ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

12''/80s

12''/80sDjにとってのここ数年の話題の一つとして、「レコードかCDか」という議論があります。以前、私もディスコについての記事を書いたことがある「Groove」などのクラブ系雑誌では、時折りCDターンテーブルの特集を組んで、広告主の電機業界各社とのスクラムで「販促」に努めているようです。

ここまでCDが普及している以上、私は「もう全部CDでいいんじゃないか」とさえ思っています。まったく個人個人で考え方は異なるのでしょうが。現在、私が集めているのは9対1か8対2でCDです。ここ数年、コンピやCD再発が相次いでいて、うれしい限り。

しかもロングバージョンも豊富に出ています。集めがいがある状況になっています。CDだと80分近くが1枚に収まりますから、12インチで10枚分ぐらいが1枚で足りるのも魅力です。

私も古いCDターンテーブル「CDJ」を持っているのですが、ちょっとミックステープを作るにしても、ぜんぜん楽です。アナログはかさばりますし、自宅だったら、アナログ盤をいちいち取り替えるのは、非常に時間の無駄に感じてしまうのです。

まあ、重低音を中心とした音の厚みはどうしてもアナログが上だと思いますし、特にクラブやパーティでは、でっかいレコードをとっかえひっかえやるのは、多少かっこうもいいのかも知れませんが。

ということで、今回紹介するのは80年代の英国ニューウェーブ、ニューロマンチック、インディ系のCDコンピ「12"/80s/」(Family盤)。第1、2集とあるのですが、どちらも3枚組で、12インチバージョンばかりが収められています。

デュラン・デュランとかヒューマン・リーグとか、ほかでも手に入りそうなのも多いのですが、スージー&ザ・バンシーズとかアイシクル・ワークスとかジャパンとかジャムとか、渋めの12インチも多くて楽しめます。

でも、写真の第2週のCD3に入ってるアズテック・カメラ「オブリビアス」はいただけませーん。何と、開始早々「針飛び」しているのです、ちょこっと。アナログレコードから録音したことがばればれですね。昔からお気に入りの曲だったのに…。

まあ、マスターテープがなくなっちゃったりしている80年代ダンス系CDではよくあることです。どうせ他では手に入らないし、私はたいてい、目をつぶってそのまま聴いています。


プロパガンダ

プロパガンダプロパガンダは意外に思い出深いバンドです。1984年のデビュー当時は、ぜんぜんディスコという感じではなかったのですが、FMラジオでふと耳にして気になり始めました。結局、札幌のタワーレコードに行って、1000円ぐらいで売っていた「ドクター・マブーセ」の12インチを買った記憶があります。

ジャケットも中身の旋律も不気味なんですが、耳にこびりつくような印象深い音でした。その後に出てきたエニグマ「サッドネス」にも似た、中世欧州キリスト教のような厳かな感じも受けます。

プロデュースはいわずと知れたトレヴァー・ホーン。構成はさすがに凝っています。当時のシンセサイザー技術の限界に挑戦しているような複雑さです。

メロディーはやけにドラマチックで、カルトな悪魔教のような感覚。まあ詞の内容からしても「マブーセ博士に魂を売れ!!」「危ない!後ろを振り向くな!」とか、気持ち悪いことはなはだしい。でも、いい曲だったんですよ。ディスコではほとんどかからなかったのですが。

プロパガンダがディスコでもてはやされたのは、マブーセの後の「Pマシーナリー」です。リフがユーロビートのアレフ「ファイアー・オン・ザ・ムーン」で真似されたりして。両方とも80年代半ば、ディスコでかなりはやりました。

しかし、私にとってはやっぱり「ドクター・マブーセ」です。踊る気にはあまりなりませんが、完成度が高い曲です。今でもしょっちゅう聞いています。Pマシーナリーともども収録されているアルバム「シークレット・ウィッシュ」は必須だと思います。

「一風変わった80年代ディスコ」の代表作。米アマゾンの評価でも、27人ほどが投票していて、そのほとんどが「満点の☆5つ」なんですから。


ダン・ハートマン

ダン・ハートマン79年末でディスコブームが一区切りを迎えたのは、以前に述べたとおりです。70年代と80年代をまたいで活躍したディスコ系ミュージシャンはやはり少ないのですが、一つの曲が両年代をまたいでフロアで支持され続けた例はもっと少ないと思います。

