ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

80年代後半

サマンサ・フォックス (Samantha Fox)

Samantha Fox Touch Meサブリナに負けず劣らずの「バブリーボディー」で一世を風靡したのがサマンサ・フォックスです。10代からお色気アイドル路線まっしぐらでして、ついでにディスコヒットも連発しました。

1966年ロンドン生まれ。実母が下着姿のサマンサの写真をゴシップ新聞に送ったところ、フォトコンテストで上位にランクインしたのをきっかけに、ピンナップガールの道へと進みます。続いてかの「プレイボーイ」誌などで豪快にヌードも披露し、思惑通り「英国のセックスシンボル」となりました。

これまた自然の成り行きで歌手として曲を発表したのは、1980年代半ばです。19歳のときのデビュー曲の「タッチ・ミー」(86年)が、英米の一般チャートでいきなりトップ5に入る大ヒットを記録しました。とてもラッキーな躍進ぶりといえます。

その後も、「ドゥ・ヤ・ドゥ・ヤ」、「アイ・サレンダー」、「ストップ・ミー・ナウ」、「ノーティー・ガールズ」(全米一般チャート3位、全米ディスコチャート9位)、「アイ・オンリー・ワナ・ビー・ウィズ・ユー」「アイ・ワナ・ハブ・サム・ファン」(全米一般チャート8位、全米ディスコチャート2位)といったユーロビートやラテン・ヒップホップ、フリースタイル系の曲を次々と発表し、欧米や豪州、アジアで大ヒットを記録したのでした。もちろん、バブル期日本のディスコフロアでもギンギンにかかりまくりです。

80年代後半のディスコを語る際、どうしても登場してくるのが「打ち込みパターン化の帝王」ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)ですが、前回投稿のサブリナ同様、この人も一時期は影響下に置かれました。まあ、私は特別に嫌いじゃないですけどね、SAW。上記のヒット曲の中では、「ストップ・ミー・ナウ」(2時間でレコーディングを終えたとの伝説あり)、「アイ・オンリー・ワナー…」、などが彼らのプロデュースです。

ただ、ボーカルスタイルや曲調という点では、サブリナや同じSAW系のカイリー・ミノーグバナナラマたちと違い、少々ワイルドなロックテイストが含まれているのが特徴といえるでしょう。

90年代に入ると、彼女の肉体にも徐々に衰えが目立ち始め(?)、セールスも下降線に。サマンサに内緒で巨額の富(2億円近くといわれる)を勝手に口座から引き出していたとして、事実上のマネジャー役だった実父を提訴するという“骨肉の父娘紛争”も勃発しました(娘が勝訴)。この父親は元大工だったそうですが、「いきなり打ち出の小槌」の娘から、手痛いしっぺ返しを食らったわけです。娘の下着姿を売り込む母親といい、なんだか日本の芸能界でもありそうな「アホ親」といった風情もありますね。

さて、この人のCDはベスト盤を中心にまずまず出ています。写真は「タッチ・ミー」や「ドゥ・ヤ・ドゥ・ヤ」などが入ったデビューアルバム「タッチ・ミー」。ジャケットのサマンサが、なかなかワイルドで場違いな感じですが。……あと、下写真は日本盤(BGMファンハウス)の「12インチ集」。肖像権絡みでしょうか、写真がヘンにボケちゃってますが、これは文字通り、彼女のヒット曲の貴重なロングバージョンが計11曲収録されていて、内容的には結構おススメでございます。

Samantha Fox

サブリナ (Sabrina) &イベント告知

Sabrinaさて、今回は「ディスコおねえさん特集」の続きでサブリナ(本名:Sabrina Salerno)です。写真はデビューアルバム「サブリナ」の日本盤CD。80年代後半、ご覧の通りバブリーな容姿で大人気だったアーチストであります。

1968年イタリア生まれ。「地元の美人コンテストで優勝→モデル→歌手」という一般的なパターンを歩んだ彼女は86年、「セクシー・ガール」という曲をリリースして注目されます。続く87年に発売した「ボーイズ」がヨーロッパを中心に世界的なディスコヒットとなったわけです。日本でもバブル・ディスコ時代を代表するアーチストに加えられますね。

