう。

そもそも、バンド名がバーベキューみたいで変テコなんですが、上記ファーストアルバムのタイトルをみてお分かりのとおり、米ニューヨークで黒人が多く住む下町の3地区を並べてグループ名にしたわけです。

これまで何度か登場したイタリア系ディスコの仕掛け人で、カリブ海グアドループ出身のジャックス・フレッド・ぺトラスがプロデュース。作曲や構成は、その相棒のキーボード奏者マウロ・マラバシ(Mauro Maravasi)が主に担当。

両人ともに、本拠地のイタリアとニューヨークを行ったり来たりしながら音楽活動をしていたため、70年代後半に頭角を現したメロディアスなイタロディスコと、電子音やエコーを多用した都会的で透明感のあるR&B音楽の要素を合わせ持った、ユニークなダンスミュージックを世に送り出していました。以前に紹介したチェンジやハイ・ファッション、それに今回のBB&Qバンドがその代表例になります。

BB&Qバンドの曲は、基本的にはチェンジに似た曲調ではありますけど、もっとダンサブルにアレンジした感じです。ほぼ無名のセッションミュージシャンの集団とはいっても、どれもぺトラスが高い金をつぎ込んで集めた腕利きばかりですので、リードをとるアイク・フロイド(Ike Floyd)をはじめとするボーカル、それに演奏もアレンジも非常にしっかりしています。同時期に大人気になったSOSバンドなどを手がけたプロデューサーコンビのジャム・アンド・ルイスの音作りにも近いものがあります。

81年発売のファーストアルバムからのシングルカット「オン・ザ・ビート」は、米ディスコチャートで3位、R&Bチャートで8位まで上昇するヒットとなりました。私自身、当時のディスコやFMラジオでよく耳にした曲で、相当なインパクトを持っていました。ほかにも、このアルバムにはMistakesとか、Starletteといった同系統のディスコの佳作が並んでいます。

ただし、この人たちはこのアルバム(特にオンザビート)でほぼおしまい。85年にかけてさらに3枚、ダンス系のアルバムを出しましたが、ファーストほどの話題にはならず、セールスもどんどん下降線をたどることになります。結局、86年にはあえなく解散してしまいました。

まあ、後に出た3枚とも、よくよく聴くと悪いわけではないのですけど、なんだかダズ・バンドとかコン・ファンク・シャンみたいな、このころ大量に出回っていたエレクトロファンクの色が強くなり、あのシャープでクールでアーバンな独自色が薄れてしまったのが残念なところです。トホホ。

…で、トホホといえば、BB&Qの仕掛け人のぺトラス氏が翌87年には何者かに殺されてしまうというおぞましい結末が待っていました。まことに珍しいぺトラス氏にまつわる専門サイトやCDライナーノーツや各種の資料を読みますと、もともとマフィアと関係があったとの噂が絶えない人物で、大名買いの音楽制作や贅沢三昧の生活が原因で巨額の借金も抱えていており、命を狙われた可能性が高いということです。あなおそろしや。

とはいえ、かなり前に紹介した米国のディスコ本「And Party Every Day」にも書かれていましたが、洋の東西を問わず、ディスコとマフィアはどこかで繋がっていたものです。あの「サタデー・ナイト・フィーバー」のジョン・バダム監督も、DVDの特典映像の解説の中で、「街中のディスコで撮影中、地回りマフィアからの用心棒の申し出を断ったら、そのディスコでボヤ騒ぎを起こされ、示談金を払った」と証言しています。日本もそう。お祭りとテキヤとの関係を見ても分かるように、大金が動く非日常の祝祭空間には、闇社会のかぶき者が暗躍する余地が少なからずあるわけです。

BB&QのCDはまずまず再発されております。BB&Qを中心としたぺトラス関連の作品が詰まった2006年発売の5枚組CDセット「Album Collection」や2011年発売の4枚組CDセット「Final Collection」(いずれもイタリア盤)などが網羅的でお勧めですが、新品の値段はどれも、ひと頃よりつり上がっています。円安、消費増税の影響を実感します。

ショー・ナフ (Sho-Nuff)

Sho Nuffいやあ天気もたぶんよさそうだし、あしたは富士山に行こう!……というわけで、今回は息抜きに「ショー・ナフ(Sho-Nuff)」と参りましょう。

う〜ん、正直困りました。左写真のレコードジャケットを見てもおわかりの通り、確かにホントは「いくぶん陽気なおじさんソウルディスコ」の人たちであると思うのです。でも、その笑顔の裏に隠されたとて〜も恥ずかしい一面についても、ここでは触れなければなりません。

