2005年08月15日
54
投稿数が54回突破ということで、「54」を紹介します。本当はちょうど54回目にしようと思っていたのに、うっかり55回目になってしまいました。70年代後半のニューヨークの代表的なディスコだった「スタジオ54」を題材にした映画「54」のサントラで、Volume1と2に分かれています。映画が公開されたのは5、6年前。ストーリーは「サタデー・ナイト・フィーバー」にも似て少し感傷的すぎるものの、当時の雰囲気が出ていて、なかなか面白い映画だと思いました。
1、2ともに映画で使われた曲が満載です。12インチバージョンは入っていませんが、一般的過ぎる曲が少ないのがとてもよろしい。
カーチス・メイフィールド「ムーブ・オン・アップ」のディスコリメークとか、アシュフォード・アンド・シンプソンの「ファンド・ア・キュア」とか、他ではあまり耳にしない渋めの曲が入っています。あと反戦歌「黒い戦争」で知られるエドウィン・スターの「コンタクト」(Vol.1に収録)なんて、「あの硬派エドウィンさんが…(泣)」というくらいおバカなディスコぶりを披露しています。
54は当時、華やか系のディスコとして本物のセレブをたくさん集めていました。ダイアナ・ロス、ミック・ジャガーといった歌手から、アンディ・ウォーホール、カルバン・クラインといったアート系の人まで、客の顔ぶれは大変豪華でした。内装ももちろん高級そのもの。入店審査は物凄く厳しく、入り口付近は、審査で外された人々でいつもあふれ返っていたといいます。
でも、そんなエリート主義はなんだか鼻につきますな。「何でもあり」がディスコの真骨頂なのですから、「誰が入ったっていいじゃないか」なんて私など思うのですが、それでも、そのハイパーでバブリーな豪華ぶりは伝説的でもあります。世界で最も有名なディスコだということは認めざるを得ません。
54が流行った同じような時期、NYにはパラダイス・ガラージというディスコもありました。ラリー・レバンという伝説のDJがいたところで、ライバルの54に比べて、もっとカジュアルな雰囲気が売り物でした。凝った音響装置も有名で、フロアで踊っていると「耳からではなく、体の内部から音が沸きあがってくる」と言われていました。
このラリー・レバンという人は「伝説」になるだけあって、とても変わった人だったようです。ジャンルをまったく問わず、ロックからパンク、さらにはオノ・ヨーコ(!)まで、ありとあらゆる曲をかけていたそうです。しかも、曲間の「つなぎ」を気にせず、テンンポを合わせることもせずにどんどん次の曲をかけていったそうで。
「何でもあり」「誰でも来い」のガラージこそ、真のディスコといえるのかもしれません。まあ、当時のガラージの様子について書いてある資料などを読むと、ここも54同様、薬物とか乱交とか、ひどくアナーキーな面があったようですけれど。
トラックバックURL
コメント一覧
1. Posted by chibigyang 2005年12月06日 20:37
STUDIO54は当時から存在こそ知ってはいたものの、実際に足を運ぶ事無くクローズしてしまった、僕にとっては掘り起こすのに苦労した重要度の高いDISCOでした。スティーブ・ルベルにイアン・シュレイガー、独自のドレスコードに銀のスプーン。酒・薬・SEX・脱税・・・当時高校生の僕には噂話しで聞く54というDISCOが気になって仕方ありませんでした。時は流れ98年、これまでに文献は数多く排出されてはいたものの、MIRAMAXのおかげで一気に存在が近づきました。映画の方は僕の中で一生残る名作殿堂入りです。店も今なお存在するなら一度は足を運びたい唯一のDISCOです。 つづく・・・
2. Posted by chibigyang 2005年12月06日 20:38
つづき
一方でPARADICEGARAGEも同時期にKingStreetの倉庫をまんまクラブにしてしまった伝説の箱ですね。僕は85年にHOUSEMUSICというジャンルを初めて耳にし(場所はアルファルファだった気がします・・・)、「NYではGARAGEが、CICAGOでは今、薬をやってもいないのに錯覚を覚えさせる新しいジャンルの音楽が誕生しているんだ。もうHI−NRGじゃない、HOUSEだ!」なんて感じで。その瞬間に僕はピンと来なかったんですが、 またつづく・・・
一方でPARADICEGARAGEも同時期にKingStreetの倉庫をまんまクラブにしてしまった伝説の箱ですね。僕は85年にHOUSEMUSICというジャンルを初めて耳にし(場所はアルファルファだった気がします・・・)、「NYではGARAGEが、CICAGOでは今、薬をやってもいないのに錯覚を覚えさせる新しいジャンルの音楽が誕生しているんだ。もうHI−NRGじゃない、HOUSEだ!」なんて感じで。その瞬間に僕はピンと来なかったんですが、 またつづく・・・
3. Posted by chibigyang 2005年12月06日 20:39
またつづき
その直後には当時玉光堂のススキノ店3Fの輸入盤フロアにいた森住さん(後にCISCO札幌店→AL‘sBAR→FM北海道勤務で現在不明。管理人様この方ご存知ありませんか?美人系のちょっとアブナイお姉さんです)に頼んでDJ−INTLやTRAXのVINYL仕入れてもらってました。これがHOUSEとGARAGEの出会いでした。もう20年も前の話です・・・僕も歳をとったもんです。
その直後には当時玉光堂のススキノ店3Fの輸入盤フロアにいた森住さん(後にCISCO札幌店→AL‘sBAR→FM北海道勤務で現在不明。管理人様この方ご存知ありませんか?美人系のちょっとアブナイお姉さんです)に頼んでDJ−INTLやTRAXのVINYL仕入れてもらってました。これがHOUSEとGARAGEの出会いでした。もう20年も前の話です・・・僕も歳をとったもんです。
4. Posted by mrkick 2005年12月06日 23:36
ふむふむ。札幌にハウスが入ってきたのは、日本でも一番早い時期でした。新しモノ好きな札幌っ子は、こういうのに飛びつくのが早いのでしょうか。私はハウス、テクノ、クラブ…の定着とともに、リアルタイムなダンスシーンから離れてしまったわけですが…。玉光堂の方は私もよく知っていました。非常にディスコの曲に詳しかったと記憶しています。
5. Posted by chibigyang 2005年12月08日 20:05
やはり森住さんをご存知でしたか。札幌時代の僕は彼女に大変お世話になりました。彼女が玉光堂の頃僕は高校生で、当然ながらお金が無く限られた枚数しか購入できない僕がいて、店でエサ箱を漁りながら欲しいレコードを並べてどちらを買ってどちらを諦めようかと悩んでいると彼女が快く次回まで取り置きをしてくれた事が何度もあり、またCISCOの頃はすっかり僕の好みを把握していてくれて助かってました。おかげで重要作品の買い逃しがどれだけ減ったことか。今思えばその頃のレコードは思い出深い作品ばかりです。



