ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

スターズ・オン・45 (Stars On 45)

Stars On 45今回は「ディスコ好きなら一度は通る道」、「ショッキング・ビートルズ」でおなじみのスターズ・オン45で〜す。

1970年代末、オランダで結成された無名のセッションミュージシャン集団。音頭を取ったのは、かつて当ブログの「ロックなディスコ」でちょっと取り上げたオランダの老舗人気バンドのゴールデン・イヤリングの元ドラマー、Jaap Eggermontなる人物です。ポール・マッカートニーやジョン・レノンに声がそっくりのボーカルを探してきて、にわか作りのつぎはぎビートルズ・ヒットメドレーをリリース。アーチストの創造性ではなく、「これやったらウケるんじゃね?」のノリで実現した典型的な企画モノです。

えっ?「いかがわしくて、いかさまで、インチキ」だって?…その通り!でもそんなまがい物精神こそが、「なんでもあり」ディスコ文化の真髄です。しかつめらしく「ゴホン! ええ、そもそもディスコとは…」なんて理屈を説いては元も子もありません。ディスコとは、はっちゃけたおめでたさが命。虚実の皮膜を渡りきる、けだし勇敢な試み――「考えるな、感じろ(いやむしろ踊れ)!」なのであります。

ヒットメドレー・ディスコ自体は、それまでもシャラマーリッチー・ファミリービーチボーイズ・メドレーで知られるシー・クルーズ(Sea Cruise)といった数多くのアーチストが手がけているので、特別新しいわけではありません。でも、それらはあくまでも新たなアーチスト自身の声で歌うメドレーであり、「モノまね」ではありませんでした(モノまねだったらそれも面白いけど)。あのビートルズの手ごわい権利関係をクリアしつつ、原曲をとことん忠実に再現し、それにのりのりのディスコビートを絡めた点がユニークだったのです。

実際、驚くなかれ、このシングルは、あれよという間に由緒正しき全米ビルボードヒットチャートで堂々1位(81年4月、米ディスコチャートでは18位)を獲得したのです。ディスコブームが終わった後ですから、これは素直に偉業といえるでしょう。後のディスコ曲に多く見られる「メガミックス」にも通じる百花繚乱な贅沢さを兼ね備え、踊る阿呆を量産してきたのは確かです。もちろん、ディスコの現場でも人気曲でした。

……というわけで、私もまあ、聴き倒しました当時。最初は友人からレコードを借りて、奮発して“高級メタルテープ”に録音し(といっても400円程度の代物だが)、部屋にあったアイワ製ラジカセに入れてがんがん鳴らしていたものです。特にLPに入っているロングバージョンだと15分以上もあるので、鼓膜にこびりつくほどたっぷりと楽しめました。

しかし、そんな能天気に乗せられがちな私も、「さすがに安易過ぎる!」と、徐々に義憤を感じ始めました。気がついてみたら、彼らはアバだのスティービー・ワンダーだのローリング・ストーンズだのスペンサー・デイビス・グループ(これは渋い)だのと、ほかの大物たちの同系統の「ショッキングもの」メドレーを次々と世に送り出していたのです! しかも、ビートルズ以降の「似てる度」は微妙に低下し、“2匹目のドジョウ作戦”に飽き飽きしてきたのでありました。残念ながら、もはやショッキングではありません。

セールス的にもビートルズメドレー以外はふるわず、ディスコ界では栄えある「一発屋」(One Hit Wonder)の称号を得たスターズ・オン45。でも、何年も聴いていないと不思議とまた、古ぼけたレコードやCDに手が伸びてしまう魅力だけは、なんとなくある。そんなわけで、私のような人間がけっこう多いのか、再発CDは今も世界の市場でかなり出回っております。写真は国内ベスト盤(ビクター)全2巻のうちの1巻目。どのメドレーも似通った展開ではありますが、四の五の言わず、「あはははははははっ!」と頭を真っ白にして踊るには最適かと思われます。

エーディーシー・バンド (ADC Band)

ADC Band今回もまたまた黒人ファンク系で〜す!出自はなかなかゴージャスなのに、70年代ディスコブーム期にディスコ化してもさっぱり売れなかった残念さもさることながら、気を取り直して今聴いてみたら「やっぱりいいじゃん!」となってしまう麗しいグループ「ADCバンド」であります。

このバンドを下支えした人物にジョニー・メイ・マシューズ(Johnnie Mae Matthews)という女性がいます。彼女は、米アラバマ州出身の中堅ソウルシンガーだったのですが、実は1958年もの昔、アメリカで初めて黒人女性がオーナーのレコードレーベル「ノーザン・レコーディング・カンパニー」を米デトロイトで設立し、後にテンプテーションズで活躍するデビッド・ラフィンらを育成。2年後にべリー・ゴーディ(Berry Gordy)が同じデトロイトで設立した「黒人音楽の殿堂」モータウン・レーベルに対し、多大な影響と示唆を与えた偉大な人物だったのです。

そんなパワフルな先駆者だったジョニーさんは、1972年、ADCの前身であるブラック・ナスティ(Black Nasty)を結成し、これまた「70年代黒人音楽の雄」であるスタックス系のレーベルからデビューさせます。メンバーには、自分の子供2人(ArtwellとAubrey)も含まれていました。

