ヴィッキー・スー・ロビンソンシルバー・コンベンションとほぼ同時に人気が出た「初期ディスコ」の女性アーチスト、ヴィッキー・スー・ロビンソンを紹介いたします。「ターン・ザ・ビート・アラウンド」(76年)は、ビルボードのディスコチャートで4週連続第1位、一般チャートでも最高4位を記録しました。

この人はニューヨークのハーレム出身。1954年、売れないミュージカル俳優の黒人の父と、これまた無名の白人フォークシンガーの母の間に生まれました。幼いころから母と一緒にステージに立つうちに、歌の才能が認められ、16歳でブロードウェイミューカルに出演。その後、レコード会社と契約して「ネバー・ゴナ・レット・ユー・ゴー」に続くメジャー第2弾シングルが「ターン・ザ・ビート…」だったというわけです。

まあ、ディスコブームにうまく乗ったということなのでしょうが、この人はさすがに歌唱力があります。例えば、シルバー・コンベンションなどに比べれば格段に迫力があるのです。曲も、1994年にグロリア・エステファンによってリバイバル大ヒットしたくらいですから、なかなかの佳作といえるでしょう。

彼女は「ターン…」の後も、「カモン・シーフ」(76年)とか「ホールド・タイト」(77年)といったディスコヒットを連発しました。私としては、「ナイト・タイム・ファンタジー」(79年)もなかなかの名曲だと思いますな。もともとアップテンポで、フロアの盛り上げ時間向けである上、9分以上の12インチバージョンだと、間奏で彼女の妖艶で色気たっぷりの叫びを聞くことができます。いかにもディスコっぽい胡散臭さと妖しさがとてもよろしい。

80年代以降、彼女の人気はやはり落ちていくわけですが、明るいキャラクターを生かしてのテレビのトークショーへの出演や、コンサート活動で忙しくやっていたようです。けれども、それも長くは続きませんでした。1990年代に入って、癌に侵されていることが分かったのです。闘病の末、2000年に45歳で夭逝してしまいました。

ところで、外国のディス専門コサイトで、管理人自身がヴィッキーの死の直前に行った貴重なインタビューが載っています。

このインタビューで彼女は、実母とツアーを行った際の思い出やメジャーデビューの経緯などについて語っているのですが、なんと、まだ無名の10代の72年ごろ、日本に来て「シモダ・イツロウ」(ミュージシャン下田逸郎氏と思われる)らとともに「Love Songs and Lamentations」というアルバムをリリースしたことを明かした上で、「イツロウともう一人のアフリカ系米国人のアレックスと3人で、ツアーをして回ったり、レコーディングしたりした。日本はすばらしかった」などと述べているのです。

別の外国のディスコアーチスト紹介サイトなどによると、彼女はこの来日当時、高橋幸宏、高中正義、つのだ☆ひろが在籍していた伝説のバンド「サディスティック・ミカ・バンド」のレコーディングにも参加していたといいます…。なんだかメジャーになる前は、日本ともずいぶん、関係が深かったようなのです。これにはちょっと驚きました。