ヌード姿やお色気路線のビデオクリップも話題となりました。ディスコ界では珍しくはありませんが、歌の上手い人ではまったくありませんので、最初からもろセクシー(エロ)狙いの歌手だったといえます。男子にとっては「ジャケ買い必至」といえましょうか。な〜んとお下劣!……いや、私も当時、そんな感じで12インチを買ってしまった一人であると告白いたします。

曲のスタイルは、典型的なシンセ打ち込み型のイタロディスコ(ユーロビートでも可)です。上記2曲以外にも、「ライク・ア・ヨーヨー」とか「ホット・ガール」とか「オール・オブ・ミー」などのポップナンバー、さらには「レディー・マーマレード」、「アイム・セクシー」、「マイ・シャローナ」などのリメイクものを数多くリリースし、それぞれ相当な人気を博しました。

売れっ子になったこともあり、プロデューサーやアレンジャーには、ジョルジオ・モロダーラビヨンダストック・エイトケン・ウォーターマンをはじめとするディスコ界の大御所も起用されています。

サブリナさんは歌手活動だけでなく、恵まれたルックスをフルに生かし、舞台女優やテレビタレントとしても活躍しました。日本で言えば、80年代タレントの武田久美子とか伊藤かずえに似た感じですね(特に顔)。

それでも、90年代に入ると「アーチストとしての私」に目覚めたのか、セクシーイメージを払拭しようとして事務所と対立するようになり、セールス的に低迷した時期がありました。それでも90年代後半には無事カムバックを果たし、本国では40代に突入した現在も、かなりの人気を保っているようです(セクシー路線はどうやら“遠い昔”ですが)。

CDは、デビュー当時からけっこう日本盤でも海外盤でも出ていたのですが、最近はほとんどが廃盤になっています。とはいえ、ベスト盤はドイツの「L.T. Series」などからいくつか出ておりまして、入手はそれほど難しくありません。往年のバブリーディスコを堪能したい向きには、このバブリー歌手は欠かせない存在かと思われます。

★★★ところで、今回はちょいとイベント告知を・・・・・・。本ブログのコメント投稿で毎度お世話になっておりますベテランDJ「ボビQ」さんが3月7日、東京・高円寺にてディスコイベント「幕の内ナイト」を再び開催いたします。私もちょくちょく行っておりますが、80年代のハイエナジー&ユーロビート&ニューウェーブを中心に、ロック、パンク、R&Bさらには和モノなど盛りだくさんの内容でして、文字通り“幕の内な夜”を満喫できます。その該博な音楽知識と選曲センスにはいつも感銘を受けております。東京界隈の方はぜひ! 

詳しくは専用サイトをご参照ください↓
http://www.geocities.co.jp/makunouchi_night/

ステイシー Q (Stacey Q)

Stacey Qマドンナが圧倒的な存在感をもって登場した80年代半ば、似たような“二番煎じ”女性ポップ歌手が続々と現われました。その代表例が、今回紹介するステイシーQですね。86年に「トゥー・オブ・ハーツ(Two Of Hearts)」が全米一般チャート3位まで上昇。全米ディスコチャートでも4位になりました。

日本では80年代後半の「バブル・ディスコ」に属しますね。私はディスコでももちろん聞きましたし、テレビの深夜番組でゲストに登場して、口パクで歌っていたのも思い出しますな。

やはりマドンナ的な、甘ったれた感じのセクシーボイスがウリであります。曲調の基本はハイエナジー&ユーロビートで、当時よく使われていたマシンガン風ディレイエフェクトを使った「アアアアアアアアイニージュー♪♪」のイントロでもお馴染みでした。まあ、今聴くとそれほどインパクトを感じない曲ではありますが、事実上の一発屋の彼女にとって唯一最大のヒット曲であり、「ステイシーといえばアイニージュー」という代名詞が成立するとは言えるでしょう。

ステイシーQ(本名:Stacey Swain)は1958年カリフォルニアに生まれ、80年代初頭にインディー系のシンセポップバンドである「Q」、さらにはその改名後の「SSQ」のリードボーカルとして注目されるようになり、ソロになってヒット歌手になりました。

SSQ時代は、例えばベルリンのテリー・ナンとかミッシング・パーソンズのデイル・ボジオとかゴーゴーズのべリンダ・カーライルのような「かわいこちゃん&ポップロック・バンド」路線だったのですが、いまいち売れなかったのでマドンナ化し、まんまと成功したわけです。