このブラック・ナスティはアルバム1枚で終わってしまい、えもいわれぬがっかり感が残ってしまいましたが、バンド名をADCに変更した1978年、上写真のアルバム「Long Stroke」を今度はアトランティック系レーベルのコティリオン(Cotillion)から発表します。プロデュースは「デトロイトママ」ジョニーさんが自らご担当。これは時代を映して非常にディスコファンクな内容で、ずっしりキックの効いたバスドラやお約束のハンドクラップなんかも満載。ちょいとスローでいかしたディスコファンクブギーのアルバム同名曲は全米R&Bチャート6位まで上昇する大ヒットとなりました。

けれども、あれあれどうしたことでしょう、この曲以降はぱったりとヒットはナッシング。Cotillionのレーベルメイトのマス・プロダクションの全面プロデュースを得た3枚目「ルネサンス(Renaissance)」(80年)と4枚目「ブラザー・ラック(Brother Luck)」では、「In The Moonlight」とか「Hangin' Out」とか「Super Freak」みたいに、うにょうにょシンセや大重量ドラムやびろんびろんベースや哀愁漂うホーンセクションや「泣きのギター」(?)を織り交ぜつつ、かなり鋭角的なディスコファンクで押しまくったのですけど、やっぱり浮上できませんでした。

その後、ファットバックバンドのメンバーが全面的にプロデュースして5枚目「ロール・ウィズ・ザ・パンチズ(Roll With The Punches)」(下写真)を1982年にリリース。このアルバムも、アルバム同名曲や「Girls」などを含めて、さらにノリノリでダンサブルな展開を見せるものの、セールスは伸びず。これを最後に表舞台から消え去ってしまいました。まあ、ボーカルにしても曲作りにしても演奏にしても、まとまりはあって及第点はとれるにせよ、どうにも特色が薄かったのが敗因といえましょうか。

「Roll With The Punches」には、ジャケットからも分かる通り「(ボクシングなどで)攻撃をうまくかわす」「物事を柔軟に切り抜ける」といった意味があります。このアルバムのジャケット裏面には、"後見人"ジョニーママさんの「いろんな複雑な考えが頭に浮かんで、私たちはそれをうまく説明しようと努力する。でも、結果的には内面の不安や不満を上手く説明して切り抜けることができる(just roll with the punches)」といった内容のメッセージが載っています。…う〜ん、うまく切り抜けられませんでした。

ただし、私自身は、当時のディスコでも耳にしたことはありますし、その無邪気なディスコぶりがそもそも大好きでしたので、ずいぶん昔にLPを買い漁ったものでした。しかも、「CD化なんて無理だろう」とあきらめていたら、最近、ラストアルバムの「Roll With The…」が国内盤(ワーナーミュージック)で発売となって腰を抜かしました。おまけに価格1000円という熱血かつ出血ぶり。ほかのアルバムもこの際どど〜ん!とCD化してもらいたいものです。

ADC Band 2

ブール・ノワール (Boule Noire)

Boule Noireいやあここ東京地方、きのうの突然の大雪には参りました(家にいたけど)。……というわけで、今回は前回と同じアフロソウル系でも、一風変わったフレンチディスコ「ブール・ノワール」をご紹介しておきましょう。

ブール・ノワールは芸名。本名はGeorge Thurston(ジョージ・サーストン)といいます。1951年、カナダのケベック州生まれ。60年代に主に地元のR&Bグループで音楽活動を始めて、1970年代半ばにソロ活動を本格化。とりわけ「カナダのディスコレジェンド」と言われるほどにディスコ分野で楽曲を発表し続けました。

カナダのケベック州では、住民の多くがフランス系移民の末裔のため、英語も話しますが、公用語はフランス語。ですので、アングロサクソンなイギリスからの影響が色濃い北米の中でも、独特の文化が根付いてきました。昔北海道にいるころ、スキーのやたら上手な(当然と言えば当然)ケベック人の友人がいたのですけど、「俺たちはカナダ人ともアメリカ人とも違うんだ!」と強調していたのを思い出します。特にアメリカと一緒にされるのは嫌だ、とよく言っていました。

ブール・ノワールは1976年、ジャケットイラストの目がうるうると昭和少女マンガ風になっちゃってるソロデビューアルバム「Boule Noire」(上写真)を発表。ブルースの雰囲気を漂わせたソウルディスコですが、歌詞が全編フランス語ですので、耳慣れた英語によるソウル/R&Bとは一味違った、とてもエキゾチックな不思議な魅力を放っています。カナダのディスコ界では有名だった人ですが、ほかの国ではほぼ無名。けれども、一度聴くと病み付きになる感じです。収録曲中では、Aimes-Tu La Vie Comme Moi ?」などがシングルカットされています。

