テイチクのディスココンピ今回はまったりと初心に返り、CD店でよく見かける国内盤ディスココンピレーションの中の1枚を取り上げてみましょう。その名も「僕らのMega Disco Hits!」(テイチク、写真)。1970〜80年代のよく知られたヒット曲を集めた内容です。

ジャケットのメーンのイラストが、既に懐かしさあふれる国内大ヒット曲「ソウル・ドラキュラ」になっております。旧西ドイツのグループとはいえ、日本でも大人気でした。ボニーMやアラベスクを含めた「ミュンヘンサウンド」の代表曲の一つで、このCDでは1曲目に収録されております。

この曲は題名の奇抜さもさることながら、インストで3分弱という短さも「短期決戦型」で特徴的です。ホラーなのにどこか愛嬌があるメロディーにもディスコらしさが漂います。そして、YouTubeには、まさにマイケル・ジャクソン「スリラー」(82年)を彷彿させる欧州発ビデオクリップが存在…!! 1977年の作品ですので、スリラーはもちろんのこと、以前「ルース・チェンジ」のときに紹介した「吸血鬼ディスコ」であるLove Is Just A Heartbeat Away(1979年)より2年前にもう存在していたことになります。

2曲目はジグソーの「スカイ・ハイ」(75年、全米一般チャート3位)。日本では、70年代に活躍したプロレスラーのミル・マスカラスのテーマ曲としても知られていました。ソフトロック系ディスコの代表曲でもあります。Chicago「Hot Streets」「Alive again」、Jim Capaldi「Shoe Shine」、Exlike「How Could This Be Wrong」のように、70年代後半にはディスコに向かうロックミュージシャンが多かったのですが、彼らもその一例といえるでしょう。

4、5曲目には「謎のフレンチディスコ」として名を馳せたバンザイ(Banzaii)の「チャイニーズ・カンフー(Chinese Kung Fu)」と「ビバ・アメリカ(Viva America)」が入っています。前者はいうまでもなくブルー・スリーのカンフー映画ブームを意識した作品で、以前に取り上げたカール・ダグラス「カンフー・ファイティング」と同系列のカンフーもの。後者はサンバのリズムを取り入れたラテン系のノリノリ“上げ潮ディスコ”となっております。どちらも初期のアナログシンセサイザーの素朴な音色が印象的であります。

6、7曲目には、お馴染みD.D.サウンドの「1-2-3-4 ギミー・サム・モア」「カフェ」が登場。もはや説明の必要はありません。この人たちはドイツ・ミュンヘンのグループですので「ミュンヘンサウンド」に含めることも可能ですが、レコードをリリースするなどの主な活躍場所はイタリアでした。イタリア人でありつつ、ドイツでドナ・サマーを発掘するなど、「ミュンヘンディスコのパイオニア」としても活躍したジョルジオ・モロダーとちょうど逆のパターンになります。

15、16曲は、再びミュンヘンサウンドのマルコポーロというグル―プが79年にリリースした「ジンギスカン」(元祖ジンギスカンによる「ジンギスカン」のカバー)と「アリババ」が収録されています。このグループは日本で主に活躍。80年にも「勇者オマーン!」というディスコ界では定石の「世界史英雄ディスコ」をリリースしました。

このほか、オリジナルではなく現代風に少々アレンジされている再録音なのですが、最近CMでも使用されたノーランズ「ダンシングシスター」、アイリーン・キャラ「フラッシュダンス」、グロリア・ゲイナー「恋のサバイバル」、ステップダンスでよく踊られたミラクルズ「ラブマシーン」などがラインアップされています。どれもシングルバージョンですけど、百花繚乱、日本のディスコシーンを網羅的に眺めることができます。

こうしてみると、日本は70年代から非常に積極的に海外、特に欧州のディスコ音源を輸入していたことがわかります。もともと踊り自体が好きだという国民性も背景にあるのでしょう。まだ円安だったにもかかわらず、各レコード会社はこぞってミュンヘンサウンドなどの「受ける音」の発掘に熱をあげていたのです。

その流れは、80年代になっても続きました。特に80年代後半のバブル期には、ユーロビートやイタロサウンドがディスコフロアを席巻。円高を追い風とした音源輸入にとどまらず、女性アイドルたちがこぞってカバー曲をリリースしました。例としては、荻野目洋子(ダンシングヒーロー)、長山洋子(ヴィーナス)、Babe(Give Me Up)、Wink(愛が止まらない)、森川由加里(Show Me)、石井明美(Cha-Cha-Cha)などが挙げられます。

バブルが終わった90年代前半には、もはやいろんなダンス音楽のジャンルを包み込んだ「ディスコ」という言葉自体が使われなくなり、従来のような「ディスコカバー」」もなくなっていきました。同時に、ハウス、テクノ、トランスといったダンスミュージックのジャンルの細分化も加速しました。文化としてのディスコの「衰退」は、「ブーム」と同様に世界中で進んだのです。

けれども、今のクラブのように、人が「皆で楽しく踊る」ことをやめない以上、私はまだ「ディスコ的なもの」の復活の余地は大いにあると思っています。たとえば、知人のレコード会社関係者が最近、話していたのですが、「AKBのような歌謡曲系の歌が売れるときには、ディスココンピもよく出る」そうです。ということは、ひところのようなモー娘。やパフュームやK-Popのアイドルたちがもてはやされるうちは、ディスコも注目される可能性があるということです。気軽で親しみやすく、しかもおバカさんになって踊れる音楽って、けっこう粘り強く生き残るのではないでしょうか。