マドンナ路線の女性ポップ歌手は当時、「タッチ・ミー」などで知られるサマンサ・フォックスとか、「ベイビー・ラブ」で知られるレジーナとか「キープ・ミー・ハンギング・オン」のキム・ワイルドとかがいました。日本でも本田美奈子とかレベッカなどが「和製マドンナ」なんて言われてですね。確かに曲調や声質などが、マドンナに似せたような曲や歌手が多かった時代です。

ステイシーは「アイニージュー」の後、小ヒット「We Connect」(86年、一般チャート35位)、「Don't Make A Fool Of Yourself」(88年、ディスコチャート4位)などを出して、それから失速。それでも、コンサート歌手や女優として、現在まで芸能活動はしているようです。

この人のソロ時代のCDはけっこう出ていますね。やはりソロデビューアルバム「Better Than Heaven」(写真)に尽きると思います。これに「アイニージュー」と「We Connect」が収録されています。ええと、それから、貴重なSSQ時代のYouTube映像がありましたので、以下張っておきます。



ミリー・スコット (Millie Scott)

Millie Scott今回は「黒いジャガー」から時代をぐ〜んと新しくして、久しぶりに1980年代後半の「バブルディスコ」ということで。一時期、「Prisoner Of Love」(86年、全米ディスコ13位、R&B78位)、「Every Little Bit」(87年、R&B11位)、「Automatic」(87年、R&B49位)などの中小ヒットを集中的に繰り出したミリー・スコットさんです。

私も当時、浮かれ気分の六本木などのフロアで大変よく耳にしたものです。どちらかというと正統派ソウルなタイプの人で、活躍ぶりは地味でしたが、個人的に好きで、レコードを買ってよく聴いていた記憶があります。

調べてみますと、なんと申しましょうか、“ザ・苦労人”なんですね。本名はMildred Vaney(ミルドレッド・ヴェイニー)。47年米ジョージア州生まれで、少女時代はゴスペルで鍛え上げ、デビューに至ったのは60年代です。テンプテーションズやアル・グリーンといった大物のバックコーラスを務めたほか、「The Glories」、「Quiet Elegance」という名の女性グループでもボーカルを務めるようになったのですが、さしたるヒットには恵まれませんでした。

それでも、ディスコ史的には70年代末、突然ひょこっと顔を出したのがミリーさんであります。「Hott City」と「Cut Glass」という2つのディスコグループ(実はメンバーなどが互いにかなりダブっている)の中心ボーカルでもあったのです。前者では「Ain't Love/Feelin' Love」(79年、全米ディスコ29位)が、後者では「Without Your Love](80年、同16位)が、それぞれちょっとしたディスコ曲として認知されました。特に「Without…」なんて、後にディスコリメイクされたほどでして、なかなかゴキゲンな良曲となっております。

数年間のブランクの後、彼女のピークがやってまいりました。86年にソロデビューアルバム「Love Me Right」をリリースして英米でヒットを記録。この中から表題曲と「Prisoner Of Love」、「Automatic」、「Every Little Love」の計4曲のダンスチューンを矢継ぎ早にヒットさせたのです。このとき既に40歳になっていました。

曲調はもうホント、当時流行ったまったり感のあるアーバン・ファンクです。似たようなところでは80年代半ば以降のS.O.S.バンド、ルース・エンズあたりが頭に浮かびます。バブルなディスコはもちろんですが、こじゃれたカフェバーみたいなところでも確実にかかっていました。90年代ユーロビートやハウスやテクノやニュージャック・スイングみたいにハイパーになる直前のシンセサイザーの乾いた音色が、ガラス&鏡張りで無機質な「ザ・クリスタル」店舗空間には妙にしっくりきたものです。

彼女はこの後、88年に2枚目のアルバム「I Can Make It Good For You」を出しましたが、ちょいヒット止まり。再びバックボーカル中心のいぶし銀な活動ぶりになっていきました。歌はとてもうまいのですけど、うまいだけならほかにも大勢います。例えば、同じころに売れていたホイットニー・ヒューストンやジャネット・ジャクソンやキャリン・ホワイトのように、聴いて識別できるような“個性”に乏しい印象がありますね。

