ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ハイ・エナジー

Hi-Energy80年代前半のディスコを彩ったハイ・エナジー・サウンドは、ロンドンの「レコード・シャック」というレーベルが生み出した。シャック(shack)とは、「丸太小屋」の意味を持つ。

レコード・シャックは80年、ディスコミュージック専門の小さな輸入レコード店として創業。82年にはレコード制作に乗り出し、「イーズ・ユア・マインド」(タッチダウン)という曲を最初にリリースして以降、次々とディスコヒットを世に送り出した。

プロデュースはイアン・レヴィーンというロンドンのDJが主に担当。「ソー・メニー・メン・ソー・リトル・タイム」(ミケル・ブラウン)、「ハイ・エナジー」(イブリン・トーマス)など、おなじみの大ヒットを連発していった。コンセプトは「モータウンのようなメロディーを持ったテクノ・ポップ」だったそうだ。

ハイ・エナジーは、後のユーロビートや日本特有の「パラパラ」に継承されている。どちらかというと、「イケイケミーハー系」の王道を行く音である。「老若男女、おバカさんになって踊ろう」という意味で、よく出来た内容だと思う。キャッチーなメロディーと分かりやすくて手堅いビート進行は、哀愁調のユーロビートともども、特に「日本人受けする」と言われた。

実際、日本の場合、ディスコは「盆踊り」だった。地域の人が分け隔てなく参加できる、舞踏の儀式。ついでに言えば、現在の盆踊りは、500年前の室町時代の「風流(ふりゅう)踊り」にまでさかのぼることができる。当時の文献によれば、若者たちが異様な衣装を着て、集団で激しく踊り狂い、ときには踊りグループ同士の「抗争」にまで発展したという。

風流踊りのおバカさ加減って、「パラパラ族」はもちろん、かつての「竹の子族」「ローラー族」にも通じるのではないか。同じ振り付けで、同じステップを踏んで高揚感を味わうわけだ。ディスコのフロアでは、こうしたステップの上手、下手も問われていた。適度に「非日常」や「狂気」もはらんでいる。

大昔のように五穀豊穣なんかの「祈り」まで込められているのかどうかはともかく、「皆でおバカさん」のつもりが、やがて「俺たちの方がおバカさん」と競い合うことになってしまう点などは、いかにも日本人らしいという気もする。

軽さが持ち味のハイエナジーの元祖「レコード・シャック」。基本的に「大衆的おバカディスコ賛成」の私にとっては大切なレーベルなのだが、こんなエピソードもある。

ジャズ・ファンクとかフュージョンの分野で80年代、「インビテーション」などのヒットを飛ばした「シャカタク」というグループがいたが、これはレコード・シャックのスペルをもじって命名された。無名のころ、メンバーが最初に音源を持ち込んだのが、なんとレコード・シャックだったのだそうだ。

持って行く先がちょっと違うんじゃないかと思うが、それでも2、3千枚プレスして販売したところ、ばか売れして手に負えなくなってしまい、メジャー大手ポリドールに権利を売ったという逸話がある。

「インビテーション」は、私が通っていた札幌の大箱ディスコで、「ソーメニーメン…」のような大盛り上がりのラストの曲が終わった後、照明が一挙に明るくなったときにかかっていた。「非日常」の終わり、つまり閉店を告げる曲だった。「インビテーションはディスコではない」ということが、こんなところでも証明されていたのだ。

写真のCDは、レコード・シャックの2枚組み12インチ集で、AWESOME RECORDS盤。音質ばっちり。主なヒット曲が網羅されており、これがあれば十分だと思う。

ローラ・ブラニガン

ローラ・ブラニガン「80年代白人女性ピンシンガー」シリーズの続編は故ローラ・ブラニガン。来月、1周忌を迎える。よくあることだが、「最近なにやってんだろう」と思っていたら、新聞のベタ記事なんかでその死を知ってしまう――この人の場合もそうだった。脳動脈瘤で突然の死。

