ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

クリーア (Kleeer)

Kleeer今回はKleeerと参りましょう。1970年代後半から80年代にかけて、前回紹介のKlique同様にディスコファンク・バンドとして一定の支持を得た4人組ですが、既に70年代初頭に活動を開始しています。

彼らが79年に出したアルバム「I Love To Dance」の再発CD(2013年発売、英Funky Town Grooves盤)のライナーノーツによると、米ワシントントンDCで1972年に結成し、当初はザ・ジャム・バンド(The Jam Band)という名前でした。「チョイス・フォー」(Choice Four)という同じワシントンのソウルグループとか、ちょっと売れたディスコグループ「ディスコ・テックス・アンド・ザ・セックス・オーレッツ」(Disco Tex & The Sex-O-Lettes)のバックバンドとして活動を始めた後、75年にはパイプライン(Pipeline)という名前に変更しました。

パイプラインとなった彼らは、独り立ちしてコロムビア・レコードと契約し、「Gypsy Rider」というシングルを76年に発表。なかなか仕上がりの良いロック風味のファンクチューンでしたが、ほとんど売れませんでした。前述ライナーノーツでは、ギター担当の中心メンバーのリチャード・リー(Richard Lee)が「このときは、コロムビアのマーケティング担当者が、黒人ロックとかファンクロックをやるパイプラインをどう売り出したらいいか、分からなかったんだ」とほろ苦く述懐しています。せっかく満を持してのデビューだってえのに、不本意だったみたいです。

それから間もなく、パイプラインは売れっ子ディスコ・プロデューサーであるパトリック・アダムズ(Patrick Adams)、グレゴリー・カーマイケル(Gregory Carmichael)らのディスコ・プロジェクトチームに編入されました。ここでのグループ名は、今度は「ユニバーサル・ロボット・バンド」(Universal Robot Band)。なんだかいきなり変てこな名前ですけど、とにかく、いよいよ本格的にディスコグループとしての活動に入ったのであります。

この「ユニロボ」時代の76年には、「Dance and Shake Your Tambourine」(直訳:踊ってタンバリンを鳴らそう!)という驚愕のおとぼけディスコをリリース。しかも、ちょこっと売れたのです(米R&Bチャート48位、ディスコチャート25位)。「お聴きいただいて納得」と思いますが、ムーグ(Moog)あたりのアナログシンセサイザーの音色が縦横無尽、往年の幼児向け番組「ロンパールーム」のBGMみたいにピニュピニョと飛び交っている有様。ディスコ堂的には大歓迎の展開になっていくのでありました。

結局、ユニロボとしての活動は2年ほどで終局。79年にようやくKleeerというグループ名に相成り、名門アトランティック・レコードから、前述「I Love To Dance」というあからさまなディスコアルバムを皮切りに、ラストアルバムを出した85年までの間に計7枚のアルバムを発表しました。

代表曲を見ていきますと、70年代には、「I Love To Dance」に収録された「Keep Your Body Workin'」(R&B60位、ディスコ54位)、「Tonight's The Night」(R&B33位)や、2枚目アルバム「Winners」収録の「Winners」(R&B23位、ディスコ37位)などのディスコ曲がヒット。80年代には、小気味よいリズム展開とコーラスワークが特徴の「Get Tough」(R&B15位、ディスコ5位)、「Taste The Music」(R&B55位、ディスコ31位)といった、シンセファンクの雰囲気も持つダンサーが人気曲となりました。

Kleeerになってからは、いずれの曲も確信犯の脱力ユニロボ時代とは打って変わり、ダンサブルながらも落ち着いた感じのディスコファンクの装いになってきています。例えば、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーとかクール・アンド・ザ・ギャングみたいにスター性の強い歌い手がいるわけではなく、ボーカル力は今ひとつで凡庸との印象がありますが、商業的にまずまず健闘したとはいえると思います。それに、なにはともあれ前身が「ユニロボ」だという点が私的にはプラス評価です。

再発CDは近年、けっこうな勢いで発売されています。写真は、私が一番気に入っている「Get Tough」収録の「License To Dream」(81年)。ほかの多くのアルバムもCDになっています。ベスト盤としては、米Rhino盤の「The Very Best Of Kleeer」が網羅的で、かつディスコフロア向けロングバージョンが多く収録されていてお得感があります。

クリーク (Klique)

Kliqueいやあクリスマスなんてあっという間に終わり、暮れも押し迫ってまいりました。きょうはまず手始めに、「ホップ、ステップ、ジャンプ!」とか、ハロウィンの「トリック オア トリート!(Trick or treat !)」の要領で、「クリーク、クリーア、クイック!」と幸せを呼ぶおまじないを3回つぶやいてみてください。

…というわけで、今回はそんな舌を噛みそうな「Klique」「Kleeer」「Kwick」の「似たようなファンクディスコ3K軍団」の一角を占める「クリーク」について、唐突かつ元気に取り上げてみましょう。