さて、この人のファーストアルバムのCDは長年、レア扱いで一時は日本円で数万のバカバカしい高値をつけるほどでしたが、なぜか今年に入って日本とオランダから相次いでCDが再発されました(写真)。注意したいのは、「Prisoner・・・」の12インチバージョンなどのステキなボーナストラックが、オランダのPTG盤にしか入っていないという点。音質に差はないので(実は間違って2枚とも買ってしまってトホホ)、ここは“輸入盤に軍配”ですかな。

ティファニー (Tiffany)

Tiffanyえ〜と、80年代後半の“ミーハー”シリーズですが、今回はティファニーということで。16歳のときの87年に出した「I Think We're Alone Now」(邦題:ときめきハート)が、あれよという間に全米一般チャート1位に上り詰めました。

が、ディスコチャートでは26位と今ひとつ。でも私自身、当時から12インチを持っているところをみると、ディスコでもかかっていたのではないかと思います(記憶あいまい)。あらためて聴いてみると、ユーロビートみたいですけど。

「I Think…」は、67年に男性グループTommy James & the Shondellsがヒットさせた曲のリメイク。79年には、スコット・アランなる謎のアーチストも、TKレーベルからディスコリメイクを出していて、全米ディスコチャート21位まで上がっています。ちょっとAORっぽい感じですが、こちらはなかなかエッジの効いた「もろディスコ」曲です。

ティファニーはこの曲の直後、バラード「Could've Been」(邦題:思い出に抱かれて)も1位になり、勢いのいいところを見せます。ところが88年、本人、両親、それにマネージャーが、ギャラの管理などマネジメント方針をめぐって対立し、裁判沙汰となりました。

スキャンダラスなイメージがまとわりついて人気が急降下、90年代以降、二度と浮上することなく現在に至っております。7〜8年前には、雑誌プレイボーイでヌード(巨乳)も披露する有様で、まさにJガイルズバンド「堕ちた天使」(82年の大ヒット曲。クラスのアイドルがヌードモデルになったエピソードを歌っている)さながらの状況ですね。

前回投稿のシニータやカイリー・ミノーグもそうですが、このころは女性アイドル路線が世界的に目立ちました。特にアメリカで、ティファニーと人気を二分していたのは、ほぼ同い年のデビー・ギブソン(写真下右)です。

デビーの方も「オンリー・イン・マイ・ドリームス」(87年、全米一般チャート4位)とか、「エレクトリック・ユース」(89年、同11位)といったディスコな曲をチャートに送り込む一方、「フーリッシュ・ビート」(88年、同1位)「ロスト・イン・ユア・アイズ」(89年、同1位)などのスローバラードも大ヒットさせました。「オンリー・イン・マイ・ドリームス」なんて、ディスコでもけっこう耳にしたものです。

しかも、90年代に入って落ち目になり、3年前には雑誌プレイボーイでヌードを披露したというのも、ティファニーと似た経緯です。ただ、「歌だけ」のティファニーと違って、ピアノを弾きこなし、作詞、作曲もやる器用な人だったこともあって、ミュージカル女優なんかとしては人気を保っているようです。

それにしても、ティファニー、デビーともに、10代とは思えないほど歌はかなり上手かった。ポップ歌手というより、カントリーとか、ロックの要素を強く感じさせる人々です。

二人のCDはたくさん出ています。というよりも、もう87〜88年ごろにはCDの方がレコードより優勢になっていましたし。ほとんどのアルバムは、今では中古CD店で500円ぐらいで売っているはずです。

最後に、ティファニーとデビーの近況を伝える動画を張っておきます。若くして大ステージで飛び回っていた2人だけに、少し寂しい気がします。

ティファニーがCD店でプロモーション
デビーがショッピングモール(?)で熱唱

Debbie Gibson

シニータ (Sinitta)

Sinittaユーロビート系の「いま聴くのはキツいかなあ…シリーズ」としては、シニータも代表格に挙げられるでしょう。「ソー・マッチョ」「トーイ・ボーイ」「G.T.O.」などなど、往年のヒット曲を耳にするたび、80年代後半のバブルディスコの気恥ずかしさがよみがえります。