フレンチディスコ自体は、セローンとかシルビー・バルタンとかフランス・ギャルとか、フランス本国発のディスコとして当ブログでも何度か取り上げています。けれども、英語で歌われたものが多く、フランス語でしかも黒人系というのは非常に珍しい。あとは、フランスの植民地が多かったアフリカ大陸の国々に少々、フランス語の黒人ディスコ音楽が見られた程度です。スウェーデンのアバなどの例を持ち出すまでもなく、アーチストがネイティブではなくても、ディスコのマーケットは圧倒的に英語重視でしたので、フランス語でかつ黒人系というのは、逆にユニークで希少価値があったともいえます。

ブール・ノワールは1977年、次のフランス語アルバム「Les Annees Passent」をリリース。シングルカットされたA面1曲目のアップテンポの「Loin D'Ici 」は、なかなかに日本人好みのする切なさいっぱいの佳作です。このあたりの物悲しいメロディー展開は、例えば米ソウル/R&Bディスコの牙城フィラデルフィア・レーベルなどにはあまり見られない「カナディアン・フレンチディスコ」そのものだと思います。私の一番のお気に入りの曲でもありまして、随所に入ってくるMoog的な初期シンセサイザーの「うねうね音」も底抜けに素敵です(称賛)。

そして1978年、ソロ3枚目アルバム「Aimer D'Amour」を発表。この中からは、アルバム同名曲「Aimer D'Amour」が、後の80年代後半以降、欧州を中心にレア・グルーブとして注目されました。これまたシャンソンとR&Bが融合したような、まったりしたミデアムスローの面白いディスコ曲。お約束の“ポンポコディスコドラム”(シンドラム、ピング)や絶唱系女性ボーカル、「泣きのギター」を効果的にフィーチャーしており、こんな曲が今フロアでかかれば、多少戸惑いを覚えつつも、「おしゃれなブギーでゲット・ダウン・オン・ザ・フロア」状態になることウケアイです。

80年代に入ってからは新作発表のペースも落ちてきて、表舞台から遠のいていった「哀愁のブール・ノワール」。既に2007年、がんのため55歳の若さでこの世を去っています。それでも、数々の音源はしっかりと今に伝えられ、熱きダンスフリークたちの心を躍らせてくれています。CDについては、ディスコの原盤権を幅広く所有する同じカナダのUnidisc(ユニディスク)レーベルから、アルバム再発盤が発売されております。

クイック (Kwick)

Kwick 1980_2「3K」シリーズのしんがりは、黒人4人組ボーカルグループのクイック。米テネシー州メンフィス出身で、1960年代後半から、地元の黒人音楽の拠点であるスタックス(Stax)レーベルで「ザ・ニューカマーズ(The Newcomers)」という名前で活動していました。

このころは、「Pin The Tail On The Donkey」(71年、米R&Bチャート28位)という自前の小ヒットも出したものの、同じメンフィス出身のアル・グリーンや同じスタックスレーベルのバーケイズエモーションズなど、別の大物ミュージシャンたちのバックコーラスとか前座として主に活躍しておりました。

長年の下積みを経て心機一転、名前をKwickと変えて、EMIレーベルから初の8曲入り本格アルバム「Kwick」(写真)をリリースしたのは1980年のこと。プロデューサーは、スタックスの数々のトップミュージシャンを手がけたアレン・ジョーンズ(Allen Jones)。これがまたかなりディスコテークな内容で、もはやディスコなんてアメリカではNGワードになりかけていたにもかかわらず、ジャケット写真同様に元気いっぱいな楽曲が目白押しになっています。

特に、シングルカットされたA面1曲目「I Want To Dance With You」では、お約束のシンセドラムの「ぴゅんぴゅんぽんぽこ」音が随所に鳴り響き、ぐいぐい踊り心を揺さぶります。リズム展開が、同時代のあの奇天烈ファンキーチューン「Double Dutch Bus」(Frankie Smith、80年、R&B1位、ディスコ51位)や、「都会派ディスコ」GQの「Disco Night」(79年、同1位、同3位)に似た感じ。ディスコ的には熱烈に好感の持てる一曲です。

ほかの7曲を聴いてみても、バーケイズやリック・ジェームスばりの「うねうねシンセサイザー」が飛び出したかと思うと(A3「Can't Help Myself」とか)、80年代前期ブラコンの定番「ぶいぶいシンセベース」で腹の底がひっくり返されるような重量感を演出(A4「Serious Business」とか)しています。おまけに、70年代末期みたいな折り目正しい「四つ打ちもろディスコ」まで秘かに紛れ込ませる始末(B1「We Ought To Be Dance」)。圧倒的な“腰浮きファンク”ぶりとなっております。

・・・とまあ、けっこう惚れ惚れする「うきうきアゲアゲ」アルバムになっているわけですが、セールス的に今ひとつだったというのも、この手のディスコファンクグループのお約束です。クイックになってからの最大のヒット曲が、このアルバムB面3曲目のスローバラード「Let This Moment Be Forever」(R&B20位)だったというのは、(私的には)なんだか皮肉です。でもまあ、もともとのウリがコーラスなわけですから、不自然ではないのかもしれません。

クイックは翌81年、プロデューサーをはじめほぼ同じ制作陣で「To The Point」というアルバムをリリース。今度はもっとあからさまにシンセサイザー音を前面に出し、エレクトロファンクなノリを加えて勝負しましたが、前作を超えることはできませんでした。結局、クイックは83年に出したもう一枚のアルバム「Foreplay」を最後に、表舞台から消え去ることとなりました。

