番外編―Moby Dick Recordsちょうど100回目の投稿です。今回は予定を変更して(予定などないが)、最近のちょっとしたエピソードについて、少し真面目に語りたいと思います。

私はときどき、海外のディスコサイトなどにレコードやCDの批評を英語で投稿して暇つぶしをするのですが、先日、そうしたサイトの閲覧者から突然、一通のメールが届きました。要旨は以下の通りです。

「あなたの批評(レビュー)を読んでメールしてみました。実は私は、80年代にディスコレーベルの幹部だった者です。よかったら少しお話をしませんか」

そのレーベルとは、Moby Dick(モビー・ディック)。以前にもこのブログで紹介したことがありますが、あの「君の瞳に恋してる」のボーイズ・タウン・ギャング(B.T.G.=写真=)や「ロケット・トゥ・ユア・ハート」のリサといった売れっ子ハイエナジー・ミュージシャンを生んだ米サンフランシスコのレーベルです。

もちろん、私は「本当かなあ?」と半信半疑でしたが、何度かメールをやり取りするうちに、情報が非常に具体的な点などから、本物の関係者だと確信するようになりました。こちらがプライバシーに関わることを教えると、先方も「当事者しか知りえないような事実」を伝えてきます。名前は伏せますが、先方の米国人男性は、私に信頼を寄せるようになっていました。

そしてある日、本人の近影写真や十字架の写真などとともに、こんなメールが届いたのです。

「あなたは知っているかも知れませんが、モビー・ディックは1981年、ディスコを愛するゲイ仲間で立ち上げたレコード会社でした。数々のヒット曲に恵まれ、米タイム誌のようなメジャー雑誌にも紹介された。でも、たった4年間しか続きませんでした。エイズが原因です。20人近くいた私たちの仲間のうち、私と別の何人かを残してすべて、エイズで亡くなってしまったのです。その中にはボーイズ・タウン・ギャングのトミー(Tom Morleyのこと)、それにパトリック・カウリーもいました」

さらに、メールは続きます。

「…エイズは、当時はまだ未知の病気で偏見も強く、私たちはとてもつらい時期を迎えました。モビー・ディックはその短い歴史を閉じるしかありませんでした。私たちはよく、毎週土曜日にディスコに行くことを(合言葉として)『教会に行こう!』などとはしゃいで言い合っていましたが、結末として、『2つ目の教会』がすぐ近くに待ちうけているとは、まったく予想もしていませんでした。あなたのレビューを読んでいて『モビー・ディックのファンがまだいる。しかも遠い日本に』と感激して、打ち明けようと思ったのです」

私はその「悔恨の告白」に仰天し、言葉を失いました。と同時に、考えさせられました。日本では、ディスコとゲイとエイズは直接、結びつけて考えられることはほとんどありえません。でも、米国では、この3つは事実として、密接に関わりあっていたのです。

それでも、私にとっては、ディスコは楽しい思い出でしかなく、今だって趣味なわけです。そのことを率直に伝えると、先方は「最高に良い思い出だったというのは、私にとっても同じです。ただ、なくした仲間の記憶をずっととどめておきたいのです」と言ってきました。私は、その誠実さに何だか胸を打たれました。

その後もメールを繰り返しやり取りして、互いに当時のディスコ事情やディスコ体験を教え合っていくうちに、――先方がゲイで私がストレートという「壁」のようなものはあるにせよ――、さらに打ち解けてきました。その男性は、当時のモビー・ディックのいろんな貴重な写真(上掲写真を含む)や音源を送ってくるようにもなりました。彼が十字架のように背負っているエイズ禍のことを思うと複雑ですが、今では私にとって貴重なメール友達になっています。お礼にこちらからも何か送ってあげようと思案中です。

それにしても、不思議なことがあるものです。極端な快楽主義、刹那主義を特徴とするディスコの持つ光と影、栄光と挫折について、改めて思いをはせています。