リメイクや新バージョンという修正を加えずにオリジナルとして「80年越え」を果たした曲を、私が思いつくまま挙げれば、まずダン・ハートマン「リライト・マイ・ファイア」です。79年の終わりごろ、米ディスコチャートで6週連続1位という大ヒットとなったのですが、80年代以降もずーっと、盛り上がりタイムにプレイされていました。

この曲はもう「古典」の域ではないでしょうか。90年代以降のダンス・シーンは詳しくは語りませんが、「ダンスクラシック」イベントではなく、普通のクラブのフロアで今、かかっていても不思議ではないと思います。

あとは、D.D.サウンド「カフェ」(79年)、ドナ・サマー「ホット・スタッフ」(同)、ドナ・サマー&バーブラ・ストライザンド「ノー・モア・ティアーズ」(同)も、80年を越してけっこう聞きました。

こう見ていくと、発売年は79年がやっぱり多いようです。このころから、電子ドラムがかなり使われるようなって、音の厚みや構成が、80年代以降の電気仕掛けの曲にもしっくりつながるという理由もあるのだと思います。生ドラムと電気ドラムって、つないでいくとどこか違和感があるものです。テンポも合わせにくいですし。

現在の「ダンクラ」パーティーのように、当時のオールディーズだけをかける場所であれば問題はないのですが、普通、ディスコの曲は日々、次から次へと生まれ、新陳代謝が激しいわけですから、たとえ数ヶ月であっても生き残るのは大変だったはずです。

長年、支持される曲は、そもそも完成度が高いという証拠なのだと思います。とりわけリライト・マイ・ファイアは、私もディスコの「通算トップ5」に入れたいほどの曲です。

もともと人気ロックグループのヴォーカリストだったダン・ハートマンと、ゲストヴォーカリストのロレッタ・ハロウェイの迫力ボイスの掛け合いが、聞く者を否応なしに「踊りモード」にしてしまう。70年代ディスコ特有のオーケストラ演奏の美点もきちんと生かされた、まさに名曲だと思っています。

ダン・ハートマンはこの曲以降、例えば「アイ・キャン・ドリーム・アバウト・ユー」のように、ディスコにとどまらず、ロックのエッセンスも取り入れたヒット曲をいくつか出しています。プロデューサー、作曲家としてもたくさんのヒットを世に送り出しました。

しかし、またしても、この人も早世でした。94年に43歳でこの世を去っています。遺産としての彼の名曲が、今も生き続けているわけですな。

写真はダンハートマンのベスト盤。ロングバージョンがたくさん入っていて、入門盤に最適だと思います。

サンタナ

サンタナラテンロックバンド「サンタナ」を初めて聞いたのは、小学校卒業ぐらいのとき。あの「哀愁のヨーロッパ」が、当時好きだったAMラジオでいやというほど流れていました。

カルロス・サンタナのラテン調の「泣きのギター」って具合ですが、まあ、既にディスコ的な曲に傾いていた私としては、退屈なだけでした。ちょっと後に出た、これも「ラジオ・ヒット」となったアースの「セプテンバー」の方が断然、良かった。

それからおよそ5年。ディスコに行くようになって再びサンタナを耳にしたわけです。そう、大ヒット作「シャンゴ」に入っている「ホールド・オン」(82年、写真)ですね。

まあ、よくかかっていました、ディスコで当時。ヒスパニックたちが奏でるラテンは、そもそも「陽気なダンス民族」の代名詞みたいなもんですから、ディスコにもしっくりくるんです。今でも、ダンスクラシックのパーティーに行くと、この「ホールド・オン」よくかかっています。

ロックって、本当は踊りやすいんですよね。4ビートや8ビートで、ズシズシとバスドラが響いてて。79年の、例のアメリカンロック信奉者たちによる「ディスコ・サックス!(ディスコはださいぞ!!)」って運動の後、しっかりディスコで儲けていたのは実は、ロックだったりするのです。

サンタナだけじゃない。星条旗をあしらったジャケットが印象的だった「まさにアメリカンロック!!!」のブルース・スプリングスティーンの「ダンシング・イン・ザ・ダーク」とか、12インチ・ダンス・バージョンとか出して張り切ってましたから。

