Villege People1970年代後半に米ニューヨークで結成されたヴィレッジ・ピープルは、あまりに有名なディスコミュージシャン。「YMCA」(79年、全米ディスコチャート1位)は、世界中の誰もが知っている超陽気なディスコアンセムです。

ディスコとは、人種や性別を超えた「無差別性」と、享楽的で高揚感あふれる「解放性」を兼ね備えたダンスミュージックです。善悪の彼岸を超え、夢は宇宙まで駆け巡りるのです。その意味で、ビレッジピープルこそ典型的なディスコアーチストといえます。

6人のメンバーが身にまとう奇天烈コスチュームは、警察官や海兵隊やカウボーイ(ザ・新大陸アメリカ)からインディアン(ザ・旧大陸アメリカ)までばらばら。「ディスコってこんなに支離滅裂なんだよん!」とあからさまに宣言しています。

もちろん、彼らがゲイ文化の代弁者であることも大きいでしょう。敢えてマッチョな(すげえ男らしい)格好をすることによって、かえって「いや〜ん」度も際立っています。そこには、「自由の国アメリカ」が、見事なパロディとして表現されているかのようです。

代表曲YMCAは、日本にも支部があるキリスト教の青年男性向け組織のこと。1970年代には、ゲイがパートナーを探しに集まる場所として知られていました。「オレが人生に悩んでいたとき、ある人が『いい場所があるよ』と声をかけてくれた。それがYMCAだった。君たちもYMCAへ行けばイイことあるよ!」と能天気に歌う彼らは、確信犯そのものです。

ほかのヒット曲に、「サンフランシスコ」というのもありますが、これもYMCAと同様、ゲイ仲間たちに対し、「(ゲイ天国として知られる)サンフランシスコに行けば、自由が、そして喜びが手に入る」と訴えかける内容です。

「パロディ」という意味では、日本ではピンクレディーのヒットで知られる「イン・ザ・ネイビー」も秀逸です。ゲイと正反対にある(とされる)軍隊に入って七つの海を守ろう!、と呼びかけるのですから、脱帽します。

インザ・ネイビーについては、実際に米海軍が、若者に入隊を呼をびかけるために利用しようとしたことがあったといいます。この曲を使ったビデオも制作された(これか?)のですが、「税金を使って、しかもいかがわしいゲイグループを起用して宣伝するのはいかがなものか」と批判の声が出たため急きょ、ビデオ映像が使用中止になったとされています。そんなエピソードに、ちょっとした「アメリカの無邪気な自由」を感じなくもありません。

YMCAにしても、「アメリカの象徴」ともいえるニューヨーク・ヤンキースのヤンキーススタジアムで今なお、数人のグラウンドキーパーがあの「Y、M、C、A」の身振り手振りを披露する応援パフォーマンスを行っているくらいです。

けれども、ヴィレッジ・ピープルの運命は、80年代に入った直後に暗転します。ディスコブーム崩壊のあおりを受け、彼ら主演の映画「キャント・ストップ・ザ・ミュージック」(80年)はさんざんな結果に終わりました。「未知の病」だったAIDSの蔓延も、追い討ちをかけました。

それでも、彼らが最期に出したアルバム「セックス・オーバー・ザ・フォーン」(85年)は、まずまずの人気でした。タイトルは過激ですが、はしゃぎまくった過去を反省したのか、内容は真面目で、「セーフ・セックス」を全体のテーマとしています。シングルカットされたタイトル同名曲は少し落ち着いたハイエナジー系の曲調となっており、メロディアスな佳曲です。私もディスコでよく耳にしました。

プロデューサーは、ヴィレッジが所属したカサブランカ・レーベルの中心人物でもあったジャック・モラーリ。80年代には、彼も曲作りの面でいろいろと工夫したようですが、「夢よもう一度」というわけにはいきませんでした。再び浮上することがないまま、91年にAIDSでこの世を去っています。

YMCAとかイン・ザ・ネイビー、マッチョマンといった大ヒット曲が入ったアルバムやベスト盤のCDは、いうまでもなくたくさん出ています。個人的には、やはり写真の「セックス・オーバー・ザ・フォーン」が気に入っております。「ニューヨークシティー」とか「ジャスト・ギブ・ミー・ホワット・ユー・ウォント」など、けっこう良い曲が入っていておススメです。