ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

カルチャークラブ (Culture Club)

Culture Club 21980年代初頭に艶やかに登場したのが、英国ポップバンドのカルチャークラブ。とりわけリードボーカルの中心人物ボーイ・ジョージの伸びやかな歌声、そしてなによりも中性的な衣装や髪形が大人気となり、センセーショナルなビッグアーチストになりました。

1961年生まれのボーイ・ジョージは、子供のころからド派手なファッションに身を包み、かなり変わった人物とみられていました。多くのミュージシャンが輩出したロンドンのクラブ「ブリッツ(The Blitz)」に常連として通い詰め、ライブ演奏もするうちに有名になり、音楽活動を本格化させました。

最初は、セックス・ピストルズを手掛けた音楽プロデューサーであるマルコム・マクラーレンに見出され、Bow Bow Wowというニューウェーブバンドのライブに参加するなどしていましたが、82年に自らカルチャークラブを結成し、デビューアルバム「Kissing To Be Clever」(写真)を発表。レゲエ・ダブ調のバラード「Do You Really Want To Hurt Me (邦題:君は完璧さ)・」が、全米一般シングルチャート2位に上昇する大ヒットとなります。

その後も「Karma Chameleon (カーマは気まぐれ)」(一般1位、全米ディスコチャート3位)、「Miss Me Blind (ミス・ミー・ブラインド)」(一般5位、ディスコ10位)など、しばらくは怒涛の躍進ぶりを見せつけました。

この人は、70年代末のディスコブームが去り、多様な音楽の誕生や再生の時期を迎えていた大市場アメリカで受けたのが何より大きかった。ボーイ・ジョージの出で立ちは、MTVでもとてつもなく存在感を発揮していましたし。日本でもアイドル的な人気があり、「君は完璧さ」を含めてディスコでもよく耳にしたものです(踊りにくいけど)。

音楽的には、以前に触れたデュラン・デュランとかスパンダー・バレエと同列のポストパンク時代の英国発ニューウェーブです。それでも、レゲエやカントリーやソウル音楽の要素も入っていて、斬新で洒落た雰囲気も醸していました。ボーイ・ジョージの風貌の奇天烈さに頼っていたわけではなく、結構ちゃんとしたアーチストだったのです。

ところが、1986年に4枚目のアルバム「From Luxury To Heartache」を出したあたりで調子がおかしくなります。ボーイ・ジョージがドラッグ中毒になり、ほとんど活動ができない状態になったからでした。ヒット曲も出なくなり、すっかり過去の人達になっていったのでした。

バンド自体は紆余曲折を経て、90年代後半に再結成し、現在も活動しているようですが、かつての勢いはまったくありません。彼らの公式HPによると、カルチャークラブという名前は、「世界の様々な文化を融合させる」といった意味が込められており、結成当初にはそんな特色もフルに発揮されていたのですが、なんとも寂しげな現状です。

ここでもまた、「一期は夢よ、ただ狂え」(閑吟集)、「この世は幻のごとき一期なり」(蓮如)のディスコ的無常が顔をのぞかせているわけですね。

というわけで、よくある「自業自得のドラッグパターン」ではありますが、その音楽的功績が消え去るわけではないでしょう。各アルバムやベスト盤のCDも再発されておりますので、私もたまに聴いて往時をしみじみと偲んでおります。

ジャングルな面々 (Jungle Disco)

Kikrokosコンガス、アフロメリカ、バラバス…これら奇っ怪な単語に共通するのは「ジャングル・ディスコ」。まだまだ灼熱の炎暑が続くここ東京ですが、今回はボンゴやらコンガやら動物の鳴き声やらが満載の熱帯ウッキッキー!特集と参りましょう。聴いて踊れば、ますます暑苦しくなることウケアイです。

トップバッターはコンガス(Kongas)。1970年代に活躍したフランスの男性ディスコグループで、セローンドン・レイ(Raymond Donnez)など、ディスコ界そのものに大きな影響を与えた人物が在籍していました。

彼らの代表曲「ジャングル」(74年)は、コンガやボンゴ、ドラムといった打楽器が奏でるジャングルビートが特徴なのは当然ですが、効果音が面白い。「アッキャッキャー!」、「ギャオギャーオ!」、「コロケロコロケロ!」などなど、熱帯の鳥や猛獣やおサルさんやカエルさん、そしてコオロギさんなんかの声がふんだんに盛り込まれています。まさにアフリカの“密林ダンス”の面目躍如たるところですね。

彼らには、イントロでアフリカ部族の歌と踊り、それに不気味な笑い声が入ってきて、あとは変則的なドラム進行で展開する「アフリカニズム/ギミー・サム・ラビング」(78年、米ディスコチャート3位)、「アニカナ・オー(Anicana-O)」(同年、同37位)といったジャングルディスコもあります。

続いては、これまた変わった名前のキクロコス(Kikrokos)。実はKongasの一部メンバーが作ったグループで、78年に「ジャングルDJ」というディスコヒットを飛ばしました(米ディスコ23位)。上写真が、その曲が入ったアルバム「Jungle D. J. & Dirty Kate」。全体の曲調自体からは濃厚なジャングル性を感じませんが、ジャケットからは一目瞭然、やっぱり「ジャングル」がもろコンセプトであることが分かります。

