ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

70年代後半

ワイルド・チェリー (Wild Cherry)

wild cherryまたまたお久しぶりで〜す!昨日たまたま自分のこのブログを見ていたら、訪問者数の累計カウンターが「555555」の5並びになって腰を抜かしました。思わずスクショです(下写真)。なんとなく得した気分になって参りましたので、今回は渾身の力を込めて「ワイルド・チェリー」を取り上げてみましょう!

ご存知、「Play That Funky Music(プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック)」(1976年、米ビルボード・ポップチャート1位、R&Bチャート1位、ディスコ12位)で一世を風靡したナウでイカした白人5人組バンド。この曲は、初っ端から繰り出されるパンチの効いたギターリフが、音楽史上に輝くほどに印象的。日本でも例えば、北海道が生んだド迫力ボイスの女性ボーカリスト大黒摩季さんの90年代の大ヒット曲「別れましょう私から消えましょうあなたから」(タイトルやたら長い)のイントロでも、ちょいとパクった感じで使われています。

バンド自体は1970年、アメリカの中西部と呼ばれる地域のオハイオ州出身のミュージシャンRob Parissi(ロブ・パラッシ)さんが、地元の仲間を集めて結成。All Music Guide系サイトなどによると、バンド名は、ロブさんが体調を崩した時になめていたという、アメリカで今も発売されている咳止めドロップの「Wild Cherry」に由来します。

彼らはオハイオ州に隣接するペンシルバニア州のピッツバーグを拠点にライブ活動を展開。これが評判を呼び、間もなくレコードデビューも果たしますが、あまり売れませんでした。そこで、アメリカ有数の工場地帯で労働者としての黒人居住者も多い地元での知名度を上げるべく、オハイオ州が本場でもあるファンクミュージックとロックを融合させたような曲「Play That Funky…」を制作して発表すると、瞬く間にヒットチャートを駆け上ったのです。

この曲は当時、全米で燎原の火のごとく広まっていたディスコブームにも完璧に乗っかっていました。何しろ、歌詞の前半に「俺はロックンロールをガンガン歌うシンガーだったんだが、何もかもがイヤになった時があった。試しにディスコを覗いてみたら、みんな踊りまくってノリノリだった。そしたら誰かが俺の方を振り向いて『あのファンキーな音楽をプレイしてくれ!』って叫んだのさ」といった具合に、「ワイルド・チェリー様ご一行、ディスコへの旅立ち」がしっかりと歌われているのです!

「Play That…」が入った9曲入りデビューアルバム「Wild Cherry」(上写真)も、当然ながら大ヒット。ウィルソン・ピケットのカバー「wild cherry 99 1/2」、「Don't Go Near The Water」、コモドアーズのカバー「I Feel Satisfied」などなど、似たような感じのもろファンキーなダンス曲が目白押しです。モータウンやアトランティックといった黒人音楽レーベルの影響を濃厚に映し出しています。

すっかり気をよくした5人は、その後も次々とアルバムを発表します。…でも、これがどうしても売れませんでした。79年に出した4枚目のアルバム「
Only The Wild Survive」を最後に、あえなく解散。どれもファンキー・ロック路線を踏襲しており、ディスコ好きにはなかなかの佳作だと思うのですけど、やはり「Play That...」のインパクトが強すぎて、それを超えるモノが発表できなかったというわけです。せっかくディスコに開眼して世に出てきたのに、ブームが下火になったのと軌を一にして終焉を迎えてしまったのでした。

彼らは「あの曲」によって正真正銘の一発屋となりました。とはいえ、そんな“奇跡の1曲”があったからこそ、末永く記憶されるバンドになれたのも確かです。デビューアルバムはCD化もされていて普通に入手できます。でも…ほかの3枚は中古LPしかなく、これからも末永くCD化されることはないでしょう(トホホ)。

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キャプテン・アンド・テニール (Captain & Tennille)

Captain and Tennilleいやあお久しぶりで〜す。今回は、これまで何度となく取り上げてきた「ディスコで復活狙い」のパターンを再び。楽器もやるけどダ・カーポやチェリッシュみたいな米国の仲良し夫婦ポップデュオ「キャプテン・アンド・テニール」を紹介しておきましょう。

1942年生まれのDaryl Dragon(ダリル・ドラゴン。ニックネームは「キャプテン」)、40年生まれのToni Tennille(トニー・テニール)の夫婦2人ともに、1970年代前半にはビーチ・ボーイズのキーボード担当のバックミュージシャンでした。

結婚したのは1975年で、その年にデュオとして初のアルバム「 Love Will Keep Us Together」(邦題・「愛ある限り」)をA&Mレコードからリリース。シングルカットされたニール・セダカの曲のカバーで軽快極まるアルバムタイトル曲が、いきなり全米ビルボード一般チャート1位に輝きました!

