
NYブルックリン生まれ。子供のころからピアノや作曲が得意だった彼は、音楽学校に通いながら、CBSレコードでアルバイトをしていた。あるディレクターから「ミュージカルの曲づくりを手伝わないか」と誘われて作曲したところ、そのミュージカルがヒットして、業界では多少知られるようになった。このときはまだ18歳。その後、ベット・ミドラーのツアー・ピアノマンをやるなど下積みを経験し、28歳のときの74年、「マンディ」でついにスターになった…というわけだ。
80年代に入ると大ヒットが出なくなったが、ディスコの佳作を出している。シンセを駆使して、曲調がめちゃめちゃポップになった。このころの代表曲「君は恋フレンド」(82年)、「君はルッキンホット」(84年)は、フロアの盛り上がりタイムによくかかっていた。でも、「君は恋…」の方はロングバージョンがなかったようで、かかってもすぐ終わってしまって、次の曲につなげられてしまっていたのを思い出す。
90年代になるとジャズに傾倒していったもようで、最近の音楽サイトなどでは、ジャズ・ボーカリストと紹介されていることもある。ちなみに93年には、コパカバーナのダンスバージョンのリメイクがリリースされたが、こてこてのハウスになってしまってて辛かった。
写真は3年前発売のベスト。コパカバーナの5分45秒のプロモ版ディスコバージョンが収録されているのが良かった。「ルッキンホット」も入っている。そのほかのバラードとかは私にとってはあまり関心はないが、「マンディ」だけは名曲だと思う。1曲目収録の「恋はマジック」(73年)は、ドナサマーが76年にディスコリメイクしヒットさせたことで知られる。それでも、全般的には、あのフリオ・イグレシアスにも似た「おばさん向けポップス」といった軽い印象である。