ジャングル系ディスコには、アフロビートはもちろんのこと、同じ熱帯・亜熱帯の地域に根差したラテン音楽の要素も入っていることも多い。前述の「アニカナ・オー」のように、コンガやボンゴの音に混じって、ときおりサンバホイッスルが聞こえてくるような曲も少なくありません。

ほかにもジャングル系ディスコは大量にありまして、ドラムが圧巻のジャクソン・ファイブの「ハム・アロング・アンド・ダンス」(70年)とか、 アフリカの大地に紛れ込んだかのようなジョニー・ウェイクリン(Johnny Wakelin)の「イン・ザイール」、バラバスワイルド・サファリ」(72年)、クール・アンド・ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」(73年、米R&Bチャート2位、米一般チャート4位)、ベイビー・オーの「イン・ザ・フォレスト」(80年、ディスコ2位)、前衛的ディスコを数多くリリースしたZEレーベルのクリスティーナ「ジャングル・ラブ」(80年)などが挙げられます。

私が好きな曲としては、エブリデイ・ピープルの「アイ・ライク・ホワット・アイ・ライク」(71年)、コンティネント・ナンバー6の「アフロメリカ」(78年)、キャンディドの「ジンゴ」(79年、ディスコ21位)なんかにも、ジャングルな感じが色濃く浮き出ています。

さらに、アメリカでディスコブームが終わった80年代前半以降も、ジャングルディスコは不滅でした。パトリック・カウリーの異色作「プリミティブ・ワールド」(82年)や、曲自体はボンゴ満載のジャングルリズムとまではいかないものの、「あそこにジャングルがあるぞ、気を付けろ!」とのフレーズで始まるウォー「ザ・ジャングル」(82年)、プリンスがプロデュースしたザ・タイムの「ジャングル・ラブ」(84年、ディスコ9位)、あの色物王ディバインの「ジャングル・ジェジベル」(82年)、バルティモラのおとぼけチューン「ターザン・ボーイ」(85年、ディスコ6位)をはじめ、数々の“ジャングルなディスコ”が存在します。太古の原始リズム&イメージとディスコって、ことほど左様に非常に相性がよいことが、あらためて実感されるわけであります。

ただし、以上に挙げた曲の多くは、クール・アンド・ザ・ギャングみたいにメジャーな人たちを除いてCD化されておりません。レコードではけっこう手に入りますので、探して一人、クーラーの効いた部屋でミスマッチにジャングルな気分に浸るのもよろしいかと存じます。

アート・オブ・ノイズ (The Art Of Noise)

Art Of Noiseいやあ、お盆です。頭がおかしくなるほどの猛暑が続く中、今回は意表を突いた“変てこディスコ”の真骨頂、アート・オブ・ノイズに注目してみましょう。

犬の鳴き声みたいな音、車を始動させるときのような音、トンカチみたいな音、笑い声、叫び声、うなり声……。「雑音の芸術」の直訳がまさにぴったりな音は、斬新で目新しいものとして世界の大衆に広く受け入れられました。

メンバーは英国の男女3人で、1984年にデビューアルバム「(Who's Afraid Of?) The Art Of Noise!」(邦題:「誰がアート・オブ・ノイズを……」)を発表し、それが大ヒットしました。プロデュースを担当したのは、以前、「バグルズ」や「フランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド」の投稿の際にも紹介した奇才トレヴァー・ホーン。トレヴァーらが前年に設立したレーベルZTTから、「Beat Box」(84年、米ディスコチャート1位)、「Close (To The Edit)」(同年、同4位)といったダンスヒットを繰り出しました。

当時は、「第1黄金期」ともいうべきシンセサイザー全盛の時代でした。中でもアートオブノイズは「フェアライトCMI」というめちゃめちゃ高価な(1台1000万円以上)電子楽器を使用し、お馴染みのオーケストラ風「オーケストラ・ヒット」のほか、唐突な「ヘイ!」の掛け声とかエンジン音みたいな変な音をがんがんサンプリングして曲を制作したのです。まあ、あのころはそんな音が、とてもポストモダン的かつ前衛的で面白く聞こえたものでした。

アートオブノイズは「誰がアートオブノイズ」の一作を発表した後、ZTTからは離れてしまいましたが、86年には、新しい所属レーベル(China Records)から2作目「In Visible Silence」をリリース。この中からは、日本ではやたらと有名なんですが、マジシャン「ミスターマリック」の登場曲として使われていた「Legs」(同27位)とか、アメリカで1960年ごろに流行った探偵モノのTVドラマ「ピーター・ガン」のテーマ曲のリメイク(同2位)などがヒットしました。けれども、その後は飽きられてしまったのか、だんだんと表舞台からは去っていきました。

