Edgar Winter今回は、70年代末期に突如現れたディスコ界のナゾの刺客、エドガー・ウィンターさんを取り上げてみましょう。

むむむ?? のっけから、なんだかえも言われぬ殺気を感じます。中国は四川省の山奥で「おい、そこのじいさんよ」とちょっとからかおうものなら、逆にやおら秘伝の武術を次々と繰り出されて困り果ててしまうような、手だれの仙人みたいなその風情。しかし、その実体は、ボーカルからピアノ、サックス、パーカッション、ギターまでなんでも器用にこなすマルチ音楽家であり、これから初夏を迎える季節にぴったりな「爽やか過ぎるディスコサウンド」も世に送り出した才人だったのでありました。

1946年、アメリカはテキサス州生まれ。10代のころ、後に同じようにミュージシャンとして成功する兄のジョニー・ウィンターと一緒に音楽活動を始めました。ディスコ文化があまり伝播しなかった米南部テキサスの人だけあって、兄弟ともに基本的には「誉れ高きロックミュージシャン」ですが、弟だけはなぜか1979年、「The Edgar Winter Album」(写真)という唯一のディスコ系アルバムをリリースするのです。

もうはっきり言って、当時流行だった「ディスコでひと儲け」の典型的パターンです。プロデュースはあの“ディスコミックスの帝王”トム・モールトンですから、こりゃ「推して知るべし」です。「It's Your Life To Live」、「Above And Beyond」、「Please Don't Stop」「Make It Last」など、きっちりと分け目をつけたような「ドンドコ四つ打ちドラム」に、得意のサックスとシンセサイザーを駆使してフュージョンもしくはAORチックな軽〜い旋律を味付けたディスコサウンドが目白押し。いかにもテキサスらしくないウェストコーストな涼風を当時のディスコフロアに「えへへへへ…」と送り込んでいたのでした。実際、シングルカットされた「Above And Beyond」は、米ディスコチャート最高94位にチャートインしています(いきなりちょっと微妙だが)。

さて、このエドガーさん。1970年代の前半には「エドガー・ウィンター・グループ」という人気ロックバンドのリーダーとして活躍。「Frankenstein(フランケンシュタイン)」(73年、全米ビルボードチャート1位!)をはじめとする実験的な秀逸ロックを続々とリリースするわけですが、このグループにはなんと「秘伝のディスコ隠し味」をこっそりと忍ばせていたので〜す!…そう、主力メンバーとしてかのアメリカが生んだ「もろディスコスター」ダン・ハートマンさんが含まれていたのでした。いやあ、さすがカリスマ仙人ロッカーだけあります。

もちろん、グループ自体はハードなロックバンドですので、ダンさんがいたからといって「即ディスコ」というわけにはいきません。でも、彼自身、ベースなどの中核楽器を担当したのみならず、多くの曲をグループのために作曲しています。70年代初期から中期にかけてのアルバムもよくよく聞いてみると、当時出始めていたシンセサイザーをいち早く取り入れるなどして、多少はダンサブルな面も感じさせるのです。

ダンさんはエドガーグループに1972年から5年間在籍した後、ソロとなってディスコ史にさん然と輝く「インスタント・リプレイ」(78年、米ディスコチャート1位)とか「リライト・マイ・ファイア」(80年、同1位)、「I Can Dream About You」(84年、同8位)、「We Are The Young」(84年、1位)といった大ヒットを放ちました。もともとマッチョなロックンロールを持ち味としたエドガーさんが、79年にはんなりと“ディスコ化”を遂げたのも、元メンバー、ダン・ハートマンの存在がどこかで影響していたのだと思われます。

その後、ダンさんは94年に43歳の若さで病気により他界。エドガーさんも80年代以降は音楽的に勢いを失っていきました。けれども、70年代の2人の一見、相容れない不思議な取合わせは、米国ディスコ史を彩る一つのエピソードとして、今なお語り継がれているのであります。

写真のCDは米Wounded Bird盤。特に貴重盤というわけではありません。私自身は、エドガー・ウィンターについてはこれ1枚しか持っていません。いやむしろこれで十分です。これもまたディスコ堂としては「推して知るべし」なのであります。