ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

番外編

ジャングルな面々 (Jungle Disco)

Kikrokosコンガス、アフロメリカ、バラバス…これら奇っ怪な単語に共通するのは「ジャングル・ディスコ」。まだまだ灼熱の炎暑が続くここ東京ですが、今回はボンゴやらコンガやら動物の鳴き声やらが満載の熱帯ウッキッキー!特集と参りましょう。聴いて踊れば、ますます暑苦しくなることウケアイです。

トップバッターはコンガス(Kongas)。1970年代に活躍したフランスの男性ディスコグループで、セローンドン・レイ(Raymond Donnez)など、ディスコ界そのものに大きな影響を与えた人物が在籍していました。

彼らの代表曲「ジャングル」(74年)は、コンガやボンゴ、ドラムといった打楽器が奏でるジャングルビートが特徴なのは当然ですが、効果音が面白い。「アッキャッキャー!」、「ギャオギャーオ!」、「コロケロコロケロ!」などなど、熱帯の鳥や猛獣やおサルさんやカエルさん、そしてコオロギさんなんかの声がふんだんに盛り込まれています。まさにアフリカの“密林ダンス”の面目躍如たるところですね。

彼らには、イントロでアフリカ部族の歌と踊り、それに不気味な笑い声が入ってきて、あとは変則的なドラム進行で展開する「アフリカニズム/ギミー・サム・ラビング」(78年、米ディスコチャート3位)、「アニカナ・オー(Anicana-O)」(同年、同37位)といったジャングルディスコもあります。

続いては、これまた変わった名前のキクロコス(Kikrokos)。実はKongasの一部メンバーが作ったグループで、78年に「ジャングルDJ」というディスコヒットを飛ばしました(米ディスコ23位)。上写真が、その曲が入ったアルバム「Jungle D. J. & Dirty Kate」。全体の曲調自体からは濃厚なジャングル性を感じませんが、ジャケットからは一目瞭然、やっぱり「ジャングル」がもろコンセプトであることが分かります。

ジャングル系ディスコには、アフロビートはもちろんのこと、同じ熱帯・亜熱帯の地域に根差したラテン音楽の要素も入っていることも多い。前述の「アニカナ・オー」のように、コンガやボンゴの音に混じって、ときおりサンバホイッスルが聞こえてくるような曲も少なくありません。

ほかにもジャングル系ディスコは大量にありまして、ドラムが圧巻のジャクソン・ファイブの「ハム・アロング・アンド・ダンス」(70年)とか、 アフリカの大地に紛れ込んだかのようなジョニー・ウェイクリン(Johnny Wakelin)の「イン・ザイール」、バラバスワイルド・サファリ」(72年)、クール・アンド・ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」(73年、米R&Bチャート2位、米一般チャート4位)、ベイビー・オーの「イン・ザ・フォレスト」(80年、ディスコ2位)、前衛的ディスコを数多くリリースしたZEレーベルのクリスティーナ「ジャングル・ラブ」(80年)などが挙げられます。

私が好きな曲としては、エブリデイ・ピープルの「アイ・ライク・ホワット・アイ・ライク」(71年)、コンティネント・ナンバー6の「アフロメリカ」(78年)、キャンディドの「ジンゴ」(79年、ディスコ21位)なんかにも、ジャングルな感じが色濃く浮き出ています。

さらに、アメリカでディスコブームが終わった80年代前半以降も、ジャングルディスコは不滅でした。パトリック・カウリーの異色作「プリミティブ・ワールド」(82年)や、曲自体はボンゴ満載のジャングルリズムとまではいかないものの、「あそこにジャングルがあるぞ、気を付けろ!」とのフレーズで始まるウォー「ザ・ジャングル」(82年)、プリンスがプロデュースしたザ・タイムの「ジャングル・ラブ」(84年、ディスコ9位)、あの色物王ディバインの「ジャングル・ジェジベル」(82年)、バルティモラのおとぼけチューン「ターザン・ボーイ」(85年、ディスコ6位)をはじめ、数々の“ジャングルなディスコ”が存在します。太古の原始リズム&イメージとディスコって、ことほど左様に非常に相性がよいことが、あらためて実感されるわけであります。

ただし、以上に挙げた曲の多くは、クール・アンド・ザ・ギャングみたいにメジャーな人たちを除いてCD化されておりません。レコードではけっこう手に入りますので、探して一人、クーラーの効いた部屋でミスマッチにジャングルな気分に浸るのもよろしいかと存じます。

国内盤ディスココンピ (A Disco Compilation in Japan)

テイチクのディスココンピ今回はまったりと初心に返り、CD店でよく見かける国内盤ディスココンピレーションの中の1枚を取り上げてみましょう。その名も「僕らのMega Disco Hits!」(テイチク、写真)。1970〜80年代のよく知られたヒット曲を集めた内容です。

ジャケットのメーンのイラストが、既に懐かしさあふれる国内大ヒット曲「ソウル・ドラキュラ」になっております。旧西ドイツのグループとはいえ、日本でも大人気でした。ボニーMやアラベスクを含めた「ミュンヘンサウンド」の代表曲の一つで、このCDでは1曲目に収録されております。

この曲は題名の奇抜さもさることながら、インストで3分弱という短さも「短期決戦型」で特徴的です。ホラーなのにどこか愛嬌があるメロディーにもディスコらしさが漂います。そして、YouTubeには、まさにマイケル・ジャクソン「スリラー」(82年)を彷彿させる欧州発ビデオクリップが存在…!! 1977年の作品ですので、スリラーはもちろんのこと、以前「ルース・チェンジ」のときに紹介した「吸血鬼ディスコ」であるLove Is Just A Heartbeat Away(1979年)より2年前にもう存在していたことになります。

2曲目はジグソーの「スカイ・ハイ」(75年、全米一般チャート3位)。日本では、70年代に活躍したプロレスラーのミル・マスカラスのテーマ曲としても知られていました。ソフトロック系ディスコの代表曲でもあります。Chicago「Hot Streets」「Alive again」、Jim Capaldi「Shoe Shine」、Exlike「How Could This Be Wrong」のように、70年代後半にはディスコに向かうロックミュージシャンが多かったのですが、彼らもその一例といえるでしょう。

4、5曲目には「謎のフレンチディスコ」として名を馳せたバンザイ(Banzaii)の「チャイニーズ・カンフー(Chinese Kung Fu)」と「ビバ・アメリカ(Viva America)」が入っています。前者はいうまでもなくブルー・スリーのカンフー映画ブームを意識した作品で、以前に取り上げたカール・ダグラス「カンフー・ファイティング」と同系列のカンフーもの。後者はサンバのリズムを取り入れたラテン系のノリノリ“上げ潮ディスコ”となっております。どちらも初期のアナログシンセサイザーの素朴な音色が印象的であります。

6、7曲目には、お馴染みD.D.サウンドの「1-2-3-4 ギミー・サム・モア」「カフェ」が登場。もはや説明の必要はありません。この人たちはドイツ・ミュンヘンのグループですので「ミュンヘンサウンド」に含めることも可能ですが、レコードをリリースするなどの主な活躍場所はイタリアでした。イタリア人でありつつ、ドイツでドナ・サマーを発掘するなど、「ミュンヘンディスコのパイオニア」としても活躍したジョルジオ・モロダーとちょうど逆のパターンになります。

