Kate Bush前回登場の奇天烈ニナ・ハーゲンとほぼ同じころ、弱冠19歳の奇才美少女がイギリスで鮮烈デビューを果たしました。名はケイト・ブッシュ。失業者があふれる英国病の不況下、4オクターブの美声を駆使して、停滞気味だったイギリス音楽界に新風を吹き込んだのです。

1978年発売のデビューシングル「Wuthering Heights(邦題・嵐が丘)」は、文字通りエミリー・ブロンテの愛憎物語の古典小説「嵐が丘」を歌った内容。本国では発売と同時にチャートを駆け上り、女性ソロアーチストとしては初めて自作曲で1位を獲得しました。前年末公開の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットにより、世界はディスコブーム真っ只中でしたが、そんな世情などどこ吹く風、大いに風変わりでミステリアスな幻想曲が存在感を示したのです。日本では、かつての日本テレビ系のバラエティ番組「恋のから騒ぎ」のオープニングテーマとしても知られております。

1955年、英ケント州に生まれた彼女は、医者でピアニストの父と、直立したままウサギみたいにぴょんぴょん跳ねる独特のアイリッシュダンスの名手である母の下、幼少期からピアノやバイオリンを習うなどして音楽家の道を着実に歩み始めます。10代前半には既に作曲も始めており、デモテープを作って何度もレコード会社に売り込みますがことごとく撃沈。しかし、そんなデモテープの1本がプログレッシブ・ロックの雄、ピンク・フロイドのデビッド・ギルモアの手に渡り、才能を見出したデビッドさんの協力を得てデビューに至ったのでした。

後のキャリアを通した代表曲ともなった「嵐が丘」は、当時のイギリスの音楽シーンを彩っていたプログレッシブ・ロックやデビッド・ボウイに代表されるグラム・ロック、さらにはクラシックや劇場音楽や英国フォーク音楽の影響を色濃く映し出しており、なんとも形容しがたいアバンギャルド作品。それでも、あの少女アニメの声優か矢野顕子みたいな舌足らずで甲高いソプラノの歌声と、心地よく異次元へといざなう唯一無二な旋律には、えも言われぬ魅力があります。

歌詞も独特極まりなく、放浪の詩人アルチュセール・ランボーの難解な詩を読んでいるような気分になります。プロモーション・ビデオ(PV)もいくつか作られていますが、広漠たるいかにも英国的な草原を不思議な踊りで駆け回るケイトさんは、「天女の羽衣(はごろも)伝説」みたいで非世俗的です。

…とまあ、そんなわけで前回のニナさん以上にディスコっぽくないケイトさんですけど、80年に発売された3枚目のアルバム「Never For Ever」とか、85年に発売された5枚目のアルバム「Hounds of Love」(写真)には、ディスコで使える曲もちらほら。特に「Hounds of Love」は、初期高級シンセサイザーのフェアライトCMIを駆使しつつ、珍しくシンプルかつダンサブルな構成の曲が目立つ内容となっております。

中でも、終始きっちりとした16ビートでたたみ掛ける「Running Up That Hill」(85年、米ビルボード一般総合チャート30位、ディスコチャート17位)などは、ひとたびディスコで耳にしたならば、後ろから追っかけられるような切迫感に駆られて思わずフロアに引き込まれ、あっちにピョん、こっちにピョンってな具合に、フロアを野ウサギみたいに駆け回らざるを得なくなることウケアイです。ただ、この曲のPVを見てみると、なかなか真似のできない振り付けで床をのたうち回るシーンが展開しており、やっぱりアングラな「天女のはごろも」です。

この曲は、少し後にリリースされたフリートウッド・マックの似た曲調の「Big Love」や「Little Lies」、ペットショップ・ボーイズがプロデュースしたライザ・ミネリの「Losing My Mind」、それにプロパガンダの「P Machinery」なんかと繋いで聴くとイイ感じ。前衛的なだけではなく、いかにも80年代な曲もしっかり作っていたことが分かります。

ケイトさんは90年代以降も、寡作ながらコンスタントに活動を続けており、93年には先日57歳で早世したアメリカの奇才プリンスとの共作による「Why Should I Love You」などを含むアルバム「The Red Shoes」をリリース。2012年にはロンドン五輪のフィナーレ用に「Running Up That Hill」のリミックスバージョンを提供しています。

世俗に媚びない音楽が、逆に世俗に高く評価されるというのは、豊かで多様な音楽文化が根付いている証拠。和辻哲郎の言葉「風土が人間に影響する」ではないですが、イギリスがいつもロック・ポップス界の先頭を切って、型破りで面白い音楽を生み出してきたワケを垣間見る思いであります。

いやあ、それにしてもケイト・ブッシュさんって本来、「アート・ロック」の旗手とも呼ばれたぐらいですから、芸術的で知的で真面目な音楽人だとつくづく思います。究極の世俗音楽、ディスコのような奔放なおバカさがまったく見当たりませんもの!…というわけで次回は、再び純正ディスコの予定となりま〜す!