英語で「徒党」を意味するClique(クリーク)をもじったと思われるKliqueは、知名度的にはかなり地味ながら、80年代初頭、シンセサイザーのベース音(シンセベース=ぶいぶいシンセ)を駆使した曲を次々に繰り出し、ダンスフロアの名わき役となりました。

米ロサンゼルスのアイザック・サザーズ(Issac Suthers)と妹デボラ・ハンター(Deborah Hunter)、そしてハワード・ハンツベリー(Howard Huntsberry)で構成するシャラマーみたいな男女3人組。1981年にデビューアルバム「It's Winning Time」を発表し、シングル「Love's Dance」が米R&Bチャート24位に入る中ヒットを記録しました。

この曲は、コン・ファンク・シャンのマイケル・クーパー(Michael Cooper)の作曲で、けっこうダンスクラシックとして人気の曲。とはいえ、リズム進行が「よっこらしょ、どっこいしょ♪」な曲でして、踊っていても“天竜川下りの船頭さん”を彷彿とさせてなんだか愉快です。

翌82年には、2枚目のアルバム「Let's Wear It Out!」(写真)を発表。全編アーバンなダンス風味に仕上がっているのですけど、この中からは「Dance Like Crazy (Let's Wear It Out)」(R&B39位)と「I Can’t Shake This Feeling」(同47位)が少しばかりヒットしました。特に「I Can't Shake…」は、爽やかでキャッチーなメロディーラインが特徴。私自身も高校生のころ、同じディスコ好きの友人宅で執拗に聞かされていたので、かなり印象深い曲です。

さらに、83年には3枚目「Try It Out」を発表。やはりダンス系が多く収録されているものの、バラードのシングルカット「Stop Doggin' Me Around」が米R&Bチャートで2位まで上昇する大ヒットとなりました。この曲は往年のソウル歌手ジャッキー・ウィルソンが60年に放った大ヒット「Doggin' Around」(R&B1位)が原曲。リードボーカルのハワードの声質はジャッキーにそっくりだったこともあり、非常にうまくいったリメイクといえるでしょう。

クリークはその後もう1枚、85年に「Love Cycles」というアルバムをリリースし、再びジャッキーのバラードヒットのリメイク「A Woman, A Lover, A Friend」がR&B15位に。アルバム全体をみれば、「Breakin'... There's No Stopping Us」(84年、米R&Bチャート3位、一般9位、ディスコ1位)のブレイクダンス大ヒットで知られるオリー・ブラウン(Ollie Brown)などが参加し、時代を象徴してシンセサイザーやドラムマシーンがますます存在感を発揮するダンス曲が多くて面白い内容なのですけど、どうにも大ヒットにはつながらなかったのでした。ジャッキー・ウィルソンのリメイクばかりが注目されて、個性を発揮するまでには至らなかったのかもしれません。

結局は凡庸なディスコファンクバンドの域を出られなかった彼らですが、ヒット曲は少なくても、どのアルバムも80年代ダンスクラシックの「名わき役」として聴けば、なかなか侮れない完成度になっていると思います。近年は「Let's Wear It Out」や「Try It Out」などのCD化もひそかに実現しています。

さて次回は、この流れでいくとKleeerということになりましょうか。年明けにまた考えま〜す!ディスコフリークの皆さま、よいお年をお迎えくださいませ。

ザ・ポケッツ (The Pockets)

Pockets今回も70年代後半のファンク系ディスコから一つ。プラティパスとは正反対に、トランペットやトロンボーンといった「ディスコ盛り上げ隊」のホーンセクションを駆使して、ちょいと人気を博した米国の8人編成グループ「ポケッツ」です。

「天下御免のディスコバンド」アース・ウィンド・ファイアー(EWF)のバンドリーダーである御大モーリス・ホワイトさんは、70年代後半からはプロデューサーとしても活躍しましたが、弟バーディン・ホワイトも、EWFでベースを担当しつつ、プロデューサー業にもせっせと精を出していました。そんな彼が手がけた代表的なバンドが、ポケッツというわけです。

自然なことながら、バンドの楽器編成も曲調もEWFに似ています。それが彼らにとっては個性を発揮し切れなかった要因にもなっているのですけど、ディスコブーム期にはいくつかヒットも飛ばしています。バーデンさんだけではなく、トムトム84(Tom Tom 84)の異名をとる名アレンジャーのトム・ワシントン、80年代にホール&オーツなどのディスコアレンジャーとして名を上げたロバート・ライト(Robert Wright)などの助太刀を得て、ファンキーでグルービーでディスコパラダイスな曲を次々と世に送り出しました。