ど迫力系のキム・カーンズやボニー・タイラーと違って、パワフルでありつつ、伸びやかで繊細な声の持ち主。「明るく楽しい」ディスコに見事に向いている。「グロリア」に「セルフ・コントロール」に「ラッキー・ワン」。いやあまあ、「踊らされた」ものだ。メロディー・ラインは哀愁ユーロディスコ的な美しさを持ちつつ、安っぽく流れていない。

「グロリア」はフロアの盛り上がりタイム向けのアップテンポ。学校をさぼって通った喫茶店でもよく聞いたな。「セルフコントロール」は、ややスローテンポで、午後7時半ごろ、少しずつ盛り上がろうとするフロアでよく耳にした。「ラッキー・ワン」は、間奏のバックコーラスとボコーダーのかけあいが抜群にカッコよかった。

何だかべたぼめしてしまうが、享年まだ47歳。早世のディスコ系ミュージシャンは数多いけれども、私にとって、特に感慨深いのがこのアーチストなのである。

ローラの「グロリア」や「哀しみのソリテア」などで踊りほうけていた83年、父が44歳で突然死したのだが、死因はローラと同じ脳動脈瘤だった。脳の血管に出来たこぶが破裂し大量出血して、意識を失い、急逝した。でも、悲しみはあったけれども、やたら厳しい人だったので、内心「これでうるさいのがいなくなって遊べる」と思ったのも事実だったのである。しんみりと反省せざるをえない。

…と、ディスコを語るとき、どうしてもときどき「たそがれモード」に入る悪い癖が出る。ノスタルジーでディスコを語るまい、とは思っているのだが…。それでも、温故知新とはよくいうが、歌が死後も聴かれ続けるって大変なことだと思う。少なくとも「死んだら終わり」ではない。今の若手アーチストにサンプリングされたり、カバーされたりして、再生されることだってあるのだ。

ローラについては、欧米のインターネットの掲示板で、いまだに惜しむ声が尽きない。確かに、当時のアルバムを今聴くと、私でさえ気になるような音作りの古臭さはあったりするのだが、歌唱力はまことにすばらしい。

ダンスチューンだけでなく、バラードも良い。アルファビルというドイツのダンス系グループがはやらせた「フォーエバー・ヤング」のスローバラード・カバーなんて絶品だ。「永遠に若く生き続けたい」なんて歌詞は、ちょっと暗示的でもある。

写真のCDは、83年にビルボード一般チャートで7位まで上昇した「哀しみのソリテア」が入ったアルバム「ブラニガン2」。笑顔が印象的だったのでこれにした。




キム・カーンズ

キム・カーンズキム・カーンズといえば、「ベティ・デイビスの瞳」がばか売れ(1981年ビルボード年間1位)したことで知られる。一発屋のようだが、米国ではこの曲より前にケニー・ロギンスとのデュエット曲「Don't Fall In Love With A Dreamer」を4位に食い込ませる大健闘を見せているからあなどれない。ほかにもまずまずのヒットを何枚も出しているのだ。

ディスコ的にいうと、「ベティ…」は、米ディスコチャートで26位まで上がったものの、あまり使い物にならない。バスドラビートがほきちんと刻まれていないので踊るのにはきついし、かといってチークのスローとしても使えずに中途半端だ。

彼女がディスコで威力を発揮したのは、写真のCD「カフェ・レーサーズ」(83年)。以前のアルバムより、相当にポップでミーハーな仕上がりになっている。ダンスチャートや大衆受けを狙っているのがばればれで、逆にディスコ好きには好感が持てるのである。

私が当時よく耳にしたのは何と言っても「You Make My Heart Beat Faster-And That's All That Matters(恋のビートを速くして)」。原題が長いのが嫌になるが、曲調が軽快で実に踊りやすい。ほかに「ハリケーン」「インビテーション」という佳曲があって、いずれもシンセサイザーをがんがん響かせつつ、哀愁漂うメロディーを聞かせてくれている。

もともと、この人はディスコ向きの人ではないと思う(断定)。声のしわがれ具合からすれば、やっぱりロックとかカントリーの方が合っている。その意味で、このカフェ・レーサーは例外的にいい雰囲気なのである。

