Paul Anka Headlines「意外なディスコ」シリーズの締めくくりは、「ダイアナ」(1957年、米ビルボード一般チャート1位)で知られる往年の人気ポップ歌手ポール・アンカ。やはり70年代後半にディスコっぽい曲をいくつかリリースしています。

1941年カナダ生まれのポールさんは、10代でアメリカに移り住み、オーディションを受けるなどして歌手デビューを果たしました。最初のヒット曲がラテンダンス音楽を基調とした「ダイアナ」でして、その後も「Lonly Boy」(59年、同1位)、「Your Having My Baby」(74年、同1位)といったヒットを放っております。

そして76年に黒人女性歌手Odia Coatesとのデュエットによる初の“ディスコっぽい”曲「Make It Up To Me In Love」をリリース。米ディスコチャートで最高34位となりました。

続く77年にはさらにディスコ寄りのアルバム「The Music Man」をリリース。79年にも「Headlines(ヘッドライン)」というディスコ系アルバムを出しています。特に後者に収録の「Headlines」(写真)とか「Never Get To Know You」などは、かなり強烈なドンドコ路線を爆走していて聞き惚れます。まあ、両アルバムともに狙い的には「AORを少し踊りやすくした」雰囲気ですので、バリー・マニロウみたいなメロ〜なバラードも多い(例:ヘッドライン収録の「As Long As We Keep Believing」)のですがね。

80年代に入ってからは「Walk A Fine Line」(83年)というアルバムを出しました。こちらもAORを基調としつつも、「Gimme The Word」(珍しいMarilyn McCooとのデュエット映像)とか「Golden Boy」のように、シンセサイザーを駆使した80sディスコの特徴を持つ曲も含まれています。

ポールさんは作曲家としても高名で、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」とか、マイケル・ジャクソンの「This Is It」、田原俊彦「さらば‥夏」(!)なんかも彼の作品です。

というわけで、期待していた「いぶし銀のディスコ野郎」とまでは行きませんでしたが、「あのポールアンカがこんな曲を!?」という側面も否めませんので、敢えて取り上げてみました。ちなみに彼の70年代後半以降のアルバムのCD化はほとんど実現しておりません。限定盤でリリースされても、すぐにレア化してしまう始末です。この時代のポール・アンカの低評価ぶりが覗われます。

次回は久しぶりに典型的ディスコアーチストに目を向ける予定でございます。ではいつかまた。