Rick jamesいやあ、ポッカポカの春です。春といえばディスコ。ディスコといえば、今回取り上げるリック・ジェームスさんもかなりのものです。黒人音楽のエリート集団「モータウン・レコード」を基盤としながらも、素行の悪さは筋金入り。70年代から80年代にかけてのディスコシーンを大いに暴れまわり、56歳で早世した異色の才人であります。

1948年ニューヨーク生まれ。不良少年時代に音楽に目覚め、近所の友人たちとバンドを組んで活動を始めます。10代後半には、後にロックグループ「ステッペンウルフ」の中心メンバーとなるニック・セイント・ニコラスや、これまたロック系のニール・ヤングらとグループを結成してプロとしての音楽活動を本格化させました。リックさんの音楽には、意外にもロックの源流があったわけです。

しばらくは無名の時代が続いたのですが、ようやく1978年、モータウン系レーベルから待望のソロデビューアルバム「Come Get It!」を発表。この中からアップテンポの「You and I」(米ビルボードR&Bチャート1位、ディスコチャート3位)、ミデアムスローの「Mary Jane」(R&B3位)が大ヒットし一躍、注目株となりました。

その後も、なかなか面白いロックテイストの「Love Gun」とか、ピアノのイントロが印象的な「Big Time」などのディスコ系の中型ヒットを飛ばしたわけですが、彼のピークは、なんといっても1981年に出したアルバム「Street Songs」(上写真)です。

この中からは、野太いベース音と中低音ボーカル、それにぶいぶい鳴り響くシンセサイザーが特徴の珠玉のファンキーディスコ「Give It To Me Baby」(R&B、ディスコともに1位)、後にMCハマーらがリメイクして再びヒットさせた「Super Freak」(R&B3位、ディスコ1位、米ビルボード一般チャート16位)などの大ヒットが生まれました。

ジャケット写真や当時の動画をみると、まさに「小粋なドレッドヘアのハナ肇」状態。とはいえ、ディスコブームの後、R&B系が元気をなくしていた時代だっただけに、シンセサイザーを駆使した新しいダンスミュージック時代の幕開けを告げる痛快な一発になったのでした。

引き続きリックさんは、テンプテーションズがボーカルで参加した「Standing On The Top」(82年、ディスコ11位)、ますますシンセサイザーがぶいぶいうなる「Dance With Me」(同、同7位)、リズムマシーンを前面に出した「Cold Blooded」(83年、R&B1位)、なんだかハイエナジーディスコみたいな「Glow」(85年、ディスコ1位)などなど、軽快なアップテンポのダンス系ヒットを次々と世に送り出しました。

80年代半ばには、一時はライバルと目されたプリンスのように、手下の女性グループ「Mary Jane Girls」をプロデュースして成功させています、前回紹介のティーナ・マリーも“手下”の一人で、70年代に才能を見出し、曲をプロデュースするなどして育て上げました。

けれども、生来の暴れん坊で破天荒だったこの人には、スキャンダルがつきものでした。ティーナ・マリーを含めた度重なる艶聞はまだ可愛いものですが、女性への傷害の罪で服役したこともあります。特にコカインをはじめとするドラッグ依存はケタ外れにひどく、自ら「多いときには週7000ドル(56万円)をドラッグに使った。そんな時期が5年間続いた」などとメディアに明かしたほどです。

90年代以降は人気も失速し、ますます身を持ち崩す状況が続きました。そして2004年8月、肺疾患と心不全などにより、そのディスコな人生に自業自得的に終止符を打ってしまったのです。

アホアホでお気楽なディスコに限らず、ミュージシャンには「破滅型」がたくさんいますけど、この人は度を超していました。ただ、かつて世界中のディスコフロアを満杯にした陽気な音楽だけは、今も世のダンスフリークを魅了し続けています。

CDはいろいろと出ていますが、代表作「Street Songs」だと、米モータウン盤の2枚組「Deluxe Edition」が12インチバージョンやライブ音源が入っていて珍しいのでよいかと存じます。ベスト盤であれば、同じく米モータウン盤の2枚組「Anthorogy」(下写真)が網羅的かつ12インチバージョン入りで楽しめます。
Rick James Best