まずはこの人たちの素性について。アメリカ南部のサザンソウル音楽の本場であるミシシッピで結成された5人組ファンクバンドで、Sho-Nuffとは、英語の「そんで案の定」とか「いやはや思ったとおりに」などの意味を持つ「Sure enough,...」の黒人スラングの発音形です。ディスコブーム絶頂期の1978年、サザンソウルの中心レーベルであるスタックス(Stax)から「From The Gut To The Butt」というデビューアルバムをリリースしました。

続いて1980、82年には、同じくサザンソウルの発信源だったMalacoレーベルから「Tonite」と「Stand Up For Love」というアルバムをそれぞれリリース。しかし、これ以降はすっかり音沙汰がなくなってしまいました。

3枚のアルバムともに、情感豊かに歌い上げるバラード群を主軸に置きつつ、「Tonite」や「Smile」みたいにファンク/ディスコの雰囲気にも溢れていて相当に楽しめるのですけど、ヒット曲は皆無。78年に「I Live Across The Street」(米R&Bチャート93位)、「What Am I Gonna Do」(81年、82位)というバラードが下位にチャートインした程度です。

ところが、本国で行き場がなくなってしまった直後の1983年のこと、世にも不思議なディスコシングルをなんと日本で秘かに発売していたのです。邦題は、のっけから意味不明な「ヤキ!ヤキ!不思議な媚薬」(洋題は「Yakki Yakki」=今ならeBayでちょっと視聴可能)となっております。

この曲は、ずいぶん前に紹介した「ディスコ歌謡」CDシリーズのキングレコード編に収録されておりまして、あらためて聴いたところ、曲調は一般的なファンクディスコの風情でありながら、歌詞内容はやっぱり奇妙奇天烈摩訶不思議、抱腹絶倒笑止千万なお気楽ぶり。イントロから「イ〜モ〜、イシヤキ〜モ〜。ハイッ!イラシャイマセ!ドモドモ!ヤキ、ヤキ、ヤキ、ヤッキイモ〜〜〜♪」てな調子で脱力必至の「変なガイジン日本語」がぽんぽん飛び出します。

ついでに、「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ、ギュウドン」などなど、まったくやきいもに関係のない単語まで容赦なく降り注ぐ有様。もうせっかく渋くてゴスペルフレーバー満載のサザンソウルなグループだったのに、正真正銘のおちゃらけディスコバンドに変貌してしまったわけです。

もっとも、70年代から80年代半ばにかけて、お笑い和製ディスコはけっこう世に出ておりましたから、こんなことも不思議ではありません。特に、同じキングレコードからは、同様に落ち目だったサザンソウルのグループ「エボニー・ウェッブ(Ebony Webb)」の「ディスコお富さん」という猛烈におバカさんな最高傑作が1978年にリリースされて、かなりヒットしましたし。ディスコの真髄「なんでもあり精神」からすれば、むしろ大歓迎の展開だったといえるかもしれません。

それにしても、サザンソウルから「やきいも」とはあまりにも哀しい。どんな誘い文句ではるばる日本に出稼ぎにやってきて、どんな気持ちでレコーディングに臨んだのでしょうか。私も聴いていて最初は大笑いしてましたけど、やがて涙が止まらなくなってしまいました。

この人たちのCDは、ときどき思い出したように発売されます。上写真は、最後の3枚目アルバム「Stand Up For Love」をあしらった96年発売の国内P-Vine盤で、「Stand Up…」とその前の「Tonite」の全曲が1枚のCDに収録されています。最近、この2枚のアルバムが再び日本から紙ジャケット仕様でCD発売されていますが、またすぐにレア化して、忘却の彼方へと旅立つことでしょう。

パトリース・ラッシェン (Patrice Rushen)

Patrice Rushenいやあ、いつもながら唐突です。今回は極めて正統派の女性R&Bアーチスト、パトリース・ラッシェンとまいりましょう。

左写真は82年発売の代表的アルバム「Straight From The Heart」です。邦題はなんと「ハート泥棒」! そんなきゃわゆ〜いタイトルをひっさげ、ちょいと往年の南沙織(古い)ばりのアイドル顔で登場しているのですが、実は幼いころからジャズピアノの天才少女として騒がれ、ギターもパーカッションも難なくこなしたという、相当に伊賀流忍者な手だれ演奏家だったのです。