それでも、「To The Point」でいうと、「まるでジャクソンズ!」というべき「Shake Till Your Body Break」は秀逸。マイケルたちの「Shake Your Body To The Ground」をもろに意識していますが、ディスコならではのちょっとした小っ恥ずかしさが素敵です。ほかにも、イントロで展開するのんびり感あふれる電子音が哀愁を誘う「Nightlife」、「You're The Kind Of Girl I Like」など、味わい深いディスコファンクが含まれています。

こうしてみてみると、ディスコ的には、地味ながらも一応ツボを押さえた曲群を世に放っていたように思います。 商業的に成功させようとする意図が露骨に見える痛々しさはあるにせよ、フロアで「非盛り上がり時間帯」にゆらゆらと流してみたり、家の中でゆったりと聞き流すにはほどよいグループだと思っています。「ビギナーとマニアックの狭間」を行くディスコ堂のブログ趣旨からしても、外せない人々です。

この人たちの再発CDは、1年ほど前にようやく発売となりました(英Expansion盤)。上記2枚のアルバムが1枚のCDに入っているお得盤であります。 

クリーア (Kleeer)

Kleeer今回はKleeerと参りましょう。1970年代後半から80年代にかけて、前回紹介のKlique同様にディスコファンク・バンドとして一定の支持を得た4人組ですが、既に70年代初頭に活動を開始しています。

彼らが79年に出したアルバム「I Love To Dance」の再発CD(2013年発売、英Funky Town Grooves盤)のライナーノーツによると、米ワシントントンDCで1972年に結成し、当初はザ・ジャム・バンド(The Jam Band)という名前でした。「チョイス・フォー」(Choice Four)という同じワシントンのソウルグループとか、ちょっと売れたディスコグループ「ディスコ・テックス・アンド・ザ・セックス・オーレッツ」(Disco Tex & The Sex-O-Lettes)のバックバンドとして活動を始めた後、75年にはパイプライン(Pipeline)という名前に変更しました。

パイプラインとなった彼らは、独り立ちしてコロムビア・レコードと契約し、「Gypsy Rider」というシングルを76年に発表。なかなか仕上がりの良いロック風味のファンクチューンでしたが、ほとんど売れませんでした。前述ライナーノーツでは、ギター担当の中心メンバーのリチャード・リー(Richard Lee)が「このときは、コロムビアのマーケティング担当者が、黒人ロックとかファンクロックをやるパイプラインをどう売り出したらいいか、分からなかったんだ」とほろ苦く述懐しています。せっかく満を持してのデビューだってえのに、不本意だったみたいです。

それから間もなく、パイプラインは売れっ子ディスコ・プロデューサーであるパトリック・アダムズ(Patrick Adams)、グレゴリー・カーマイケル(Gregory Carmichael)らのディスコ・プロジェクトチームに編入されました。ここでのグループ名は、今度は「ユニバーサル・ロボット・バンド」(Universal Robot Band)。なんだかいきなり変てこな名前ですけど、とにかく、いよいよ本格的にディスコグループとしての活動に入ったのであります。

この「ユニロボ」時代の76年には、「Dance and Shake Your Tambourine」(直訳:踊ってタンバリンを鳴らそう!)という驚愕のおとぼけディスコをリリース。しかも、ちょこっと売れたのです(米R&Bチャート48位、ディスコチャート25位)。「お聴きいただいて納得」と思いますが、ムーグ(Moog)あたりのアナログシンセサイザーの音色が縦横無尽、往年の幼児向け番組「ロンパールーム」のBGMみたいにピニュピニョと飛び交っている有様。ディスコ堂的には大歓迎の展開になっていくのでありました。

結局、ユニロボとしての活動は2年ほどで終局。79年にようやくKleeerというグループ名に相成り、名門アトランティック・レコードから、前述「I Love To Dance」というあからさまなディスコアルバムを皮切りに、ラストアルバムを出した85年までの間に計7枚のアルバムを発表しました。

代表曲を見ていきますと、70年代には、「I Love To Dance」に収録された「Keep Your Body Workin'」(R&B60位、ディスコ54位)、「Tonight's The Night」(R&B33位)や、2枚目アルバム「Winners」収録の「Winners」(R&B23位、ディスコ37位)などのディスコ曲がヒット。80年代には、小気味よいリズム展開とコーラスワークが特徴の「Get Tough」(R&B15位、ディスコ5位)、「Taste The Music」(R&B55位、ディスコ31位)といった、シンセファンクの雰囲気も持つダンサーが人気曲となりました。

Kleeerになってからは、いずれの曲も確信犯の脱力ユニロボ時代とは打って変わり、ダンサブルながらも落ち着いた感じのディスコファンクの装いになってきています。例えば、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーとかクール・アンド・ザ・ギャングみたいにスター性の強い歌い手がいるわけではなく、ボーカル力は今ひとつで凡庸との印象がありますが、商業的にまずまず健闘したとはいえると思います。それに、なにはともあれ前身が「ユニロボ」だという点が私的にはプラス評価です。

