Yarbrough & Peoplesギャップ・バンドの「重厚うねうねグルーブ」とくれば、私などはヤーブロー&ピープルズを思い出します。それもそのはず、そもそもこのアーチストは、70年代後半、ギャップ・バンドのメンバーが、「たまたま見つけた」人たちなのであります。

ケビン・ヤーブロー(男)とアリサ・ピープル(女)は、郷里の米テキサス州ダラスの幼なじみ。同じピアノの先生から習うなどして仲良しでした。大学を出た後、アリサは就職しますが、ヤーブローはGrand Theftという地元の人気バンドに入り、音楽活動を本格化させました。このバンドの評判を聞いてライブを観に来たのが、売れ始める直前のギャップ・バンドの3兄弟だったというわけです。

3兄弟は、キーボードとボーカルを担当するケビンの才能に驚き、彼をまず自分たちのツアーにも参加させるようにしました。そんな折、Grand Theftのとあるライブで、アリサが冗談半分で友人としてステージに立ち、ケビンと一緒に歌ったところ、これが息もぴったりで大評判。間もなく、2人はデュオとしての活動をスタートさせることになります。

勢いづいたケビンは、アリサと作成したデモテープをギャップ・バンド3兄弟のうちのチャーリーに手渡しました。何ということでしょう、これまたチャーリーを驚かせる内容で、すぐさま自分たちが所属するレーベルであるTotal Experience Recordsのプロダクションチームに引き合わせました。彼らはついに、プロデビューするに至ったのです。

1980年発売のデビュー曲は、「ドント・ストップ・ザ・ミュージック」。ビルボードR&Bチャートで5週も連続して1位となり、まさしく彼らの代表曲と相成りました。しかもこのとき、直前まで1位だったのは、“兄貴分”ギャップ・バンドの「バーン・ラバー・オン・ミー」。偶然とはいえ、興味深い「トップ交代劇」であります。

この曲、日本でもディスコを中心に人気に火がつき、ホンダの「タクト」というスクーターのCMに使われたほどでした。BPM100程度のミディアムスローの曲であるため、私は当時、「かったるいなあ」と敬遠気味でしたが、その重低音シンセ&ドラムは、フロアの特大スピーカーで聞くと、ものすご〜く腹に響いてきたものです。年を食った今ではその“遅さ”はちょうどよく、我が家の“小音量小部屋ディスコ”でヘビーローテーションであります。

この曲の後も、ケビン&アリサはコンスタントにヒットを飛ばしました。「Heartbeats」(82年、R&B10位)、「Don't Waste Yout Time」(84年、同1位)、「Guilty」(85年、同2位)、「I Wouldn't Lie」(86年、同6位)と、ほぼ毎年、発表曲をチャートインさせました。

中でも、「I Wouldn't …」が流行ったのは、私が北海道から上京した直後のころでした。北海道では聴けない米軍ラジオ放送「FEN」(今のAFN)で耳にして一発で好きになり、すぐ12インチを買ったのを思い出します(しかし、買ったはいいが、ロングバージョンだと思ったのが「ライブバージョン」だったため、後で買い直すハメになりましたとさ)。

80年代を通して大活躍した男女デュオ、ヤーブロー&ピープルズ。この間、自然な流れで2人は結婚し、R&B界きっての人気夫婦デュオになりました。90年代以降はやっぱり人気が低迷してしまいましたが、数々の名曲を世に送り出したアーチストとして、その後も長く、ダンスフリークたちの記憶の中に生き続けることになります。

CDはいくつか出ているものの、写真の「ファンク・エッセンシャルズ」シリーズの米盤ベストが一番良いかと存じます。たいていのヒット曲は、ここに収められています。