多くはシンセサイザーやドラムボックス特有の鋭角的なダンスビートを基調としていますので、ディスコでもアート・オブ・ノイズをけっこう耳にしました。当時は、デュラン・デュラン、ABC、ヤズー、ニューオーダーなどなど、枚挙にいとまがないほど英国産のエレクトロポップ系ディスコが溢れかえっていましたが、その中でもキッチュ(表現古い)な音作りという点で、異彩を放つアーチストだったとはいえましょう。

その昔、私はわりと好きだったのですけど、今あらためて聴くとなんだか少々古臭くて“がらくた”な感じも致します(笑)。もしかしたら、時代と添い寝してそのまま眠ってしまうタイプの作品だったのかも……。この辺りは賛否が分かれるところでしょう。

でもまあ、とにかく実験的だったことは確かですし、90年代以降、次世代のアーチストたちにさらにサンプリング(サンプリングのサンプリング!)もされているようですので、あの時代にあの音を開発した意義は十分にあったのだろうと思います。

CDはベスト盤を中心にまずまず出ております。上写真は、デビュー作「誰が……」収録の全曲に加え、シングルの別バージョンなどがいくつか入ったZTT時代のベスト盤「Daft」(といってもアルバム1枚しか出していないが)。たった今も通して聴いていますが、8曲目ぐらいからやはり頭がおかしくなってきました。暑さのせいかもしれないにせよ。

ブレインストーム (Brainstorm)

Brainstorm_Stormin'今回は久々にノリノリ絶好調な「王道ディスコ」と参りましょう。左写真を見てお分かりのとおり、脳天串刺し稲妻パワー全開の「ブレインストーム」(ブレインストーミングではない)であります。

米デトロイトで1976年に結成した9人組ディスコ・ファンクグループ。後に売れっ子となるプロデュースチームのジャム・アンド・ルイスやSOSバンド、アレクサンダー・オニールたちを輩出した米Tabuレーベルが、創業と同時に最初に世に送り出したアーチストです。

代表曲は、なんといってもデビューアルバム「Stormin'」からの2枚目のシングルカット「Lovin' Is Really My Game」(77年、米ディスコチャート14位、R&Bチャート14位)。これまたホント冗談抜きに「これを踊らずに死ねるかぁ!」と、人目をはばからず雄たけびを上げたくなるような盛り上がりぶりで、全米のディスコで大人気となりました。

15年前にアメリカで公開された、ニューヨーク随一の放蕩ディスコ「54(フィフティーフォー)」の回顧映画「54」でも、アホアホなフロアを彩る嵐(Storm)のイケイケチューンとして使用されております。昨年5月に63歳の若さで亡くなったべリタ・ウッズ(Belita Woods)の歌声はなかなかに迫力があり、ヘッドホンで聴くと文字通り脳天を突き抜ける浮揚感覚を味わえます。

脇を固める華麗なギターやストリングスのほか、ベース、ドラムのリズム隊もしっかりと存在感を発揮しており、70年代生演奏ディスコの神髄を見るかのようですね。実際、驚くほどキャッチーな名曲として、ベティ・ライトシルベスターもリメイク(その1その2)しています。

ただ、その常軌を逸したハイテンションゆえに、事実上この1曲で終わってしまったのが辛いところ(つまり一発屋のトホホ)。「Stormin'」以降、78年に「Journey To The Light」、79年に「Funky Entertainment」と、「ディスコブームに乗っとけ乗っとけ!」とばかりに立て続けにアルバムをリリースしますが、セールス的にデビュー作ほどの勢いはありませんでした。その後はメンバーが1人抜け、2人抜けして壊滅状態……う〜ん、ディスコ堂的にはよくあるお話ですが、残念であります。

それでも、中身はきちんと折り目正しいミュージシャンだったのは疑いをいれません。各アルバムをじっくりと聴いてみると、デビュー作では最初にシングルカットされた「Wake Up And Be Somebody」という「Lovin’ Is Really…」同様の“四つ打ち”アップリフティングなディスコ曲が入っております。2枚目収録の「We’re On Our Way Home」は、イントロの「ぐるぐるうにゃうにゃベース」が渋みを効かせる秀逸なミディアムダンスチューンに仕上がっていますし、3枚目の「Hot For You」も、グルーブ感あふれる典型的なディスコファンクの佳作になっております。

しかも、デビュー作収録の隠れた名曲「There Must Be Heaven」に見られるように、美メロバラードも律儀にこなすところがプラス評価です。メンバーのうち、べリタ・ウッズはジョージ・クリントン軍団のP-Funk All Starsに、ベース担当のJeryl BrightはCameoにそれぞれ移ってしばらく活躍を続けています。実力があっただけに、一発屋の扱いにしておくのはちょっともったいないようなグループだったといえるでしょう。

CDについては、一応アルバム3枚とも再発で出ています。とりわけデビュー作は長らくCD化されていなかったのですが、本家Tabuが最近になって再発盤をリリースしました(写真上)。古い音源ということもあって音質は今一つな感もありますが、「Lovin' Is Really…」のレアな12インチバージョンがボーナストラックとして収録されていますので、今のうちに触手を伸ばすのもよいかもしれません。

チェンジ (Change)