再発CDは近年、けっこうな勢いで発売されています。写真は、私が一番気に入っている「Get Tough」収録の「License To Dream」(81年)。ほかの多くのアルバムもCDになっています。ベスト盤としては、米Rhino盤の「The Very Best Of Kleeer」が網羅的で、かつディスコフロア向けロングバージョンが多く収録されていてお得感があります。

クリーク (Klique)

Kliqueいやあクリスマスなんてあっという間に終わり、暮れも押し迫ってまいりました。きょうはまず手始めに、「ホップ、ステップ、ジャンプ!」とか、ハロウィンの「トリック オア トリート!(Trick or treat !)」の要領で、「クリーク、クリーア、クイック!」と幸せを呼ぶおまじないを3回つぶやいてみてください。

…というわけで、今回はそんな舌を噛みそうな「Klique」「Kleeer」「Kwick」の「似たようなファンクディスコ3K軍団」の一角を占める「クリーク」について、唐突かつ元気に取り上げてみましょう。

英語で「徒党」を意味するClique(クリーク)をもじったと思われるKliqueは、知名度的にはかなり地味ながら、80年代初頭、シンセサイザーのベース音(シンセベース=ぶいぶいシンセ)を駆使した曲を次々に繰り出し、ダンスフロアの名わき役となりました。

米ロサンゼルスのアイザック・サザーズ(Issac Suthers)と妹デボラ・ハンター(Deborah Hunter)、そしてハワード・ハンツベリー(Howard Huntsberry)で構成するシャラマーみたいな男女3人組。1981年にデビューアルバム「It's Winning Time」を発表し、シングル「Love's Dance」が米R&Bチャート24位に入る中ヒットを記録しました。

この曲は、コン・ファンク・シャンのマイケル・クーパー(Michael Cooper)の作曲で、けっこうダンスクラシックとして人気の曲。とはいえ、リズム進行が「よっこらしょ、どっこいしょ♪」な曲でして、踊っていても“天竜川下りの船頭さん”を彷彿とさせてなんだか愉快です。

翌82年には、2枚目のアルバム「Let's Wear It Out!」(写真)を発表。全編アーバンなダンス風味に仕上がっているのですけど、この中からは「Dance Like Crazy (Let's Wear It Out)」(R&B39位)と「I Can’t Shake This Feeling」(同47位)が少しばかりヒットしました。特に「I Can't Shake…」は、爽やかでキャッチーなメロディーラインが特徴。私自身も高校生のころ、同じディスコ好きの友人宅で執拗に聞かされていたので、かなり印象深い曲です。

さらに、83年には3枚目「Try It Out」を発表。やはりダンス系が多く収録されているものの、バラードのシングルカット「Stop Doggin' Me Around」が米R&Bチャートで2位まで上昇する大ヒットとなりました。この曲は往年のソウル歌手ジャッキー・ウィルソンが60年に放った大ヒット「Doggin' Around」(R&B1位)が原曲。リードボーカルのハワードの声質はジャッキーにそっくりだったこともあり、非常にうまくいったリメイクといえるでしょう。

クリークはその後もう1枚、85年に「Love Cycles」というアルバムをリリースし、再びジャッキーのバラードヒットのリメイク「A Woman, A Lover, A Friend」がR&B15位に。アルバム全体をみれば、「Breakin'... There's No Stopping Us」(84年、米R&Bチャート3位、一般9位、ディスコ1位)のブレイクダンス大ヒットで知られるオリー・ブラウン(Ollie Brown)などが参加し、時代を象徴してシンセサイザーやドラムマシーンがますます存在感を発揮するダンス曲が多くて面白い内容なのですけど、どうにも大ヒットにはつながらなかったのでした。ジャッキー・ウィルソンのリメイクばかりが注目されて、個性を発揮するまでには至らなかったのかもしれません。

結局は凡庸なディスコファンクバンドの域を出られなかった彼らですが、ヒット曲は少なくても、どのアルバムも80年代ダンスクラシックの「名わき役」として聴けば、なかなか侮れない完成度になっていると思います。近年は「Let's Wear It Out」や「Try It Out」などのCD化もひそかに実現しています。

さて次回は、この流れでいくとKleeerということになりましょうか。年明けにまた考えま〜す!ディスコフリークの皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。

ザ・ポケッツ (The Pockets)

Pockets今回も70年代後半のファンク系ディスコから一つ。プラティパスとは正反対に、トランペットやトロンボーンといった「ディスコ盛り上げ隊」のホーンセクションを駆使して、ちょいと人気を博した米国の8人編成グループ「ポケッツ」です。

「天下御免のディスコバンド」アース・ウィンド・ファイアー(EWF)のバンドリーダーである御大モーリス・ホワイトさんは、70年代後半からはプロデューサーとしても活躍しましたが、弟バーディン・ホワイトも、EWFでベースを担当しつつ、プロデューサー業にもせっせと精を出していました。そんな彼が手がけた代表的なバンドが、ポケッツというわけです。