このころは、なぜだかハスキーボイス系の白人女性シンガーがこぞって、ディスコ調の曲を出していた。「ヒーロー」でお馴染みのボニータイラーとか、フリートウッドマックのスティーヴィー・二ックスとか…。さらにいうと、オリビア・ニュートン・ジョンとか、メリサ・マンチェスターとかもディスコで受けていた。思えば、この時代はディスコでも一般チャートでも、「白人ピン女性シンガー」の全盛期だったのかもしれない。

ちなみに、カフェ・レーサーのCDはたやすく手に入る。しかも何と!!「恋のビート…」、「ハリケーン」、「インビテーション」ともども、豪華12インチバージョンが収録されているのだから、オススメだというほかない。


ビルボード・トップ・ヒッツ 1983

ビルボード・トップ・ヒッツ私が18歳だった1983年は、洋楽ヒットの多くがダンスミュージックといわれた。ディスコ好きのほとんどは、ビルボードチャートにも通じていた。ビルボード一般チャートの上位曲が、がんがんフロアでかかっていた。

写真は、CD再発レーベル「ライノ」が出したビルボード年間チャートコンピの1983年のもの。収録されているのは、メン・アット・ワーク、トト、ストレイ・キャッツ、マイケル・センベロ、エディ・グラント、スパンダー・バレー、ボニータイラー、グレッグ・キーン・バンド、カルチャー・クラブ、エア・サプライ。さすがにエア・サプライでは踊れないが、ほとんどがディスコでもおなじみのアーチストである。

実はこのコンピ、ビルボードの本当の年間チャートと正確に連動していない。この年の「本物」年間チャートは、1位がポリス「見つめていたい」、2位がマイケル・ジャクソン「ビリージーン」、3位がアイリーン・キャラ「フラッシュ・ダンス」、4位がメン・アット・ワーク「ダウン・アンダー」、5位がマイケル・ジャクソン「今夜ビート・イット」などとなっている。これらはディスコヒットそのものといえるのではないか。

「本物」の6位以降の顔ぶれをみると、マン・イーター(ホール&オーツ、7位)、マニアック(マイケル・センベロ、9位)、スイートドリームス(ユーリズミックス、10位)、君は完璧さ(カルチャー・クラブ、11位)、カモン・アイリーン(デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、13位)などと続いている。これまたディスコ!!!である。

この年はマイケル・ジャクソンのスリラーがバカ売れしたことで記憶されている。でも、一度死んだはずのディスコが、多少のロックやニューウエーブのテイストを身にまとい、再増殖を始めたころでもあったのである。

このころの基本は、やはりシンセサイザーなど電気音の発達にあるが、一般チャートだけに、同じダンスミュージックでも、かつての典型的な「ドンドコ系」からは変化して、メロディーなどは多様化している。

ただ、ジャンル化が進んだ今と違って、米国でも日本でも「大衆音楽」という言葉が生きていたから、どれも老若男女にとって耳に馴染みやすい曲ばかりだ。ヒット曲のビデオクリップを流していたTV局であるMTVという存在も、そうした大衆性を担保していた。

写真のコンピで特筆すべきは、エレクトリック・アベニュー(エディ・グラント、本物チャートで22位)ではないか。けっこうディスコでも聞いたが、レゲエ調で、「ポッポコ、ヘッポコ」と電気効果音の使い方が変てこな曲だったのを思い出す。ドレッドヘアのエディが登場するMTVのビデオクリップも変だった。その後、小ヒット程度しか出していないので、ほぼ「一発屋」とみて間違いないけれども、印象深いアーチストである。










Vinyl Masterpiece

Vinyl Masterpieceいやあ最近何だか変に多忙である。ちっともお金はたまらないのに。来週はずっと出張やら急ぎの仕事やらが入っており、短時間で気軽に取り組んでいるこのブログも、さすがにちょっとごぶさたになるかもしれない。

というわけで、前段とは何の脈絡もなく、今回はディスコ再発モノのよいレーベルを一つ紹介したい。オランダのVinyl Masterpieceなのだが、このところ興味深いCDを連発しているのだ。↓
http://www.vinyl-masterpiece.com/index.php

