スリー・ディグリーズウエン、ウイラ、シー、ユアゲーン〜♪のスリー・ディグリーズでございます。日本が誇る(?)正統派音楽番組「シオノギ製薬のミュージックフェア」のテーマ曲を彷彿させる美しいメロディーは、いつ聞いても耳にしっくりきますな。

元祖スリー・ディグリーズの結成は1963年にさかのぼります。フィラデルフィアで生まれたグループで、以来、女性トリオというのは変わりませんが、メンバーはコロコロ代わっています。

最初のヒットは、1970年の「メイビー」で、全米RBチャート4位まで上昇。続く「アイ・ドゥ・テイク・ユー」も同7位まで行きました。このときのレコード会社は、ディスコクラシック「タッチ・アンド・ゴー」(エクスタシー、パッション&ペイン)で知られるルーレットレーベルです。

その後、「フィリーサウンド」で知られるディスコの名門レーベルであるフィラデルフィア・インターナショナルに移り、「荒野のならず者」がまずまずのヒットとなりますが、彼女たちの転機となったのはやはり米TV番組ソウルトレインのテーマ「TSOP」(1974)。昔も今もだーれでも聞いたことがある超名曲です。

この人たちの曲の特徴は、「日本人ウケ」することだと私は思います。「ウェン・ウィル・アイ・シー・ユー・アゲイン」(74年、邦題:天使のささやき)でも感じさせるように、ドラムを少しおさえ目にしつつ、バイオリンのようなストリングスを重視した、切ない音なんですな。

実際、米国よりむしろ日本や英国で人気者になりました。日本語で歌った曲をアルバムに入れたり、頻繁に来日したりしていました。昔あった「東京音楽祭」で優勝もしています。

この「切ない系哀愁サウンド」は、まさに私がリアルタイムでディスコを体験した80年代前半、日本や欧州で一世を風靡したハイエナジーや後のユーロビートにつながるディスコサウンドの一つの系統だと感じます。私は、「切なく踊る」なんてことを当時はやっていなかったと思いますが、そのころの曲を今聴くと、数々の思い出が、いくぶん切なくよみがえることがあります。

私自身は、スリー・ディグリーズが、欧州に拠点を持つアリオラレコードに移った78−79年ごろの曲が好きです。プロデュースはお約束のシンセディスコの鬼ジョルジオ・モロダー。「ギビン・アップ、ギビン・イン」とか「ランナー」とか「レッドライト」とか、いけいけドンドン派手派手ディスコのジョルジオ節が炸裂!。やっぱりハイエナジーの元祖なんですねえ。いいんですよ、なかなか。

でも、残念ながらセールス的には、フィラデルフィア時代からは大きく失速してしまいました。気が付いたら、ディスコブームも終わりごろでしたし。そこがこの人たちの本当に「切ない」ところではあります。

写真はアリオラ時代を中心としたベスト。スリー・ディグリーズのベストは数あれど、ディスコ的には一番内容がよろしい。ちゃんと「TSOP」とか「荒野のならず者」とかの定番も入っていてオススメです。