その後毎年、A&Mからアルバムを発表し、ジャングル風のイントロからいきなり弾むように展開する爽やか系「Lonly Night (Angel Face)」(全米一般チャート3位)などのヒットを連発しましたが、78年に出した4枚目「Dream」があまり売れず、A&Mとの契約は解除になってしまいました。

そこに目を付けたのが、ドナ・サマービレッジ・ピープルが在籍していた「ディスコの殿堂」カサブランカ・レコードの社長、ニール・ボガートです。2人を説得して移籍させて、アルバム「Make Your Move」(写真、YouTubeで視聴可)をリリースしました。このアルバムからはしっぽりバラードの「Do That To Me One More Time」がなんと全米一般チャート1位となり、再びトップスターの座に返り咲くことになったのです。

このアルバムは夫ダリルがプロデュース。「Do That…」などのバラード数曲をのぞくと、けっこうなディスコ路線(カサブランカだから当たり前)です。特にA面4曲目「How Can You Be So Cold」は、もう最初からどんどこ四つ打ちディスコビートが炸裂し、そこにトニーのややハスキーなアルト&メゾソプラノの歌声が伸びやかに躍動するパターン。中盤ではディスコDJが次の曲と繋ぎやすいように長めの間奏(ブレイク)が入ってきて、印象的なベースラインやホーンセクションが織り込まれています。

B面2曲目「Happy Together」も正統派ディスコのノリを踏襲しています。やはり60年代に活躍した米国のロックバンド「ザ・タートルズ」の代表曲のカバーなのですが、途中でシタールの音色や馬の足音が入ってくるなど、珍妙なオリエンタル感覚で攻め立てています。

2005年に米ユニバーサル・ミュージックから発売された「Make Your Move」の再発CDのライナーノーツには、トニー自身が寄稿しているのですが、このアルバムについて「ダリルの一風変った解釈が詰まっている『中東の砂漠風ディスコ』なのよ」と説明しています。まあヒットしたのはバラードの「Do That…」だったわけですけど、かつてはポップスで一世を風靡したこの人たちにも、立派に「ディスコ期」があったわけです。

この後、2人は80年にカサブランカからもう1枚、アルバムを出しますが、これは不発に終わり、音楽業界の表舞台からは遠ざかっていきます。今は2人とも70代半ばになりますが、つい2年前に離婚しており、それぞれ米国内で静かに余生を過ごしているようです。

キャリー・ルーカス (Carrie Lucas)

Carrie Lucas今回はおもむろにキャリー・ルーカスと参りましょう。なんといっても「アイ・ガッタ・キープ・ダンシン(I Gotta Keep Dancin')」(1977年、米ディスコチャート2位、R&Bチャート44位、一般チャート64位)と「ダンス・ウィズ・ユー(Dance With You)」(79年、同6位、同27位、同70位)が代表曲。特別に歌唱力があるというわけではありませんが、モデル顔負けの180センチ近い長身と美貌を生かしつつ、勢いのあるレーベルや豪華バックミュージシャンといった周囲にも恵まれてディスコスターになりました。

米カルフォルニア州に生まれ、幼いころから歌手を目指していたキャリーさん。ですが、ベスト盤の2枚組CD「The Best Of Carrie Lucas」(写真)のライナーノーツに載っているインタビューによると、「とてつもなく内気な性格で、歌手になりたいなんて親にも言えなかった。でも、地元の合唱団や学校の合唱部に所属していて、歌うことが大好きだった。みんなに内緒でタレント事務所を訪れたことが何度かあった。面接でことごとく落とされたけど」などと語っております。

彼女はまず、地元ロサンゼルスでほかのアーチストに楽曲を提供したり、ソウル歌手D.J. ロジャーズのバックボーカルを務めたりして、徐々に認められるようになりました。間もなくロサンゼルスのディスコ系新興レーベルであるソーラー(Solar)の創業者ディック・グリフィー(Dick Griffy)に見出され、1976年に見事、のっけからホーンセクションが炸裂し、エンディングまでぐいぐいとドラマチックに展開するオーケストラディスコの真髄を見せつける「I Gotta Keep Dancin'」でレコードデビュー。その上、幸運にも大ヒットしてしまったのです。

この過程では、既にスティービーワンダーのバックバンドのキーボーディストとして活躍していた実弟のグレッグ・フィリンゲンズ(Greg Phillingens)の存在が大きく影響しました。「I Gotta...」が収録された1977年発売のデビューアルバム「Simply Carrie」では、グレッグがアレンジャーやキーボード奏者として参加しています。

「I Gotta...」のヒットで勢いに乗った彼女は、これ以降84年までに、Solarでさらに5枚のアルバムを発表。ディスコ最盛期の1979年には、3枚目のアルバム「In Danceland」の収録曲で、軽快なコーラスとギターリフの音色が印象的な「Dance With You」が再びヒット曲となり、「天空を突き抜ける長身ディスコディーバ」の称号をほしいままにしたのでした。

この間、発掘してくれたディックとは結婚まで至りました。各アルバムにはウィスパーズシャラマーのジョディー・ワトリー、レイクサイドなどの売れっ子のレーベルメイトがバックミュージシャンとして参加しており、文字通り「ソーラー総出」の贅沢極まりない応援団を背に、ディスコ街道をまい進したのであります。