15、16曲は、再びミュンヘンサウンドのマルコポーロというグル―プが79年にリリースした「ジンギスカン」(元祖ジンギスカンによる「ジンギスカン」のカバー)と「アリババ」が収録されています。このグループは日本で主に活躍。80年にも「勇者オマーン!」というディスコ界では定石の「世界史英雄ディスコ」をリリースしました。

このほか、オリジナルではなく現代風に少々アレンジされている再録音なのですが、最近CMでも使用されたノーランズ「ダンシングシスター」、アイリーン・キャラ「フラッシュダンス」、グロリア・ゲイナー「恋のサバイバル」、ステップダンスでよく踊られたミラクルズ「ラブマシーン」などがラインアップされています。どれもシングルバージョンですけど、百花繚乱、日本のディスコシーンを網羅的に眺めることができます。

こうしてみると、日本は70年代から非常に積極的に海外、特に欧州のディスコ音源を輸入していたことがわかります。もともと踊り自体が好きだという国民性も背景にあるのでしょう。まだ円安だったにもかかわらず、各レコード会社はこぞってミュンヘンサウンドなどの「受ける音」の発掘に熱をあげていたのです。

その流れは、80年代になっても続きました。特に80年代後半のバブル期には、ユーロビートやイタロサウンドがディスコフロアを席巻。円高を追い風とした音源輸入にとどまらず、女性アイドルたちがこぞってカバー曲をリリースしました。例としては、荻野目洋子(ダンシングヒーロー)、長山洋子(ヴィーナス)、Babe(Give Me Up)、Wink(愛が止まらない)、森川由加里(Show Me)、石井明美(Cha-Cha-Cha)などが挙げられます。

バブルが終わった90年代前半には、もはやいろんなダンス音楽のジャンルを包み込んだ「ディスコ」という言葉自体が使われなくなり、従来のような「ディスコカバー」」もなくなっていきました。同時に、ハウス、テクノ、トランスといったダンスミュージックのジャンルの細分化も加速しました。文化としてのディスコの「衰退」は、「ブーム」と同様に世界中で進んだのです。

けれども、今のクラブのように、人が「皆で楽しく踊る」ことをやめない以上、私はまだ「ディスコ的なもの」の復活の余地は大いにあると思っています。たとえば、知人のレコード会社関係者が最近、話していたのですが、「AKBのような歌謡曲系の歌が売れるときには、ディスココンピもよく出る」そうです。ということは、ひところのようなモー娘。やパフュームやK-Popのアイドルたちがもてはやされるうちは、ディスコも注目される可能性があるということです。気軽で親しみやすく、しかもおバカさんになって踊れる音楽って、けっこう粘り強く生き残るのではないでしょうか。

ディスコの本その2 (The Book on Disco.... again)

Disco_book最近ぜんぜん更新してないよん!…というわけで今回も洋書の書評となりますが、タイトルはずばり「DISCO」。ジョニー・モーガン(Johnny Morgan)というアメリカの音楽ライターが書いたクロニクルで、豪華ハードカバーのため大きさが31×23×3僂箸笋燭蕕肇妊くて重い!のが特徴ですが、米アマゾンで買ったら送料込みで1,900円弱とやたらと安かったので大喜びでした(超円高にて)。

内容的には、記述がとても客観的なのがまず嬉しい。前回紹介の「カサブランカ」の本は、基本は当事者の回顧録だけに、主観的な思いや考えが随所に出ていて、だからこそ面白かったのですけど、こちらは年代記としての資料価値が高いと思いました。

例えば、冒頭にはこんな記述が見えます。

「…ディスコは、ほかのさまざまな文化と同様に、第二次世界大戦直後のパリで生まれた。しかし、それが世界的な現象となったのは、アメリカが『再発明』したからである。1950年代、欧州出身のディスコの先駆者たちが、ニューヨークとロサンゼルスで相次いでダンスの商業施設をオープンした。ただ、それはまだ『ナイトクラブ』とでも呼ぶべきもので、ダンスフロアをただ広くして、社交界の一部の人間に奉仕するような内容だった…」

こんな調子で、ディスコの黎明期から絶頂期、衰退期を解説し、さらには現代のポピュラー音楽に与えた影響にまで触れています。文章は少々平板な印象を持ちましたが、自身も「ディスコ世代」というだけあって、説得力があります。当時のメディアで扱われたディスコの記事や、ミュージシャンやディスコ経営者らのインタビューでの語録なども豊富に掲載されていています。

登場するアーチストは、それこそ大量です。「ツイスト」ダンスのシンボルだったチャビー・チェッカー、「ファンクの帝王」ジェームズブラウンから、絶頂期のドナ・サマー、アバ、ビレッジ・ピープル、マイケル・ジャクソン、それに「ポスト・ディスコ」のダンス系アーチストであるマドンナ、ペットショップ・ボーイズまで徹底的に網羅しています。しかも、この著者はいまが旬のレディー・ガガの伝記(その名も「Gaga」)も出版しているだけあって、彼女とディスコの共通性についても記述しています(つまり「ディスコ文化を継承するアーチスト」として)。

このうち、アバの記述については、こんな具合です。

「…スウェーデンの人気ポップグループであるアバは、流行にはやや後れながらも、彼らの唯一の全米ナンバーワンヒットとなった『ダンシング・クイーン』によってディスコシーンに登場した。1976年末に発売されたこの曲は、メンバーであるビョーン・ウルバースとベニー・アンダーソンが作詞・作曲した。リズム進行の一部は74年のジョージ・マックレーのディスコヒット『ロック・ユア・ベイビー』をベースにしており、欧州でも瞬く間に大ヒットとなったのだ…」

このブログでも触れてきたように、ディスコは70年代まで続いたベトナム戦争や不況といった社会的ストレスの反動として「ええじゃないか!」的ブームになった側面が強いわけですが、この本でも同様の見解を示しています。その上で、後半では、今考えるとなんだか大げさで意味不明な「反動ディスコのそのまた反動」としての「ディスコダサいぞ!(Disco Sucks!)運動」もきちんと写真付きで解説しています。

「今考えると『あの騒ぎはなんだったのか』との思いにも駆られるが、大ヒット映画『サタデーナイト・フィーバー』の余韻覚めやらぬ70年代末、ロック音楽を信奉する人々による草の根の抗議運動が勃興した。66年にジョン・レノンが『ビートルズはイエスよりビッグだ』と主張したのを受け、保守的なキリスト教指導者たちがビートルズに対して行ったように、ディスコに対して苛烈な排斥運動を展開したのだ…」

とまあ、改めて「ディスコとはなんだったのか」をおさらいできるわけです。やはり全部英語なのが玉にキズですけど、それでも敢えて取り上げたのは、「最大のウリは写真」だと思うからです(下写真参照)。学術的、ジャーナリズム的価値が高いとはいえ、「よく権利問題をクリアしたものだ」と思わせる、かなり充実した「写真集」の要素も強いのです(紙質はいまひとつだけど)。

キラ星のような有名アーチストやジャケット写真、豪華ディスコの店内はもちろんのこと、ディスコ好きの文化人として知られた画家アンディ・ウォホール、作家トルーマン・カポーティなどの写真もあります。特にカポーティ―は、かのマリリン・モンローと緊張しながらダンスを踊っています。ありしころの英国ダイアナ妃も、レーガン大統領の招きで訪れたホワイトハウスで、ジョン・トラボルタと踊っていますしね。これらの貴重なショットを眺めるだけでも楽しめると思うのであります。私自身、ときどき眺めてはひとり悦に入っております。