ファンキーディスコ風味に満ちあふれたデビューアルバム「Come Go With Us」は1977年発売。この中からは、ダンスシングル「Come Go With Me」がまずまずのヒット(米R&Bチャート17位、ディスコ32位)となりました。2枚目アルバム「Take It On Up」も、「パンパカパーン♪!」と終始ラッパが鳴りひびき、やはりディスコな雰囲気が満載で、同名シングル曲「Take It On Up」(R&B24位)は、あらゆる楽器隊が「飲めや歌えや、踊れや踊れ!」てな調子でがんがん攻めまくるいけいけチューンであります。

そして79年に出た3枚目「So Delicious」も…。EWFの「ブギーワンダーランド」にも似たアップテンポ曲で、日本でもダンクラ定番となったシングル「Catch Me」(R&B69位、ディスコ79位)を始め、陽気で能天気でオラオラでわがままなダンス曲が目白押しです。

……けれども、ご覧の通りチャート的には確実に落ち込んでいったのが辛いところ。やはり、EWFの弟分バンドの宿命か、兄貴分の影響があまりにも濃すぎて、実力を十分に発揮できないまま、記憶の彼方に追いやられてしまったようです。EWFの「隠し球バンド」として、文字通り“ポケット”から出られないまま、上記「黄金のディスコトリロジー(三部作)」)を発表した後、あえなく表舞台から消え去っていったのであります。

まあ、このブログお約束の切々たる無常感が再び漂ってしまうわけですけども、ディスコ好きであれば、この三部作はいずれも底抜けに楽しめる、という点だけは強調しておきたいと思います。ディスコ以外のミデアムテンポ、スローバラードも含めまして、手だれが関わった アレンジやミックスはもちろん、メンバー自身のボーカルも演奏も非常にしっかりしております。

CDは“3部作”ともに一応出ておりますが、近年レア化が激しいため、上写真の米Collectablesレーベルのベスト盤「Golden Classics」がお手軽でよいかと存じます。全員純白のスーツで決め決めニヤニヤのジャケットが目印。最も売れた 「Come Go With Me」、疾走感あふれる中間奏も必聴の「Catch Me」のロングバージョンなど、主な代表曲が網羅的に収録されております。

プラティパス (Plyatypus)

Platypus「理想の世界では、才能あるミュージシャンや歌手たちは、必ず成功してぜいたくな生活ができるだろう。だが、私たちは理想の世界には住んでいない。1970年代後半にも、無数の有能なバンドが、人知れず埋もれていった。このバンドもその一つだ」――世界的権威のある音楽解説本「All Music Guide(オール・ミュージック・ガイド)」で、こんな風に紹介されている黒人バンド「プラティパス(Platypus)」。今回は、前回に引き続き「無名だけど捨てがたい」シリーズのディスコグループとして取り上げたいと存じます。

オハイオ・プレイヤーズダズ・バンド、レイクサイド等を生んだファンクの本場である米オハイオ州のデイトン出身のメンバーたちが、1970年代前半、同じメンバーによる前身バンド「Four Korners(フォーコーナーズ)」を改名して誕生。ファンクをベースにして、ソフトなR&B、「イエス」のようなプログレッシブロック、そしてディスコサウンドを融合させた音作りに励み、ライブ公演をしに行った日本の大阪でたまたま知り合ったというロバータ・フラックのセッションミュージシャンなどの下積みを経て、1979年にようやく写真のデビューアルバム「Platypus」をにぎにぎしく発売しました。

発売レーベルは、ディスコ堂ではしょっちゅう登場する「ディスコの殿堂」のカサブランカ。もろディスコを意識したグループであることがあっさり判明してしまうわけですけど、発売時期が1979年8月というのが運の尽きでした。というのも、このちょうど1カ月前、以前に書いた「ディスコださいぞ!運動」がアメリカで不気味に沸き起こり、「もうディスコって終わりじゃねえのか?」と、折り目正しいディスコフリークたちの間に動揺が走っていたからであります。 

プラティパスとは、オーストラリアに棲む「カモノハシ」の英名に由来します。哺乳類なのに卵を産んで育てるという世にも不思議な珍獣ですが、「遅れてきたディスコ野郎」プラティパスも、せっかく苦心して出したレコードがさっぱり売れず、翌年にひっそりとやっつけ仕事のアルバムをもう1枚出した後、文字通りレアで珍なる存在になってしまったのでした。

ところが、そんな珍盤が昨年、英BBRレーベルからCD化されたのには度肝を抜かれました。私自身、インパクトの強い名前で、しかもカサブランカの所属でしたので知っているグループではありましたが、まさかCDになるとは…。

で、これを実際に通して聴いてみると、意外というか案の定というか、聴いてるこちらが赤面するほどにディスコのりで素晴らしい。まずシングルカットされた1曲目「Dancing In The Moonlight」では、随所であのディスコの象徴「シンドラム」がポンポコポン!と躍動し、お約束のバイオリンで色取りを沿えつつ、忘れたころに「キンコンカーン!♪」と、「のど自慢」さながらのおとぼけチャイムが鳴り響く有様。2曲目「Street Babies」は、重量ファンク風で踊り心をあからさまにくすぐりますし、3曲目「Love The Way You Funk」も、同じオハイオ州のファンクグループ「ヒートウェーブ」の「グルーブライン」みたいな正統派ファンクディスコでして、やっぱり踊らずにはいられません。

