Culture Club 21980年代初頭に艶やかに登場したのが、英国ポップバンドのカルチャークラブ。とりわけリードボーカルの中心人物ボーイ・ジョージの伸びやかな歌声、そしてなによりも中性的な衣装や髪形が大人気となり、センセーショナルなビッグアーチストになりました。

1961年生まれのボーイ・ジョージは、子供のころからド派手なファッションに身を包み、かなり変わった人物とみられていました。多くのミュージシャンが輩出したロンドンのクラブ「ブリッツ(The Blitz)」に常連として通い詰め、ライブ演奏もするうちに有名になり、音楽活動を本格化させました。

最初は、セックス・ピストルズを手掛けた音楽プロデューサーであるマルコム・マクラーレンに見出され、Bow Bow Wowというニューウェーブバンドのライブに参加するなどしていましたが、82年に自らカルチャークラブを結成し、デビューアルバム「Kissing To Be Clever」(写真)を発表。レゲエ・ダブ調のバラード「Do You Really Want To Hurt Me (邦題:君は完璧さ)・」が、全米一般シングルチャート2位に上昇する大ヒットとなります。

その後も「Karma Chameleon (カーマは気まぐれ)」(一般1位、全米ディスコチャート3位)、「Miss Me Blind (ミス・ミー・ブラインド)」(一般5位、ディスコ10位)など、しばらくは怒涛の躍進ぶりを見せつけました。

この人は、70年代末のディスコブームが去り、多様な音楽の誕生や再生の時期を迎えていた大市場アメリカで受けたのが何より大きかった。ボーイ・ジョージの出で立ちは、MTVでもとてつもなく存在感を発揮していましたし。日本でもアイドル的な人気があり、「君は完璧さ」を含めてディスコでもよく耳にしたものです(踊りにくいけど)。

音楽的には、以前に触れたデュラン・デュランとかスパンダー・バレエと同列のポストパンク時代の英国発ニューウェーブです。それでも、レゲエやカントリーやソウル音楽の要素も入っていて、斬新で洒落た雰囲気も醸していました。ボーイ・ジョージの風貌の奇天烈さに頼っていたわけではなく、結構ちゃんとしたアーチストだったのです。

ところが、1986年に4枚目のアルバム「From Luxury To Heartache」を出したあたりで調子がおかしくなります。ボーイ・ジョージがドラッグ中毒になり、ほとんど活動ができない状態になったからでした。ヒット曲も出なくなり、すっかり過去の人達になっていったのでした。

バンド自体は紆余曲折を経て、90年代後半に再結成し、現在も活動しているようですが、かつての勢いはまったくありません。彼らの公式HPによると、カルチャークラブという名前は、「世界の様々な文化を融合させる」といった意味が込められており、結成当初にはそんな特色もフルに発揮されていたのですが、なんとも寂しげな現状です。

ここでもまた、「一期は夢よ、ただ狂え」(閑吟集)、「この世は幻のごとき一期なり」(蓮如)のディスコ的無常が顔をのぞかせているわけですね。

というわけで、よくある「自業自得のドラッグパターン」ではありますが、その音楽的功績が消え去るわけではないでしょう。各アルバムやベスト盤のCDも再発されておりますので、私もたまに聴いて往時をしみじみと偲んでおります。