次回はおもむろにCD批評に戻りたい、と思っております。

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カサブランカ・レコードの真実 (「And Party Every Day」書評)

CasablancaBook「カサブランカ・レコードは、当たって砕けろ精神と自己中心主義を地でゆく『1970年代』そのものだった。私たちは創立からたった5年の間に、従業員を4人から175人に、所属アーチストを1組から140組以上にまでそれぞれ増やし、アカデミー賞の受賞、映画部門の設立まで実現したのだ」

冒頭にこんな一節が登場するのが、ラリー・ハリス(Larry Harris)が著した「And Party Every Day」です。米国が生んだ空前絶後のディスコレーベル「カサブランカ・レコード」の副社長だった人物。カサブランカ創業社長のニール・ボガート(Neil Bogart)の従兄弟であり、草創期からの片腕でもありました。そんなインサイダーの彼が、1973年の設立前後からの「カサブランカディスコ伝説」を振り返っている内容です。

「ディスコ=軽くてダサい」が定着し過ぎている日本では、資料価値のあるディスコのまともな解説書がほぼ皆無なので、私は洋書でよくディスコ関連の本を読むのですが、この書は出色だと思いました。さすがにディスコの本場欧米発の本ではあります。もちろん、エンターテインメント業界(しかもディスコ)の回顧録だけに、自嘲気味のユーモアや「浮かれた時代」への皮肉な描写もたっぷり含まれていて面白いのですけど、本質的には真面目で事実に忠実なドキュメントである点が高評価です。

登場人物の主役は、やはりディスコが生んだ最大の名物男の奇才ニールです。もともと小ヒットも持つポップス歌手だった彼は、ブッダ・レコード(Buddah Records)幹部を経て独立し、同じブッダでプロモーションを担当していたラリーらとともにカサブランカ・レコードを創立。ロサンゼルスを拠点とし、キッス(Kiss)を最初の所属アーチストとして育てました。その後ブームになる前のディスコに注目し、ドナ・サマービレッジ・ピープルパーラメントなどのヒッ・トメーカーを世に送り出し、「70年代に最も成功したレコード会社」といわれるようになりました。

ラリーによると、ニールはとにかく破天荒な性格でした。楽曲制作からプロモーションまでなんでもこなし、まだMTV(音楽専門テレビ)がない時代にアーチストのプロモーションビデオを撮ってラジオ局やテレビ局にどんどん売り込みました。音楽業界の大きなパーティーがあると必ず顔を出していたほか、自分でも大規模なイベントを次々と打ち出し、PRに余念がありません。カサブランカのディスコ(特にドナ・サマーの曲)をヒットさせるべく、当ブログでも紹介したことがある「サンク・ゴッド・イッツ・フライデー」という映画まで作りました。

それに資金が足りなくなるとラスベガスのカジノに行って大金を調達してきたり、売上げが伸びてくるとコネで入社させた親族全員に高級メルセデス・ベンツを贈ったり、売り出そうとする曲を1台250キロもある事務所の巨大スピーカーから突然、大音量で鳴らして社員の反応を確かめたりと、やることがキッスの舞台装置や衣装並みに派手だったのです。

さらにラリーは、当時の音楽業界の悪習だった「Payola=ペイオーラ」と呼ばれたラジオ局DJへの賄賂の実態(曲をかけて宣伝してもらうためにカネを払う)や、契約や金銭にまつわる「トラブル封じ」のために「マフィアに近い人物」を利用したこと、それに従業員、アーチストたちにとって日常茶飯事だったコカインなどのドラッグについても詳細に記しています。しかも、登場人物はほとんどが実名です。日本の「元レコード会社幹部」で、ここまで語れる人などいるでしょうか。

とりわけ興味を引かれたのは、「ビルボード・ヒットチャートの操作」についての回想です。本著にはこんなくだりが見えます。

「ビル・ワードローはディスコを愛し、私たちディスコ業界の一員になりたがっていた。(略)私たちは彼との関係を最大限に利用した。結果的に、私は彼の事務所に出入りできるようになっていた。あるアーチストのアルバムに相応しいチャート順位を告げると、驚くなかれ、その通りの順位を獲得できたのだ。(略)例えば1977年には、キッスの4枚のアルバムを同時にチャートインさせることができた。このうち2枚しか、セールス的にチャートインに適った数字はとれていなかったのだが…」

「ビル・ワードロー」は、当時のビルボード社チャート担当部門トップのBill Wardlowです。どうやら本当にディスコ好きだったらしく、著者はカサブランカと密接な関係にあったニューヨークの有名ディスコ「スタジオ54」に招待して遊ばせるなどして、機嫌をとっていたことを明かしています。日本の「オリコン」も古くからそういわれていますが、ビルボードチャートがどれだけシングル、アルバムの売上げに影響を与えていたかが浮き彫りになるのです。少なくとも、ビルボードがより公正な科学的データ方式である「ビルボード・ブロードキャスト・データ・システム(BDS)」を取り入れた1992年までは、けっこういい加減なチャートだったことを匂わせています。

この書には、日本に関する記述も見えます。1977年2月、キッスに続いて売り出した“ビジュアル系ロックバンド”エンゼル(Angel)の担当者が、「『まだ彼らはそこまでビッグになっていない』というあらゆる関係者のアドバイスに反して」日本公演を敢行したものの、結果は最悪(disaster)でした。観客数はまずまずだったものの、メンバーが偶然起こした行動が、日本側プロモーターと一部観客の怒りを買ってしまったというのです。

その行動とは、来日中のプロモーション写真撮影の際、「何か神聖なる構造物の上によじ登った」行為だといいます。右翼が神聖視する神社とか偉人の墓とかのことでしょうか??このあたりの詳細は謎ですが、とにかくこれが引き金となり、プロモーター(本著では「裏社会に関係する人物らしい」とある)との契約もこじれて、大事なエンゼルのハデハデ舞台装置も持ち去られたとのことです。後にカサブランカ幹部が日本側の「ある大物」と交渉した結果、舞台装置は戻ってきたそうですが、プロモーターが「エンゼルのメンバーが帰米する際に使ってほしい」と用意した日本航空チケット用の小切手が不渡りになるなど、「彼らの最初で最後の海外ツアー」は散々だったようです。

私はたまたま2週間ほど前、「日本ディスコの立役者」でもある歌手西城秀樹さんにインタビュー取材する機会があったのですが、元ミュージシャンのマネジャー氏がエンゼルのファンでもあったそうで、日本公演があったことや、具体的にメンバーの名前まで覚えていて驚きました。「でも、カサブランカといえばディスコ。ビレッジ・ピープルが来日して西城と面会したときに、例の『Y、M、C、A』の振り付けを教えたら、『それいいねえ。俺たちも使おう』なんてメンバーが言っていたのを思い出します」とも話していました。確かに、ちょうどこのころは、日本、そして欧州でも大ディスコブームが沸き起こっていました。

