ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

おバカさん

ディスコ・ディスチャージ (Disco Discharge)

Disco Dischargeこんにちは。ご無沙汰しております。本日は、圧巻のディスコ・コンピレーション「ディスコ・ディスチャージ」(英Harmlessレーベル)を取り上げてみましょう。

このディスコシリーズ、一昨年から断続的に発売されている2枚組みCDで、現在は計12巻に達しています。価格も1巻2000円前後とお手ごろ。いずれの収録曲も「ディスコやFMラジオでかかっていたなあ・・・でも最近はすっかりご無沙汰だなあ」と思わせる珍曲の12インチバージョンがほとんどである上、英文ながら詳細で興味深いライナーツもくっついているのでありがたい。音質も、マスターテープが手に入りにくい珍盤ぞろいにしては全体的に上々です。

しかも、各巻のライナーノーツは、私のディスコ親友でもあるユッシ・カントネンさんのディスコ解説本「Saturaday Night Forever」の共著者Alan Jones(アラン・ジョーンズ)氏が執筆しております。

中でも写真の「Disco Discharge --- Crusing The Beats」と銘打った“クルージングビートの巻”は、うれし恥ずかし「おバカさん路線」全開で最高5つ星です。CD1をみると、まず1曲目はボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」(1982年)のロングバージョン。ご存知、米サンフランシスコのモビーディック・レーベルが生んだディスコスターです。2曲目は、80年代に人気が大爆発したダン・ハートマンの代表曲「リライト・マイ・ファイア」(78年)の約10分にわたる長尺バージョンとなっております。

この2曲とも「あれあれ?普通じゃん。珍しくないじゃん」という反応必至なのですが、実はここからが本番。3曲目のラテン風ディスコ「Golden Eldorado」(Voyage Voyage、78年)に続き、4曲目には新宿などの日本のディスコで昔かなり流行した「Palace Palace(パレス・パレス)」(Who's Who、79年)という軽快フレンチディスコが入っています。

特にパレス・パレスの12インチレコードは近年、ホント希少盤化しており、海外のオークションサイトでも日本円で1万円近くすることもありましたからなおさら重宝です。久しぶりに聴くその曲調も、70年代のチープでごきげんなシンセサイザー音と「哀しみのサンバホイッスル」の嵐でして、遺憾ながら(うれし)涙がほほを伝ってしまいます。

ブギウギ・ダンシンシューズ」(78年)のディスコヒットで知られるクラウディア・バリーが、同じく80年前後に「Video Games」(80年)などの愉快なディスコヒットを連発したロニー・ジョーンズとデュエットで歌い上げる「Two Of Us」(81年、CD1の10曲目収録)も珍しくかつ楽しい。とにかく高揚感いっぱいのキラーチューンで、イントロは2人ののっそりしたバラード調で始まる「じらし系」なのですけど、間も なく「ドンバ、ズンバ、ドンバ、ズンバ♪」とお馴染み四つ打ちビートが五臓六腑を貫きます。

ツボを心得た佳曲はまだまだあります。例えばSleeping Lions(スリーピング・ライオンズ)の「Sound Of My Heart」(83年、CD1の9曲目収録)。これは発売当時、ラジオやディスコでけっこう耳にしていて熱中した曲の一つだったのですが、長らく自分の中で休眠中でした。この曲名を見つけたときには「うおぉぉ!懐かしいやんか!」と、道産子なのにいきなり(似非)関西弁で叫ぶ始末。曲調はとにかく哀愁ディスコ路線のど真ん中で、モータウン風のドラム演奏と時流に乗った「フリーダム」(ワム)ばりのニューウェーブっぽいメロディー、それにせつな過ぎる女性ボーカルが再び感涙を誘います。

哀愁ついでに、CD1の8曲目に収録のNora Lewis(ノーマ・ルイス)の「Maybe This Time」(83年)も、ディスコフロアで「泣きながら踊る」タイプ。原曲は大ヒットミュージカル「キャバレー」の挿入歌。その美しいメロディーとボーカルに、しんみりと聴き惚れる人は多いはずです。80年代前・中期のハイエナジー、さらに後期のユーロビート時代にはこうした曲調は大流行だったのですが、私はこの「Maybe・・・」と「Memory」(Menage、83年)、それに「We Are Invincible」(501's、84年)を個人的にハイエナジー界の“ザ・哀愁トリオ”と呼んでいます。