1964年米国に生まれ、英国に育った彼女は、ディスコが80年以降も生き残り、ユーロビートの発信源の一つでもあった英国で女優、ダンサー、歌手として活躍しました。

「ソー・メニー・メン」(82年)のミケール・ブラウンの娘、「ノック・オン・ウッド」(79年)のエイミー・スチュアートの姪であることはかなり知られています。「ブレイク・ミー」のホット・ゴシップに在籍していたことも以前の投稿で触れました。しかし、これに限らず、彼女はけっこうエピソードが豊富な人です。

私がまず特筆したいのは、売れる前の1983年初頭、フォレストというアーチストの「ロック・ザ・ボート」のビデオクリップに出ていたということ。先日、YouTubeでその動画を発見したので下に紹介しておきますが、非常に珍しいものと思われます。



この動画をアップしたのは、どうやら当時のビデオ制作者本人らしく、動画がスタートする直前の字幕で、「金曜日の夜に注文を受けて、日曜日午前中の3時間で仕上げて、月曜日朝9時半にTOTPに届けたという、思い出深い作品だ」とエピソードを語っています。TOTPとは「Top Of The Pops」の略で、日本の「ザ・ベストテン」みたいに英国で当時、大人気だった音楽番組のことだと思われます。ついでにこの人のプロフィールをみると、「YouTubeに動画を掲載するのは、自分の作品を紹介するだけではなく、今でも仕事を探しているからです」と書いています。いま仕事がなくて困っているのでしょうか??

フォレストの「ロック・ザ・ボート」(邦題:「愛の航海」)は、「世界初のディスコヒット」ともいわれる有名なヒューズ・コーポレーションの同名曲(74年)をディスコリメイクした曲で、英国一般チャートでは4位まで上昇しております。

当時の日本のディスコでもとて〜も流行っていました。私自身、札幌の「テレサ・ガリレオ」という店で執拗にプレイされていたのを思い出します。お気に入りの曲だったこともあり、粘着質でくねくね踊った記憶があります。

動画をみると、確かに下積み時代のシニータが「黒人が踊る白鳥の湖」のようないでたちで、ほかの出演者とともに画面いっぱいに飛び回っているのがなんとかわかります。ただし、3時間で仕上げた超やっつけ仕事のビデオだけに、内容はトホホですがね。

シニータはこの後まもなく、ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)という大ヒットメーカーのプロデューサー・チームらの力を借りつつ、「ユーロの女王」として君臨するわけです。「あの日にゲット・ライト・バック」(原曲はマキシ・ナイチンゲール)「夜明けのヒッチハイク」(原曲はバニティ・フェア)みたいに、過去のヒット曲のリメイクも多かったですね。ちなみに、スターの仲間入りをして浮いた話も増え、かのブラッド・ピットと付き合っていた時期もあったそうです。

カイリー・ミノーグやバナナラマもそうですけど、SAWなどが生み出したユーロビートものは80年代後半、米国一般チャートでさえ相当に上位にきていましたから、世界的なブームでした。「いま聴くとツラい」とはいえ、もしかしたら侮れないのかもしれません、ザ・ユーロビート。

シニータは90年以降には失速しましたが、2000年代に入り、音楽以外のことで再び話題を提供しています。英国の複数のメディア報道によると、夫Andy Willnerの間に子が生まれなかったため、代理母を頼んで出産してもらおうとしたのでした。けれども、それでも代理母が流産するなどして失敗し、2年前、2人の養子を迎えることを決めました。

再発CDは各種あります。写真はビクターの国内盤「Sinitta!」で、「あの日にゲット・ライト・バック」をはじめ、トーイ・ボーイより後のヒット曲が並んでいます。

フォレスト「ロック・ザ・ボート」の方は、スペインのディスココンピ「I Love Disco Vol3」に12インチバージョンが収録されています。でも、この12インチはやたらと長くて(9分近い)間のびするため、動画にあるショートバージョンの方が好きですね。

ケン・ラズロ (Ken Laszlo)

Ken Laszlo忙しさにかまけて更新を怠っておりますが、イタロもので印象深かったアーチストをもう一人。80年代中盤から後半にかかけてヨーロッパで活躍したケン・ラズロです。

86年4月に札幌から東京に移り住んだ頃、既にディスコ産業自体は衰退期に入っており、かつての“ディスコ王国”六本木などに古くからあったディスコは、客の数を減らしていました。割引券を盛んに配るなどして、客を呼び込むのに懸命だったわけですが、「マハラジャ」、「エリア」に代表される派手系ディスコについては「満開イケイケ!」という感じでした。