そんなディスコの「象徴」カサブランカは、米国でディスコブームが頂点に達した1978年に単体で売上高1億ドルを超し、系列グループである「ポリグラム・グループ」を「コロムビア・グループ」に次ぐ世界第2位のレーベル勢力に押し上げる原動力となりました。ビルボードチャートでも、(操作の甲斐あって?)ドナサマーやらビレッジピープルやらがどんどんトップ10に入った時代でした。

でも、楽しい宴は長くは続きません。70年代末になると、やたらと過剰でバブルなディスコブームにも陰りが見えてきました。キッスなど主力アーチストのレコード売上げも思ったように伸びなくなり、大規模な従業員のリストラを断行したほか、ポリグラムとの関係にひびが入るなどの変調をきたしてきたのです。頼みの「ビルボードのチャート操作」も、ライバルのRSOレコード(ビージーズが所属)が大ヒット映画「サタデー・ナイト・フィーバー」系の楽曲で同じようにビルに取り入るようになって以降、既にうまくいかなくなっていました。

やがてラリーは、幼少時から仲がよかった親類であり、長年の同志でもあるニールの経営方針自体に疑問を抱くようになります。かつて驚嘆したような、ニールのアーチストの才能を見分ける天才的眼力や商才も衰えたと考えるようになり、79年の夏、カサブランカから身を引くことを決めたのでした。ニールはその後も新レーベルを立ち上げるなどの活動を続けましたが、82年にがんで死去。39歳の若さでした。

ニールも著者もカサブランカも、70年代のアメリカを生きた典型的な存在だったといえるでしょう。黒人解放運動、ベトナム戦争、石油危機、ニクソン大統領辞任といった激動の政治の季節を経て、「ええじゃないか」的な放蕩主義、刹那主義が社会全体を覆うようになったわけです。それは自由や欲望を歌や踊りでおおらかに表現する音楽文化、つまりディスコを生みました。そしてディスコは、閉塞感を募らせる世界中の人々にとっても、理屈抜きで素直に魂に響いたからこそ、空前絶後のブームになったのだと思います。

けれども、「諸行無常」というわけで、「祭りの時代」もまた、ご他聞に漏れず限度を越して消耗し、はかなく終わりを告げたのでした。愚かさゆえに愛おしい、そんな人間くさい音楽がまさに「ディスコ」だったといえるのではないでしょうか。

納涼・“元祖DJ”一遍さんとの遭遇 (Close Encounters of Ippen Shonin)

Ippen突然ですが、今回は脱線必定の「番外編」です。今月中旬の炎天下、愛媛県松山市界隈のお遍路道の一部約40キロを2日間かけて歩いてきました。雑誌の企画だったのでせわしない旅だったのですが、私にとってはついでに「元祖ディスコDJ」一遍上人(1239−89)ゆかりの地を訪問できたのが何よりの収穫でした。

いうまでもなく遍路は、四国讃岐で生まれた平安期の高僧空海(弘法大師)ゆかりの霊場八十八カ所を礼拝する旅です。その空海没後約400年の鎌倉時代、同じ四国の地に突如として現れたのが、現在の松山市道後温泉近くで生まれ育った僧・一遍さんです。

一遍さんは、岩手県から九州まで全国各地を訪ね歩く“遊行(ゆぎょう)”を行い、「南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば必ず極楽往生できる」と民衆に説きました。その際、「南無阿弥陀仏 六十万人決定(けつじょう)往生」と書かれた念仏札を配るとともに、かねてより尊敬していた僧・空也(くうや)が平安期に最初に実験的に始めた「踊念仏(おどりねんぶつ)」を訪問先の寺院や広場、市場、それに即席で建てた「踊り屋」(特設ディスコ)で決行してみたところ、地元の人々に大ウケしたのでした。

念仏を唱え、自然の感情に身を任せて踊り狂うことで煩悩を吹き飛ばし、一切を捨て去ることで心の安寧を得ようとする踊念仏。そんな斬新な修行法にひかれる信奉者は、瞬く間に増えていったのです。一遍さんの精神は、今も続く時宗へと受け継がれています。私は2年前に時宗の総本山の清浄光寺(藤沢市)を訪れておりまして、そこで一遍像(写真上)などを見てきたのですが、今度はその故郷を仕事で訪ねられたのは幸運でした。

念仏札に書かれた「六十万人」は、一遍さんが当面の目標としていた救済人数です。多いのか少ないのか?「あらゆる民衆をお救いいたしますぞ」と豪語した高僧にしては、なんだか中途半端な気もしてきますけど、「とりあえず六十万人の極楽行きを決めてあげて、さらにもっと増やしていこう」と意気込みを示したのでした。史料によれば、生涯で計25億1724人に札を配ったとされてます。…今度は「地球規模のすんげえ数!」とうろたえてしまいますが、実際には25万1724人だったとの説もあります。

どのみちいい加減でコワい気もしますけど、それこそが「踊る高僧」一遍さんの自由奔放で慈悲深いところだと思います。ともかく、「元祖DJの音頭取り」に導かれながら、「念仏チケット」を手に入れた熱狂的ダンサーが加速度的に増えていったのは事実です。海外から蒙古軍が繰り返し攻めてくる(元寇)など世情が不安定だった時代、この神秘的ながらもシンプルで分かりやすい踊念仏信仰は各地で大評判を呼んだのですね。

踊念仏は、後に田楽、猿楽、能楽、神道系の神楽などと結びつき、風流踊(ふりゅうおどり)、歌舞伎、日本舞踊や、“集団祝祭舞踊”としてのディスコの源流である盆踊りへと発展していきました。あらゆる日本の舞踊芸能の原型ともいえるのです。特に、神楽のような神社(神道)で行われる神事と、踊念仏の仏事が神仏習合して影響を与え合い、日本の芸能へとつながっていった点が興味深いと思います。つまり、一遍さんも僧侶であると同時に、神と民衆をつなぐシャーマン(みこ、ふげき)の役割も果たしていたといえます。

古来、「踊り」には、極楽往生や五穀豊穣や武運長久、それに死者への鎮魂といった「祈り」の要素が含まれています。こうした傾向は世界各地に見られますので、海外のディスコについても、祝祭的な意味合いが少なからず残っていたはずです。

今回、私がお遍路で出発したのは岩屋寺(写真下)というところ。ここは一遍さんが35歳のときに岩窟に篭って修行した場所で、寺の周囲は今でも見上げるばかりの絶壁になっています。私もはしごを10メートルほど登って、修行したと伝わる空中フロアみたいな岩の窪みの空間に立ち、踊念仏風のブレイクダンスをやってみようと思いましたが、足がすくんであえなく断念しました。

その後の行程でも、一遍さんが修行した庵の跡や生誕地の寺(宝巌寺)などなど、ゆかりの場所が目白押しでした。私は主役であるはずの弘法大師への尊敬の念を保持しつつも、「ディスコの聖地探訪」にもっぱら精を出したのでした。

さて、一遍さんが生きた700年前に遡りましょう。一遍の死から10年後に書かれた国宝の伝記絵巻「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」(踊念仏の参考画像・東京国立博物館公式HP)によると、彼は遊行の途中に立ち寄った比叡山延暦寺で、地元の僧に「踊りながら念仏を唱えるとはけしからん!」などと難詰されました。しかし、一遍さんは悠然と歌で返します。

「はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの のりのみちをば しるひとぞしる」

「春の野にいる若馬が跳ね回っているように、跳ねたければ跳ねればいいし、踊りたければ好きなように踊ればよい。自然に仏の教えを身につけることができるでしょう」―というわけです。