なにしろディスコ系アルバムを短期間に6枚も出しておりますので、上記2曲以外にもけっこう踊れるナンバーがあります。ドゥーワップ調のメロディーをベースに、あろうことか途中でスタンド・バイ・ミーの旋律も入ってきて意表を突く「Street Corner Symphony」(79年)、カーリー・サイモンやリタ・クーリッジみたいなさわやかなポップス路線で執拗に攻め立てる「It's Not What You Got」(80年、米ディスコ10位、R&B74位)、シャラマーみたいないかにもSolarらしい小気味よいコーラス、メロディー、ビート展開が印象的なミディアムナンバー「Show Me Where You're Coming From」(82年、R&B23位)といった佳曲が数多くあります。

Solarの人気に陰りが見え始めた80年代半ば以降、音楽活動が休止状態となり、結婚生活と子育てに専念するようになったキャリーさん。あれだけ精力的に歌いまくっていたのに少々残念ではありましたが、CDは再発モノの多いカナダのUnidisc盤を中心にまずまず出ています。個人的には、代表作ではないものの、80年代にリリースされた「Portrait Of Carrie」と「Still In Love」の2枚のアルバムが、70年代の売れ線ドンドコディスコからシンセサイザーを取り入れた落ち着いたR&B風へと曲調がうまく移行していて気に入っております。

THPオーケストラ (THP Orchestra)

THPいやあ再び秋も深まってまいりました。本日は日本の“元祖DJ”一遍上人(以前の投稿ご参照)ゆかりの遊行寺(神奈川県藤沢市)を久しぶりに訪れ、700年前の大解放ディスコである踊り念仏の国宝絵巻を特別展でとくと拝見してテンションも高まって参りましたので、どど〜んと心拍数上がりまくりの「必殺攻め攻めディスコ」を紹介いたしましょう。

時は1976年、ディスコブームが世界を覆いつくそうとしていたころです。カナダからTHPオーケストラなるディスコグループが現れました。英国人ミュージシャンのウィリー・モリソン(Willi Morrison)とイアン・ゲンター(Ian Guenther)のプロデュースにより、あからさまに「踊らば踊れ」のあげあげディスコを連発したのです。

デビューアルバム「Early Riser」は、タイトル自体は「早起きさん」と珍妙ですけど、アメリカの人気アクションドラマ「特別狙撃隊S.W.A.T.」のテーマ曲のディスコアレンジ「Theme From S.W.A.T.」など軽快なインストものが主に収録されており、「無難にまとめたな」感が強い。

続く77年発売の「Two Hot For Love」は、無名の女性ボーカリストであるBarbara Fry(バーバラ・フライ)を起用。以前取り上げたアレック・R・コスタンディノスとかセローンみたいなユーロディスコの影響を受けた長尺ものが注目点で、全米ディスコチャートではアルバムタイトル曲が3位まで上昇し大ヒットしました。ですが、まだまだあげあげマックスとはいかない感じで物足りなさが残ります。

78年の3枚目アルバム「Tender Is The Night」では、後に「Boys Will Be Boys」というアップリフティングな曲が全米ディスコチャートで8位(79年)を記録したダンカン・シスターズ(Duncan Sisters)がボーカルを務め、アルバムタイトル同名曲「Tender Is The Night」(米ディスコチャート14位)など、ストリングス中心のなかなかパワフルなダンスチューンを繰り出しました。それでも……やっぱり大きな特徴は見出せず、「血沸き肉踊る」ような躍動感を実現したとまでは言い難いのです。

そんなわけで、私が強烈に心ひかれる名盤とさせていただくのは、79年発売の4枚目「Good To Me」であります。もう、なんといってもボーカルが特別にユニークかつ変てこ(しかしとても上手)。ちょいとチャールストンみたいな風情も醸す歌声のジョイス・コブ(Joyce Cobb)というこれまた無名の女性なのですが、アルバムタイトル同名曲「Good To Me」(同16位)なんて、「せんっ、せいしょ〜ん(sensation)」とか、「ばん、ばあああああん(Bang Bang)」といった具合に、完全に人を食っているのか、いや実は確信犯で自らのアイデンティティーを懸命にアピールしているのか、とにかく絶対に忘れられない(忘れさせない)インパクト炸裂!「びんびろ〜ん」と繰り出される忘れ難いギターリフとの相乗効果で、虎視眈々と聴く者のダンスフロア魂をくすぐるのでした。

このアルバム全編を貫く曲調、というか節回しもそこはかとなく絶妙です。恐ろしくキャッチーな上に、よくよく聴いてみると、以前よりもドラムのキックが一段と強くなり、同年発売のドナ・サマーホット・スタッフ」並みにロックディスコ化しております。それにあの唯一無二のボーカルが乗っかってくるわけですから、(やや面食らいながらも)フロアに突進するしかないでしょう。これではかの一遍さんも、700年の時空を超え、ご自慢の鐘を鳴らしながら一緒に踊り狂わずにはいられますまい。