ときあたかも、日本はバブル経済の真っ只中。昨年公開の映画「バブルへGO!!」(「バブルでGO」ではない)で出てくるような浮かれた雰囲気が、ディスコにも溢れていたわけです。ボディコン、ワンレンの女性たちが狂喜乱舞する「お立ち台」が登場したのもこのころです。今、ディスコのことを尋ねられれば、40歳前後の普通の人は、この懐かしくも空しい「バブルディスコ」を思い出すことでしょう。

そんな派手系ディスコで最も盛り上がっていたジャンルが、文字通りイタリアで量産された「イタロディスコ」でした。つまり、日本で言うユーロビートの初期の曲。80年代前期に流行ったハイエナジーを土台としており、シンセサイザーを多様した豪華絢爛な曲調が特徴です。当時は、どれがどのアーチストなのか分からないくらい、同じようなアップテンポ・ナンバーがフロアに充満していたのを記憶しております。こうした曲が次から次へと繰り出されると、踊っているうちに頭の中が飽和状態になって、酸欠になることウケあいでした。

バブル期のユーロビートには、ストック・エイトケン・ウォーターマンのプロデュースで知られるバナナラマリック・アストリーカイリー・ミノーグあたりの大御所が含まれますが、マイナー系で一番、私の印象に残っているのがケン・ラズロの「トゥナイト」(1985年発売)ですね。上京したての私は、この曲によって「六本木の洗礼」(トホホ)を受けたといっても過言ではありません。

私がフロアでよく聞いたのは、いくつか出たリミックスものの一つ。「トゥ、トゥ、トゥ、トゥナイト♪」といった具合に、今聴くと「くどい!」と思うくらいに何度もサンプリングされたフレーズが出てきていました。「チャ、チャ、チャカーン」「ナ、ナ、ナ、ナ、ナインティー」みたいに、いかにも80年代的な展開です。

ほかのイタロ系アーチストにもいえるのですが、ケン・ラズロのプロフィールははっきりしません。判明したのは、Gianni Corrainiというのが本名らしいということぐらいで、どこの国の人なのかもいまひとつ不明です。

ただ、CDは欧州を中心に何枚か出ています。写真上はイタロ系のレーベルとして知られる独ZYX盤です。ほとんどが12インチバージョンで、日本盤のユーロビートCDシリーズである「ザッツ・ユーロビート」のVol.1にも入っている、「トゥナイト」のリミックス(前述のトゥ、トゥ、トゥ、トゥナイトのサンプリングバージョンとはまた別)も入っています。

ケン・ラズロには、トゥナイトのほかにも、「Hey Hey Guy」、「Don't Cry Tonight」といった曲があり、欧州や日本のディスコではそこそこのヒットとなりました。YouTubeを検索しますと、けいっこう彼の曲がアップされていました。ここではトゥナイトを張っておきましょう。「やる気のない歌いっぷりと白いブーツ」があきらかに印象的です。

バルティモラ (Baltimora)

Baltimora70年代には、「カンフー・ファイティング」、「ソウル・ドラキュラ」、「ディスコ・ダック」のような、おバカディスコがかなり幅を利かせました。日本でも「ディスコお富さん」みたいな変テコなのが無数に世に出ました。80年代になるとさすがに飽きられて下火になったわけですが、「懲りないおバカもの」もいくつか存在しております。代表例は「ターザン・ボーイ」(1984年)ではないでしょうか。

いやあ、ビデオクリップ見てるだけでも、もう「牧歌的おバカさん」であることが明らかです。歌詞も「うぉーうぉー。さあ君、かくれんぼとかしてジャングルライフを楽しもう♪」と単純そのもので(万が一、深い意味があっても気にしない)、あまりに哀れで悲しい。

しかし、私はこの曲をあえて過大評価したい。なにしろ、80年代も半ばの85年、主流ヒット街道から真逆に位置しているとされたシンセディスコ系でありながら、ビルボード一般チャート13位まで上昇したという点が畏れ多い。全米ディスコチャートでも6位まで上昇しました。ヨーロッパ各国では、軒並みベスト10入りするなど、もっとヒットしています。