続いて、80年代半ばから後半にかけて、「今は昔」のバブル景気に浮かれた日本国中の"哀愁好き"の胸を熱くさせたのは、「Believe In Dreams」(Jackie Raw、85年、CD2の3曲目収録)ですね。まずはやはりYouTubeでお聴きください・・・。どうですか?もはやアホみたいにアゲアゲなおバカさぶりを発揮しているのではないでしょうか。

まさに若きエネルギーのディスチャージ(放出)であります。数年前に大ヒットした映画「Always 三丁目の夕日」は、日本の高度経済成長が本格化した昭和30年代前半が舞台でしたが、この夢の成長期がホントの意味で終焉を迎えようとしていた昭和の終わりの時代、若者たちはバブルディスコでいわば"最後の宴"に酔いしれていたわけです。間もなく、伸びきった成長のゴムひもが「パチン」と切れたかのように、バブル崩壊という悪夢が襲ってくるとも知らずに・・・。いや確かに、私も踊り狂っておりました(トホホ)。

このほか、以前にも紹介したオランダ発の究極の"おとぼけメルヘンディスコ"Mama Told Me」(Fantastique、81年)、無敵のヘビー級ボクシングチャンピオン、ムハマド・アリのステップ「アリ・シャッフル」を思わせる"軽やかシャッフルダンス・ディスコ"である「Manhattan Shuffle」(Area 212、79年)、これまたメロディーがアバっぽくて美しくて札幌のディスコ通い時代を思い出させる「Can We Try Again」(Technique、84年、モビー・ディックのプロデューサーの 故Michael Lewisが制作=Moby Dick Recordsサイト参照)、演奏、アレンジ、ミックスの完成度が高くて「これぞヨーロピアンディスコ」と思わせる「Gay Paris/French Pillow Talk」(Patrick Juvet、79年)などなど、ほかではあまり入手できないマイナーな曲が入っていて、思わず拝みたくなります。

このシリーズ、とりわけ「Crusing The Beats」は結局、幸か不幸かバブルを経験した中年世代である私自身のツボにぴったりとはまってしまったのでした・・・。他の11巻についても、心ときめく珍曲、名曲が目白押しとなっております。70-80年代ディスコの無常の宇宙が、ここではまだ果てしなく広がっているのです。



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<追記PR>今週10日発売のビジネス雑誌「The 21」(PHP研究所)の英語特集コーナーに私のインタビュー記事が載ります(写真は恥ずかしいけど)。洋楽、特にディスコに鍛えられた英語の独学修行法について語っておりますので、ご興味があればぜひ・・・。

ビージーズ (Bee Gees)

Bee Gees 79アメリカを中心としたディスコブームの最大の立役者ビージーズは、実はイギリス・マンチェスター出身でオーストラリア育ちの3人組です。バリー、モーリス、ロビンのギブ兄弟は、70年代後半の世界音楽シーンをほぼディスコ一色に染め上げました。

77年に発売した映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のサントラでは、全17曲のち「ステイン・アライブ」「恋のナイト・フィーバー」などお馴染みの8曲を担当しています。映画の主役のジョン・トラボルタとともに一躍、ディスコの象徴にまでなったのは周知の通りです。

この3人組は、もともとビートルズを模倣してイギリスで売り出され、60年代からフォーク、ソフトロック、ポップスといった分野で音楽活動を展開していました。「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(67年)などの中ヒットを飛ばしていたのですが、70年代半ばにはスランプに陥りました。そこで彼らと長年の付き合いがあったロバート・スティグウッドというイギリスの大物プロデューサーの仲介でサタデー・ナイト・フィーバーを担当することになり、大成功を収めたというわけです。

勢いに乗った3人は、79年にアルバム「Spirits Having Flown」(上写真)を発売し、これも大ヒットさせます。ディスコ系では「Tragedy(哀愁トラジェディ)」というのが入っていて、ビルボード一般チャート1位、ディスコチャートで22位となりました。

この間、3人の末弟でアイドル顔のアンディ・ギブも「シャドウ・ダンシング」(78年、ビルボード一般1位)などのディスコ系の大ヒット曲を連発。“ギブ兄弟”はまさに時代の寵児となりました。バリーはついでに78年には、オリビア・ニュートンジョンとジョン・トラボルタの大ヒット青春映画「グリース」のサントラまで担当しております。