自然なことながら、バンドの楽器編成も曲調もEWFに似ています。それが彼らにとっては個性を発揮し切れなかった要因にもなっているのですけど、ディスコブーム期にはいくつかヒットも飛ばしています。バーデンさんだけではなく、トムトム84(Tom Tom 84)の異名をとる名アレンジャーのトム・ワシントン、80年代にホール&オーツなどのディスコアレンジャーとして名を上げたロバート・ライト(Robert Wright)などの助太刀を得て、ファンキーでグルービーでディスコパラダイスな曲を次々と世に送り出しました。

ファンキーディスコ風味に満ちあふれたデビューアルバム「Come Go With Us」は1977年発売。この中からは、ダンスシングル「Come Go With Me」がまずまずのヒット(米R&Bチャート17位、ディスコ32位)となりました。2枚目アルバム「Take It On Up」も、「パンパカパーン♪!」と終始ラッパが鳴りひびき、やはりディスコな雰囲気が満載で、同名シングル曲「Take It On Up」(R&B24位)は、あらゆる楽器隊が「飲めや歌えや、踊れや踊れ!」てな調子でがんがん攻めまくるいけいけチューンであります。

そして79年に出た3枚目「So Delicious」も…。EWFの「ブギーワンダーランド」にも似たアップテンポ曲で、日本でもダンクラ定番となったシングル「Catch Me」(R&B69位、ディスコ79位)を始め、陽気で能天気でオラオラでわがままなダンス曲が目白押しです。

……けれども、ご覧の通りチャート的には確実に落ち込んでいったのが辛いところ。やはり、EWFの弟分バンドの宿命か、兄貴分の影響があまりにも濃すぎて、実力を十分に発揮できないまま、記憶の彼方に追いやられてしまったようです。EWFの「隠し球バンド」として、文字通り“ポケット”から出られないまま、上記「黄金のディスコトリロジー(三部作)」)を発表した後、あえなく表舞台から消え去っていったのであります。

まあ、このブログお約束の切々たる無常感が再び漂ってしまうわけですけども、ディスコ好きであれば、この三部作はいずれも底抜けに楽しめる、という点だけは強調しておきたいと思います。ディスコ以外のミデアムテンポ、スローバラードも含めまして、手だれが関わった アレンジやミックスはもちろん、メンバー自身のボーカルも演奏も非常にしっかりしております。

CDは“3部作”ともに一応出ておりますが、近年レア化が激しいため、上写真の米Collectablesレーベルのベスト盤「Golden Classics」がお手軽でよいかと存じます。全員純白のスーツで決め決めニヤニヤのジャケットが目印。最も売れた 「Come Go With Me」、疾走感あふれる中間奏も必聴の「Catch Me」のロングバージョンなど、主な代表曲が網羅的に収録されております。

プラティパス (Plyatypus)

Platypus「理想の世界では、才能あるミュージシャンや歌手たちは、必ず成功してぜいたくな生活ができるだろう。だが、私たちは理想の世界には住んでいない。1970年代後半にも、無数の有能なバンドが、人知れず埋もれていった。このバンドもその一つだ」――世界的権威のある音楽解説本「All Music Guide(オール・ミュージック・ガイド)」で、こんな風に紹介されている黒人バンド「プラティパス(Platypus)」。今回は、前回に引き続き「無名だけど捨てがたい」シリーズのディスコグループとして取り上げたいと存じます。

オハイオ・プレイヤーズダズ・バンド、レイクサイド等を生んだファンクの本場である米オハイオ州のデイトン出身のメンバーたちが、1970年代前半、同じメンバーによる前身バンド「Four Korners(フォーコーナーズ)」を改名して誕生。ファンクをベースにして、ソフトなR&B、「イエス」のようなプログレッシブロック、そしてディスコサウンドを融合させた音作りに励み、ライブ公演をしに行った日本の大阪でたまたま知り合ったというロバータ・フラックのセッションミュージシャンなどの下積みを経て、1979年にようやく写真のデビューアルバム「Platypus」をにぎにぎしく発売しました。

発売レーベルは、ディスコ堂ではしょっちゅう登場する「ディスコの殿堂」のカサブランカ。もろディスコを意識したグループであることがあっさり判明してしまうわけですけど、発売時期が1979年8月というのが運の尽きでした。というのも、このちょうど1カ月前、以前に書いた「ディスコださいぞ!運動」がアメリカで不気味に沸き起こり、「もうディスコって終わりじゃねえのか?」と、折り目正しいディスコフリークたちの間に動揺が走っていたからであります。 

プラティパスとは、オーストラリアに棲む「カモノハシ」の英名に由来します。哺乳類なのに卵を産んで育てるという世にも不思議な珍獣ですが、「遅れてきたディスコ野郎」プラティパスも、せっかく苦心して出したレコードがさっぱり売れず、翌年にひっそりとやっつけ仕事のアルバムをもう1枚出した後、文字通りレアで珍なる存在になってしまったのでした。

ところが、そんな珍盤が昨年、英BBRレーベルからCD化されたのには度肝を抜かれました。私自身、インパクトの強い名前で、しかもカサブランカの所属でしたので知っているグループではありましたが、まさかCDになるとは…。