けれども、その僧は気色ばみながら、「心の中の若馬を乗り静めるのが仏の教えだ。心の欲望を抑えるべきなのに、なぜそのように踊って跳ねなければならないのだ、うん?」としつこく食い下がりました。それでも、頑固一徹な一遍さんは表情を崩さす、こう続けたのです。

「ともはねよ かくてもをどれこころごま みだのみのりと きくぞうれしき」

「いやいやいや、ともかく踊りたいという心があれば、心のままに踊ればよいのだ。そこで得られる喜びこそが、阿弥陀如来のお声だと思えば嬉しいことこの上ないぞよ」―というわけですね。いやはや、まさに無我の境地で踊り狂うディスコ精神そのものではないでしょうか。踊る者は救われるのです。「同じ阿呆なら踊らにゃ損」なのです。

実際、遊行中の一遍さんがゆくところ、どこでも老若男女、富める者、貧しき者がぞろぞろと後からついていったといいます。もう、まさにドイツで同じ時期(1284年)に発生したとされる伝説「ハーメルンの笛吹き男」状態です。同じ鎌倉期の絵巻物「天狗草子」などには、踊念仏について「貴賎なく人々が集まり、男も女も真っ裸になって踊りまくっていた」とか「念仏を唱えながら頭や肩を狂ったように激しく振り、畜生のようだった」といった度肝を抜く表現も見えます。

ですから、「下々の者がなんと不埒な!」と、秩序の乱れを恐れる時の権力者から睨まれ、取り締まりの対象になる場合があったわけです。実際、一遍さん御一行はある日、幕府のある鎌倉にぞろぞろと“進出”しようとしたところ、警戒中の武士たちに阻止された、とのエピソードも残しています。このときは、仕方なくちょっと手前の村(現在の神奈川県藤沢市片瀬地区)に留まり、全力で踊りまくったのでした。その様子については、上記「一遍聖絵」の第六巻に「七日の日中にかたせの浜の地蔵堂にうつりゑて、数日をくり給えけるに、貴賤あめのごとく参詣し、道俗雲のごとく群衆す」との記述があります。当局に妨害されて、かえって「ダンス魂」に火が付いたというわけです。

このあたり、幕府の監視下にあった江戸時代の歌舞伎、そして警察が目を光らせる現代のディスコ、クラブなどの歌舞音曲と相通ずるものがありますね。

一遍ダンスの「音源」は、身近にある鉦(かね)や鉢(はち)や太鼓、それにお銚子などの食器でした。「一遍聖絵」では、一遍さん自身が鉢を猛然と叩いている様子も描かれています。えてして上から目線で説教する一般的な教祖ではなく、同じ目線で一緒に「いけいけ!」と盛り上がっているわけです。そんなDJが繰り出す音楽に思い思いに身を委ね、心と神仏が一体になる恍惚、興奮状態はまさに、かつてのディスコフロアと同じアナーキーな状況でした。

70年代後半からバブル景気が終わった90年ごろまで続いた日本でのディスコ期には、神仏と戯れるかのようにトランス状態で愉快に踊る「忘我族」が、フロアを埋め尽くしていました。もちろん、“シャーマン”役はDJです。

とりわけ70年代には、曲に合わせて皆が同じ振り付けで踊る盆踊りの延長といえる「ステップ」が流行しました。80年代に入って、それぞれが勝手気ままに踊る「フリーダンス」が主流となりましたが、これはかえって自由奔放さがウリだった踊念仏に「先祖返り」したようでもありました。フロアに居合わせた者は皆、DJがかける曲に合わせて「勝手に踊って、ひとりでに調和する」(アナーキスト大杉栄の言葉)喜びに、浸りきっていたのです。(以前の投稿ご参照

もちろん、現在のクラブにも同様の要素は残っていますけれども、一遍さんの踊念仏のように「老若男女分け隔てなく救う」という感じではない。そもそも音楽ジャンルも細分化して、「みんなが知っているような曲」が極端に少なくなっていますからね。

最後に訪ねた宝巌寺では、住職さんが「あの当時は、雲上人から穢多、非人、らい病の患者まで、身分や貴賎や貧富に関係なく、みんなが一遍を信奉していました。踊念仏は、激しいタイプと大人しいタイプと二通り伝わっていますが、特に激しいタイプは、足を跳ね上げて、ディスコのように踊るというものです」と話していました。

現在伝わる踊念仏をYoutube映像で見てみると、700年の伝統だけにもの凄く素朴ながらも、「リズムに合わせて踊る」という基本はしっかりと抑えています。いずれぜひ、各バリエーションの踊念仏をじかに見てみたいものです。

やはり「日本のディスコのルーツここにあり」と思わずにはいられません。文明の豊かさの恩恵を受けている現代人も、煩悩のストレスは増える一方です。「何かと踊りたがる人間の本性は、一遍さんの時代と変わっていない」という事実をあらためて噛み締めるわけです。

――というわけで、今回の曲につきましては、仏教ゆかりのネパールのカトマンズにちなんだオリエンタルな名曲「ヒルズ・オブ・カトマンズ」(タントラ)と「ザ・ブレーク」(カトマンズ)のYouTube動画を強引ながらリンクしておきます。

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*遍路原稿掲載の雑誌「BE-PAL」(小学館)は8月10日発売です。

ディスコ・ディスチャージ (Disco Discharge)

Disco Dischargeこんにちは。ご無沙汰しております。本日は、圧巻のディスコ・コンピレーション「ディスコ・ディスチャージ」(英Harmlessレーベル)を取り上げてみましょう。

このディスコシリーズ、一昨年から断続的に発売されている2枚組みCDで、現在は計12巻に達しています。価格も1巻2000円前後とお手ごろ。いずれの収録曲も「ディスコやFMラジオでかかっていたなあ・・・でも最近はすっかりご無沙汰だなあ」と思わせる珍曲の12インチバージョンがほとんどである上、英文ながら詳細で興味深いライナーツもくっついているのでありがたい。音質も、マスターテープが手に入りにくい珍盤ぞろいにしては全体的に上々です。

しかも、各巻のライナーノーツは、私のディスコ親友でもあるユッシ・カントネンさんのディスコ解説本「Saturaday Night Forever」の共著者Alan Jones(アラン・ジョーンズ)氏が執筆しております。

中でも写真の「Disco Discharge --- Crusing The Beats」と銘打った“クルージングビートの巻”は、うれし恥ずかし「おバカさん路線」全開で最高5つ星です。CD1をみると、まず1曲目はボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(1982年)のロングバージョン。ご存知、米サンフランシスコのモビーディック・レーベルが生んだディスコスターです。2曲目は、80年代に人気が大爆発したダン・ハートマンの代表曲「リライト・マイ・ファイア」(78年)の約10分にわたる長尺バージョンとなっております。

この2曲とも「あれあれ?普通じゃん。珍しくないじゃん」という反応必至なのですが、実はここからが本番。3曲目のラテン風ディスコ「Golden Eldorado」(Voyage Voyage、78年)に続き、4曲目には新宿などの日本のディスコで昔かなり流行した「Palace Palace(パレス・パレス)」(Who's Who、79年)という軽快フレンチディスコが入っています。