ところが、やはりよいことは長くは続かない。80年代に入ると、ディスコブームの終焉とともに、一気に人気が凋落していきました。ディスコから離れて、かつてのソフトロック路線に戻ったものの成果は今ひとつ。バリーについては、ちょっと前に紹介したディオンヌ・ワーウィックとかバーブラ・ストライザンドといった大物アーチストのプロデュースなどはやっており、かなりの知名度は保っていたのですが、もうピークはとっくに過ぎていました。

異常な人気が終わった後には、反動がありました。バリーは背中の難病にかかり、かつてのような活動はできなくなりました。モーリスはアルコール中毒になり長年、苦しんだ末に2003年に53歳で死去。弟のアンディはドラッグとアルコールに溺れ88年、心筋炎により30歳で早世しました。

まあ、こうした暗い後日談は、当ブログでも何度も触れてきたように、AIDS禍をはじめとして、ディスコ界では珍しくありません。あまりにもアナーキーで狂気の空間、時代だったがゆえに、「宴のあと」は空しいものです。

それでも、人種やジェンダーなどの垣根を越え、精紳の解放をもたらし、なんとなく融合できた自由でアナーキーな時代など、音楽史的にはほかに見当たりません。

自由の思想を日本に広めようと奮闘した大正期のアナキスト大杉栄は、評論「新秩序の創造」でこう言っています。「みんなが勝手に踊って行きたいんだ。そしてみんなその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。(略)この発意と合意との自由のないところになんの自由がある、なんの正義がある」。

まったくディスコとは、こうした自由調和の空間だった気がします。みな勝手に踊っていても、なんとなく秩序があった。DJという“船頭役”はいるにせよ、勝手にフロアから離れることもできるわけですから、支配者などではないわけです。ここが「ミュージシャンが観客を独占して離さない」通常のライブと大きく違う点です。

身体性がすべてであり、非常に愚かで頭の悪いおバカさん空間ではありますが、そんないい加減な場所に、私は何度救われたか知れません(笑)。そして何よりも、ドスンと全身に響いてくる大音量の音楽があればこそでしたね。

(トラボルタの“決めポーズ”付きで)「ディスコっていえばビージーズかい?」なんて、私は今も言われることがありますけど、ディスコの礎を築いた功労者たちとして、ギブ兄弟は永遠に讃えられるべきでしょう(大断定)。

さて、この人たちのCDは一通り出ています。どれも比較的入手しやすい状況であります。おススメは下写真のワーナー盤2枚組「グレイテスト・ヒッツ」ですね。ヒット曲がほぼ網羅されている上、かの「ステイン・アライブ」の12インチバージョンが収録されているのです。これは中間奏で入ってくるサックスの音色がここち良く、曲自体がけっこうレアでもあります。

Bee Gees

トニー・バジル (Toni Basil)

Tony Basil私が高校時代の1982年、勉強もろくにせずにビルボードチャートを毎週チェックしまくっていたころのこと。一風変わったディスコ曲が、あれよあれよと言う間にヒットチャートを駆け上っていきました。プロモーションビデオも変てこな、その名も「ミッキー」(全米一般チャート1位、ディスコ3位)であります。

まあ正確には純粋なディスコではないのですが、当時はゴーゴーズとかベルスターズとかバングルズとか、女性ボーカルもののロック、ポップ風の曲も、ほかのジャンルの曲とともにディスコでよくかかりましたからね。それは日本だけではなく、世界中で起きていた“クロスオーバー・ディスコ”現象(ごった煮祭り)でした。私が言うディスコの「融合」の極みが、この時代には見られたのですね。

ミッキーはビデオからも分かるように、チアリーダーをモチーフにしたすこぶる陽気な曲。日本では数年前に、お笑いの“松浦ゴリエ”がチアダンスのBGMとして使用したことでも知られていますが、全米ナンバーワンになったミッキーを歌っているのは、米フィラデルフィア出身のトニー・バジルという人。60年代から振付師、女優として生計を立てていましたが、下積み時代が長く、ミッキーがヒットしたときは39歳になっていました(!)。

トニーさんはミッキーの後に大ヒットはないため、偉大なる一発屋として認識されています。でも、ディスコ的には「Over My Head」(83年、ディスコチャート3位)とか、「Suspence」(84年、同8位)というヒット曲があり、特に前者は日本のフロアでもかなりの人気でした(ビデオも80年代的でなかなか面白い)。