まだあります。ミーハー産業ロックとはいえ、スティックス「ミスターロボット」、ジャーニー「セパレートウエイズ」、バン・ヘーレン「ジャンプ」、ヨーロッパ「ファイナルカウントダウン」(うわああ!)などなど、よく踊りましたよ。アメリカンロックって、ディスコを嫌っていたようで、実は大好き!!!だったのです。

それにしても、「ホールド・オン」のさびのところは、哀愁調で非常によいです。もちろんギターも秀逸。ロックの「ズシズシ」に、哀愁ラテンメロディーが重なれば、フロアで盛り上がるのは必然なのです。

Italo Disco

Italo Discoいやあ、昨日は極私的にうれしいことがありました。23年間、探し続けていた曲をついにゲットしたのです。何気なく買った安いコンピCDの中につつましく収録されていました。曲名もアーチスト名も知らなかったので、もう諦めていたのですが、思わぬところで発見しました。

曲名はタイム(Time)の「シェイカー・シェイク」(Shaker Shake)。コンピCDのタイトルは、ドイツのイタロ系レーベルZYX社が2002年に発売した「ザ・イタロ・ディスコ・コレクション」で、4枚組みです。

eBayのオークションサイトで見つけて、送料込みで2000円ちょっとと格安だったので、何となく買いました。ガゼボ「アイ・ライク・ショパン」のロングバージョンや、なぜだか大ヒットした今は亡きバルティモラの「ターザン・ボーイ」といったところが入っていたので、それを目的に買ったのですが…。

ドイツのCD販売店から国際郵便で到着したので聴いてみたところ、4枚目の最後の方(8曲目)に、「その曲」は埋もれていました。たまにはこんなこともあるものです。思わず卒倒。久しぶりに、10回ほど連続して聞き入ってしまいました。

シェイカー・シェイクは、哀愁メロディを特徴とする典型的なイタロ・ディスコ。イタロは80年代前半、文字通りイタリアで登場したサウンドで、前に紹介したハイ・エナジーや、テンポが遅めのユーロビートの兄弟分ともいえる「ミーハー」な音が特徴です。欧米ではゲイたちに愛されていたことでも知られます。日本では新宿や地方のディスコでよくかかっていました。

この曲は、17歳のとき、札幌の「テレサ・ガリレオ」というディスコで初めて耳にして以来、ずっと気になっていたものです。曲名をDJとか店員とかに聞きそびれて、そのままになっていたのでした。洋盤CDにありがちなように、ライナーノーツなどが一切なく、情報が少ないのですが、アナログ原盤は、80年代前半のイタロの代表的レーベル「ディスコマジック」のようです。

シンセやドラムマシーンの使い方が、ボビーOの「シー・ハズ・ア・ウェイ」に似ています。もしかしたら、プロデュースはこの人なのかもしれません。まあ、今聴くとやっぱりシンセはややチープなのですが、貴重な「思い出の曲」だから、素直に喜ぶこととします。

テレサ・ガリレオ関連では、2曲、探していた曲がありました。1曲目の、タイトルしか知らなかった「ダンシン」(アーチストはジョイ・マイケルという人だった)も昨年秋、CD、12インチレコードともにようやく入手しました。これも、原盤レーべルは偶然にも「ディスコマジック」でした。シェイカー・シェイクはそれに続く快挙!長年の喉のつかえが取れたような心持ちでございます。

札幌に住む当時の友人にさっそく電話したら、「おおっ!すぐにテープか何かに録音して送ってくれ」と言われました。







Mastercuts

MatercutsディスコのコンピレーションCDは、圧倒的に欧州盤が良い。10年ぐらい前に発売された英国のマスターカッツと呼ばれるシリーズもその一つ。何十種類も出ていて、どれも12インチバージョンが満載。音質も良好である。あまりにも種類が多いため、私も全部は持っていないけれど、中身を聴かなくてもまず失敗がないので、今でも少しずつ集めている。

写真の「クラシック・ディスコ」も、マスターカッツシリーズの一つ。1曲目のダンハートマン「リライト・マイ・ファイア」からラストのアンリミテッド・タッチ「アイ・ヒア・ミュージック・イン・ザ・ストリート」まで、ほとんどが8分前後のロングバージョンだ。日本では80年前後のサーファー系ディスコでよくかかっていたミディアム系の曲が多い。