中でも、写真のコンピCD「Masterpiece」がなかなか渋めの選曲で良い。Vol1とVol2の2枚がある(写真は2の方)がどちらも良い。

うーん、私もよく知らないアーチストがけっこう入っている。それでも、確かにフロアでは聞いた記憶があるものが多い。80年代全般の黒人ミディアム系の佳曲が目白押しで、録音状態もまずまずである。

Vol1には、あのArmentaのI Wanna Be With Youのロングバージョンが入っている。ほかではCD化されていないものだ。80年代中盤、とりわけ六本木ナバーナのようなサーファー系ディスコに行っていた人なら知っているはずだ。ボコーダーとかが途中で入っていて「軽快うねうねサウンド」全開である。

Vol2には、シェリル・リン、元ラベルのノナ・ヘンドリックス、1976年にDon't Leave Me This Wayのスーパーディスコヒットを飛ばしたテルマ・ヒューストンなどの80年代中期の貴重なダンス系作品を収録。シャラマーによく似たタイム・バンディッツの名曲アイム・オンリー・シューティング・ラブなんてのも入っていて、いやはや聴いていて気分爽快である。

いずれもマイナー曲ではあるが、こんな珍しい12インチ集CDはめったにない。80年代ディスコ好きなら、ぜひ聴いてみてほしい。上記URLで通販入手可能だ。東京であれば、Disk Unionでも手に入れることが出来る。









Yazoo

Yazoo80年代前期に花開いたシンセ(エレ)・ポップのディスコ。文字通りシンセ音が満開である。最初に紹介するという意味で、ヒューマンリーグかヤズーかデペッシュ・モードが迷ったが、やはりディスコブログだからまずはヤズーだと思った。

ディスコミュージックは80年代に入ってガラッと変わったことは既に述べた。フロアに置かれた巨大スピーカーからがしがし響いていたのは、それまでの生ドラムではなく、もうほとんどがドラムマシーンだった。

はっきり言って、踊るならドライでキック(めりはり)の聞いた電気ドラムの方が生モノより合っていると思う。最近の楽器はものすごく進歩していて、クラブでかかる特にテクノなんてすごいキックであるけれども、私にとっては、チープさが漂っていた80年代の音の方が断然、人間くさくて体にしっくりくる。

ヤズーは、デペッシュモードにいたシンセダンス音楽の名手ヴィンス・クラークと、黒人R&Bかと思うような歌唱力を誇ったアリソン・モイエの二人組。当時のニューウェーブとかシンセポップは、歌がけだるくて、下手なのが多かったのに、アリソンは秀逸だった。ミスマッチな感じが、迫力につながっていたのだと思う。

やっぱり、踊る上でも、歌唱力があった方が断然よい。好きではあるのだが、ニューオーダーとかソフト・セルの歌なんて、ちょっと聞いてられなかった。

ヤズーはその「ミスマッチ」ゆえか、2枚のアルバムを残して3年ぐらいで解散してしまった。ヴィンス・クラークは、Erasureというバンドで引き続きダンスミュージック界に君臨したものの、ソロになったアリソンはいくつかヒットを残した後、中途半端なまま表舞台から消えていった。

でも、二人はDon't GoとかSituationとか、80年代ディスコの名曲をいくつか残している。特にDon't Goはのっけから「パンチがきいた」アップテンポな曲で、みんなで激しく踊ったものだ。アルバムも何度も何度も繰り返し聴いた。いま聴いても、古さをまったく感じさせないほどである。

ヤズーのCDを買うなら、最初はやっぱりファーストがおすすめ。しかも、写真のイギリス盤が良い。Situationと、幻の名曲といわれるThe Other Side Of Loveのそれぞれ12インチバージョンが収録されている。



ダリル・ホール&ジョン・オーツ

ダリル・ホール&ジョン・オーツいまさら説明の必要もないホール&オーツは、私にとってはまったくのディスコ。82−83年ごろ、フロアで鬼のようにかかっていたからだ。

やはり「プライベート・アイズ」が代表曲だろうが、おなじぐらいかかっていたのが「マンイーター」。でも、テンポが170BPMくらいある速い曲で、踊るのは疲れた。ロックンロールで踊っているやつもいたほどである(あまり合ってなかった気がするが)。普通のBPMは速くてせいぜい140前後だった。