圧巻は5曲目「Dance If You Can」(和訳:踊れるもんなら踊ってみな)。一般的なファンクディスコを基調としながらも、ときに少々変則的なビート進行が、「おやおやおや?」とダンサブル野郎&女性陣たちに期待感を呼び起こします。さらに凄いのは、後半のブレイク部分に突如として展開する「口笛」。私は以前、口笛の世界チャンピオンの女性に取材したことがあるのですが、「それを上回るのでは?」と思わせるほどの変幻自在、音程の正確無比ぶりでして、フルートの類の楽器とかウグイスなどと聴き間違うほどの完成度なのです。ライナーノーツに登場するリードボーカルのアーサー・ストークス(Arthur Stokes)によると、口笛を披露しているのはジョン・ビショップ(John Bishop)という無名のアーチストとのことですが、必聴と思います。

このグループの難点を強いて言えば、「ディスコ盛り上げ隊」の定石であるラッパなどのホーンセクションが不在なことくらい。それでも、疾走感あふれるほかの楽器パートや、「ニャオニャオ♪」とねっとり粘りつく印象的なボーカル等々が、きっちりと補完していると思います。

ことほど左様に、ディスコ・パラダイスなアルバムがCDで再発になったのは、ディスコ堂的にはべらぼうにおめでたい、と一人ほくそ笑んでいます。このCDには、「Dancing In The Moonlight」の12インチバージョンほかのボーナストラックも入っています。まだアマゾンやHMVなどでは販売中ですので、完全にレア化して忘却の彼方に遠ざかってしまう前に、珍獣カモノハシの渾身の一枚、一聴してみるのも一興かと存じます。

ディー・シー・リー (Dee C. Lee)

Dee C  Lee秋は深まり、空気が冷たく澄んでまいりました。今回は美貌の英国産歌姫、ディー・シー・リー(Dee C. Lee)と参りましょう。

1961年生まれの彼女が放った唯一のヒット曲は、1985年の麗しバラード「See The Day」。でも、本国英国では3位まで上昇しましたが、アメリカその他の国々ではほぼ無名。美貌という点では、同時期に大活躍したホイットニー・ヒューストンにも似た感じですけど、歌のうまさ、人気の点では足元にも及びません。ゆえに一発屋というわけです。

……いやあ、いきなりネガティブ評価で申し訳ありませんが、私が今回彼女を取り上げたのは、「シャイニー・シャイニー」のハイジ―・ファンテイジーを紹介した前回からの流れで、心臓破りな「懐かしの体力消耗高速ディスコ」の一つとして取り上げておきたかったからです。

実は、「See The Day」とソロデビューアルバム「Shrine」(1986年)をリリースする以前、あのワム!やスタイル・カウンシルのバックボーカルを務めていました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーとは一時期、なんと結婚もしていました。つまり、超大物アーチストの周辺に影武者として存在しつつ、かなりの下積みを経て、1つのヒット曲をなんとか世に送り出した苦労人なのでした。

私がまず注目したいのは、その下積み時代の1984年に単発シングルで発売した「Yippee-Yi-Yay!」という曲。これがまた、当時の札幌のディスコでやたらと耳にした覚えがあるのです。なんだか杏里の「キャッツ・アイ」にも似た軽〜いポップチューンでして、サビの謎の擬声語フレーズ「ユピヤイエイ!ユピヤイエイ!」(日本語で言えば「嬉しくてウッキャッキャー!」みたいな感じ)がとっても印象的だったのでした。

ディスコでこの曲名を知った私は、さっそく街中の輸入盤店で探してみましたが、どうしても見つからず。けれども、なぜかレコードレンタル店で12インチがありましたので、借りてきて、「ユピヤイエイ!」と叫びながら嬉々としてカセットテープに録音した記憶があります。

テンポはBPM(1分あたり拍数)で150ぐらい。快適な有酸素運動中の人間の心拍数はBPM130前後であり、それがそのまま、一般的なアゲアゲディスコのBPMとも概ね一致するわけですが(例えば「君の瞳に恋してる」がBPM130)、そんな標準値を大きく上回っております。当時は、極めて盛り上がった時間帯にかかっていた記憶があります。目がくるくる回ってとってもハッピーな気分になることウケアイですけど、いま踊ったら、文字通り心臓が心配です。

もう一つ、この「ユピヤイ」の一つ前に出したシングル「Salina Wow Wow」(サリナ・ワウ・ワウ、1984年)も、多少ディスコで聞いたことがあります。こちらは、一転してなんだかおっとりした曲調。スティービーワンダーの「ハッピーバースデー」みたいなイントロで控え目にスタートした後、人を食ったような調子のボーカルが恐る恐る入ってくるという正直、おとぼけなミデアムチューンとなっております。