このアルバムではもう一つ、「Dancin' Forever」という曲もなんだか素晴らしい。「ビーウィズユー♪」「ダンシ〜ン♪」と連呼するコーラス部分では、「デン、デン、デン、デン…」と律儀に進行する四つ打ちドラムに合わせて、思わず両腕を前後に元気よく振って前進したくなる衝動に駆られる「早足の行進曲」とでも言える代物です。ディスコものだけでも1万枚・5万曲を超すCDやレコードを聴いてきたわけですけど、こんな曲、ほかにはあんまり見当たりません。

以上4枚のアルバムともに「モリソン&ゲンター」のコンビで作られたのですが、この辺で彼らの不思議なディスコワールドも終焉を迎えます。80年に入ってディスコブームが下火となり、レコード会社が倒産するなどして低迷し、表舞台からは消え去ってしまうのです。モリソンさんの方は、バブル期の1986年にもろデッド・オア・アライブを意識した「Pistol In My Pocket 」(Lana Pellay)なる曲を少しヒットさせました。私もこの曲は新宿や渋谷のディスコでかなり耳にしましたが、やっぱりこの人は「オーケストラ」というぐらいですから70年代の人なわけです。

THPはディスコ的には比較的重要なアーチストにもかかわらず、長くCD化はされていませんでした。2年前にようやく、英Harmless社から全4枚がどど〜んと再発(上写真はその1つで2枚組)となり、しかも思ったより音質もよいため、ディスコ好きには大変喜ばれております。

カレン・カーペンター (Karen Carpenter)

Karen Carpenterいやあ、ゴールデンウィークもとうに終わり、間もなく梅雨入りとなります。今回はひとつ、「ありそでなさそな、でもあったカーペンターズ・ディスコ」を紹介しておきましょう。

カーペンターズといえば、まずはカレンさんの天下無敵の美声が醸す珠玉のメロディーラインということになりますが、大ディスコブーム期の1979年から1980年にかけて制作された彼女の唯一のソロアルバムには、ディスコ的な空気が横溢しています。

中心プロデューサーは、ポップスやロックを軸に数々の大物ミュージシャンを手がけていたフィル・ラモーン。とりわけ呼び物の「My Body Keeps Changing My Mind」では、のっけからドンドコディスコ全開で、立ちくらみがするほどです。ドラム、ベース、ストリングス、ホーンセクションが恥ずかしげもなく大展開する中で、A、Bメロから後半のコーラスにかけて、あの透き通る歌声が負けじと響き渡ります。「ダンシン!ダンシン!」と連呼なんかしちゃってもう、完全に茶目っ気たっぷりの「あげあげカレン」状態です。

もう一曲、「Lovetlines」もなかなかにしたたかなディスコ・フュージョン路線。最初は"朝もや田園風"のさわやか風味でそろりと入りつつ、コーラスでは――やっぱりドラムやらベースやらがにぎやかに競演してディスコ大全開!(喝采)。この「フュージョンからのディスコ」という変化球もまた、否応なしに踊り心をくすぐることウケアイなのです。

さらに、「Remember When Lovin' Took All Night」という曲も、8ビートのドラムがしっかりと下地を作り、そこにメロディアスな歌声が乗っかるパターンで、ほんのりとしたディスコ路線を打ち出しています。

それもそのはず。彼女は、ディスコをはじめとするダンスミュージックの基礎となる「リズム感」が抜群なのでした。もともと高校時代にはドラマーとしてバンドに参加していたほどで、プロになってからもよく披露していました。Youtubeにはいつくかその時の映像がありますが、ステージを目が点になるほど縦横に駆け回る姿からも明らかなように、相当な腕前なのでした。彼女のウリは、天性の歌声だけではなかったのです。やはり音楽の申し子としか思えません。

けれども、この華々しき「ディスコ系アルバム」は完成後、レコード会社(A&M)や、長年の音楽的相棒である兄リチャードからの反応が芳しくなく、なんとお蔵入りになってしまいました。自信作の発売見送りの知らせを受けたカレンさんは、相当に落ち込み、激しく抗議したと伝えられています(そりゃそうだ)。その3年後、1983年にはカレンさんは32歳で急死。それから13年の時を経て、1996年に発売されることになり、ようやく日の目を見ることになったいわくつきの「幻のカーペンターズ・ディスコ」でもあったのです。

というわけで、このアルバム「Karen Carpenter(邦題:遠い初恋)」では、王道の「イエスタデイ・ワンス・モア」とか「トップ・オブ・ザ・ワールド」とは一味ちがった、カーペンターズの世界が堪能できます。もちろん、得意のバラード調も収録されております。CDは入手容易となっております。

アシャ・プスリ (Aha Puthli)

asha_puthli今回は、少し前に読者の方からリクエストがあった、インドのムンバイ出身の「妖艶系」歌手、アシャ・プスリさんを取り上げてみましょう。なんといっても、そのもわ〜んとした“女性版バリー・ホワイト”みたいな特徴的な声が印象深く、ディスコ的には底ぬけにメロウな「The Devil Is Looose」、「Music Machine」などの曲で知られています。

幼少時にはオペラなどの古典音楽を学び、後に米国に渡って前衛的な歌唱法のジャズ歌手として活動。さらに欧州でも70年代に入って、プレ・ディスコ期のダンス曲「I Am a Song」などを発表しました。世界を股にかけた活動ぶりでして、今やすっかり定着した音楽ジャンルであるワールドミュージックのさきがけとも言える人です。

