モア・モア・モア…だけが売れたアンドレア・トゥルー・コネクション。ディスコのワンヒット・ワンダー(一発屋)の代表であり、普通の音楽ファンや専門家にはひどい評判です。でも、驚異のビルボード一般チャート4位(76年3月)ですからねえ。かなりよい時代だったといえます(私にとっては)。
アンドレア・トゥルーは1952年生まれで、米国南部の厳格なカトリック系女子高を出て、芸能人を目指してニューヨークに。なかなかメジャーの線では売れなくて、しばらくはポルノ女優をやっていたそうです(!)。
転機はもちろん、この「モアモア」です。ディスコの評価は当時も当然「キワモノ」であり、「ポルノ女優が歌うディスコ」も分かりやすいマーケティング手法に適っていたのでした。歌はもちろん下手。歌詞も「私を燃えさせたいなら、ビデオカメラを回してごらんなさい。ほらもっともっと…」というような、ポルノ女優らしく、際どくもトホホな内容です。
それでも、しゃにむにスターを目指して突進する姿は浮かんできます。一流歌手を目指して田舎から上京して、二流事務所の地味な仕事を懸命にこなすアイドルは日本にも大勢います。TVの深夜番組なんかでよく出てきます。私などには、そんな苦労物語には好感が持てるのです。
少し前、仕事であるベテラン芸能レポーターに取材したのですが、「スターになるための一番の要素は何ですか」と尋ねたら、即座に「根性です」と返ってきました。もちろん天性のルックスやら歌声やらも大切なのですが、山口百恵も松田聖子も浜崎あゆみも、みんな根性が人一倍あって、負けず嫌いだったそうです。
アンドレアは5、6年の下積みの後、モアモアで一度、スターになることができました。その後は鳴かず飛ばずだったけれども、あの忙しない時代に一曲でも大ヒットが残せれば御の字だったのではないでしょうか。最近、米国のケーブルTVの「一発屋特集」番組に出演して、久しぶりに世間に顔を見せたアンドレアは「私の音楽で人々をハッピーにできたのは良かった」と堂々と語ったそうです。
写真は英国のベスト盤。「モアモア」をはじめとして、ロングバージョンが多めに入っていてオススメです。ただし、今この人のCDを買う人は、かなり珍しいと思います。(現在のアンドレアさん<10月19日付投稿参照>→)
アンドレア・トゥルーは1952年生まれで、米国南部の厳格なカトリック系女子高を出て、芸能人を目指してニューヨークに。なかなかメジャーの線では売れなくて、しばらくはポルノ女優をやっていたそうです(!)。
転機はもちろん、この「モアモア」です。ディスコの評価は当時も当然「キワモノ」であり、「ポルノ女優が歌うディスコ」も分かりやすいマーケティング手法に適っていたのでした。歌はもちろん下手。歌詞も「私を燃えさせたいなら、ビデオカメラを回してごらんなさい。ほらもっともっと…」というような、ポルノ女優らしく、際どくもトホホな内容です。
それでも、しゃにむにスターを目指して突進する姿は浮かんできます。一流歌手を目指して田舎から上京して、二流事務所の地味な仕事を懸命にこなすアイドルは日本にも大勢います。TVの深夜番組なんかでよく出てきます。私などには、そんな苦労物語には好感が持てるのです。
少し前、仕事であるベテラン芸能レポーターに取材したのですが、「スターになるための一番の要素は何ですか」と尋ねたら、即座に「根性です」と返ってきました。もちろん天性のルックスやら歌声やらも大切なのですが、山口百恵も松田聖子も浜崎あゆみも、みんな根性が人一倍あって、負けず嫌いだったそうです。
アンドレアは5、6年の下積みの後、モアモアで一度、スターになることができました。その後は鳴かず飛ばずだったけれども、あの忙しない時代に一曲でも大ヒットが残せれば御の字だったのではないでしょうか。最近、米国のケーブルTVの「一発屋特集」番組に出演して、久しぶりに世間に顔を見せたアンドレアは「私の音楽で人々をハッピーにできたのは良かった」と堂々と語ったそうです。
写真は英国のベスト盤。「モアモア」をはじめとして、ロングバージョンが多めに入っていてオススメです。ただし、今この人のCDを買う人は、かなり珍しいと思います。(現在のアンドレアさん<10月19日付投稿参照>→)