Tiffanyえ〜と、80年代後半の“ミーハー”シリーズですが、今回はティファニーということで。16歳のときの87年に出した「I Think We're Alone Now」(邦題:ときめきハート)が、あれよという間に全米一般チャート1位に上り詰めました。

が、ディスコチャートでは26位と今ひとつ。でも私自身、当時から12インチを持っているところをみると、ディスコでもかかっていたのではないかと思います(記憶あいまい)。あらためて聴いてみると、ユーロビートみたいですけど。

「I Think…」は、67年に男性グループTommy James & the Shondellsがヒットさせた曲のリメイク。79年には、スコット・アランなる謎のアーチストも、TKレーベルからディスコリメイクを出していて、全米ディスコチャート21位まで上がっています。ちょっとAORっぽい感じですが、こちらはなかなかエッジの効いた「もろディスコ」曲です。

ティファニーはこの曲の直後、バラード「Could've Been」(邦題:思い出に抱かれて)も1位になり、勢いのいいところを見せます。ところが88年、本人、両親、それにマネージャーが、ギャラの管理などマネジメント方針をめぐって対立し、裁判沙汰となりました。

スキャンダラスなイメージがまとわりついて人気が急降下、90年代以降、二度と浮上することなく現在に至っております。7〜8年前には、雑誌プレイボーイでヌード(巨乳)も披露する有様で、まさにJガイルズバンド「堕ちた天使」(82年の大ヒット曲。クラスのアイドルがヌードモデルになったエピソードを歌っている)さながらの状況ですね。

前回投稿のシニータやカイリー・ミノーグもそうですが、このころは女性アイドル路線が世界的に目立ちました。特にアメリカで、ティファニーと人気を二分していたのは、ほぼ同い年のデビー・ギブソン(写真下右)です。

デビーの方も「オンリー・イン・マイ・ドリームス」(87年、全米一般チャート4位)とか、「エレクトリック・ユース」(89年、同11位)といったディスコな曲をチャートに送り込む一方、「フーリッシュ・ビート」(88年、同1位)「ロスト・イン・ユア・アイズ」(89年、同1位)などのスローバラードも大ヒットさせました。「オンリー・イン・マイ・ドリームス」なんて、ディスコでもけっこう耳にしたものです。

しかも、90年代に入って落ち目になり、3年前には雑誌プレイボーイでヌードを披露したというのも、ティファニーと似た経緯です。ただ、「歌だけ」のティファニーと違って、ピアノを弾きこなし、作詞、作曲もやる器用な人だったこともあって、ミュージカル女優なんかとしては人気を保っているようです。

それにしても、ティファニー、デビーともに、10代とは思えないほど歌はかなり上手かった。ポップ歌手というより、カントリーとか、ロックの要素を強く感じさせる人々です。

二人のCDはたくさん出ています。というよりも、もう87〜88年ごろにはCDの方がレコードより優勢になっていましたし。ほとんどのアルバムは、今では中古CD店で500円ぐらいで売っているはずです。

最後に、ティファニーとデビーの近況を伝える動画を張っておきます。若くして大ステージで飛び回っていた2人だけに、少し寂しい気がします。

ティファニーがCD店でプロモーション
デビーがショッピングモール(?)で熱唱

Debbie Gibson