ターザンボーイは、日本でその後流行った「ユーロビート」の先駆けといえるでしょうが、欧米では、英国など一部を除いてユーロビートという言い方はほとんどしません。この手のシンセディスコは、80年代後半にイタリアで量産されたことから、「イタロディスコ」というのが一般的です。欧州ではかなりの人気ジャンルだったわけですけど、既にロック、ニューウェーブが主流だったアメリカでは、「おカマっぽ〜い」と毛嫌いされていたわけです。

その意味で、ターザンボーイは、アメリカチャートを席巻した最初で最後の「イタロディスコ」でした。私も、「何でこんなのがビルボードに入るのか?」と不思議に思いました。でもなんだか嬉しかった。日本でも、国内盤12インチが発売されるなどして、かなりのヒットぶりだったのを思い出します。

バルティモラは、ジミー・マックシェーン(Jimmy McShane、写真下右)という北アイルランド出身のダンサーが中心のグループ。イタロディスコ系ではよくあることなのですが、素性はかなり謎に包まれています。ビデオに出てくるダンサー(けっこう上手い)はジミーだと思いますが、歌は別の人物が歌っているといわれています。この「口パク説」については、各国のカルトディスコサイトでしょっちゅう議論されていますが、結論は出ていません(まあ、どっちでもいいが)。

バルティモラが出したアルバムは2枚。ターザンボーイのほか、子供向け番組の挿入歌みたいな「Woody Boogie」が収録された「Living in the Background」(85年)の後、87年に「Survivor in Love」を発表したものの、後者はまったく売れませんでした。結局は「ターザンボーイのバルティモラ」の一発屋で終わったわけです。

それでも、ターザンボーイだけはさすがにインパクトが強く、アメリカでは映画に使われたり、口臭消し薬品の「リステリン」のCMに使われたりして生きながらえました。93年には突如、リミックスバージョンがビルボード一般チャートで51位まで上昇しています。

けれども、そのすぐ後の95年には、バルティモラは永遠に姿を消すことになりました。ジミーがエイズでこの世を去ったのです。享年37でした。

写真上のCDは、かなり前にイタリアで発売された「Living in the Background」。ボーナストラックとして、ターザンボーイが、リミックスなどを含めて怒涛の4バージョンが収録されています。中でも、85年に12インチで発売された「サマー・バージョン」というのは、呑気な哀感が漂ってきます。まさに“おバカで哀しく、そして楽しい”ターザンボーイの真骨頂というべきでしょう。

Baltimora2

リック・アストリー (Rick Astley)

Rick Astley仏の面も三度……というわけで、「80年代後半・怒涛のユーロビートシリーズ」の最後を飾るのはリック・アストリー。ソウルフルな声の持ち主でありながら、見た目は単なる「英国のお坊ちゃまシンガー」であります。

もういきなり「日本盤」であることがバレバレな左写真は、むか〜しから売っているにも関わらず(89年発売)、今もTSUTAYAなどのバーゲンセールで500円程度で普通に見かける不思議ちゃんCD「12インチコレクション(5曲入り)」であります。つまり、それだけ当時は人気だったため、大量にプレスされた証だというわけですね。プレミアはまったくありません。

ただし、中身については、「必要十分の名盤」と私などは言い切ってしまいます。まず、リックさんを聴くのであれば、12インチである方が良い。そして、そんなにたくさん名曲がないから5曲入りで十分――ということです。

収録曲は、「ネバー・ゴナ・ギブ・ユー・アップ」「トゥゲザー・フォーエバー」「テイク・ミー・トゥー・ユア・ハート」「ダンス・ウィズ・ミー」「ストロング・ストロング・マン」。最初の2曲(両方とも全米ポップチャート、ディスコチャート、英国チャートいずれも1位)だけでもありがたいのに、3曲もプラスされているのです。

あえていえば、「When You Need Somebody」あたりが入っていればパーフェクトだったのでしょうが、まあ我慢の範囲であります。

プロデュースは、またもやストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)でありまして、曲調が「いかにも」というのは周知の事実。5曲とはいえ、続けて聴くと飽きます(断定)。でも、声はやっぱりいいのかなあ、と思います。全盛期バブルディスコの「フロア炸裂」の思い出もよみがえりますしね。女性ボーカル優勢のユーロビート(後期ハイエナジー)界にあって、ここまで男性ボーカルで高い位置を占めることができたのは特筆すべきことです。