CDですが、すこぶるマイナーであるがゆえに諦めていたところ、つい最近になって英国のチェリーポップ(Cherry Pop)レーベルから発売になりました(写真)。しかも、無謀にもなんと2枚組!1枚目は「See The Day」が入った「Shrine」で、ボーナストラック満載の2枚目の方は、幻の「ユピヤイ」の12インチバージョンと小粋でいなせなダブバージョン、それに「サリワウ」の12インチバージョンまで収録という徹底ぶりで驚きです。私も、失礼なことを言う割には結構好きでしたので、さっそく購入いたしましたとさ。

ヘイジー・ファンテイジー (Haysi Fantaizee)

Haysi Fantayzee変テコなものはすべからくディスコです――。と、さりげなく断定しちまったところで、今回はヘイジー・ファンテイジーというグループを取り上げてみましょう。

1981年、イギリス人の ジェレミー・ヒーリー(Jeremy Healy)、ケイト・ガーナー(Kate Garner), ポール・キャプリン(Paul Caplin)の3人で結成した典型的な英国ニューウェーブバンド。中でも、前面に出てくるボーカルのジェレミーとケイトの風貌と、歌詞のユニークな掛け合いが特徴でした。

代表曲は、「John Wayne Is Big Leggy(邦題:正義の味方ジョンウェイン)」(82年)と「Shiny Shiny(シャイニー・シャイニー)」(83年)で、英国を中心にヒット。どちらも、以前紹介したデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズみたいなヒルビリーでカントリーっぽい曲調になっておりますが、もっと奇天烈で意表を突いた陽気さがあふれかえっております。

特にシャイニー・シャイニーは、地元札幌のディスコではときどき耳にしました。これまた以前に紹介したアップテンポ・スカビートのスペシャルズリトルビッチ」のごとく、もの凄くアップテンポな体力消耗ダンスチューンなのですが、素朴なバイオリンの音色に乗って突如「シャイニー♪、シャイニー♪」と大らかに連呼するわらべ歌みたいな展開には、底知れぬ好感と違和感を抱いたものでした。

なにしろ、揶揄しているとはいえ「ザ・アメリカン西部劇ヒーロー」ジョン・ウェインが登場するほどですので、曲がカントリー風味なのは当然だとしても、そこにキックの強いディスコやロックのビートを絡ませるところは、さすがに「なんでも試してやる!」的な英国バンドの真骨頂。移民に寛容で自由を重んじつつ、極度に保守的な面もあるアメリカだと、ちょうど今のアメリカ議会のように、カントリー(共和党)とディスコ(民主党)なんて反発し合ってなかなか融合しないわけですからね。

巷では「イギリス版バービーボーイズ」との呼び声も高かった彼らですが(ウソ)、当時のプロモーションビデオなどを見ますと、ややふてくされた表情の長身ケイトと、常にくねくねとクラゲのような動きを見せるジェレミーが、陰と陽の奇妙なコンビネーションを醸しているように思います。

実は、ジェレミーは前回登場のカルチャークラブのボーイ・ジョージとは級友で、ロンドンの伝説のクラブ「ブリッツ」にもよく一緒に出入りしていたといいます。そういえば、ヘイジーのファッションセンスや風貌も、なんとなくボーイと似た感じです。

けれども、ボーイ・ジョージの一層強烈なキャラクターもさることながら、メジャーレーベルの全面的なバックアップも得ていた時代の寵児カルチャークラブとは、人気面でも音楽的な完成度の点でもどうしても差がついてしまいました。上記2曲が収録された「Battle Hymns For Children Singing」というアルバムを1枚出した後、結成からわずか2年後の83年に活動を停止してしまったのでした。その後、ジェレミーはDJやリミキサーの裏方、ケイトはカメラマンとして主に活動することになります。ここでも意表を突いています。

奇をてらい過ぎたのがよくなかったのか、結果的には短命に終わったヘイジーですが、今もこのころの音楽を愛する好事家たちには人気が高い人々です。CDも数年前にベスト盤(!)が発売されましたので(上写真)、異様に明るいダンスミュージックをボリューム全開にかけて、家族そろって大らかに盛り上がるのもよいかもしれません。

カルチャークラブ (Culture Club)

Culture Club 21980年代初頭に艶やかに登場したのが、英国ポップバンドのカルチャークラブ。とりわけリードボーカルの中心人物ボーイ・ジョージの伸びやかな歌声、そしてなによりも中性的な衣装や髪形が大人気となり、センセーショナルなビッグアーチストになりました。

1961年生まれのボーイ・ジョージは、子供のころからド派手なファッションに身を包み、かなり変わった人物とみられていました。多くのミュージシャンが輩出したロンドンのクラブ「ブリッツ(The Blitz)」に常連として通い詰め、ライブ演奏もするうちに有名になり、音楽活動を本格化させました。