代表曲は、なんといってもこのアルバムに入っているダンスチューン「フォゲット・ミー・ナッツ(Forget Me Nots)」(全米R&Bチャート4位、一般23位、ディスコ2位)。イントロ途中でやおら始まるハンドクラップと「ピン、ピン、ピン、ピン♪」という律儀なおとぼけ電子リズムが印象的でして、かなりの人が一度は聞いたことがある旋律と思われます。

1954年、米ロサンゼルス生まれのパトリースさんは、音楽好きの親の影響で5歳のときにクラシックピアノを始めて、高校時代にジャズに開眼。10代後半でメジャーなジャズフェスティバル(Monterey Jazz Festival)のピアノソロ部門に出場して見事優勝し、すんなりとレコードレーベルとの契約を果たします。

1974年のデビューアルバムを含めてジャズのアルバムを3枚出してヒットさせた後、ジャズレーベルからメジャーのエレクトラ(Elektra)・レコードに移籍。78年に「Patrice」という雰囲気を変えた一般向けR&Bアルバムを発売して以降、別のレーベルに移った84年まで計5枚のアルバムをエレクトラから出しました。その楽曲のほとんどは、彼女自身の作によるものです。

この5枚とも、ディスコフロアを意識した内容になっているところが大いなるプラスポイント。お得意のジャズ・フュージョンの雰囲気を濃厚に映しながらも、それ故にこじゃれたダンスチューンが満載になっております。「フォゲット・ミー」以外では、アップテンポでぴょんぴょん飛び跳ねる感じの「Haven't You Heard」(79年、R&B7位、一般42位、ディスコ5位)、軽快なベースラインとサビのコーラスが印象的な「Never Gonna Give You Up」(80年、R&B30位、ディスコ2位)、スローテンポにも合うリズムマシンの名機TR808を駆使した「Feel So Real」(84年、R&B3位、一般78位、ディスコ10位)などがあります。

ただし、アルバムの邦題は、78年から順に「妖精のささやき」(英題:Patrice、78年)、「陽気なレイディ」(Pizzazz、79年)、「おしゃれ専科」(Posh、80年)、「ハート泥棒」(Streight From The Heart、82年)、「夏微風〜サマー・ウインド」(Now、84年)てな具合に、ことごとく夢見る乙女の脱力系です。やはりかなりのアイドル扱いだったのですね。

この5枚の曲調やジャケットのデザインは、「踊らば踊れ、天まで昇れ」の80年前後の能天気ディスコ&ポストディスコ期を反映しており、以前に紹介したイブリン・キングステイシー・ラティソウステファニー・ミルズデニース・ウィリアムスあたりと似たところがあります。

でも、こうした人たちはあくまでもボーカリストとして勝負していたのに対し、パトリースさんはピアノを軸としたミュージシャンとして売り出していた点に違いがあります。…というわけで、ボーカル力については「いま一つ!」との声もありましたが、本当は別にアイドルではなく、小柄な体つきにふさわしい可憐な風情の歌声は、まずまず及第点に達していたと思います。

80年代半ばにはエレクトラからアリスタ・レコードに移籍。ここでは、ジャネット・ジャクソンみたいな歌とPVに果敢に挑戦したものの、ちょいとミッキーマウスみたいな踊りでずっこけてしまいそうな「Watch Out !」(87年、R&B9位、ディスコ22位)というダンストラックをリリースしました。

また、チャート上位には入らなくても、重量ファンクに挑んだ「The Funk Won't Let You Down」(「おしゃれ専科」より)とか、パトリース自身による上品なジャズピアノの旋律が心地よいインスト曲「Number One」(「ハート泥棒」より)とか、珍しく少々シャウト気味に歌う「Break Out」(同じく「ハート泥棒」より」)、スロー系の「Remind Me」(またしても「ハート泥棒」より)などなど、ピーク時間帯から真夜中過ぎのスモールアワーズまで、あまねくフロアを彩る佳作がけっこうあります。

80年代中盤以降は、ヒットを量産する単独アーチストとしてはさすがに勢いを失っていったパトリースさん。それでも、若いころからの実力者ゆえに、リー・リトナーやビル・ウィザーズ、ハービー・メイソン、クインシー・ジョーンズ、カルロス・サンタナといったジャズ・フュージョン界の大物らとの親交が深く、ジャズのセッションミュージシャンや作曲家、音楽監督としての活躍は続きました。ソウル音楽の海外著名ウェッブサイト「SoulMusic.com」でのインタビューによると、これまで制作に関わったアルバムは計1,000枚近いといいますから驚きです。