80年代前半は、特に地方ではロックンロール風の曲もけっこうかかっていた。アダム・アントの「グッディ・トゥ・シューズ」なんてのがかかったときには、グリースで固めたリーゼントの男たちがフロアに飛び出していったものである。色んなファッションの人間がごった煮状態。いやあ、むちゃくちゃなもんだ。

前に紹介したスペシャルズもそうだが、速い曲は盛り上がりタイムにかかる曲が多く、人気があった。普段はスローやミディアム系が多い黒人ものでさえ、ポインターシスターズの「ソー・エキサイテッド」みたいに、ものすごくアップテンポなのもディスコでかかっていた。

もちろん、ホール&オーツはグリース的な「ロックンロール」ではない。マンイーターを除けば、ミディアム、スローがほとんどである。「アイ・キャン・ゴー・フォー・ザット」「アウト・オブ・タッチ」などは、ディスコで「まだ盛り上がる前」の午後7時台とか、「盛り上がった後」の夜中過ぎなんかによく耳にした。

ホール&オーツでは、写真の12インチ集が一番のおすすめ。当時の貴重なリミックスが満載になっている。2集あるので、2枚ともあると便利だ。ただし、肝心の「プライベート・アイズ」は「UKミックス」となっているものの、中身はほとんどアルバムバージョンと変わらない、というか「どこが違うの?」という感じなので注意を要する。













スペシャルズ

スペシャルズスペシャルズは、80年代前半、フロアの最高潮の盛り上がりタイムによくかかった。ただし聞いたのは「リトル・ビッチ(小さい悪魔)」のみ。一緒に「ワン、ツー!!」の掛け声を上げるのが約束事だった。2分半しかない超短い曲なのだが、かなり早いテンポなので、踊った後は疲れてしまったものだ。

アルバム自体の発売は79年なのだが、80年代に入ってもかなり長い間、ディスコで生き残った珍しい曲でもある。いわゆるスカ・ビートで、英国ではパンクと並んで若者(特に不良)に人気があったジャンルだ。スカはレゲエのルーツでジャマイカが発祥の地。70年代になって中南米から大量の移民労働者が入ってきたことを背景として、海岸部の工業都市を中心に広まっていった。

80年代には、ディスコに英国モノがあふれていた。スペシャルズだけではなく、パンク系もロック系もニューウェーブ系も全盛。やはりヤズーやデペッシュモードのようなテクノ系が強かったのだが、シンセ音をあまり使わないデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズやビッグ・カントリーなんていう渋めのものもよく耳にした。

「ジャスト・ゴット・ラッキー」などのヒットがあるジョー・ボクサースなんてのも良かった。労働者階級の象徴であるデニムのオーバーオールを着て演奏していたニューウェーブロック系の人々である。いかにも英国の古い工業都市で生まれ育った若者といった風情。でも、踊りやすい曲が多かった。

スカにしろパンクにしろ、当時の英国が今以上に失業問題が深刻で、かつサッチャー政権下で階級格差もさらに広がった時期だからこそ、盛り上がった。英国とアイルランドとの宗教紛争もまだひどい時期だったし、なんか苛立ちがあったのだろう。でも、どこか反抗的な音は、ディスコでも受け入れられる素地がある。わけの分からない混沌とした闇と光の中で、皆でストレスを解消できる格好の場でもあるのだ。

ちなみに、スカ・レゲエ好きの米フロリダ在住の米国人の友人に言わせると、「スペシャルズはスカとはいえない」ときっぱり。本来は、もっとゆったりとした能天気な音なのだという。まあ、「何でもありのディスコ」ということからすれば、あまりに厳密なジャンル分けこそ、本来、野暮なことではあるが。