最初は、セックス・ピストルズを手掛けた音楽プロデューサーであるマルコム・マクラーレンに見出され、Bow Bow Wowというニューウェーブバンドのライブに参加するなどしていましたが、82年に自らカルチャークラブを結成し、デビューアルバム「Kissing To Be Clever」(写真)を発表。レゲエ・ダブ調のバラード「Do You Really Want To Hurt Me (邦題:君は完璧さ)・」が、全米一般シングルチャート2位に上昇する大ヒットとなります。

その後も「Karma Chameleon (カーマは気まぐれ)」(一般1位、全米ディスコチャート3位)、「Miss Me Blind (ミス・ミー・ブラインド)」(一般5位、ディスコ10位)など、しばらくは怒涛の躍進ぶりを見せつけました。

この人は、70年代末のディスコブームが去り、多様な音楽の誕生や再生の時期を迎えていた大市場アメリカで受けたのが何より大きかった。ボーイ・ジョージの出で立ちは、MTVでもとてつもなく存在感を発揮していましたし。日本でもアイドル的な人気があり、「君は完璧さ」を含めてディスコでもよく耳にしたものです(踊りにくいけど)。

音楽的には、以前に触れたデュラン・デュランとかスパンダー・バレエと同列のポストパンク時代の英国発ニューウェーブです。それでも、レゲエやカントリーやソウル音楽の要素も入っていて、斬新で洒落た雰囲気も醸していました。ボーイ・ジョージの風貌の奇天烈さに頼っていたわけではなく、結構ちゃんとしたアーチストだったのです。

ところが、1986年に4枚目のアルバム「From Luxury To Heartache」を出したあたりで調子がおかしくなります。ボーイ・ジョージがドラッグ中毒になり、ほとんど活動ができない状態になったからでした。ヒット曲も出なくなり、すっかり過去の人達になっていったのでした。

バンド自体は紆余曲折を経て、90年代後半に再結成し、現在も活動しているようですが、かつての勢いはまったくありません。彼らの公式HPによると、カルチャークラブという名前は、「世界の様々な文化を融合させる」といった意味が込められており、結成当初にはそんな特色もフルに発揮されていたのですが、なんとも寂しげな現状です。

ここでもまた、「一期は夢よ、ただ狂え」(閑吟集)、「この世は幻のごとき一期なり」(蓮如)のディスコ的無常が顔をのぞかせているわけですね。

というわけで、よくある「自業自得のドラッグパターン」ではありますが、その音楽的功績が消え去るわけではないでしょう。各アルバムやベスト盤のCDも再発されておりますので、私もたまに聴いて往時をしみじみと偲んでおります。

ジャングルな面々 (Jungle Disco)

Kikrokosコンガス、アフロメリカ、バラバス…これら奇っ怪な単語に共通するのは「ジャングル・ディスコ」。まだまだ灼熱の炎暑が続くここ東京ですが、今回はボンゴやらコンガやら動物の鳴き声やらが満載の熱帯ウッキッキー!特集と参りましょう。聴いて踊れば、ますます暑苦しくなることウケアイです。

トップバッターはコンガス(Kongas)。1970年代に活躍したフランスの男性ディスコグループで、セローンドン・レイ(Raymond Donnez)など、ディスコ界そのものに大きな影響を与えた人物が在籍していました。

彼らの代表曲「ジャングル」(74年)は、コンガやボンゴ、ドラムといった打楽器が奏でるジャングルビートが特徴なのは当然ですが、効果音が面白い。「アッキャッキャー!」、「ギャオギャーオ!」、「コロケロコロケロ!」などなど、熱帯の鳥や猛獣やおサルさんやカエルさん、そしてコオロギさんなんかの声がふんだんに盛り込まれています。まさにアフリカの“密林ダンス”の面目躍如たるところですね。

彼らには、イントロでアフリカ部族の歌と踊り、それに不気味な笑い声が入ってきて、あとは変則的なドラム進行で展開する「アフリカニズム/ギミー・サム・ラビング」(78年、米ディスコチャート3位)、「アニカナ・オー(Anicana-O)」(同年、同37位)といったジャングルディスコもあります。

続いては、これまた変わった名前のキクロコス(Kikrokos)。実はKongasの一部メンバーが作ったグループで、78年に「ジャングルDJ」というディスコヒットを飛ばしました(米ディスコ23位)。上写真が、その曲が入ったアルバム「Jungle D. J. & Dirty Kate」。全体の曲調自体からは濃厚なジャングル性を感じませんが、ジャケットからは一目瞭然、やっぱり「ジャングル」がもろコンセプトであることが分かります。

