2007年03月23日

カーティス・ブロウ (Kurtis Blow)

Kurtis Blowいまや一大音楽ジャンルとして確立したヒップホップの象徴であるラップの歴史は、この人から始まりました。世界初のメジャーなラッパーミュージシャンとして知られるカーティス・ブロウであります。

カーティスの本名はカート・ウォーカーといって、1959年に米ハーレムで生まれました。70年代には、このころ街のあちこちで目にするようになったブレイクダンスのダンサーもやっていました。

76年にはニューヨーク市立大学に入学。ここで学内ラジオ局のディレクターとなり、後のヒップホップ界を牽引するGrandmaster FlashやMele Melらと交流するようになってラップミュージックに目覚めました。同時期、ディスコのDJ“クールDJカート”としても活躍していました。

ニューヨークならではの音楽環境で志を抱いた彼は、ビルボード誌のコラムニストの知人ロッキー・フォードやヒップホップ好きの弟ジョーイの協力を得て、12インチシングル「クリスマス・ラッピン」(79年)をマーキュリーから発売。翌80年には、2枚目の12インチで代表曲となったThe Breaks(邦題:おしゃべりカーティス)を発売し、これがR&Bチャート4位、ディスコチャート9位に入る大ヒットとなりました。

おしゃべりカーティスは、「ブレイクス(Breaks)、オン、ア、バス、ブレークス(Brakes)、オン、ア、カー…♪」といった具合に、大した意味もなく、やたらと「ブレイクス」の韻を踏んでいるだけの曲。後のギャングスタのようなメッセイージ性はほぼ皆無ですけど、何だか楽しげな曲ではあります。

ほぼ同時期、シックのディスコヒット「グッドタイムス」をモチーフにしたラップ曲であるシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」(79年、シュガーヒル・レーベル)というのもヒットしました。こちらが最初のラップシングルという説がありますが、カーチスの場合、マーキュリーというメジャーどころからソロでデビューしたという点で、「ラップのパイオニア」などと呼ばれているわけです。

私がディスコで最初に聞いたのは、1983年発売の「パーティ・タイム」という曲。当時からラップがかかると俄然、ブレイクダンスな雰囲気になったものです。そういうときにだけ出てくる独特の格好のブレイクダンサーたちが、フロアでクルクル踊りだしたりしましてねえ。

珍しい音だったので一応、私も輸入盤屋で12インチを買ってはみましたが、何しろテンポがBPM100ぐらいと遅く、特別に好きにはなれませんでした。当時はディスコでのソウルやブラコンのウエイトがやや下がり、白人系のハイエナジーやニューウェーブが全盛でしたので、「オレ、ラップいやなんだよなあ…」と言っている友人も多かったものです。

80年代半ば以降、カーティスはプロデューサー業が中心になり、裏方に回っていきました。現在もオールドスクールのヒップホップ系ラジオの人気DJとして活躍中のようであります。

写真のベスト盤CDは、ポリグラム盤のファンク・エッセンシャルズ・シリーズからの1枚で、ヒット曲をほぼ網羅。「私はバスケットボールがだ〜い好き」と歌う脱力系の「バスケットボール」(84年)をはじめ、変な(ユニークな)感じの曲もいくつか収録されています。

YouTubeで2006年の“おやじカーティス”による「おしゃべりカーティス」を発見。微妙に息が上がっているようですね。出だしから少しツラそうではあります。


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mrkick (Mr. Kick)
本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。44歳。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター。踊る機会はめっきり少なくなったが、CD&レコードの収集は28年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
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