特にパレス・パレスの12インチレコードは近年、ホント希少盤化しており、海外のオークションサイトでも日本円で1万円近くすることもありましたからなおさら重宝です。久しぶりに聴くその曲調も、70年代のチープでごきげんなシンセサイザー音と「哀しみのサンバホイッスル」の嵐でして、遺憾ながら(うれし)涙がほほを伝ってしまいます。

ブギウギ・ダンシンシューズ」(78年)のディスコヒットで知られるクラウディア・バリーが、同じく80年前後に「Video Games」(80年)などの愉快なディスコヒットを連発したロニー・ジョーンズとデュエットで歌い上げる「Two Of Us」(81年、CD1の10曲目収録)も珍しくかつ楽しい。とにかく高揚感いっぱいのキラーチューンで、イントロは2人ののっそりしたバラード調で始まる「じらし系」なのですけど、間も なく「ドンバ、ズンバ、ドンバ、ズンバ♪」とお馴染み四つ打ちビートが五臓六腑を貫きます。

ツボを心得た佳曲はまだまだあります。例えばSleeping Lions(スリーピング・ライオンズ)の「Sound Of My Heart」(83年、CD1の9曲目収録)。これは発売当時、ラジオやディスコでけっこう耳にしていて熱中した曲の一つだったのですが、長らく自分の中で休眠中でした。この曲名を見つけたときには「うおぉぉ!懐かしいやんか!」と、道産子なのにいきなり(似非)関西弁で叫ぶ始末。曲調はとにかく哀愁ディスコ路線のど真ん中で、モータウン風のドラム演奏と時流に乗った「フリーダム」(ワム)ばりのニューウェーブっぽいメロディー、それにせつな過ぎる女性ボーカルが再び感涙を誘います。

哀愁ついでに、CD1の8曲目に収録のNora Lewis(ノーマ・ルイス)の「Maybe This Time」(83年)も、ディスコフロアで「泣きながら踊る」タイプ。原曲は大ヒットミュージカル「キャバレー」の挿入歌。その美しいメロディーとボーカルに、しんみりと聴き惚れる人は多いはずです。80年代前・中期のハイエナジー、さらに後期のユーロビート時代にはこうした曲調は大流行だったのですが、私はこの「Maybe・・・」と「Memory」(Menage、83年)、それに「We Are Invincible」(501's、84年)を個人的にハイエナジー界の“ザ・哀愁トリオ”と呼んでいます。

続いて、80年代半ばから後半にかけて、「今は昔」のバブル景気に浮かれた日本国中の"哀愁好き"の胸を熱くさせたのは、「Believe In Dreams」(Jackie Raw、85年、CD2の3曲目収録)ですね。まずはやはりYouTubeでお聴きください・・・。どうですか?もはやアホみたいにアゲアゲなおバカさぶりを発揮しているのではないでしょうか。

まさに若きエネルギーのディスチャージ(放出)であります。数年前に大ヒットした映画「Always 三丁目の夕日」は、日本の高度経済成長が本格化した昭和30年代前半が舞台でしたが、この夢の成長期がホントの意味で終焉を迎えようとしていた昭和の終わりの時代、若者たちはバブルディスコでいわば"最後の宴"に酔いしれていたわけです。間もなく、伸びきった成長のゴムひもが「パチン」と切れたかのように、バブル崩壊という悪夢が襲ってくるとも知らずに・・・。いや確かに、私も踊り狂っておりました(トホホ)。

このほか、以前にも紹介したオランダ発の究極の"おとぼけメルヘンディスコ"Mama Told Me」(Fantastique、81年)、無敵のヘビー級ボクシングチャンピオン、ムハマド・アリのステップ「アリ・シャッフル」を思わせる"軽やかシャッフルダンス・ディスコ"である「Manhattan Shuffle」(Area 212、79年)、これまたメロディーがアバっぽくて美しくて札幌のディスコ通い時代を思い出させる「Can We Try Again」(Technique、84年、モビー・ディックのプロデューサーの 故Michael Lewisが制作=Moby Dick Recordsサイト参照)、演奏、アレンジ、ミックスの完成度が高くて「これぞヨーロピアンディスコ」と思わせる「Gay Paris/French Pillow Talk」(Patrick Juvet、79年)などなど、ほかではあまり入手できないマイナーな曲が入っていて、思わず拝みたくなります。

このシリーズ、とりわけ「Crusing The Beats」は結局、幸か不幸かバブルを経験した中年世代である私自身のツボにぴったりとはまってしまったのでした・・・。他の11巻についても、心ときめく珍曲、名曲が目白押しとなっております。70-80年代ディスコの無常の宇宙が、ここではまだ果てしなく広がっているのです。



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<追記PR>今週10日発売のビジネス雑誌「The 21」(PHP研究所)の英語特集コーナーに私のインタビュー記事が載ります(写真は恥ずかしいけど)。洋楽、特にディスコに鍛えられた英語の独学修行法について語っておりますので、ご興味があればぜひ・・・。

トロカデロ・トランスファー (Trocadero Transfer)

Trocadero Transfer今回は少し趣向を変えて、最近届いたCDセットを紹介しようと思います。「Remember The Party---Celebrating The 30th Anniversary of the Trocadero Transfer」というミックスCD8枚組であります。

トロカデロ・トランスファーというのは、1977年から90年代初頭まで、米サンフランシスコで営業していた、地元のゲイたちに大人気だった伝説のディスコ。ゲイ系ディスコとしては、東海岸NYのセイント(The Saint)と並ぶ巨大な存在でした。

CDセットには、昨年10月に開かれた「トロカデロ復活パーティー」で使用された全126曲が収められています。全曲、サンフランシスコに住むジェリー・ホンハムというベテランDJがプレイしています。

昨年9月ごろ、以前に「番外編」で紹介した現地在住のディスコ関係者の友人から、「トロカデロの30周年パーティーが開かれる。私も行って久しぶりに燃え上がろうと思っているのだ!」とメールをもらいました。どんな感じなのだろうかと興味を抱いていたのですが、そのときのCDが発売されたことが分かり、トロカデロのホームページから勇んで購入してみたというわけです。

いやあ、聴いてみたら相当によかった。選曲はまさに、私が最もディスコにはまっていた70年代後半から80年代前半にかけての隠れた名曲たちでした。“ゲイ”ディスコといっても、日本では性愛的志向(Sexual Orientation)に関係なく、一般的に大いに好まれていた曲だったのです。

ビレッジ・ピープルとかドナサマーなどの特大ヒットを微妙に外しつつ、それでもしっかり「メリハリ」「上げ下げ」を意識しながら繋いでいっております。一部にボーカルが重なる部分があるのが少〜し気になりましたが、次の曲のボリュームを上げるなどして、巧みに盛り上げております。

具体的な曲名はホームページに書いてある通りで、ブラコンからハイエナジー、ニューウェーブ系までさまざま。ただ、どちらかというと陽気な白人系の曲が多い一方で黒人ソウル系は少なく、そこがいかにも西海岸的だと思いました。もちろん、パトリック・カウリー、シルベスターなど、サンフランシスコにゆかりのある大物アーチストの曲も入っています。

圧巻は、Vol.5に収録されているゲイディスコの“お約束”「Lay Your Love On Me」(アバ)ですね。エコーのエフェクトが効いて、ものすごくテンションが上がる場面になっています。これについては、購入後のメールのやり取りの際、幸運にもジェリー・ボンハム氏自身が説明してくれました。なんと、これまた伝説のDJ用「ディスコネットミックス」の12インチを3枚、即興で使用してオリジナルのミックスにしたのだそうです。