中でも5曲目GQ「ディスコ・ナイト」は、サーファーディスコを代表するヒットチューン。このコンピでは12インチバージョンが収録されていて貴重である。6曲目トレーシー・ウェバー「シュア・ショット」も珍しい12インチバージョンで、かのラリー・レバンがミックスを担当している。10曲目の超メジャーなイブリン・キング「シェイム」までもが12インチバージョンで、これもなかなかほかでは見かけない。

それにしても、米国ではディスコはなお偏見が強いためか、あまり良いディスコのCDコンピがない。私が持っているものは、英国、ドイツ、オランダ、フランス、イタリアなど圧倒的に欧州盤である。英国のほかは、オランダとドイツから珍しい曲集が出ている。意外に日本盤も健闘していて、渋めの選曲のコンピがいくつかある。

例えばダン・ハートマンのように、そこに収められているオリジナルアーチストはディスコブームを作った米国人が多いのだが、ディスコ史を振り返るコンピは米国外から出ている。米国人が過去にあまりこだわらない国民性を持つからなのか??現在だって、ハウスやヒップホップはともかく、テクノなんて欧州の方が圧倒的に盛り上がっているようだし。

今につながるディスコ文化を下支えしているのは、けっこう欧州人や日本人のファンだったりするのだ。

ハイ・エナジー

Hi-Energy80年代前半のディスコを彩ったハイ・エナジー・サウンドは、ロンドンの「レコード・シャック」というレーベルが生み出した。シャック(shack)とは、「丸太小屋」の意味を持つ。

レコード・シャックは80年、ディスコミュージック専門の小さな輸入レコード店として創業。82年にはレコード制作に乗り出し、「イーズ・ユア・マインド」(タッチダウン)という曲を最初にリリースして以降、次々とディスコヒットを世に送り出した。

プロデュースはイアン・レヴィーンというロンドンのDJが主に担当。「ソー・メニー・メン・ソー・リトル・タイム」(ミケル・ブラウン)、「ハイ・エナジー」(イブリン・トーマス)など、おなじみの大ヒットを連発していった。コンセプトは「モータウンのようなメロディーを持ったテクノ・ポップ」だったそうだ。

ハイ・エナジーは、後のユーロビートや日本特有の「パラパラ」に継承されている。どちらかというと、「イケイケミーハー系」の王道を行く音である。「老若男女、おバカさんになって踊ろう」という意味で、よく出来た内容だと思う。キャッチーなメロディーと分かりやすくて手堅いビート進行は、哀愁調のユーロビートともども、特に「日本人受けする」と言われた。

実際、日本の場合、ディスコは「盆踊り」だった。地域の人が分け隔てなく参加できる、舞踏の儀式。ついでに言えば、現在の盆踊りは、500年前の室町時代の「風流(ふりゅう)踊り」にまでさかのぼることができる。当時の文献によれば、若者たちが異様な衣装を着て、集団で激しく踊り狂い、ときには踊りグループ同士の「抗争」にまで発展したという。

風流踊りのおバカさ加減って、「パラパラ族」はもちろん、かつての「竹の子族」「ローラー族」にも通じるのではないか。同じ振り付けで、同じステップを踏んで高揚感を味わうわけだ。ディスコのフロアでは、こうしたステップの上手、下手も問われていた。適度に「非日常」や「狂気」もはらんでいる。

大昔のように五穀豊穣なんかの「祈り」まで込められているのかどうかはともかく、「皆でおバカさん」のつもりが、やがて「俺たちの方がおバカさん」と競い合うことになってしまう点などは、いかにも日本人らしいという気もする。

軽さが持ち味のハイエナジーの元祖「レコード・シャック」。基本的に「大衆的おバカディスコ賛成」の私にとっては大切なレーベルなのだが、こんなエピソードもある。

ジャズ・ファンクとかフュージョンの分野で80年代、「インビテーション」などのヒットを飛ばした「シャカタク」というグループがいたが、これはレコード・シャックのスペルをもじって命名された。無名のころ、メンバーが最初に音源を持ち込んだのが、なんとレコード・シャックだったのだそうだ。

持って行く先がちょっと違うんじゃないかと思うが、それでも2、3千枚プレスして販売したところ、ばか売れして手に負えなくなってしまい、メジャー大手ポリドールに権利を売ったという逸話がある。