リックさんは、90年代以降はSAWから離れ、自らの原点であるソウルな路線(もともとクラブのソウルバンドシンガーだった)で自立の道を模索しますが、あまりうまくいきませんでした。盛者必衰の理であります。それでも、2曲も超特大ヒットを飛ばしたのだからよしとしましょう。少なくとも“一発屋”ではないわけです。

サマンサ・ジルズ (Samantha Gilles)

サマンサ・ジルズ「円高でお金持ちだよん」――ということで日本が有頂天になっていた80年代後半、ディスコは“マハラジャ旋風”に代表される第2次黄金期を迎えていた。「さあジャパンマネーでお買い物だよん!」というわけで、レコード関係者たちは、ハワイの不動産ブームをよそに、ヨーロッパの音楽著作権を買いあさっていたという。

最大の標的は、ものすごーく不況に陥って通貨リラが暴落していたイタリアやスペインなどの「ユーロビートの本場」の国々だった。「ユー、アー、プレ〜イボーイ♪」「アイライクショパン〜♪」などと聴けば、ピンとくる40前後の人々も多いであろう。

ちょっと地味だけど、ベルギー出身のサマンサ・ジルズも、そんな感じで日本に「安く輸入」された一人だった。ベルギーといえば、70年代後半の「ディスコ第一期黄金時代」には、「サンチャゴ・ラバー」でお馴染み(?)のエミリー・スターという「アイドル的ディスコちゃん」が人気を博したが、それ以来ということになる。

サマンサもまさに「ちゃん」付けが似合うような、美少女アイドル系だった。何しろ1984年に「フィール・イット(Let Me Feel it)」でデビューした当時は12歳。「英国ハイエナジー・ディスコチャート」で上位にランクインするなど、まずは欧州で人気に火がついたが、即座に日本にも飛び火したのである。

私は上記「ハイナジー・チャート」で初めて目にして、さっそく英レコード・シャック盤の「フィール・イット」の12インチを買ってみたのだが、最初に聴いた印象は「まあまあ」。でも、B面に、少し面白いアレンジのリミックスが入っていたのを記憶している(今は部屋の片隅に埋もれていて捜索不可能)。

サマンサはその後、「Music Is My Thing(ミュージックがすべて)」(86年)、「Hold Me」(87年)、「One Way Ticket To Heaven(天国への片道切符)」(88年)、「S.T.O.P.」(同)といった、哀愁路線のハイエナジーヒットを立て続けに飛ばしていった。ヨーロッパでの低落気味のセールスをよそに、日本では大いにもてはやされ、その勢いは90年代初頭の「ジュリアナ東京」なんかの時代まで続いた。もはやサマンサに怖いものはない……。

ところが、それから間もなく彼女は、忽然と姿を消すのである。90年代半ばごろまでは、日本で細々と、ありがちな「大人のサマンサ」路線のアルバムをエイベックスから出していたのだけれど、96年発売の「デスティニー」を最後に、ぱったりと音沙汰がなくなってしまったのだ。理由は、単に「売れなくなった」ということなのだが、日本における「バブルディスコの終焉」とも、濃厚に重なり合っていることは確かだろう。

あっさりと日本にも捨てられ、忘却の彼方へと追いやられてしまったサマンサ。けれども、ハイエナジー(ユーロビート)の一つの象徴として、日本ディスコ史にしっかりと足跡を残していったという事実は消えない。今も故郷ベルギーの港湾都市アントワープあたりで、トレードマークのブロンド髪をはためかせながら、元気に暮らしていることを祈るばかりである。

ちなみに、「ミュージックがすべて」は、4年前に日本の子供アイドルグループ「dream」がリメイクしてヒットさせている。私は何だか懐かしくて、近所のCD店で思わず買ってしまったのだった(トホホ)。

写真のCDは、1988年に発売された日本盤ベスト。「ミュージックがすべて」「ホールド・ミー」「天国への片道切符」が、いずれもロングバージョンで収録されているのがうれしい。ただ、ジャケットの少しはにかんだ表情のサマンサが、妙に哀しみを誘うのである。
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