70年代後半には、ディスコ・アルバムを相次いでリリース。当時流行していた、コスチュームの派手なグラム・ロックの影響を受け、ジャケットもなかなかに個性的なデザインのものがありました。

The Love Is Devil」、「Space Talk」などのしっとりとした曲が多く収録された1976年のアルバム「The Devil Is Loose」(写真)に続き、78年にはJean Vanlooというディスコ・プロデューサーを起用して本格的なディスコアルバム「L'Indiana」を発売。特に「L'Indiana」には、「四つ打ち」ドンドコディスコの王道をゆく「I'm Gonna Dance」、ドナ・サマーばりのアルペジエーター・シンセが炸裂する「There Is A Party Tonight」、やや緊迫したイントロが逆に踊り心を否応なしにくすぐる「Music Machine (Dedication To Studio 54)」といった、スペーシーかつ真っ正直にフロアを意識した楽曲が連なっており、好感度抜群です。

さらに、79年には「1001 Nights of Love」(愛の千一夜)という正統的なディスコアルバムを、80年には「I'm Gonna Kill It Tonight」というちょいとロックっぽいアルバムを発表。その後も精力的に新作を発表し続けました。同時に、美貌を生かして映画出演やモデルとしても人気を博しています。

以前に紹介したマドリーン・ケーンアンドレア・トゥルーアマンダ・レア、それにユニークな美声を誇ったケイト・ブッシュあたりを彷彿させる魅惑系ディスコ歌手として、独特の存在感を発揮したアシャさんですが、低音からソプラノまでぐいぐい伸びる幅広い歌声こそが、彼女の真骨頂と言えるでしょう。

残念ながらヒットチャートを派手ににぎわしたような曲はなく、CD化はほとんどされておりません。日本での知名度もあまりありませんけど、インド出身というだけでも珍しく、それに声質といい曲調といい、かなり異色な実力派女性歌手ですので、ディスコ好きであれば、レコードであっても何枚かコレクションに加えておくと面白いと思います。

彼女は現在も米フロリダ州を拠点に音楽関連の仕事を続けています。私のFacebookの「友だち」でもありますので、簡単にメッセージを送ったところ、「マサノリ、素敵な言葉と私の音楽への愛をありがとう。あなたのブログの読者に紹介してくれてとても感謝しています」といった返事が来ました。

アシャさんの曲はYouTubeに大量にアップロードされておりますし、現在のアーチストによるサンプリングなどでも使用されているようですので、またどこかで脚光を浴びる日が来るかもしれません。

ホット・ブラッド (Hot Blood)

Hot Blood10周年、細く、長〜く、せめて月イチ更新で…というわけで今回、奇妙奇天烈摩訶不思議、抱腹絶倒笑止千万な奇人変人と自ら称してはばからない私mrkickが満を持してお送りするのは、「チーン、チーン…♪」ってな具合に、珍妙な柱時計の効果音で始まる究極のへなちょこおバカさんディスコ、「ソウル・ドラキュラ」で〜す。

これ、当時流行った「エクソシスト」なんかのホラー映画に影響を受けた、一発狙いの欧州系ディスコ・プロジェクトであることは間違いないのですが、あまり情報がない謎のグループでもあります。でも、「ドラキュラ」だけは、多くの人が一度は聞いたことがあると思います(ラジオとか駅前の喫茶店の有線とかで)。

各種資料や欧州の友人のディスコDJにあたっても、「実体ははっきりしない」との答えが返ってきます。単に「camp(低俗)でcheesy(安っぽい)なホラーものでしたな」という感じ。それにしても、「Hot Blood(熱い血)」って、ホット・コーヒーとかホット・ココアみたいな感覚で、人様の生き血をすすってはいけません。

素性がよく分からない人たちではありますが、レコードのクレジットをよくよく見ると、ボニーMのディスコリメイクの名曲「サニー」(76年)などのアレンジャーでもあったステファン・クリンクハマー(Stefan Klinkhammer)らが中心的に関わっていたようですので、旧西ドイツのミュンヘン・ディスコの範疇であることが浮かび上がります。日本のウィキペディアでは「フランスのグループ」と記載されていますが、根拠は不明。楽曲データベース「Discogs」や「Disco Delivery」をはじめ海外のサイトではことごとく「ドイツのグループ」となっておりますので、やはりドイツの線が濃厚です。

しかも、最初にフランスのCarrereレーベル(ディスコものをよくリリースしていた)からシングル(写真)が発売されたのは1975年ですから、かなり早い段階の「ミュンヘンひねりワザ恐怖ディスコ」となります。

この「ドラキュラ」は日本を中心に大ヒット。翌1976年には、2枚目のシングル「Le Chat (邦題:快傑!ソウル・キャット 」を発売し、特にフランスで大ヒットしています。フランス語の分かる海外の友人によると、「歌詞がすごいスケベ〜だから、面白くて売れたんだよ」といいます。まあ、歌うことより踊ることに重きを置くディスコの歌詞ってのは、大概はそんなもんです。