「インビテーション」は、私が通っていた札幌の大箱ディスコで、「ソーメニーメン…」のような大盛り上がりのラストの曲が終わった後、照明が一挙に明るくなったときにかかっていた。「非日常」の終わり、つまり閉店を告げる曲だった。「インビテーションはディスコではない」ということが、こんなところでも証明されていたのだ。

写真のCDは、レコード・シャックの2枚組み12インチ集で、AWESOME RECORDS盤。音質ばっちり。主なヒット曲が網羅されており、これがあれば十分だと思う。

ローラ・ブラニガン

ローラ・ブラニガン「80年代白人女性ピンシンガー」シリーズの続編は故ローラ・ブラニガン。来月、1周忌を迎える。よくあることだが、「最近なにやってんだろう」と思っていたら、新聞のベタ記事なんかでその死を知ってしまう――この人の場合もそうだった。脳動脈瘤で突然の死。

ど迫力系のキム・カーンズやボニー・タイラーと違って、パワフルでありつつ、伸びやかで繊細な声の持ち主。「明るく楽しい」ディスコに見事に向いている。「グロリア」に「セルフ・コントロール」に「ラッキー・ワン」。いやあまあ、「踊らされた」ものだ。メロディー・ラインは哀愁ユーロディスコ的な美しさを持ちつつ、安っぽく流れていない。

「グロリア」はフロアの盛り上がりタイム向けのアップテンポ。学校をさぼって通った喫茶店でもよく聞いたな。「セルフコントロール」は、ややスローテンポで、午後7時半ごろ、少しずつ盛り上がろうとするフロアでよく耳にした。「ラッキー・ワン」は、間奏のバックコーラスとボコーダーのかけあいが抜群にカッコよかった。

何だかべたぼめしてしまうが、享年まだ47歳。早世のディスコ系ミュージシャンは数多いけれども、私にとって、特に感慨深いのがこのアーチストなのである。

ローラの「グロリア」や「哀しみのソリテア」などで踊りほうけていた83年、父が44歳で突然死したのだが、死因はローラと同じ脳動脈瘤だった。脳の血管に出来たこぶが破裂し大量出血して、意識を失い、急逝した。でも、悲しみはあったけれども、やたら厳しい人だったので、内心「これでうるさいのがいなくなって遊べる」と思ったのも事実だったのである。しんみりと反省せざるをえない。

…と、ディスコを語るとき、どうしてもときどき「たそがれモード」に入る悪い癖が出る。ノスタルジーでディスコを語るまい、とは思っているのだが…。それでも、温故知新とはよくいうが、歌が死後も聴かれ続けるって大変なことだと思う。少なくとも「死んだら終わり」ではない。今の若手アーチストにサンプリングされたり、カバーされたりして、再生されることだってあるのだ。

ローラについては、欧米のインターネットの掲示板で、いまだに惜しむ声が尽きない。確かに、当時のアルバムを今聴くと、私でさえ気になるような音作りの古臭さはあったりするのだが、歌唱力はまことにすばらしい。

ダンスチューンだけでなく、バラードも良い。アルファビルというドイツのダンス系グループがはやらせた「フォーエバー・ヤング」のスローバラード・カバーなんて絶品だ。「永遠に若く生き続けたい」なんて歌詞は、ちょっと暗示的でもある。

写真のCDは、83年にビルボード一般チャートで7位まで上昇した「哀しみのソリテア」が入ったアルバム「ブラニガン2」。笑顔が印象的だったのでこれにした。




キム・カーンズ

キム・カーンズキム・カーンズといえば、「ベティ・デイビスの瞳」がばか売れ(1981年ビルボード年間1位)したことで知られる。一発屋のようだが、米国ではこの曲より前にケニー・ロギンスとのデュエット曲「Don't Fall In Love With A Dreamer」を4位に食い込ませる大健闘を見せているからあなどれない。ほかにもまずまずのヒットを何枚も出しているのだ。

ディスコ的にいうと、「ベティ…」は、米ディスコチャートで26位まで上がったものの、あまり使い物にならない。バスドラビートがほきちんと刻まれていないので踊るのにはきついし、かといってチークのスローとしても使えずに中途半端だ。

彼女がディスコで威力を発揮したのは、写真のCD「カフェ・レーサーズ」(83年)。以前のアルバムより、相当にポップでミーハーな仕上がりになっている。ダンスチャートや大衆受けを狙っているのがばればれで、逆にディスコ好きには好感が持てるのである。