Change1980年代に登場した「チェンジ」は、茶化すことなどとてもできない正統派R&Bディスコグループ。押しも押されぬ「うた職人」ルーサー・ヴァンドロスの小粋でメロウなボーカルには、誰もがうっとりすることうけあいです。

1970年代後半にディスコヒットを数多く飛ばしたイタリア人の「ディスコ仕掛け人」であるジャックス・フレッド・ぺトラス(Jacques Fred Petrus)が結成させた、イタリア系グループです。自らプロデューサーとなり、相棒のイタリア人作曲家マウロ・マラバシ(Mauro Malavasi)とともに1980年にデビューアルバム「The Glow Of Love」(左写真)を制作。ソロとして売り出す前のルーサーさんがいずれもリードボーカルの表題曲シングルと「踊りにくくて繋ぎにくい」シャッフルビートの「Searching」、それにコーラス中心の「A Lover's Holiday」は、全米ビルボードディスコチャートで1位に輝きました。

大成功したこのデビューアルバムには、私の一番のお気に入りのAngel In My Pocketという小気味よいアップテンポ・ディスコも入っています。ここではなんと「ディスコディーバ」ジョセリン・ブラウンさんがリードボーカル。いつもながら伸びのあるボーカルはもちろんのこと、イントロからの「ビロン!」と跳ね上げるベースライン、それにタイミングよく入ってくる格調高きストリングスが、忘れかけていた踊り心を否応なしにくすぐります。

翌81年には2作目「Miracles」を発表。この年、ルーサーさんはソロになって「ネバー・トゥー・マッチ」をメロメロメロウに大ヒットさせましたので、今回はバックボーカル程度。けれども、日本でもサーファーディスコとして大ヒットした「Paradise」と「Hold Tight」(ともに米ディスコ1位)は、前作のR&Bディスコの雰囲気を踏襲した佳作となっております。

このアルバム2作とも、なんだか往年のシックみたいな曲調ばかりではありますが、世界中で定着してきたシンセサイザーを本格的に導入して、もう少し音に厚みを持たせているのが特徴といえましょう。

翌82年に発表した3作目「Sharing Your Love」では、元ファットバック・バンドのボーカルで、後に「C+C Music Factory」で「ディーパー、ディーパー♪♪(ヒット作Deeper Loveより)」と雄たけびを上げるデボラ・クーパー(Deborah Cooper)らをリードボーカルに据え、「The Very Best In You」(米R&Bチャート16位、ディスコ30位)、「Hard Times」、「Oh What A Night」といったダンスチューンを小ヒットさせました。さすがに息切れしてきたようで、曲がどれも似通ってきたのは仕方ないところですね。

それでも、84年にはこれまたディスコの重要人物コンビであるジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)をプロデューサーに起用。SOSバンドに代表される2人の特徴がモロに浮き出ている「Change Of Heart」は、R&Bチャートで7位まで上昇するヒットとなりました。

そして1985年、「Turn On Your Radio」を発表したのを最後に、グループは解散。翌86年には仕掛け人のジャックス・フレッドが謎の多い殺人事件で死亡(享年39)。チェンジは完全に過去の人たちになってしまったのでした。

このグループは、ジャックス・フレッドが中心だったため基本的にイタリア系といえますが、制作の多くは米国内で行われ、主に米市場で成功しています。「Walking On A Music」みたいなおバカでラテンで陽気なサウンドを源流とするイタロディスコと、シックでアーバンでニューヨーカーなR&Bサウンドが、とてもうまく融合した一例だったとはいえるでしょう。例えば、デビュー作には、「The End」というインストの不思議なシンセサイザーディスコ曲が含まれています。めちゃめちゃ浮いていて違和感があるのですけど、彼らの結成の経緯や背景を考えれば、うなずけるものがあるのです。

CDはまずまず再発されています。特に最近、発売された「The Glow Of Love / Miracles (Special Edition)」(英Harmless盤、右下写真)は、ルーサー・ヴァンドロスがいたころの全盛期のアルバム2枚全曲と12インチバージョン数曲が収録されていてお得感があると思います。

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D トレイン (D-Train)

D Trainおちゃめな「Dワールド」へようこそ!――というわけで、今回は1980年代初頭に天下御免の「ぶいぶいシンセ・ファンク」ぶりを発揮していたディスコ野郎Dトレインさんを取り上げてみましょう。

D-Trainは実際には2人組のディスコプロジェクトです。リードボーカルを務める中心人物「Dトレイン」ことJames "D-Train" Williamsと、もう一人、彼の高校時代からの友人でプロデュースや楽器演奏を担当したHubert Eaves III(ヒューバート・イーブズ3世)で構成していました。このイーブズさんは70年代、83年に「ジューシー・フルーツ」を大ヒットさせたエムトゥーメイ(Mtume)に所属したこともあります。

彼らはスタートダッシュがよかった。デビューアルバム「You're The One For Me」に入っている同名シングル曲が、いきなり米ディスコチャートで1位になる大ヒットを記録(1981年、米R&Bチャート4位)になりました。この曲のアルバムバージョン(フランソワ・ケボーキアン・ミックス)は、出だしがアカペラっぽく「With the love I have inside of me……」てな感じでゆったりと入り、やおら「デンデコデン!♪」と展開する「じらし&期待感」で切り込むタイプ。この手法は、後のヒット「Music」でも見られます。