で、これを実際に通して聴いてみると、意外というか案の定というか、聴いてるこちらが赤面するほどにディスコのりで素晴らしい。まずシングルカットされた1曲目「Dancing In The Moonlight」では、随所であのディスコの象徴「シンドラム」がポンポコポン!と躍動し、お約束のバイオリンで色取りを沿えつつ、忘れたころに「キンコンカーン!♪」と、「のど自慢」さながらのおとぼけチャイムが鳴り響く有様。2曲目「Street Babies」は、重量ファンク風で踊り心をあからさまにくすぐりますし、3曲目「Love The Way You Funk」も、同じオハイオ州のファンクグループ「ヒートウェーブ」の「グルーブライン」みたいな正統派ファンクディスコでして、やっぱり踊らずにはいられません。

圧巻は5曲目「Dance If You Can」(和訳:踊れるもんなら踊ってみな)。一般的なファンクディスコを基調としながらも、ときに少々変則的なビート進行が、「おやおやおや?」とダンサブル野郎&女性陣たちに期待感を呼び起こします。さらに凄いのは、後半のブレイク部分に突如として展開する「口笛」。私は以前、口笛の世界チャンピオンの女性に取材したことがあるのですが、「それを上回るのでは?」と思わせるほどの変幻自在、音程の正確無比ぶりでして、フルートの類の楽器とかウグイスなどと聴き間違うほどの完成度なのです。ライナーノーツに登場するリードボーカルのアーサー・ストークス(Arthur Stokes)によると、口笛を披露しているのはジョン・ビショップ(John Bishop)という無名のアーチストとのことですが、必聴と思います。

このグループの難点を強いて言えば、「ディスコ盛り上げ隊」の定石であるラッパなどのホーンセクションが不在なことくらい。それでも、疾走感あふれるほかの楽器パートや、「ニャオニャオ♪」とねっとり粘りつく印象的なボーカル等々が、きっちりと補完していると思います。

ことほど左様に、ディスコ・パラダイスなアルバムがCDで再発になったのは、ディスコ堂的にはべらぼうにおめでたい、と一人ほくそ笑んでいます。このCDには、「Dancing In The Moonlight」の12インチバージョンほかのボーナストラックも入っています。まだアマゾンやHMVなどでは販売中ですので、完全にレア化して忘却の彼方に遠ざかってしまう前に、珍獣カモノハシの渾身の一枚、一聴してみるのも一興かと存じます。

ディー・シー・リー (Dee C. Lee)

Dee C  Lee秋は深まり、空気が冷たく澄んでまいりました。今回は美貌の英国産歌姫、ディー・シー・リー(Dee C. Lee)と参りましょう。

1961年生まれの彼女が放った唯一のヒット曲は、1985年の麗しバラード「See The Day」。でも、本国英国では3位まで上昇しましたが、アメリカその他の国々ではほぼ無名。美貌という点では、同時期に大活躍したホイットニー・ヒューストンにも似た感じですけど、歌のうまさ、人気の点では足元にも及びません。ゆえに一発屋というわけです。

……いやあ、いきなりネガティブ評価で申し訳ありませんが、私が今回彼女を取り上げたのは、「シャイニー・シャイニー」のハイジ―・ファンテイジーを紹介した前回からの流れで、心臓破りな「懐かしの体力消耗高速ディスコ」の一つとして取り上げておきたかったからです。

実は、「See The Day」とソロデビューアルバム「Shrine」(1986年)をリリースする以前、あのワム!やスタイル・カウンシルのバックボーカルを務めていました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーとは一時期、なんと結婚もしていました。つまり、超大物アーチストの周辺に影武者として存在しつつ、かなりの下積みを経て、1つのヒット曲をなんとか世に送り出した苦労人なのでした。

私がまず注目したいのは、その下積み時代の1984年に単発シングルで発売した「Yippee-Yi-Yay!」という曲。これがまた、当時の札幌のディスコでやたらと耳にした覚えがあるのです。なんだか杏里の「キャッツ・アイ」にも似た軽〜いポップチューンでして、サビの謎の擬声語フレーズ「ユピヤイエイ!ユピヤイエイ!」(日本語で言えば「嬉しくてウッキャッキャー!」みたいな感じ)がとっても印象的だったのでした。

ディスコでこの曲名を知った私は、さっそく街中の輸入盤店で探してみましたが、どうしても見つからず。けれども、なぜかレコードレンタル店で12インチがありましたので、借りてきて、「ユピヤイエイ!」と叫びながら嬉々としてカセットテープに録音した記憶があります。

テンポはBPM(1分あたり拍数)で150ぐらい。快適な有酸素運動中の人間の心拍数はBPM130前後であり、それがそのまま、一般的なアゲアゲディスコのBPMとも概ね一致するわけですが(例えば「君の瞳に恋してる」がBPM130)、そんな標準値を大きく上回っております。当時は、極めて盛り上がった時間帯にかかっていた記憶があります。目がくるくる回ってとってもハッピーな気分になることウケアイですけど、いま踊ったら、文字通り心臓が心配です。

