Loleatta Hollowayロレッタ・ハロウェイといえば、まず「リライト・マイ・ファイア」(79年)を挙げておきましょう。ダン・ハートマンのこの代表作では、中盤で見事な声量のメガトンボイスを披露しており、彼女自身にとっても「ディスコディーバ」としての地位を確立させた作品の一つとなりました。

最近、ディスコサイトのDiscomusic.comに載ったロレッタのインタビューによると、「リライト」の女性バックボーカリストの候補としては、ロレッタのほかに、パティ・ラベルとベット・ミドラーがいました。二人ともロレッタより「格」はずっと上なので、制作予算の都合もあったのかもしれませんが、結局はロレッタのド迫力ボイスが選ばれ、全米ディスコチャート6週1位という、セールス的にも大満足の結果を得たのであります。

ロレッタは1946年シカゴ生まれ。少女時代に教会でゴスペルを歌い始め、「キャラバンズ」という地元ゴスペルグループの中心歌手として活動を本格化させます。その後、ミュージカル出演などを経て、70年代前半にソウル歌手としてデビュー。「Our Love」「Mother Of Shame」「Cry To Me」などのR&Bの中ヒットを出しました。

彼女がブレイクしたのは、ディスコブームが到来した70年代中盤です。ニューヨークのサルソウル系のレーベルから、「Hit And Run」や「Run Away」といったダンスチューンを次々と繰り出し、いずれもディスコで大人気を集めたのです。プロデュースは、フィラデルフィアディスコのオーケストラ「M.F.S.B.」のノーマン・ハリスが主に担当していました。

ソウル歌手としてのプライドがあった彼女は当初、「こんなに速くて、しかも長〜い曲を歌えるか!」などと不満だったようですが、まずは「時流に乗ってひと稼ぎ組」の仲間入りをしたわけです。

そして79年のリライト・マイ・ファイヤに続き、80年に全米ディスコチャート1位となった「ラブ・センセーション」をダン・ハートマンと組んで世に送り出します。前述のDiscomusic.comのインタビューでは、次のように話しています。 「ダンは『Hit And Runを聴いて、一緒に仕事することを決めた。ロレッタの声が必要だと思ったんだ』と話していた。それにしても、ラブ・センセーションは今までで一番きついレコーディングだった。だって29回も取り直したんだから。2日目になると声がつぶれてきちゃったから、ダンにノドの薬『ヴィックスベポラップ』をもらって、それをコーヒーで無理やり飲み下しながら、歌い続けたのよ」

けれども、やっぱり「ディスコ歌手で終わりたくない」と、84年にはサルソウルを飛び出し、敢えてストリートワイズというインディレーベルに移りました。これが転機となり、人気は下降線を辿るようになりました。

ところが、90年代に入ると再び光を浴び始めます。90年にはハウスのグループBlack Boxの大ヒット曲「Ride On Time」が、「ラブ・センセーション」をもろサンプリングした内容だったため、著作権訴訟に発展。「よし、次は自分で作ってやる!」というわけで、翌91年、ラブセンセ−ションをセルフリメイクした「Good Vibration」を発売し、全米一般チャート1位(!)の大ヒットとなったのでした。訴訟にも事実上、勝って和解金を得ていますので、ウハウハの儲けぶりだったのです。

その後、2000年代に入っても、彼女はかつての自分のヒット曲のニューバージョンを続々とリリースし、どれもチャートをにぎわせています。結果的に、とても息の長い歌手として活躍することになったわけですね。

まあ、70〜80年代を通して、日本のディスコでは特別に人気があったわけではないのですが、世界的に見れば大物ではあります。近年の若い世代のニューヨークディスコ、ガラージ・クラシック人気とも相まって、このところ再発CDが大洪水で出ています。写真はそのうちの一つの米ライトスタッフ盤です。