それに、ディスコ時代から良作が多かったため、後年にはサンプリングされることも非常に多かった人です。だからこそ、多くの人の耳に残る旋律が多いともいえます。特に「フォゲット・ミー」は、ウィル・スミス主演の大ヒット映画「メン・イン・ブラック」(97年公開)のテーマ曲に使われたことでも知られます。

しかも、現在はなんと名門バークレー音楽大学の教授というご身分。ディスコ時代にはた〜っぷり茶目っ気を見せたとはいえ、最終的にはジャ〜ズに回帰し、まさに多芸多才の正統派音楽家として王道を歩んだのでした。

CDについては各アルバム、ベスト盤ともに、R&B時代を中心に豊富に出ております。中でも下右写真の英国Edsel盤2枚組CDは、エレクトラ時代の70年代後半に発売した3枚の全曲と12インチバージョンが網羅されていてお得感があると思います。このシリーズは2作ありまして、「ハート泥棒」など80年代前半のアルバム2枚の全曲と12インチバージョンを収録した2作目を入手すると、エレクトラ時代の5枚がすべて聴けるという趣向になっています。

Patrice Rushen2

スティービー・ワンダー (Stevie Wonder)

Stevie Wander今回はやぶから棒にスティービー・ワンダー! 前回登場のスターズオン45にも真似されるぐらいですから、芸歴は長く知名度抜群。ヒット曲はべらぼうな数です。

スティービーは1950年、米ミシガン州に生まれ、間もなくデトロイトに移りました。未熟児で誕生したことが原因で盲目となりましたが、幼少期に音楽に目覚め、黒人教会のゴスペルコーラス隊に参加します。9歳までにはピアノ、ドラム、ハーモニカを習得。もちろん歌もお上手。視覚を補って余りある天才少年ぶりを発揮します。

11歳のとき、地元デトロイトに誕生したばかりのモータウン・レコードの関係者に発掘され、すぐにデビュー。「リトル・スティービー・ワンダー」と銘打って大々的に売り出され、63年、尊敬するレイ・チャールズやサム・クックを意識したダンスナンバー「フィンガーチップス(Fingertips)」が米ビルボードチャートのポップ、R&B部門で堂々1位を獲得。これをスタート地点として、60年代から2000年代に至るまでヒットを量産し続けています。

そんなわけで、ソウル界ではトップクラスの大御所になるわけですが、ディスコへの貢献度も絶大でした。実は、彼はピアノからドラム、ベース、ギター、ハーモニカまでこなすマルチインストゥルメンタリスト(多楽器奏者)だった上に、以前に紹介したジャズ畑のハービー・ハンコックと同様、いやそれ以上にシンセサイザーに代表される新技術の導入に積極的な先駆者でした。「新しもの好き」の本領を発揮し、ブームが来る前に「ディスコっぽい曲」も発表していたのです。

まず、1966年には、誰でも耳にしたことがあるであろう「アップタイト」という曲が大ヒット(ビルボード一般3位、R&B1位)。これは完全にダンスフロアを意識した曲調で、あのモータウン独特の跳ね上がるようなドラムビートが特徴になっています。同じ時期にヒットしたマーサ・アンド・ザ・バンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(64年、ビルボード一般2位)などと並び立つ「モータウン・ダンスビート」の代表曲といえます。後の時代には、ワム「フリーダム」やバネッサ・パラディス「ビー・マイ・ベイビー」などでもみられたビート展開ですね。

70年代に入ると、音楽会社側からの提供ではなく、自分自身で手がけた曲が多くなり、キャリアとしてもピーク期を迎えます。後に「君の瞳に恋してる」で知られるボーイズ・タウン・ギャングもリメイクした「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours(邦題:涙をとどけて)」がビルボードR&Bチャート1位に輝く大ヒットを記録したのに続き、72年にはアルバム「Talking Book」の収録曲「迷信(Superstition)」が、ビルボード一般、R&Bチャートでともに1位を獲得しました。

特に「迷信」は、いくつかのリズムを混合した「ポリリズム」と呼ばれる複雑な曲調がベースになっており、まだ目新しかった電気キーボードのクラビネットの音色がぴょんぴょん飛び回る、まさに時代を画する一作。欧米を中心に芽吹いてきたディスコのフロアにも新風を吹き込んだのでした。