その翌1977年には、「ドラキュラ」など7曲が収録されたアルバム「Dracula And C°」を発売しましたが、これが最初で最後のアルバムになってしまいました。でも、内容的には、「Blackmail」とか「Baby Frankie Stein」など、例によってエコーを利かせた「トゥールッ、トゥルットゥ♪、ワッハー、シュワシュワハー♪」の女性ボーカルと低音の男性ボーカルにストリングスを乗せたオーケストラディスコが縦横無尽に展開していて、至ってまともな印象です。

薄暗いフロアでかかったら、踊りながら背後霊を感じてしまいそうな世にも恐ろしい「ホラー・ディスコ」。似たような例としては、同時代では以前にちょっと紹介した“吸血鬼ディスコ”のサントラ「Nocturna」(79年)とか、クラウディオ・シモネッティらがいたゴブリンの「Tenebre」(82年、映画「シャドー」のテーマ。ゴブリンはイタリア・ホラーの傑作「サスペリア」の音楽も担当)、イージー・ゴーイングの「Fear」(79年。シモネッティはこのグループにもいた)、ラロ・シフリンの「ジョーズ」(76年)、そしてマイケルジャクソンの「スリラー」(笑。82年)あたりが思い浮かびます。純粋なホラーではないにせよ、ドナ・サマーの「Deep」(77年)なんかも緊迫しててけっこうコワい。あからさまな直球勝負のホット・ブラッドも、そうした系譜に連なる存在といえましょう(実体不明にせよ)。

ホット・ブラッドのアルバムの再発CDは、ロシアの変な海賊盤以外はありません。正規盤があったら欲しいけど、謎が謎を呼ぶグループだけに原盤権探し自体が難しそうです。「ドラキュラ」を収録したディスココンピであれば、以前に紹介したものも含めてたくさんあります。

ノーランズ (The Nolans)

Nolan Sisters 2今回は肩の力を抜いて、ノーランズと参りましょう。ご存知、イギリスが生んだガールポップ・グループで、1970年代末〜80年代前半に本国や日本で大人気となりました。

グループ名は、アイルランド人歌手の両親にもとに生まれた6人姉妹に由来し、うち年長の5人がアイルランド生まれ。62年にイギリス西部の「社交ダンスのメッカ」であるブラックプールに一家で移住しました。

人気が出たのは70年代後半ですが、既に63年には、地元ブラックプールで両親や2人の兄弟と一緒に「シンギング・ノーランズ」として活動していました。このとき、後にノーランズの一員となる末っ子のコリーン(Coleen、65年生まれ)はまだ誕生していませんでしたが、総勢9人もの大所帯ファミリー・ボーカル・グループだったのです。

後の1974年、姉妹は親や兄弟と離れて、EMIに所属して本格的なレコードデビューを果たします。当時のグループ名は「ノーラン・シスターズ」で、テレビのコメディやバラエティ番組に出演して人気者となりました。ただし、ヒットには恵まれませんでした。

転機が訪れたのは1979年のこと。アルバム「Nolan Sisters」収録のシングル「Spirit, Body and Soul」が英国チャートで34位になった後、セカンドシングルの「I'm In The Mood For Dancing」(邦題:ダンシング・シスター)が3位まで上昇。その人気が日本やオーストラリア、ニュージーランドにも飛び火したのでした。ガールポップ・コーラスグループや女性コーラスグループはほかにもたくさんありましたが、姉妹だけで(しかも大勢)構成していること自体が非常に珍しく、そんな新奇性も人気を後押ししたと思われます。

リードボーカルは、コリーンの次に若いバーニー・ノーラン(Bernie Nolan)。つい2年前、がんにより52歳の若さで亡くなってしまいましたが、あどけないルックスの割には、ときどきド演歌顔負けの“こぶし”をきかせるけっこうな迫力ボイスの持ち主でした。

この曲の歌詞は、この手のグループにありがちな夢見る乙女のロマンチックな恋心を綴ったような内容ではなく、「とにかく踊らば踊れ!頭のてっぺんから爪先まで!」「いやあ、踊りたくてたまんねえぜ!」などと(英語で)連呼するかなり積極的なダンシングぶりを見せつけており、おなじみのあの旋律も、王道を行くディスコポップとでも言うべき能天気な明るさが持ち味です。かっちりとした8ビートのリズム進行に身をゆだねれば、なかなか爽やかに踊り続けられそうな曲でしたけど、その爽やかさが仇になったのか、ディスコで聞くことはありませんでした。

80年にはノーランズと改名。イントロの「おとぼけアナログシンセ」のピコピコ音が脱力感を誘う「Gotta Pull Myself Together」(恋のハッピーデート)のほか、小粋なカントリー&ウエスタン風に攻め立てる「Attention To Me」(アテンション・トゥ・ミー)、再びバーニーさんのド迫力ハイトーンボイスが弾ける「Sexy Music」(セクシーミュージック)といった印象深いヒット曲を出しました。特に日本での人気はなかり持続しました。「ダンシング・シスター」なんて、日本語バージョンがあったくらいです。