ちなみに、この曲は同時期にポール・ハードキャッスルぶいぶいにリメイクしています。「19(ナインティーン)」の大ヒットで知られるシンセサイザーの名手だけに、こちらもなかなか聞きごたえがありますですよ(ボーカルはD Trainの方がずっといいけど)。

さらに、「Keep On」(82年、ディスコ2位、R&B13位)、ディオンヌ・ワーウィックアイザック・ヘイズのヒット曲のディスコリメイク「Walk On By」(同、ディスコ45位、R&B42位)、ダブ・バージョンがカルト的な人気だった「''D'' Train Theme」など、シンセベースがうなりを上げるぶりぶりディスコを立て続けにフロアに送り出しました。

1983年には2作目となる「Music」を発表。この中からは前述の同名シングル曲(ディスコ12位、R&B20位)、「Keep Giving Me Love」(ディスコ24位、R&B55位)のほか、名画「いそしぎ」のテーマ曲「The Shadow Of Your Smile」のユニークなディスコリメイクがヒットしました。

翌84年には「Something's On Your Mind」を発表。この中からは同名曲がシングルとして発売されました。メロディーを重視したスローテンポ曲ということもあり、ディスコではさほど売れませんでしたが、R&Bチャートでは5位に入りグループとして最高のヒットになりました。

岐路を迎えつつあるディスコ界に新風を吹き込み、破竹の勢いが持続するかと思われたのですが、これを最後にグループは解散。D Trainがソロで活動をつづけました。ソロ名義では、Somethign On Your Mindのミデアムスロー路線を踏襲した「Misunderstanding」(86年、R&B10位)という曲がまずまずのヒットとなりました。

いやあ、こうしてみると多彩な芸歴を誇っているアーチストのような気がしてきます。けれども、なんだか初期のヒットはみんな似たような感じなのが残念。私も当時のディスコでは頻繁に耳にしたのですが、「なにがどれでなんて曲だっけ」という感じでした。まあ、それだけ短期間で何曲もヒットを出したという証でもあるわけですが。

Dトレインのデビューからの3枚のアルバムは、すべてお馴染み米プレリュード・レコードからのリリース。現在はディスコものの再発で知られるカナダのUnidiscが盤権を持っていますので、CDはひととおり揃っています。「うひひっ!」と笑顔はじけるおちゃめなDトレインさんが写っている上写真のCDは、「ザ・ベスト・オブ・Dトレイン」。主なヒット曲がロングバージョンで収録されておりますので、「最初の1枚」としては最適かと存じます。

バリー・ホワイト (Barry White)

Barry White聞けば一発でわかるモヤモヤ低音ボイス。アップリフティングな高音ボーカルが重視されがちなディスコでは、かなり異色だった伝説のヒットメーカー。久方ぶりの投稿となる今回は、「どこまでもメロウで小いやらしい」初期ディスコ界の巨漢の大御所バリー・ホワイトさんを取り上げてみましょう。

バリーさんは1944年米テキサス州生まれ。すぐに親とともにロサンゼルスに移り住みましたが、そこは貧困層が多く住む地区で、犯罪の温床にもなっていました。彼自身、不良グループに入り、窃盗の罪で服役したこともあります。けれども、当時流行していたプレスリーなどのロック音楽に目覚め、独学でピアノを練習して更生の道を歩み出します。60年ごろには地元のボーカルグループにも参加して、活動を本格化させました。

その後、60年代半ばになって、レコードレーベル「デルファイ(Del-fi)」のオーナーであるボブ・キーン(Bob Keane)に見出され、まずはA&R(アーチスト発掘担当)社員として働き始めました。そこで後にディスコヒットを飛ばすヴィオラ・ウィルス(Viola Wills)などへの楽曲提供、アレンジ、バックミュージシャンを手掛け、裏方としてのマルチな才能に磨きをかけたのでした。

ちなみに、ボブ・キーンはもともとクラリネット奏者で、30-40年代に流行したジャズのビッグバンドに強い影響を受けた人物。演奏者としては活躍できませんでしたが、80年代のヒット映画「ラ・バンバ」で描かれた50年代の人気ロック歌手リッチー・バレンスを見出し、育てたことでも知られます。

そして69年、バリーさんはシュープリームスを模した女性3人組のボーカルグループ「ラブ・アンリミテッド(Love Unlimited)」を発掘し、自らプロデュース。70年代には、彼女たちに加えて演奏者40人からなるオーケストラとして発展的に再編成し、「ラブ・アンリミテッド・オーケストラ」として売り出したところ、73年のデビュー曲「Love's Theme(愛のテーマ)」が大ヒット(全米一般チャート1位)したわけであります。

この曲は、70年代ディスコのルーツとも言われているインストゥルメンタルの逸品。軽くステップを踏みつつ、その旋律に身を委ねれば、「さわやかストリングス」がそよ風のように全身を駆け抜けます。いまだって、朝のテレビやラジオやCMや喫茶店や郊外型ショッピングセンターで、誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。Love Unlimet Orchestraは、この後も70年代を通して、「オーケストラディスコ」の代表格としてヒットを重ねることとなります。