さらに、1974年に発表した大ヒットアルバム「Fullfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」では、ジャクソン・ファイブポール・アンカ、それに当ブログでも紹介済みのミニー・リパートンデニース・ウィリアムスという「超絶高音系」の二大ソウル女性歌手が参加するという豪華ぶり。まだ20代半ばだというのに、既に大御所の貫禄を醸しています。

「Fullfilingness'…」の後、2年間の準備期間を経て、1976年に発表した2枚組アルバム「Songs In The Key Of Life(キー・オブ・ライフ=写真)」はもう、無敵の“良曲百貨店”状態。最高傑作といってよいと思います。デューク・エリントンに捧げた「Sir Duke(愛するデューク)」(一般1位、R&B1位、ディスコ2位)、わが愛娘に捧げた「Isn't She Lovely(可愛いアイシャ)」(ディスコ2位)、自らの幼少期を振り返った「I Wish(回想)」(一般1位、R&B1位、ディスコ2位)、いま聴いてもめちゃくちゃ盛り上がってみんな踊り出すこと必定の「Another Star(アナザー・スター)」(一般32位、R&B18位、ディスコ2位)といった具合に、どれもフロアキラーになりうる名曲ばかりです。

この後、ディスコブーム真っ只中の79年には「Journey Through The Secret Life Of Plants(シークレットライフ)」という一風変わった2枚組アルバムを発表。もともとドキュメンタリー映画のサントラに使う予定で制作されたこともあり、インストィルメンタル曲が中心で、なんだかコワくて奇妙な雰囲気です。

それでも、例えば1枚目B面収録のエレクトロディスコ「Race Babbling」などは、ミニマルでスペーシーでハウス音楽的な面白さがあると思います(ちょっと入ってるスティービーのボコーダーの声がハービー・ハンコックみたいだが)。2枚目B面「A Seed's A Star And Tree Medley」もディスコ系。それと、1枚目A面には、「Ai No Sono」という日本人の子供たちが合唱で参加している変てこな曲も入っています。

惜しむらくは、この「大ディスコ祭り」の期間中、リリースされたアルバムがこの1枚だけだったこと。各楽曲をじっくりと熟成して仕上げる職人肌のスティービーらしさゆえかとも思いますが、どうせならスティービー流のもっとポンポコポンな「もろディスコ」アルバムを出して欲しかった気もします。

さて、80年代に入ると、大方の予想通り、シンセサイザーが縦横無尽に駆け回る曲が目立ってきます。80年発表のアルバム「Hotter Than July(ホッター・ザン・ジュライ)」からは、「ズンチャ♪ ズンチャ♪」とのんびりレゲエ的展開の「マスター・ブラスター」(一般5位、R&B1位、ディスコ10位)がおもむろに大ヒット。また、68年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げた収録曲「ハッピー・バースデー」が、そのまんま世界のダンスフロアの「お誕生日おめでとうアンセム」となっております。

このほか、80年代には、ディスコ的にいうと「That Girl」(82年、一般4位、R&B1位、ディスコ27位)「Do I Do」(82年、一般13位、R&B2位、米ディスコチャート1位)とか、めくるめく愛の賛歌「I Just Call To Say I Love You」(84年、一般1位、R&B1位)とか、高速テンポで目が回る「Part Time Lover」(85年、一般1位、R&B1位、ディスコ1位の3冠達成!!)とか、「Go Home」(85年、一般10位、R&B2位、ディスコ1位)、「Skeltons」(87年、一般19位、R&B1位、ディスコ20位)といった代表曲が生まれました。

特に、「I Just Call...」と「Part Time Lover」については、当時のフロアでも相当に耳にした定番曲で、セールス的にも絶好調だったわけですが、かつては濃厚に見られた政治的メッセージ性やソウル性は、かなり後退していきました。つまり、このあたりから「ゴーストバスターズ」のレイ・パーカーJrのごとく、80年代らしく商業的に「いけいけどんどん」になっていった模様です。まあ、それまでの功績を考えれば、ある程度は「やり尽くした感」が出てきても仕方がないとは思いますが。

