John Roccaアメリカでは、1980年を境にディスコが「ダサダサ」ということになって衰えたのですが、その音楽遺伝子は脈々と受け継がれていきました。その代表例が俗に「フリースタイル(Freestyle)」と呼ばれたアメリカ発ダンスミュージックです。有名ディスコが次々と閉店を余儀なくされる中、なおも世間の目をはばかりながら営業していたディスコたちは、このジャンルの曲の登場により一命を取りとめた、といっても大げさではありません。

フリースタイルはニューヨークとフロリダが発信源。その三要素は、大きく言って「電子音」「シンコペーション」「ラテン風リズム」でして、文字通り自由な発想の曲作りを持ち味としています。とりわけお馴染みのローランドTR-808のドラムマシーンが紡ぎ出す「ピコポコ、ポンポコポン♪」の音色が特徴的ですね。「シンコペーション」とは、曲を実際に聴くと分かりますが、バックビート(裏拍)を強調し、テンポ展開を微妙にずらした複雑なビート&リズムのことで、生ドラムや生ベースではなかなかうまく表現できないとされています。

フリースタイルの初のヒットはマン・パリッシュの「ヒップ・ホップ・ビー・ボップ」(1982年、全米ディスコチャート4位)とされており、以後、大量のアーチストたちがさまざまなヒット曲を飛ばし、80年代後半までブームといえる状況が続きました。アーチストはやはりイタリア系やヒスパニック系が中心で、それに黒人ミュージシャン、英国テクノポップグループも加わるといった格好でした。レーベルはStreetWiseやEmergencyなどが有名です。マイノリティーが作り出した文化であり、現在に通じるヒップ・ホップの源流でもあります。

代表的なアーチストは……といっても、恐ろしいほどたくさんいます。Lisa Lisa and Cult Jam、TKA、C-Bank、Planet Patrol、Tina-B、Expose、Shannon、Information Society、Cover Girls、Jellybean、Arthur Bakerあたりをひとまず挙げておきます。

これらのアーチストの曲は、どれも当時、流行だったブレイクダンスにぴったりな曲ばかりです。特にポッピングとかエレクトリックブーガルー(エレクトリックブギー)みたいな、「カクカク、カキカキ、痛えっ!(関節がはずれる音)」のロボットダンスな踊り手に人気でした。フリースタイルの曲が満載のダンス映画「ビート・ストリート」なんて映画が公開されたのもこのころです。

フリースタイルのアーチストはいずれ少しずつ紹介していくつもりですが、今回は私の思い入れ優先でフリーズ(Freeez)にしたいと存じます。代表曲「I.O.U.」(83年、ディスコチャート1位)は当時、軽く1万回ぐらい聴きましたし(うそ)、ディスコでも「もう勘弁してください」というぐらいかかっていました。

歌っているのは中心メンバーのジョン・ロッカ(John Rocca)で、「ホントに男なの?」というぐらい、ものすご〜く高い声です。イギリスのグループで異色ではありますが、I.O.U.のリズム展開はフリースタイルそのもの。シンセサイザーでがんがん押していくタイプ……というか、ボーカル以外はシンセサイザーの音しか聞こえてきませんが、そこがまたよかったのですね。8分近くある12インチバージョンというのもありました。

フリーズはI.O.U.。の後、「ポップ・ゴーズ・マイラブ」(83年、ディスコ5位)がかなりのヒットになりましたけど、後はふるいませんでした。

ジョン・ロッカだけはソロでしばらく活躍を続け、84年に「I Want It To Be Real」、93年に「Shine」がそれぞれディスコチャート1位に輝いています。特に前者は、フリースタイルの名曲の一つだと私は思います。ほかにも「Once Upon A Time」(84年、ディスコ72位)という、世界中のDJから高い評価を得ているディープな佳曲もありますね。

Freeez、ジョン・ロッカともに、CDは基本的にありません(きっぱり)。I.O.U.だけはいろんなコンピにやたらと収録されていますが。上写真は、音質に難があったり、そもそもCD-R(!)だったりする米Hot Productions盤のジョン・ロッカのベストです。内容も、「I Want It To Be Real」がオリジナルではなく、リミックスしか入っていないなど今ひとつ。これでさえ、今ではレア盤になってます。

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