メンバーの中には、後に名を上げるレイ・パーカーJrやリー・リトナー、アーニー・ワッツといった面々も入っていました。当時の流行音楽シーンでは、ビッグバンドの「グレン・ミラー楽団」のような大編成バンドはほとんど消え去っていたのですが、敢えて人件費無視の「40人編成」という大ばくちを打ったことで、逆に大衆には新味のある音として受け入れられたといえるでしょう。

一方、バリーさん自身もソロ名義で同時期、「I'm Gonna Love You Just A Little More Baby」(73年、米R&B1位、一般3位)、「Can't Get Enough Of Your Love, Babe」(74年、R&B、一般ともに1位)、「You're The First, The Last, My Everything」(同年、R&B1位、ディスコ2位)といった大ヒットを次々と飛ばしました。もちろん、バックバンドとして、彼の率いる「Love Unlimited Orchestra」がその巨大な背中をしっかり支えていました。

いずれの曲も、「もわ〜〜〜」としたバリーさんのバリトン&ベース・ボイス、つまり以前に紹介したアイザック・ヘイズをもう一段低く、しかもそのキワどい歌詞と同様に「小いやらしい」感じにした声が横溢し、むせ返るほどです。とはいえ、基本のリズム進行は8ビートもしくは16ビートの「ズンチャカディスコ」ですので(バラードもあるけど)、フロアでは踊りながら「もわ〜〜〜」と高揚してくることウケアイであります。

底抜けにゴージャスなオーケストラの演奏に絡む「は〜とふる」な歌声、ため息、熱い吐息。クラシカルな欧州発白人音楽と、ゴスペルを源流とする黒人ソウル音楽との絶妙な組み合わせが、長引くベトナム戦争に憔悴し、愛に飢えていた米国民の胸を焦がしたのでした。

ディスコブームが一段落した80年代に入ると、ヒット曲が急に出なくなって勢いが止まったかのように見えたバリーさん。ところが、90年代には「あの(エロ)声よもう一度」というわけで、クインシー・ジョーンズ、アイザック・ヘイズ、ティナ・ターナーといった大物とコラボレーションして、「The Secret Garden」(90年、R&B1位)や「Practice What You Preach」(94年、同1位)などの大ヒット曲を飛ばすようになりました。その復活力や恐るべし、であります。

そんなバリーさんも、長年の肥満に起因する高血圧や内臓疾患がもとで2003年、58歳の若さで死去します。もうあの声を生で聴けないと思うと残念ですが、CDはベスト盤を含めて豊富に出ております。写真は、私が最も好きな軽やかアップテンポディスコLet The Music Playが収録された76年のソロアルバム「Let The Music Play」。アマゾンなどで千数百円で入手可能なようですので、あの声に一度メロメ〜ロにハマってみてくだされば幸いです。

大震災から2年

東日本大震災から2年が経ちました。2月下旬から3月初めにかけて、4回目の現地取材に行って参りましたので、自分で撮った写真をいくつか紹介しておきます(クリックで拡大)。記事は来週、再来週の2回にわたって、ネットメディアの「nippon.com(ニッポンドットコム)」に掲載されます。今後も定点観測を続けたいと考えています。次回からは再び通常の音楽ブログに戻ります。


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津波でひしゃげた線路は撤去された。周囲には新築の家も=JR仙石線東名駅



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ここも津波に流されたが、一部の松は生き残った=宮城県東松島市野蒜地区




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誰もいなくなった松原の住宅跡に、持ち主不明の黒電話が置かれていた=同市野蒜地区



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震災直後には流された家や車が沈んでいた運河。橋は補修されていない=同市野蒜地区



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地元住民によると、付近の店の商品は震災5日後には全部なくなっていた=JR仙石線野蒜駅




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全校児童の7割が犠牲になった大川小学校。傍らでは整地工事が進む=石巻市釜谷地区



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瓦礫は取り除かれ、この防災対策庁舎跡の周囲は更地になった=南三陸町志津川地区



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港から1キロほど内陸へ進むと、プレハブの仮設商店街に辿りついた=同町志津川地区



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巨大な船は、流されたままの形で更地の中にぽつんと残されている=気仙沼市



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かつての中心市街地。津波は、病院のあるこの土手の上に達した=女川町



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土地のかさ上げを含む港の復旧工事は、最近になって本格化したばかりだ=同町



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倒壊した鉄筋のビルは、突き刺さった車とともに放置されている=同町



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朝日を臨む丘に建つ慰霊碑。この町の死者・行方不明者数は約900人を数える=同町



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道の駅「高田松原」付近。観光ホテルの取り壊し作業が続く=岩手県陸前高田市



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白砂青松の海浜は跡形もなく消えた。遠くの一本松が天災の惨さを物語る=同市

デニース・ウィリアムス (Deniece Williams)