同時代を生きたソウル界の大立者である故ジェームズ・ブラウンや故マイケル・ジャクソンと比べても、スキャンダルとは無縁で、非常に穏やかで朗らかな人格者とされるスティービーさん(昔から日本のテレビ番組にもよくニコニコ顔で出てたし。そんで10年ちょっと前には日本の缶コーヒーのCMにも出てたし)。ディスコからクラブミュージックへと移行した90年代以降も、昔ほどの勢いはないものの、コンスタントにヒットを出し続けております。幼くしてスターになったため、長〜いキャリアながらもまだ60代前半という若さでもありますので、これからもますますのご活躍を祈念いたしたく存じます。

スターズ・オン・45 (Stars On 45)

Stars On 45今回は「ディスコ好きなら一度は通る道」、「ショッキング・ビートルズ」でおなじみのスターズ・オン45で〜す。

1970年代末、オランダで結成された無名のセッションミュージシャン集団。音頭を取ったのは、かつて当ブログの「ロックなディスコ」でちょっと取り上げたオランダの老舗人気バンドのゴールデン・イヤリングの元ドラマー、Jaap Eggermontなる人物です。ポール・マッカートニーやジョン・レノンに声がそっくりのボーカルを探してきて、にわか作りのつぎはぎビートルズ・ヒットメドレーをリリース。アーチストの創造性ではなく、「これやったらウケるんじゃね?」のノリで実現した典型的な企画モノです。

えっ?「いかがわしくて、いかさまで、インチキ」だって?…その通り!でもそんなまがい物精神こそが、「なんでもあり」ディスコ文化の真髄です。しかつめらしく「ゴホン! ええ、そもそもディスコとは…」なんて理屈を説いては元も子もありません。ディスコとは、はっちゃけたおめでたさが命。虚実の皮膜を渡りきる、けだし勇敢な試み――「考えるな、感じろ(いやむしろ踊れ)!」なのであります。

ヒットメドレー・ディスコ自体は、それまでもシャラマーリッチー・ファミリービーチボーイズ・メドレーで知られるシー・クルーズ(Sea Cruise)といった数多くのアーチストが手がけているので、特別新しいわけではありません。でも、それらはあくまでも新たなアーチスト自身の声で歌うメドレーであり、「モノまね」ではありませんでした(モノまねだったらそれも面白いけど)。あのビートルズの手ごわい権利関係をクリアしつつ、原曲をとことん忠実に再現し、それにのりのりのディスコビートを絡めた点がユニークだったのです。

実際、驚くなかれ、このシングルは、あれよという間に由緒正しき全米ビルボードヒットチャートで堂々1位(81年4月、米ディスコチャートでは18位)を獲得したのです。ディスコブームが終わった後ですから、これは素直に偉業といえるでしょう。後のディスコ曲に多く見られる「メガミックス」にも通じる百花繚乱な贅沢さを兼ね備え、踊る阿呆を量産してきたのは確かです。もちろん、ディスコの現場でも人気曲でした。

……というわけで、私もまあ、聴き倒しました当時。最初は友人からレコードを借りて、奮発して“高級メタルテープ”に録音し(といっても400円程度の代物だが)、部屋にあったアイワ製ラジカセに入れてがんがん鳴らしていたものです。特にLPに入っているロングバージョンだと15分以上もあるので、鼓膜にこびりつくほどたっぷりと楽しめました。

しかし、そんな能天気に乗せられがちな私も、「さすがに安易過ぎる!」と、徐々に義憤を感じ始めました。気がついてみたら、彼らはアバだのスティービー・ワンダーだのローリング・ストーンズだのスペンサー・デイビス・グループ(これは渋い)だのと、ほかの大物たちの同系統の「ショッキングもの」メドレーを次々と世に送り出していたのです! しかも、ビートルズ以降の「似てる度」は微妙に低下し、“2匹目のドジョウ作戦”に飽き飽きしてきたのでありました。残念ながら、もはやショッキングではありません。

セールス的にもビートルズメドレー以外はふるわず、ディスコ界では栄えある「一発屋」(One Hit Wonder)の称号を得たスターズ・オン45。でも、何年も聴いていないと不思議とまた、古ぼけたレコードやCDに手が伸びてしまう魅力だけは、なんとなくある。そんなわけで、私のような人間がけっこう多いのか、再発CDは今も世界の市場でかなり出回っております。写真は国内ベスト盤(ビクター)全2巻のうちの1巻目。どのメドレーも似通った展開ではありますが、四の五の言わず、「あはははははははっ!」と頭を真っ白にして踊るには最適かと思われます。
CDのライナーノーツ書きました(広告)


たまには「ボカロでYMCA」
キュート奇天烈でよろし。
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キーワードは意外に「ディスコ」。
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