私が当時よく耳にしたのは何と言っても「You Make My Heart Beat Faster-And That's All That Matters(恋のビートを速くして)」。原題が長いのが嫌になるが、曲調が軽快で実に踊りやすい。ほかに「ハリケーン」「インビテーション」という佳曲があって、いずれもシンセサイザーをがんがん響かせつつ、哀愁漂うメロディーを聞かせてくれている。

もともと、この人はディスコ向きの人ではないと思う(断定)。声のしわがれ具合からすれば、やっぱりロックとかカントリーの方が合っている。その意味で、このカフェ・レーサーは例外的にいい雰囲気なのである。

このころは、なぜだかハスキーボイス系の白人女性シンガーがこぞって、ディスコ調の曲を出していた。「ヒーロー」でお馴染みのボニータイラーとか、フリートウッドマックのスティーヴィー・二ックスとか…。さらにいうと、オリビア・ニュートン・ジョンとか、メリサ・マンチェスターとかもディスコで受けていた。思えば、この時代はディスコでも一般チャートでも、「白人ピン女性シンガー」の全盛期だったのかもしれない。

ちなみに、カフェ・レーサーのCDはたやすく手に入る。しかも何と!!「恋のビート…」、「ハリケーン」、「インビテーション」ともども、豪華12インチバージョンが収録されているのだから、オススメだというほかない。


ビルボード・トップ・ヒッツ 1983

ビルボード・トップ・ヒッツ私が18歳だった1983年は、洋楽ヒットの多くがダンスミュージックといわれた。ディスコ好きのほとんどは、ビルボードチャートにも通じていた。ビルボード一般チャートの上位曲が、がんがんフロアでかかっていた。

写真は、CD再発レーベル「ライノ」が出したビルボード年間チャートコンピの1983年のもの。収録されているのは、メン・アット・ワーク、トト、ストレイ・キャッツ、マイケル・センベロ、エディ・グラント、スパンダー・バレー、ボニータイラー、グレッグ・キーン・バンド、カルチャー・クラブ、エア・サプライ。さすがにエア・サプライでは踊れないが、ほとんどがディスコでもおなじみのアーチストである。

実はこのコンピ、ビルボードの本当の年間チャートと正確に連動していない。この年の「本物」年間チャートは、1位がポリス「見つめていたい」、2位がマイケル・ジャクソン「ビリージーン」、3位がアイリーン・キャラ「フラッシュ・ダンス」、4位がメン・アット・ワーク「ダウン・アンダー」、5位がマイケル・ジャクソン「今夜ビート・イット」などとなっている。これらはディスコヒットそのものといえるのではないか。

「本物」の6位以降の顔ぶれをみると、マン・イーター(ホール&オーツ、7位)、マニアック(マイケル・センベロ、9位)、スイートドリームス(ユーリズミックス、10位)、君は完璧さ(カルチャー・クラブ、11位)、カモン・アイリーン(デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、13位)などと続いている。これまたディスコ!!!である。

この年はマイケル・ジャクソンのスリラーがバカ売れしたことで記憶されている。でも、一度死んだはずのディスコが、多少のロックやニューウエーブのテイストを身にまとい、再増殖を始めたころでもあったのである。

このころの基本は、やはりシンセサイザーなど電気音の発達にあるが、一般チャートだけに、同じダンスミュージックでも、かつての典型的な「ドンドコ系」からは変化して、メロディーなどは多様化している。

ただ、ジャンル化が進んだ今と違って、米国でも日本でも「大衆音楽」という言葉が生きていたから、どれも老若男女にとって耳に馴染みやすい曲ばかりだ。ヒット曲のビデオクリップを流していたTV局であるMTVという存在も、そうした大衆性を担保していた。

写真のコンピで特筆すべきは、エレクトリック・アベニュー(エディ・グラント、本物チャートで22位)ではないか。けっこうディスコでも聞いたが、レゲエ調で、「ポッポコ、ヘッポコ」と電気効果音の使い方が変てこな曲だったのを思い出す。ドレッドヘアのエディが登場するMTVのビデオクリップも変だった。その後、小ヒット程度しか出していないので、ほぼ「一発屋」とみて間違いないけれども、印象深いアーチストである。










CDのライナーノーツ書きました


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