けれども、80年代半ばにはセールスは急降下。メンバーがソロ活動に重心を移すなどして、気がつけばあえなくフェードアウトしていたわけです。同時代のイギリス産「男版アイドル」のベイ・シティー・ローラーズと違い、アメリカで人気が出なかったのも、世界的にはいま一つ印象が薄くなってしまった要因といえます。

それでも、6年前には再結成ツアーを行って好評を博しています。気をよくして2013年にもツアーをやると発表したのですが、バーニーさんの病状悪化により中止になりました。彼女は中心ボーカルでしたから、ここに本当の意味でノーランズは幕を下したといえましょう。

再発CDは、ベイシティー・ローラーズと同様に、ベスト盤を中心に比較的出回っています。写真もその一つで、2004年に発売されたSony Music盤のものです。

ベイ・シティ・ローラーズ (Bay City Rollers)

Bay City Rollersいやあ、今回はまたまた突飛な展開、ベイ・シティ・ローラーズと参ります。先ごろ、「独立しちゃうの?」ってな具合で、地味だったのにいきなり話題になり、それが国民投票で否決されると一瞬にして記憶から遠ざかってしまったスコットランドの出身。ビートルズやモンキーズを意識した典型的な男性アイドル・ロックグループで、本国英国や米国だけでなく、日本でも相当に売れました。うちの妹も、メンバーだった「パット・マグリン」のステッカーを部屋の柱に貼ってましたし。

基本的には、世の少女たちを熱狂させたアイドルバンドですので、この人たちにはかる〜い感じがどうしてもつきまといます。でも、よ〜く探ってみると、楽曲の中には音楽的に工夫の跡が見られるものがあり、ディスコな雰囲気も多少あわせ持っていたことが分かります。なにしろ、結成自体は1960年代後半と古いものの、主な活動時期がディスコブームの最中の1970年代半ばから後半でしたから。

さて、彼らの大ヒットといえば、誰もが耳にタコだったであろう「サタデーナイト」(1975年、米ビルボード一般チャート1位)です。お隣の大イングランドからの数百年にわたる圧迫や懐柔を巧みにかわしながら、独自の文化を保ってきたスコットランド人だけに、独特のタータンチェックとストライプ靴下のキメキメのファッションで、ビジュアル効果も満点でした。文字どおり世界中のお茶の間の人気者となったわけです。このサタデーナイト自体、以前に紹介したジグソーの「スカイ・ハイ」みたいに、とってもベタだが親しみやすいメロディー展開で、血沸き肉踊る名曲だとは思います。

彼らのベスト盤「Bay City Rollers」(Arista Records)のライナーノーツによると、まだ無名時代の70年ごろ、彼らに転機が訪れました。ある日、大手レコード会社Aristaの前身レーベルであるベル・レコード(Bell Records)の重役が、出張先のスコットランドからロンドンへの帰途、飛行機に乗り遅れてしまいました。数時間後の別の便に乗るべく、時間つぶしに立ち寄ったエジンバラ市のクラブで、地元の少女たちから黄色い声援を受けて演奏するローラーズをたまたま見かけたのでした。あまりの熱狂ぶりに、「これはいけるかも」と感じたその重役は契約を申し込み、本格デビューを果たしました。そこから「サタデーナイト」も生まれたというわけです。

この人たちにはほかにも、ドゥービー・ブラザーズの「Listen to The Music」(1972年)そっくりのギターリフで軽やかにスタートする「Sweet Virginia」とか、私の好きな「Rock And Roll Love Letter」(同28位)みたいな疾走感あふれる良曲もありますし、往年の女性アイドルのダスティ・スプリング・フィールドが大ヒットさせた「I Only Want To Be With You」(邦題:二人だけのデート)のリメイク(同12位)とか、男前ハードロック全開の「Yesterday's Hero」(同54位)とか、体が自然と動き出すようなヒット曲がいくつかあります。

ほかにも、ビーチボーイズ風あり(「Remember (Sha La La La)」とか)、ELO風(「Turn On The Radio」や「Would't You Like It」)ありと、なんでも揃っています。かと思えば、「Dedication」(同60位)、「The Way I Feel Tonight」(同24位)のような美メロバラードなんかもしっかり発表しています。

もちろん、ディスコの影響をもろに受けた曲も混じっています。76年に発売したアルバム「Rock N' Roll Love Letter 」には、前述のアルバム同名曲のほかに、珍しく12インチのディスコバージョンも制作した「Don't Stop The Music」(米ビルボード・ディスコチャート24位)という四つ打ちの曲も入っています(あまりインパクトがない曲調だが)。最もディスコを意識した内容の77年発売のアルバム「It's A Game」(写真)には、アルバム同名曲やしっとりしたAOR風の「You Made Me Believe In Magic」(同10位)、それにファンキーな感覚が漂う「Love Power」や「Dance, Dance, Dance」のようなフロア向けの曲が入っています。

…とここで冷静になって考えてみれば、これまたやっぱり「ジグソー」のごとく一貫性がないみたいです。真面目な音楽好きの人々からは、なんだかちょいと支離滅裂で中途半端な展開といわれかねません。