もう一つ、この「ユピヤイ」の一つ前に出したシングル「Salina Wow Wow」(サリナ・ワウ・ワウ、1984年)も、多少ディスコで聞いたことがあります。こちらは、一転してなんだかおっとりした曲調。スティービーワンダーの「ハッピーバースデー」みたいなイントロで控え目にスタートした後、人を食ったような調子のボーカルが恐る恐る入ってくるという正直、おとぼけなミデアムチューンとなっております。

CDですが、すこぶるマイナーであるがゆえに諦めていたところ、つい最近になって英国のチェリーポップ(Cherry Pop)レーベルから発売になりました(写真)。しかも、無謀にもなんと2枚組!1枚目は「See The Day」が入った「Shrine」で、ボーナストラック満載の2枚目の方は、幻の「ユピヤイ」の12インチバージョンと小粋でいなせなダブバージョン、それに「サリワウ」の12インチバージョンまで収録という徹底ぶりで驚きです。私も、失礼なことを言う割には結構好きでしたので、さっそく購入いたしましたとさ。

ヘイジー・ファンテイジー (Haysi Fantaizee)

Haysi Fantayzee変テコなものはすべからくディスコです――。と、さりげなく断定しちまったところで、今回はヘイジー・ファンテイジーというグループを取り上げてみましょう。

1981年、イギリス人の ジェレミー・ヒーリー(Jeremy Healy)、ケイト・ガーナー(Kate Garner), ポール・キャプリン(Paul Caplin)の3人で結成した典型的な英国ニューウェーブバンド。中でも、前面に出てくるボーカルのジェレミーとケイトの風貌と、歌詞のユニークな掛け合いが特徴でした。

代表曲は、「John Wayne Is Big Leggy(邦題:正義の味方ジョンウェイン)」(82年)と「Shiny Shiny(シャイニー・シャイニー)」(83年)で、英国を中心にヒット。どちらも、以前紹介したデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズみたいなヒルビリーでカントリーっぽい曲調になっておりますが、もっと奇天烈で意表を突いた陽気さがあふれかえっております。

特にシャイニー・シャイニーは、地元札幌のディスコではときどき耳にしました。これまた以前に紹介したアップテンポ・スカビートのスペシャルズリトルビッチ」のごとく、もの凄くアップテンポな体力消耗ダンスチューンなのですが、素朴なバイオリンの音色に乗って突如「シャイニー♪、シャイニー♪」と大らかに連呼するわらべ歌みたいな展開には、底知れぬ好感と違和感を抱いたものでした。

なにしろ、揶揄しているとはいえ「ザ・アメリカン西部劇ヒーロー」ジョン・ウェインが登場するほどですので、曲がカントリー風味なのは当然だとしても、そこにキックの強いディスコやロックのビートを絡ませるところは、さすがに「なんでも試してやる!」的な英国バンドの真骨頂。移民に寛容で自由を重んじつつ、極度に保守的な面もあるアメリカだと、ちょうど今のアメリカ議会のように、カントリー(共和党)とディスコ(民主党)なんて反発し合ってなかなか融合しないわけですからね。

巷では「イギリス版バービーボーイズ」との呼び声も高かった彼らですが(ウソ)、当時のプロモーションビデオなどを見ますと、ややふてくされた表情の長身ケイトと、常にくねくねとクラゲのような動きを見せるジェレミーが、陰と陽の奇妙なコンビネーションを醸しているように思います。

実は、ジェレミーは前回登場のカルチャークラブのボーイ・ジョージとは級友で、ロンドンの伝説のクラブ「ブリッツ」にもよく一緒に出入りしていたといいます。そういえば、ヘイジーのファッションセンスや風貌も、なんとなくボーイと似た感じです。

けれども、ボーイ・ジョージの一層強烈なキャラクターもさることながら、メジャーレーベルの全面的なバックアップも得ていた時代の寵児カルチャークラブとは、人気面でも音楽的な完成度の点でもどうしても差がついてしまいました。上記2曲が収録された「Battle Hymns For Children Singing」というアルバムを1枚出した後、結成からわずか2年後の83年に活動を停止してしまったのでした。その後、ジェレミーはDJやリミキサーの裏方、ケイトはカメラマンとして主に活動することになります。ここでも意表を突いています。

奇をてらい過ぎたのがよくなかったのか、結果的には短命に終わったヘイジーですが、今もこのころの音楽を愛する好事家たちには人気が高い人々です。CDも数年前にベスト盤(!)が発売されましたので(上写真)、異様に明るいダンスミュージックをボリューム全開にかけて、家族そろって大らかに盛り上がるのもよいかもしれません。
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


たまには「ボカロでYMCA」
キュート奇天烈でよろし。
本業分野の著書!(自己宣伝)


初証言でつづる昭和国会裏面史!
著書です!(自己宣伝)


キーワードは意外に「ディスコ」。
TOEIC930点への独学法とは…
livedoor プロフィール
Archives
検索してみよう!

このブログ内
ウェッブ全体
訪問者数(UU)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最近の訪問者数(UU)

    Recent Comments
    blogramボタン
    blogram投票ボタン
    QRコード
    QRコード
    • ライブドアブログ