トロカデロでは、パトリック、シルベスターのほか、デニス・ラサールやボーイズ・タウン・ギャングやポール・パーカーなどなど、著名なディスコミュージシャンが頻繁に出入りし、ライブやプロモーション活動を行っていました。ホームページの写真集のコーナーにも、いろんな有名人の顔が見えます。

けれども、パトリックもシルベスターも、ほかの多くのゲイアーチストと同様にエイズで亡くなっています。前述の友人も言っていましたが、今回のパーティーはある意味で「弔いの集い」だったともいえるでしょう。

ホームページの写真を見ても分かるように、パーティー当日にはたくさんの中年ゲイたちが集まり、上半身裸になって(ゲイの特徴とされる)狂喜乱舞した模様です。パーティー関係者のブログでも少し紹介されています。日本でディスコ復活パーティーを開いても、ゲイが自己主張することはほとんどありませんから、このへんは日本と米国(特にサンフランシスコ)との大きな違いといえましょうか。

普通、DJミックスCDは1〜2枚でワンセットでして、一挙に8枚というのは珍しいわけですが、これだけボリュームがあると、パーティーそのものを追体験した気にもなってまいります。音質も申し分なし。私が所有する数多くのDJミックスCDの中でも、屈指の出来栄えです。

・・・・・とベタぼめですけど、値段は送料込みで58ドル(6000円弱)しました。でも8枚組なので安い方だと思います。円高ですし。PayPalでの購入ですので、英語力はほとんど必要ありません。わざわざ海外から入手するだけの価値はあります。久しぶりのおススメ品であります。

最後に、このミックスの収録曲のうち、当時の“いけいけ”トロカデロを象徴するような3曲のYouTubeリンクを張っておきましょう。

●Without Your Love (Cut Glass)(オリジナルはなかったので、あのIan Levineバージョン)


●The Two Of Us (Ronnie Jones & Claudja Barry)


●The Runner (The Three Degrees)



*2008年6月11日追記
このCDセット、約3ヶ月前に輸入レコード店のDisk Unionに紹介してみたら、どうやら発売になったようです。当ブログは非営利の批評媒体である上(だから各CDなどの良いことも良くないことも書ける)、私も別にTrocaderoの代理人ではないのですが(笑)、ブログでも前もって紹介した手前、参考までにリンクを張っておきます!↓

http://diskunion.net/black/ct/detail/54C080425001

ハイエナジー in YouTube <追記あり>

なお残暑厳しい関東地方であります。少し前、ライブドアブログにYouTubeのリンク機能がつきましたので、本日は趣向を変えて、ちょっと珍しい「80sハイエナジーチューン(ジャケ写付き)」をずらり紹介してみま〜す。17曲のうち15曲までもが、videobuffという米国人男性がYouTubeに載せた曲群。いずれも大ヒットまではいかなかったものの、80年代前半から半ばにかけて、私自身も当時の地元の札幌や東京で耳にしたものばかりです。

 ↓◆↓Α銑、〜韻六ニ擇離妊スコでヘビープレイされていた名曲たち、、い枠メロ哀愁系の普遍的な超名曲、ァ↓は元気いっぱいのイケイケ盛り上げチューンであります。大おススメはΔ如途中ブレイクのサックスとピアノの掛け合いが圧巻で聴き所。曲の歌詞は、そのころ大ブレイクしていたマイケル・ジャクソンに片思いする女の子が「好き、嫌い」と花占いする物語をモチーフにした内容とされていて、歌っているキム・フィールズはその後、女優として名声を得ました。Г蓮1984年ごろに私がディスコで頻繁に聞いた曲で、まさに青春の一曲(笑)でもあります。 それにしても、こういったマイナーな曲が手軽に聴けるなんて便利な時代ですな。videobuff氏のマニアックさにも感服いたします。

Simone - Him


Life Force - Invitation


Shooting Party - I Know That Mood


Desireless - Voyage Voyage


Julius Brown - Party


Kim Fields - He Loves Me, He Loves Me Not


Time - Shaker Shake


Maria Vidal - Body Rock


Katie Kissoon - I Need A Man In My Life


Claudja Barry - Work Me Over


Sam Harris - Hearts On Fire


Sheryl Lee Ralph - In The Evening


Magda Layna - When Will I See You Again


Technique - Can We Try Again


Rofo - Flashlight On A Disco Night


Le Jete - La Cage Aux Folles


TOUCH OF CLASS - Keep Dancin'


★2009年3月15日追記★ いやあ、最近この投稿を久しぶりにチェックしたら、17曲中16曲が「利用規約に違反しているため、この動画は削除されました」との表示が出ました(ショック)。YouTube内にあった情報源がいつの間にか削除されていたということです。記事中に出てくるVideobuff氏も姿を消しました。しかも、ほかにも同じ文言付きで削除されたYoutube動画が大量にありました!

ネットの動画投稿が著作権や肖像権などに違反するのかどうか、どんな場合に動画を削除するべきなのか、ユーザー、視聴者の権利をどう考えるべきか――といった問題については、実は世界的にもまだ決定的なコンセンサスが得られていません。違反していそうなケースでも、「宣伝になる」などとして看過する著作権者もいます。以前、私自身も「AERA」や「新潮45」などの雑誌の取材の中で、ネット業界関係者に尋ねたことがありましたが、納得できる答えは得られませんでした。あまりにもネット情報が錯綜、膨大化している中で、交通整理がまだできていないというのが実情なのであります。

けれども、少なくとも私のブログについては、‐Χ般榲でない(自著のアマゾンリンク程度)◆峅山擴鮴癲θ禀勝Τ惱冑章世琉貮堯廚箸靴堂酸次ζ芦茵写真等を使用しているF芦茲箍燦擦呂△までも読者に「試聴」してもらうのが目的であり、YouTubeなどからの2次利用として随時出所も明らかにしているせ篌らがアップロードした動画ではないイ修發修皺山擇硫纂舛楼く、ダウンロードによるコピー販売などの悪用は不可能――などを理由として、著作権・肖像権を侵害する違法性はないと考えており、今後も記事中でのYoutubeなどへのリンクは続けようと考えております。リンク先が削除された場合は、気付けばリンクを解除したり、別の動画にリンクし直したりしますが、作業が膨大なので大抵の場合は放置します。

Inst. Disco Best 10 (インスト・ディスコ ベスト10)

I Love Disco Emotions夏本番、今回はいきなり独断と偏見の「インストディスコ ベスト10」を発表したいと思います。歌がないインストゥルメンタルのダンス曲って、「クラブ」になってからはけっこう聞くようになったのですけど、「ディスコ」では意外と聞きませんでした。個人的にもあまり好きではないのですが、中にはヨロシイのもあるわけで。以下、順に紹介していきます。


1. My Sweet Summer Suite (Love Unlimited Ochestra)76年
オーケストラディスコの巨匠バリー・ホワイトの名曲。12インチだと、長いイントロから突然、ストリングス中心のアンサンブルが元気よく展開。調和の美を感じさせます。なぜか、朝、寝起きに聴いてもぴったりな曲。

