Van McCoyアメリカの3大ディスコゾーンといえば、東海岸のメガロポリス地区、西海岸のカリフォルニア州、それに前回紹介のKCを生んだフロリダ州マイアミ。この3カ所を結んだ三角形を「愛のディスコトライアングル」と呼びます。ほとんどアメリカ全土を包み込む壮大なスケールです。

そんな中でも東海岸では、ヴァン・マッコイこそが、初期ディスコを育んだ大御所の一人でした。40年ワシントンDC生まれ。50年代後半から既にプロとして活躍していました。どちらかというと、作曲家やプロデューサーとして実力を発揮するようになり、60年代からはGladys Knight & The Pipsとか、Don Hathawayなどの有名どころに曲を提供しております。

ディスコがまだ市民権を得ていなかった70年代前半、早くもダンスミュージックに傾倒し、自身のバンドであるSoul City Symphonyを結成。75年にはあのステップダンスの定番「ザ・ハッスル」が全米ポップチャートとR&Bチャートで1位となり、地位を不動のものにしたというわけです。

彼の曲の特徴としては、それまでのモータウンなどの黒人音楽を踏襲しつつも、黒人に拘らずにポップとかロックの要素をふんだんに取り入れて、より聞きやすい(大衆ウケする)曲調を作り上げたことにあります。

まあ、自分のヒット曲としてはハッスルが突出し過ぎてしまい、失速を余儀なくされますが、制作者としての活躍は続きます。メルバ・ムーア、元テンプスのデビッド・ラフィン、スタイリスティックスあたりが代表例ですね。

彼も早世の天才でして、79年に心臓発作で亡くなりました。享年39。文字通りアメリカでのディスコ誕生とともに頭角を表し、ディスコ終焉とともにこの世を去ったわけです。

彼のCDは意外に少なくて困ります。写真の日本盤ベストが網羅的で一応、おススメではあります。ジャケットも「ハバナの怪しい大道芸人」風で好印象です。

この人は、既にヒットした曲を自分流にアレンジするのが好きだったようです。例えば、オハイオ・プレイヤーズがヒットさせた「ファイア」、キャロル・ダグラスの「恋の診断書」、ディスコ・テックス&ザ・セックス・オーレッツの「ゲット・ダンシン」などもこのCDには入っております。