Denice Williams, When Love Comes Calling昨日、部屋で朝方まで本を読みふけっていたら、近くの公園の樹木から「キョッ、キョッ!」と、ウグイスかホトトギスの地鳴きのような澄んだ鳥の声が聞こえてきました。寒空の中、春の兆しもちほら。今回はソウルディスコ界きっての「シンギングバード」、デニース・ウィリアムスと参りましょう。

ディスコ的には1979年のはっちゃけチューン「I've Got The Next Dance」(米ディスコチャート1位、R&B26 位、一般ポップチャート73位)と、84年のお馴染み「Let's Hear It For The Boy」(米ディスコ、R&B、一般ポップともに1位!)ということになりますが、バラードでもミディアムスローでもなんでもこなす、ソウル界屈指の美声の持ち主です。

耳に心地よく響くユニークな声質は、かつて紹介した“黒猫系ボイス”のチャカ・カーンとかアーサ・キットの逆をゆくかのごとく、「おとなしめの三毛猫」をも彷彿とさせます。4オクターブもの音域を生かした「さえずり唱法」が身の上でして、まさに、ミニー・リパートンと並ぶ「ソウルソプラノの女王」といえましょう。パティ・ラベルのような特大声量パワーで攻めるタイプとは、対極に位置する歌姫ですね。

1951年、米インディアナ州生まれ。バルティモアにある大学に通っていたころまでは、看護婦を目指す普通の女性だったのですが、地方のクラブで歌手のアルバイトをやっているうちに音楽関係者に「あまりに歌がお上手!」と発掘され、プロの道を歩み始めたのでした。

70年代前半まではマイナーなグループでボーカルを務めたり、スティービーワンダーのバックコーラスを担当したりと、地味な活動が目立ちました。しかし、76年のデビューアルバム「This Is Niecy」からシングルカットされたモータウンっぽいミディアムスロー「Free」が米R&Bチャート2位、ポップ(一般)チャートで25位まで上昇するヒットとなり、一躍注目の的になりました。

その後はしばらく安定した人気を保ち続けます。78年には、ストリングスを重視したイージーリスニング系ディスコ「Gone Gone Gone」(79年)などでも知られる往年のソウルボーカリスト、ジョニー・マティス(Johnny Mathis)とのデュエットによるミディアムスロー「Too Much, Too Little, Too Late」がポップチャートとR&Bチャートで1位になる大ヒットとなります。ディスコブーム期には、前述の「I've Got…」ではじけまくって大活躍。しっとり気分で丁寧に歌い込んだかと思うと、いきなりアップテンポで飛んだり跳ねたりと忙しい日々でした。

80年代に入ってからはさらにパワーアップ! まず、82年に再び甘美なボーカル魔術を駆使したバラード「It's Gonna Take A Miracle」(R&B、ポップ1位)がヒットした後、映画「フットルース」のサントラに使われた前述「Let's Hear It…」が彼女にとっての最大のヒットとなり、完全に油がのったサンマ状態で歌いまくることになったわけです。
 
まあ、セールス的にはこの辺がピークでした。個人的には、「指ぱっちん」とともに厳かに始まる緊迫のミディアムテンポ「So Deep In Love」(82年、これもジョニーさんとのデュエット)とか、朝もやに包まれたヨーロッパの田園風景のようなメロウなイントロから突然、「ダンサブル上等!」な展開になる「Next Love」(84年)、「打ち込みシンセドラム」を駆使したいかにも80年代なディスコ曲「Never Say Never」(86年)といったお気に入りがあるのですが、80年代も後半になると、どうしてもひところの勢いがそがれた感じになっております。

90年代に入ると、自身のルーツである黒人ゴスペルミュージックに傾倒。スピリチュアルな世界観を表現するようになり、逆にポピュラー音楽の表舞台からは去っていきました。このあたりは、ドナ・サマーグロリア・ゲイナーを始めとする、かつてディスコで鳴らした歌手たちの一つのパターンでもあります。

嬉しいことに、彼女の全盛期のアルバムが近年、続々とCD化されております。例えば、「I've Got…」が収録された「When Loves Come Calling」(上写真)。レイ・パーカーJrEW&Fのモーリス・ホワイト、デビッド・フォスター、TOTOのスティーブ・ルカサーなどが参加した豪華盤で、英国の再発レーベルであるBig Break Records(BBR)が3年前に発売したものです。「I've Got」と、別のミデアム系ディスコ曲「I Found Love」の12インチバージョンが入っていて楽しめます。

フランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド (Frankie Goes To The Hollywood))

Frankie Goest Toいやあ、早いもので前回投稿から1ヵ月以上が過ぎました。実際まったりと終わった(笑)久々のディスコイベントも無事乗り越え、新年一発目の投稿は……またまた長〜い名前のフランキー・ゴーズ・トゥ・ザ・ハリウッド(FGTH)であります!