2. Rock It (Herbie Hancock) 83年
インストとしては私が最も気に入っている曲の一つ。最初に聴いたときは、とにかく斬新な音作りに驚いたものです。エレクトロ・ファンクの王様といっても過言ではありません。インストディスコとしては現在でも最も頻繁に聴く曲。

3. Soul Power (Maceo) 73年
チト古いのですが、多少の思想性があって個人的に好きな曲。J・ブラウンのバンドJB'sの名サックス奏者メイシオ・パーカーであります。曲後半、黒人解放運動家キング牧師が暗殺前日に行った有名な演説が入ってきて感動です。

4. Beat Box(Division 1) (The Art Of Noise) 83年
トレバー・ホーンで有名なZTTレーベルの代表的ディスコ。全米ディスコチャートで2週連続1位となりました。言うまでもなくシンセサイザー使いが特徴的。曲名のとおり、ビートがしっかりしていて踊りやすいのが高評価です。

5. Star Wars (Meco) 77年
その名の通りスターウォーズのディスコ版。商業ディスコの典型といわれますが、聴いてみると、シンセ使いが重厚でノリも良く、踊らされます。圧巻は16分弱ある超ロングバージョン(LP収録)。変化に富んでいて飽きさせません。

6. An American Dream (Hot Posse) 81年
パトリック・カウリーが初期のモビーディックレーベルに残した変な曲。たぶん大ヒットしたスターウォーズ(↑)の真似だと思われますが、ノリが大変よろしい。ちょっと古めのハリウッド映画っぽいお茶目な(?)メロディーが特徴です。

7. I Love The Piano (Kasso) 84年
今でも地味に人気がある、イタロディスコの珠玉的インスト作品であります。この人の曲はシャカタクをもう少しビート中心にした感じで、ピアノの音がカッコいい。ほかにも「Walkman」などのインスト名曲があります。

8. Chase (Giorgio Moroder) 78年
お約束のジョルジオ・モロダーからはこの曲を入れました。幻想的なシンセディスコの定番。2000年にリメイク曲が全米ディスコ1位獲得。「うねうね、グリグリ、もにょもにょ」のスペイシーな世界が全面展開いたします。

9. Spring Rain (Silvetti) 77年
有名すぎるガラージ・クラシックの一品。前述ラブ・アンリミテッドにも似た正統的オーケストラサウンドであります。いかにも70年代のピアノ、ストリングスと「あ〜あ〜」のコーラスがいい感じ。癒し系ディスコでもあります。

10. Droid (Hypnosis) 87年
80年代後半モノから1曲。80年代前半からイタリアを中心に活躍したテクノ系バンドで、Pulstarなどのヒット曲あり。しっかりしたビートと曲構成が持ち味で、この曲は「朝まで生テレビ」の挿入曲としても使用されていました。

次点:
New York Is Moving (Ahzz) 81年
ギターとキーボードのリフがやけに印象的。賑やかな盛り上がり系の名曲
Spanish Hustle (Fatback) 76年
メジャーなディスコバンドの珍しいインスト曲。ラテン調のダンクラ定番
The Hustle (Van McCoy) 75年
ベタですがやっぱり名曲。初期ディスコの立役者の故マッコイさんの代表作

そのほか:
Machine Gun (Commodores、74年)、Pick Up The Pieces (AWB、74年)

まだまだ、入れたい曲は多いのですが、この辺にとどめておきます。I Love The Pianoをのぞいて、いずれも12インチバージョンがCD化されております。

写真のCDはインスト・ディスコのコンピ「I Love Disco Emotions」で、これがなかなか面白い。スペインの「Blanco Y Negro」という、ディスコのコンピCDを大量に発売しているユニークなレーベルの一作です。この中には、Giorgio Moroder「Chase」やKasso「Walkman」、それにHarold Faltermeyer「Accel F」(これもなかなか名曲ですな)の「88年ニューバージョン」など、珍しい曲が数多く収録されていてオススメですね。

Disco 12'' Best 10 (ディスコ12インチ・ベスト10)

I'm So Excited今月下旬に入ってまたまた多忙を極めておりまして、今回は何の脈絡もなく「勝手にディスコ12インチ・ベスト10」を投稿しようと思います。

いずれきちんとディスコランキングなどをやりたいと思っているのですが、とりあえず、独断と偏見での安易な紹介・寸評であります。このブログはCD解説を基調としておりますので、なるべくCD化されているものを選びました。7インチとの差がはっきりしないものや、ただ長いだけの「ロングバージョン」、それにあまりにマニアックなものは省いております。

1. I'm So excited (Pointer Sisters、5分41秒、1982年)=写真=
  (飛び跳ねるピアノが最高。今年4月、ガンで死去したジュン・ポインターを含む三姉妹の迫力ボイスが冴え渡る逸品。3分経過以降のブレイクが聴き所)

2. Can't Stop The Music (Village People、7:58、1980年)
  (派手好きカサブランカレーベルの真髄。ショーマンシップで躍らせます。後半の長いオーケストラ演奏部分がミュージカル風で感動的であります)

3. Material Girl (Madonna、6:06、1985年)
  (マドンナの人生を象徴した(?)名曲。マドンナの元恋人でもあるリミックスの名手ジェリー・ビーンが、メリハリのあるバージョンに仕上げております)

4. Can't Take My Eyes Off You (Boys Town Gang、9:34、1982年)
  (説明の必要なし。この曲はぜひ10分近い超ロングバージョンで味わい尽くしていただきたい。8分過ぎのピアノ・ブレイクが哀愁調で涙モノ)

5. Rasputin (Boney M、7:35、1978年)
  (欧州産ミュンヘン・ディスコの代表曲「怪僧ラスプーチン」をドラマチックに改造。ドラムソロにギター音が重なるマーチ風イントロが圧巻であります)

6. Don't Go (Yazoo、8:28、1982年)
(ヤズーのアップテンポなダンスの名曲。前半はシングルとほとんど変わらないが、後半から躍動感あふれるシンセ音がうねうねと大展開)

7. Rocket To Your Heart(Lisa、9:37、1983年)
  (宇宙的な広がりを感じさせるボコーダーから静かに始まったかと思うと、ドンドコドンドコとシンセドラムがいきなり炸裂。ブレイクも凝っていて楽しめます)

8. I Was Made For Dancin' (Leif Garrett、6:53、1978年)
  (70年代ディスコにしては珍しく、ディスコバージョンにシングルと違う工夫が見られる一品。長めイントロの「じらし効果」は抜群)

9. Fresh (Koo & The Gang、1984年)
  (クールのディスコ名曲はたくさんあるが、中でも最も12インチらしさがにじんでいる一品。2分半以降のブレイクがしっとりした感じでよろしい)

10.Relight My Fire (Dan Hartman、9:44、1979年)
  (ダン・ハートマンの代表曲。12インチは別曲「Vertigo」とのメドレーによるロングになっている。結果、長〜いイントロが劇場効果を高めている)

…とまあ、こんな感じであります。結局、12インチ用アレンジの良し悪しと言うより、「原曲そのものが好きだ」という理由も大きいのですけれどもね。

書いているうちに「あれも、これもいいな」と次々と浮かんできて困りました。あくまでも私の好みにより選定いたしましたが、またの機会にさらに精査して、マイナーなものも含めて「決定版」を紹介できればと考えております。
CDのライナーノーツ書きました


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