ジャングル系ディスコには、アフロビートはもちろんのこと、同じ熱帯・亜熱帯の地域に根差したラテン音楽の要素も入っていることも多い。前述の「アニカナ・オー」のように、コンガやボンゴの音に混じって、ときおりサンバホイッスルが聞こえてくるような曲も少なくありません。

ほかにもジャングル系ディスコは大量にありまして、ドラムが圧巻のジャクソン・ファイブの「ハム・アロング・アンド・ダンス」(70年)とか、 アフリカの大地に紛れ込んだかのようなジョニー・ウェイクリン(Johnny Wakelin)の「イン・ザイール」、バラバスワイルド・サファリ」(72年)、クール・アンド・ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」(73年、米R&Bチャート2位、米一般チャート4位)、ベイビー・オーの「イン・ザ・フォレスト」(80年、ディスコ2位)、前衛的ディスコを数多くリリースしたZEレーベルのクリスティーナ「ジャングル・ラブ」(80年)などが挙げられます。

私が好きな曲としては、エブリデイ・ピープルの「アイ・ライク・ホワット・アイ・ライク」(71年)、コンティネント・ナンバー6の「アフロメリカ」(78年)、キャンディドの「ジンゴ」(79年、ディスコ21位)なんかにも、ジャングルな感じが色濃く浮き出ています。

さらに、アメリカでディスコブームが終わった80年代前半以降も、ジャングルディスコは不滅でした。パトリック・カウリーの異色作「プリミティブ・ワールド」(82年)や、曲自体はボンゴ満載のジャングルリズムとまではいかないものの、「あそこにジャングルがあるぞ、気を付けろ!」とのフレーズで始まるウォー「ザ・ジャングル」(82年)、プリンスがプロデュースしたザ・タイムの「ジャングル・ラブ」(84年、ディスコ9位)、あの色物王ディバインの「ジャングル・ジェジベル」(82年)、バルティモラのおとぼけチューン「ターザン・ボーイ」(85年、ディスコ6位)をはじめ、数々の“ジャングルなディスコ”が存在します。太古の原始リズム&イメージとディスコって、ことほど左様に非常に相性がよいことが、あらためて実感されるわけであります。

ただし、以上に挙げた曲の多くは、クール・アンド・ザ・ギャングみたいにメジャーな人たちを除いてCD化されておりません。レコードではけっこう手に入りますので、探して一人、クーラーの効いた部屋でミスマッチにジャングルな気分に浸るのもよろしいかと存じます。

アート・オブ・ノイズ (The Art Of Noise)

Art Of Noiseいやあ、お盆です。頭がおかしくなるほどの猛暑が続く中、今回は意表を突いた“変てこディスコ”の真骨頂、アート・オブ・ノイズに注目してみましょう。

犬の鳴き声みたいな音、車を始動させるときのような音、トンカチみたいな音、笑い声、叫び声、うなり声……。「雑音の芸術」の直訳がまさにぴったりな音は、斬新で目新しいものとして世界の大衆に広く受け入れられました。

メンバーは英国の男女3人で、1984年にデビューアルバム「(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!」(邦題:「誰がアート・オブ・ノイズを……」)を発表し、それが大ヒットしました。プロデュースを担当したのは、以前、「バグルズ」や「フランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド」の投稿の際にも紹介した奇才トレヴァー・ホーン。トレヴァーらが前年に設立したレーベルZTTから、「Beat Box」(84年、米ディスコチャート1位)、「Close (To The Edit)」(同年、同4位)といったダンスヒットを繰り出しました。

当時は、「第1黄金期」ともいうべきシンセサイザー全盛の時代でした。中でもアートオブノイズは「フェアライトCMI」というめちゃめちゃ高価な(1台1000万円以上)電子楽器を使用し、お馴染みのオーケストラ風「オーケストラ・ヒット」のほか、唐突な「ヘイ!」の掛け声とかエンジン音みたいな変な音をがんがんサンプリングして曲を制作したのです。まあ、あのころはそんな音が、とてもポストモダン的かつ前衛的で面白く聞こえたものでした。

アートオブノイズは「誰がアートオブノイズ」の一作を発表した後、ZTTからは離れてしまいましたが、86年には、新しい所属レーベル(China Records)から2作目「In Visible Silence」をリリース。この中からは、日本ではやたらと有名なんですが、マジシャン「ミスターマリック」の登場曲として使われていた「Legs」(同27位)とか、アメリカで1960年ごろに流行った探偵モノのTVドラマ「ピーター・ガン」のテーマ曲のリメイク(同2位)などがヒットしました。けれども、その後は飽きられてしまったのか、だんだんと表舞台からは去っていきました。

多くはシンセサイザーやドラムボックス特有の鋭角的なダンスビートを基調としていますので、ディスコでもアート・オブ・ノイズをけっこう耳にしました。当時は、デュラン・デュラン、ABC、ヤズー、ニューオーダーなどなど、枚挙にいとまがないほど英国産のエレクトロポップ系ディスコが溢れかえっていましたが、その中でもキッチュ(表現古い)な音作りという点で、異彩を放つアーチストだったとはいえましょう。