もともとは英国で1970年代に隆盛を極めたパンク音楽に影響を受けた英リバプールの若者が、80年に結成したニューウェーブバンド。さしたる特徴のない凡百のアーチストだったのですけど、83年に発表した「リラックス(Relax)」(左写真、米一般チャート10位)がいきなり大ヒットし、一躍スターダムにのし上がったわけです。

リラックスを始めとする彼らの曲そのものは、当時ぽんぽんと出てきたシンセサイザーの打ち込み編集による「テケテケポコポコ」ダンスミュージック。売れた大きな理由は、とにかく「マーケティングの力」といえました。

発掘したのは、この手の英シンセポップのスタンダード曲「ラジオスターの悲劇」(79年)のヒットで知られるバグルズのメンバーで、売れっ子プロデューサーでもあったトレヴァー・ホーンです。そのトレヴァーらが83年にZTTレーベルを創設した際、目玉アーチストとしてFGTHを起用し、見事に大穴を当てたのです。とりわけ本国英国での人気は絶大でした。

まず、リラックスという曲自体、ゲイの“禁断の愛”を歌った挑発的な内容。英国の代表メディアであるBBCは、リリース直後は「へ〜、新しくて面白い曲じゃん」と平気でラジオ番組でかけていたのに、後で歌詞の意味に気づいて「わいせつに過ぎる!」と即刻放送禁止。プロモーション・ビデオも、ダンスクラブを舞台に際どいシーンが続出の素晴らしい“表現の自由”が展開されていたのですが……やっぱりBBCやMTVで放送禁止となりました。

それでも、洋の東西を問わず、際モノ狙いはときに成功するもの(はずすとイタいが)。「FGTHオリジナルTシャツ」などのノベルティ・グッズも売れ行き好調で、リラックスは英国内でチャート1位を続け、かのビートルズにも匹敵するほどの特大ヒットになっていったのです。BBCなどの放送禁止措置についても、あまりに人気が出たために間もなく解禁になりました(これも節操がないが)。

続く「トゥー・トライブズ(Two Tribes)」(84年、米ディスコ3位)も、打ち込みポコポコ路線を踏襲したダンスチューン。トレヴァー特有のオーケストラヒット(オーケストラ風のサンプリング音)を連打する大仰なメロディーと重厚ビートが、クドいほどに耳を突き刺します。歌詞の方も、米ソの「東西冷戦」をテーマとしており、だから曲名も「2つの部族(Tribe)」となっているわけです。

ただし、前作ほどのインパクトはなく、この辺りからセールスは急降下(早い)。けっこう泣かせるバラードの「The Power Of Love」、ちょっとしっぽりした感じの「Welcome To The Pleasure Dome」、これまたオーケストラな雰囲気のミディアムテンポのダンスナンバー「Rage Hard」といった佳作は出しましたが、特にアメリカでのセールスはふるいませんでした。

日本のディスコでも、リラックス、トゥー・トライブズともに、フロアの定番曲でした。私も、リラックスのあの長〜いイントロの12インチバージョンがかかっていたのをよく覚えています。もうこうなったら、歌詞の内容も何も関係なく、狂喜乱舞するほかありません。

際モノは物議を醸す、だから売れることもある――。常に刺激を欲しがる浮世にあっては、これはもうセオリーですけど、とかく当局筋(お上)との関係は問題になります。今なら大したことがないような歌詞であっても、30年前の当時は、ゲイとかセックスとかはまだまだご法度だったということです。

歌や踊り、つまり歌舞音曲は、昔から時の権力の取り締まりや保守的な人々からの白眼視の対象になってきました。私の好きな「700年前の元祖DJ」一遍上人(ご参考1ご参考2)も、民衆を引き連れて、「踊念仏」で鐘を鳴らしながら踊りまくり、魂の救済(衆生済度)を図ったわけですが、“首都”鎌倉に入ろうとしたら「まかりならぬ」と警備兵に止められ、やむなく手前の村の広場で踊り狂った、との記録が残っています。盆踊りのもとになった室町時代の風流踊り、江戸時代の歌舞伎なんかも、取り締まりの対象になりました。

人間はやっぱり自由でいたいし、心の解放を求めます。時にはハメをはずして歌いたいし踊りたい。好きな音楽を思う存分、楽しみたいんですね。

今の日本でも、未明に客に踊らせないようにする「ダンス規制」なんていうアホらしい決まり事が論議を呼んでいます。現在のクラブでは、昔のディスコ以上にドラッグや暴力が目立っている風潮が背景にあるのかもしれませんが、あまりに行き過ぎて過激化、暴動化しない限り、「ええじゃないか!」と自由に踊らせるべきでしょう。「きょうは無礼講じゃ!」と酒を飲んで踊りまくり、おバカさんになって憂さを晴らした先祖伝来の村祭りと同じ祝祭空間であることを考えれば、まったく野暮なことです(トホホ)。

確かに、今振り返っても、手足をくねらせて踊り狂うのは恥ずかしい。バブルに踊らされるのも恥ずかしい。でも、あ〜あ、それでも人は、踊らずにはいられないのです。

――この人たちのCDは、ベストも個別アルバムも豊富に出ています。特に最近、日本で発売されたZTT編集盤「フランキー・セッド(Frankie Said)」(下写真)は、各種出ている12インチシングルのうちの貴重盤も含めて網羅的に収録されていて面白いと思います。

Frankie Said


CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


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