ロック・ザ・カスバ

ロック・ザ・カスバパンク王クラッシュはディスコでもなかなか人気だった。ビルボード・ディスコチャートで「ロンドン・コーリング」(80年)は30位、「ディス・イズ・レディオ・クラッシュ」(81年)は17位にまでそれぞれ上昇。そして82年はかの「ロック・ザ・カスバ」が8位に食い込んだ。ポップチャートでも初のベスト10に輝いた。

70年代の「白い暴動」のころみたいなもろパンクだったら、こんなに大衆受けはしなかったであろうクラッシュ。でも、路線修正はディスコ的には大正解で、私も「ロック・ザ・カスバ」をよくリクエストしたものだ。特に出だしのドラム、ギター、ピアノの掛け合いがすばらしい。

同じパンク王でも、さすがにセックスピストルズだとちょっときつい。いきなり「アナーキー・イン・ザ・UK」では、それこそアナーキーなフロアで暴動が起きかねない。個人的にも、あまりにやんちゃなシド・ビシャス(ピストルズのボーカル)より、適度に大人のジョー・ストラマー(クラッシュのボーカル)の方が好きである。2人とも今は故人になってしまったが。

それにしても良い時代であった。「クール&ザ・ギャング→シンディー・ローパー→マドンナ→ボビーO→ジャーニー→クラッシュ→スペシャルズ」なんてつなぎが、平気で行われていたのである。とてつもなく節操がないが、客が喜んでいたのだから、それでよかったのだ。

写真は「カスバ」が収録されているアルバム「コンバット・ロック」。一般受けを狙ったものだとして従来のファンからは不満も出た。バンドメンバーの仲もぎくしゃくしてしまった。これを気に主力メンバーが相次いで脱退して、第一期クラッシュは終焉を迎えてしまったのだが、私にとってはやはり、80年代前半の名盤の一つなのである。


バリー・マニロウ

バリー・マニロウ今回はアダルト・コンテンポラリー(アダコンとはいわない)の雄、バリー・マニロウだ。「哀しみのマンディ」みたいなバラードで有名ではあるけれど、ラテンノリの明るい曲が多いので、ディスコにも向く人だ。78年のヒット曲「コパカバーナ」は日本でもばか売れ。でも、詞の内容は「落ちぶれたショーガールが、昔の名声と恋人を懐かしむよ〜」としみったれたものである。

NYブルックリン生まれ。子供のころからピアノや作曲が得意だった彼は、音楽学校に通いながら、CBSレコードでアルバイトをしていた。あるディレクターから「ミュージカルの曲づくりを手伝わないか」と誘われて作曲したところ、そのミュージカルがヒットして、業界では多少知られるようになった。このときはまだ18歳。その後、ベット・ミドラーのツアー・ピアノマンをやるなど下積みを経験し、28歳のときの74年、「マンディ」でついにスターになった…というわけだ。

80年代に入ると大ヒットが出なくなったが、ディスコの佳作を出している。シンセを駆使して、曲調がめちゃめちゃポップになった。このころの代表曲「君は恋フレンド」(82年)、「君はルッキンホット」(84年)は、フロアの盛り上がりタイムによくかかっていた。でも、「君は恋…」の方はロングバージョンがなかったようで、かかってもすぐ終わってしまって、次の曲につなげられてしまっていたのを思い出す。

90年代になるとジャズに傾倒していったもようで、最近の音楽サイトなどでは、ジャズ・ボーカリストと紹介されていることもある。ちなみに93年には、コパカバーナのダンスバージョンのリメイクがリリースされたが、こてこてのハウスになってしまってて辛かった。

写真は3年前発売のベスト。コパカバーナの5分45秒のプロモ版ディスコバージョンが収録されているのが良かった。「ルッキンホット」も入っている。そのほかのバラードとかは私にとってはあまり関心はないが、「マンディ」だけは名曲だと思う。1曲目収録の「恋はマジック」(73年)は、ドナサマーが76年にディスコリメイクしヒットさせたことで知られる。それでも、全般的には、あのフリオ・イグレシアスにも似た「おばさん向けポップス」といった軽い印象である。





CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


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キーワードは意外に「ディスコ」。
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