Gladys Knight_About Loveお久しぶりです。今回はグラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップスでございます。押しも押されぬR&B界の重鎮ですが、ディスコ的にいえば、幸か不幸かさほど貢献していません。そこが面白いところです。

リードボーカルのグラディスは屈指のハスキー・ソウルディーバで、ピップスはそのきょうだいや親戚たちで構成されています。50年代のデビュー以来、「I Heard It Through The Grapevine」(67年、米R&Bチャート1位、一般チャート2位)、「Midnight Train To Georgia」(73年、R&B1位、一般1位)などのダンス系ヒット、それに「If I Were Your Woman」(70年、R&B1位)などのバラード系ヒットをモータウンレーベルから量産しました。

でも、ディスコブーム期に入ってきた70年代半ばになると衰えが目立ち始めます。毎年のようにR&Bチャート1位の曲を出していたのに、75年から82年まで1位がなくなってしまったのです。

大きな原因は、レコード会社との関係がいまひとつだったことです。モータウンでは、ダイアナロスとかマービン・ゲイとかテンプテーションズのような他のスターの後塵を拝するようになり、73年にブッダ・レーベルに移籍。その後2年間ほどは大ヒットも出てよかったのですけど、ちょうどディスコ期にスランプに陥ったのでした。

おまけに、78−79年のもっともディスコ的にオイシイ時期に、ブッダとの契約上のトラブルが発生。グラディスはブッダ、ピップスはあの「ディスコの殿堂」カサブランカレーベルから、それぞれ違うアルバムをリリースするという変則的な状況になってしまいました。

両者ともこの時期、ディスコ系の曲やアルバムをいくつか出してはおります。特にソロのグラディスの方は、「Better Than Good Time」(78年)、「You Bring Out The Best In Me」(79年)という隠れたディスコの名曲をリリースしております。でも売れませんでした。

80年になってようやく「グラディス」と「ピップス」は、コロンビアレコードの所属アーチストとして再び共に活動できるようになりました。そこでディスコの名プロデューサー夫婦であるアシュフォード・アンド・シンプソンにプロデュースを要請し、満を持してアルバム「About Love」(写真上)を発表。翌81年にも同じプロデュースで「Touch」(写真下)を発表したのでした。

いやあ、もうこの2枚は押しも押されぬ「ちょいもろディスコ」です!…といきなり実は弱気ですが、「私たちはそんじょそこらのディスコ人とは違う一流R&Bアーチストだぞい!」というプライドが覗いてしまい、バラードなんかも随所に入っているところが残念です、当ブログ的には。だって「グラディス・ナイト&ザ・ピップスのドンドコディスコ」が私は聴きたいのですからね。

とはいえ、「About Love」 には「Bourgie Bourgie」(米ディスコチャート37位)といういかにもアシュフォード&シンプソンらしいエ〜レガ〜ントな名曲が入っています。米NYのかの伝説のディスコ「パラダイス・ガラージ」の名(迷?)DJラリー・レバンも好んでプレイしていた曲です。

「Bourgie(ブージー)」とは「黒人の中流階級」の意のスラングでして、「ちょっとおカネが入ったからって、そんな白人みたいにブルジョア気取りにならないでよ」といった揶揄が歌詞に込められているのでした。その心意気やよし、としましょう。

結局、このアルバム2枚はさほど売れませんでした。なぜなら、もうアメリカでは79年の段階でディスコブームが終わっていたからです(しょんぼり)。音的にも、「80年代の利器」シンセサイザーをうまく使っていないなど(タッチの差で)古臭い。でも、レコード会社との確執などの事情を考えれば、私はこの2枚をこそ大々的に称揚したいと思います。「グラディス&ピップスのディスコ」として、得体の知れない面白さがあると信じているのであります。

彼女たちは80年代半ば以降も、かつての勢いはないにせよ、「Love Overboard」(87年、ディスコ4位、R&B1位)などの粋なディスコヒットをときどき放っていました。90年代以降はさすがに年も取り不活性化し、21世紀にはついに引退してしまいましたが(グラディスは2009年に引退ツアー終了)、私にとっては「あの2枚」があればそれで十分でございます。どちらも欧州盤でCD化もされております。

Gladys Knight