その昔、私はわりと好きだったのですけど、今あらためて聴くとなんだか少々古臭くて“がらくた”な感じも致します(笑)。もしかしたら、時代と添い寝してそのまま眠ってしまうタイプの作品だったのかも……。この辺りは賛否が分かれるところでしょう。

でもまあ、とにかく実験的だったことは確かですし、90年代以降、次世代のアーチストたちにさらにサンプリング(サンプリングのサンプリング!)もされているようですので、あの時代にあの音を開発した意義は十分にあったのだろうと思います。

CDはベスト盤を中心にまずまず出ております。上写真は、デビュー作「誰が……」収録の全曲に加え、シングルの別バージョンなどがいくつか入ったZTT時代のベスト盤「Daft」(といってもアルバム1枚しか出していないが)。たった今も通して聴いていますが、8曲目ぐらいからやはり頭がおかしくなってきました。暑さのせいかもしれないにせよ。

ブレインストーム (Brainstorm)

Brainstorm_Stormin'今回は久々にノリノリ絶好調な「王道ディスコ」と参りましょう。左写真を見てお分かりのとおり、脳天串刺し稲妻パワー全開の「ブレインストーム」(ブレインストーミングではない)であります。

米デトロイトで1976年に結成した9人組ディスコ・ファンクグループ。後に売れっ子となるプロデュースチームのジャム・アンド・ルイスやSOSバンド、アレクサンダー・オニールたちを輩出した米Tabuレーベルが、創業と同時に最初に世に送り出したアーチストです。

代表曲は、なんといってもデビューアルバム「Stormin'」からの2枚目のシングルカット「Lovin' Is Really My Game」(77年、米ディスコチャート14位、R&Bチャート14位)。これまたホント冗談抜きに「これを踊らずに死ねるかぁ!」と、人目をはばからず雄たけびを上げたくなるような盛り上がりぶりで、全米のディスコで大人気となりました。

15年前にアメリカで公開された、ニューヨーク随一の放蕩ディスコ「54(フィフティーフォー)」の回顧映画「54」でも、アホアホなフロアを彩る嵐(Storm)のイケイケチューンとして使用されております。昨年5月に63歳の若さで亡くなったべリタ・ウッズ(Belita Woods)の歌声はなかなかに迫力があり、ヘッドホンで聴くと文字通り脳天を突き抜ける浮揚感覚を味わえます。

脇を固める華麗なギターやストリングスのほか、ベース、ドラムのリズム隊もしっかりと存在感を発揮しており、70年代生演奏ディスコの神髄を見るかのようですね。実際、驚くほどキャッチーな名曲として、ベティ・ライトシルベスターもリメイク(その1その2)しています。

ただ、その常軌を逸したハイテンションゆえに、事実上この1曲で終わってしまったのが辛いところ(つまり一発屋のトホホ)。「Stormin'」以降、78年に「Journey To The Light」、79年に「Funky Entertainment」と、「ディスコブームに乗っとけ乗っとけ!」とばかりに立て続けにアルバムをリリースしますが、セールス的にデビュー作ほどの勢いはありませんでした。その後はメンバーが1人抜け、2人抜けして壊滅状態……う〜ん、ディスコ堂的にはよくあるお話ですが、残念であります。

それでも、中身はきちんと折り目正しいミュージシャンだったのは疑いをいれません。各アルバムをじっくりと聴いてみると、デビュー作では最初にシングルカットされた「Wake Up And Be Somebody」という「Lovin’ Is Really…」同様の“四つ打ち”アップリフティングなディスコ曲が入っております。2枚目収録の「We’re On Our Way Home」は、イントロの「ぐるぐるうにゃうにゃベース」が渋みを効かせる秀逸なミディアムダンスチューンに仕上がっていますし、3枚目の「Hot For You」も、グルーブ感あふれる典型的なディスコファンクの佳作になっております。

しかも、デビュー作収録の隠れた名曲「There Must Be Heaven」に見られるように、美メロバラードも律儀にこなすところがプラス評価です。メンバーのうち、べリタ・ウッズはジョージ・クリントン軍団のP-Funk All Starsに、ベース担当のJeryl BrightはCameoにそれぞれ移ってしばらく活躍を続けています。実力があっただけに、一発屋の扱いにしておくのはちょっともったいないようなグループだったといえるでしょう。

CDについては、一応アルバム3枚とも再発で出ています。とりわけデビュー作は長らくCD化されていなかったのですが、本家Tabuが最近になって再発盤をリリースしました(写真上)。古い音源ということもあって音質は今一つな感もありますが、「Lovin' Is Really…」のレアな12インチバージョンがボーナストラックとして収録されていますので、今のうちに触手を伸ばすのもよいかもしれません。
CDのライナーノーツ書きました


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