実は、このバンドはいちおう、レス・マッコーエン(Les McKeown)とかデレク・ロングマー(Derek Longmuir)といった著名な主力メンバーがいるにせよ、結成直後からメンバーチェンジを繰り返しておりまして、リードボーカルを担当していたのも、アルバムによって誰が誰やら。そんな背景もあって、音楽職人的なこだわりと統一性に欠ける結果になった可能性があるのです。しかも、彼らはこの70年代後半、お約束のメンバーの不仲説が飛び出したり、ストレスから放蕩生活に陥ったり、ギャラへの不満が噴出したり、ドラッグに溺れたりと、ありがちな絶頂アイドルの転落の道を歩み始めてもいました。

80年代に入るころには、日本など一部の国でしかセールスを維持できなくなり、あえなく過去の人となっていきます。それでもまあ、そのなりふり構わぬ音楽性は、「なんでもあり」ディスコ時代における一つの成果として記憶されてよいとは思っております(試行錯誤にせよ)。

この人たちのCDは、お騒がせながらもメジャーだっただけに、まさに百花繚乱雨あられ、ベスト盤を含めていろいろと揃っております。晩秋の夜長、40年近い時を経て、アイドルバンドに隠された意外な「楽曲のデパート」ぶりをあらためて味わうのも一興でしょう。

次回は満を持して、純粋ディスコものに回帰する予定でございます!

マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア (Marilyn Mccoo & Billy Davis Jr)

Marilyn McCoo秋も深まってまいりました。今回は「こみ上げ系ソウルディスコ」の代表格として一時代を築いた夫婦(めおと)デュオ、マリリン・マックー&ビリー・デイビス・ジュニアと参りましょう。

2人とも、聴いているうちに宇宙の果てまで飛んでいくこと必定の「アクエリアス」をはじめ、60年代から70年代にかけて豪快でサイケなヒットを連発した米国のソウル・ボーカルグループ「フィフス・ディメンション」の主力メンバーでした。

2人は1976年、「フィフス」を脱退して夫婦で仲良く初のアルバム「I Hope We Get To Love In Time」を発表。この中のミデアムテンポのダンスシングル曲「You Don't Have To Be A Star」(邦題:星空のふたり)が、全米ビルボード一般、R&Bチャートでともに第1位を記録する特大ヒットとなります。

このアルバムからは、ダンサブルながらも哀切な香りを放つ「Your Love」(一般15位、R&B9位)もヒット。2人の息のあったボーカルは、以前に紹介した同様の仲良し夫婦ディスコデュオのアシュフォード&シンプソンにも似た感じ。特に、妻マリリンさんの伸びのあるド迫力4オクターブの歌声を軸に展開する、流麗なメロディーラインが出色であります。もちろん、いくつか収録されているバラードも聴きごたえがあります。

2人は翌77年、2枚目のアルバム「The Two Of Us」をリリース。この中からは、シングルカットされた正統派ダンスナンバーの「Look What You've Done To My Heart」やミデアムスローの「Wonderful」、妙な緊迫感とおトボケ感がある「The Time」あたりがディスコ向けの曲になっていますが、ヒット曲は生まれませんでした。

この後、ディスコブーム最盛期の78年には、3枚目のアルバム「Marilyn & Billy」を大手コロムビア・レーベルから発売。「Shine On Silver Spoon」という爽やかなアップテンポの曲が、ディスコではまあまあのヒットになりました(米ディスコチャート32位)。ユニークなところでは、後にホイットニー・ヒューストンがカバーしてヒットさせた「Saving All My Love for You」のオリジナル曲も収録されています。

結局、金字塔の「星空のふたり」以降はさしたるヒットには恵まれず、夫婦(めおと)アルバムの制作はここでひとまず終了となりました。でも、妻マリリンさんの方は、名門UCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)出身という知性と美貌を生かし、80年代に米国で一世を風靡した音楽番組「Solid Gold」の司会を務め、人気を博しました。

ついでにマリリンさんは、そのまんま「Solid Gold」とタイトルをつけたソロアルバムを83年に発売します。そのシングル曲であるこれまたそのまんまの「Solid Gold」は、80年代らしく、フラッシュダンスみたいなわざとらしい盛り上がりを見せるけっこうなロックディスコで、私も当時はFM番組からカセットテープにエアチェック録音して、一人ウキウキ気分で聴いていたものでした。

このソロアルバムには、そのころ流行っていたヒット曲のカバーがいくつか収録されています。とりわけデビッド・ボウイメン・ウィズアウト・ハッツのヒット曲のメドレー「レッツ・ダンス〜セーフティ・ダンス」は、なんだかもっさりしていて変てこです。ここでちょいとずっこけてしまうわけですが、彼女の歌唱力は折り紙つきであるだけに、全体としては、アゲアゲで文字通りソリッドな内容にはなっているとの印象です。

この人たちのアルバムは長らく、CD化されていたとしても超レアものだったのですが、なぜか最近になって海外で次々とCD発売されています。上写真は前述のデビューアルバム「I Hope We Get To Love In Time」。まずは、このアルバムが基本になると思われます。
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


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