シャラマー70年代後半に出てきたシャラマーは、ジョディ・ワトリーとハワード・ヒューイットという、二大ボーカリストが看板。残りの一人ジェフリー・ダニエルは、ちょっと地味です。なんだかかつてのドリカムみたいに「男女3人グループ」の難しさも感じさせますが、やっぱりシャラマーは3人でなければ意味がありません。

ジョディとジェフリーは、1971年から現在まで続く米国の超長寿番組「ソウル・トレイン」でダンサーとして活躍していました。番組主宰者ドン・コーネリアスの肝いりで、ジョディとジェフリーを含むグループが「シャラマー」と名乗り、モータウンの60年代中心の名曲をディスコ風にアレンジしてつなぎ合わせた曲「アップタウン・フェスティバル」(77年)を発表しヒットさせました。

そんなわけで、デビュー当時はいわばスタジオグループだったのですが、「アップタウン」のヒットにより、ジョディ、ジェフリーに新たにハワードを加えた3人を新生の「シャラマー」として再編成しトリオが定着しました。

その後シャラマーは、コーネリアスらが同時期に立ち上げたレーベル「ソーラー」の主軸アーチストとなり、「セカンド・タイム・アラウンド」「ライト・イン・ザ・ソケット」「ナイト・トゥ・リメンバー」といったディスコヒットを連発。日本でもお馴染みのアーチストとなっていったわけです。

83年になって、ジョディとジェフリーが抜けてメンバーが変更。音楽の雰囲気も少し変わってきます。映画フットルースのサントラにも入っていた「ダンシング・イン・ザ・シーツ」(84年)のヒットを一応出しましたが、間もなく表舞台から消えていきました。

ソーラーレーベルには当時、ウイスパーズ、レイクサイド、ダイナスティといった著名アーチストも所属しており、ディスコでは名門の中に入ります。これらアーチストのソーラー発のアルバムを手がけたプロデューサーには、「ブギー・フィーバー」のディスコヒットを持つシルバーズの元メンバーであるレオン・シルバーズや、80年代後半に世界中でブラコン系ヒットを飛ばしたベビー・フェイスがいました。

ジョディとハワードは、80後半から90年代前半にかけて、ソロとしても成功したのは周知の通り。一方のジェフリーですが、ソロになったもののコケました。が、マイケル・ジャクソンの振り付けをやったり、バックダンサーをやったりして、それなりの地位を保ったようです。私も彼の踊りをビデオで見たことがありますが、スタイルが良い上に動きも抜群で、見事というほかありませんでした。

さらに、ジェフリーについて言えば、彼は実は日本に住んでいたことがあり、日本語がうまい。なんと90年代半ば、私の実家がある札幌の地元FM局でDJを務めていたこともあるんです。私も聴いたことがありますが、中継車かなんかに乗って「はい、ジェフリーです!いま平岸(札幌市内の地名)の人気ラーメン店の前にいま〜す」などと能天気にやっていたのを記憶しています。DJをやっていた期間は短く、すぐに英国に移り住んだようですけど。

シャラマーのヒット曲群については、あまり説明の必要はないと思いますが、私としてはやはり、しっとりとしたミディアムダンサーで、日本でも根強い人気がある「ナイト・トゥ…」を代表曲として挙げておきたい。ヒットはしなかったものの、84年ごろに出た「デッドラインUSA」という曲も好きです。アップテンポで快活でノリノリの曲であります。

シャラマーのCDはたくさん出ています。12インチ好きの私としては、写真のユニディスク盤「The 12" Collection」を推薦版として挙げておきます。お馴染みの曲がほぼ網羅されています。