けれども、その後はホントに表舞台から消えてしまうわけです。やはり「売れ過ぎちまった」ミッキーのインパクトが必要以上に大ききかったといえましょう。この人のCDは「ミッキー」がらみではけっこうありまして、上写真はその一つ米Razor & Tieレーベルのベスト盤であります。

さて、「ミッキーのトニーさん」のお話はこれでおしまい……というわけにはいきません。振付師でもあっただけに踊りが上手なトニーさんですが、ここでその原点ともいえる70年代前半の貴重な映像を紹介しちゃいましょう。また消されるかもしれませんが以下、YouTube動画を張っておきます。



いやあ、この中の女性が実はトニーさんなんですねえ。前々回のアレサフランクリンの投稿でも触れた伝説のダンスチーム「ザ・ロッカーズ」と一緒に、激しくファンキーダンスを披露しております。バックに流れているのは、マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロスの豪華デュエットでも知られるミュージカルの名曲「Ease On Down The Road」!……ただし、これまた衣装が「トンガリお帽子」で超おバカさんですがね。

彼女は、下積みだったはずの時代にも、ロッカーズとともに、地味にこうしたテレビ番組やソウルトレインなんかに出演していたようです。動画では、80年代のヒット映画「ブレイクダンス」にも「オゾン」役で出ていたロッカーズのメンバー「Shabadoo(シャバドゥー)」の姿も見えますな。

私はロッカーズの踊りを見ていると、ダンスとは一にも二にも、身体を音楽と調和させる「リズム感」だとあらためて思い知らされます。ビートが明確なディスコの場合、特にそういえます。80年代にブレイクダンスが流行して以降は、とりわけアクロバットな「技」ばかりが注目されることになり、リズム感そっちのけで音楽とバラバラに体を動かすダンスも見受けられるようになったわけですが、このころは太古からの(笑)基本に忠実でしたね。そのロッカーズにひけをとらない踊りっぷりを見せつけているトニーさんは、やはり「ディスコの申し子」だったと言わざるを得ないのです。

バルティモラ (Baltimora)

Baltimora70年代には、「カンフー・ファイティング」、「ソウル・ドラキュラ」、「ディスコ・ダック」のような、おバカディスコがかなり幅を利かせました。日本でも「ディスコお富さん」みたいな変テコなのが無数に世に出ました。80年代になるとさすがに飽きられて下火になったわけですが、「懲りないおバカもの」もいくつか存在しております。代表例は「ターザン・ボーイ」(1984年)ではないでしょうか。

いやあ、ビデオクリップ見てるだけでも、もう「牧歌的おバカさん」であることが明らかです。歌詞も「うぉーうぉー。さあ君、かくれんぼとかしてジャングルライフを楽しもう♪」と単純そのもので(万が一、深い意味があっても気にしない)、あまりに哀れで悲しい。

しかし、私はこの曲をあえて過大評価したい。なにしろ、80年代も半ばの85年、主流ヒット街道から真逆に位置しているとされたシンセディスコ系でありながら、ビルボード一般チャート13位まで上昇したという点が畏れ多い。全米ディスコチャートでも6位まで上昇しました。ヨーロッパ各国では、軒並みベスト10入りするなど、もっとヒットしています。

ターザンボーイは、日本でその後流行った「ユーロビート」の先駆けといえるでしょうが、欧米では、英国など一部を除いてユーロビートという言い方はほとんどしません。この手のシンセディスコは、80年代後半にイタリアで量産されたことから、「イタロディスコ」というのが一般的です。欧州ではかなりの人気ジャンルだったわけですけど、既にロック、ニューウェーブが主流だったアメリカでは、「おカマっぽ〜い」と毛嫌いされていたわけです。

その意味で、ターザンボーイは、アメリカチャートを席巻した最初で最後の「イタロディスコ」でした。私も、「何でこんなのがビルボードに入るのか?」と不思議に思いました。でもなんだか嬉しかった。日本でも、国内盤12インチが発売されるなどして、かなりのヒットぶりだったのを思い出します。

バルティモラは、ジミー・マックシェーン(Jimmy McShane、写真下右)という北アイルランド出身のダンサーが中心のグループ。イタロディスコ系ではよくあることなのですが、素性はかなり謎に包まれています。ビデオに出てくるダンサー(けっこう上手い)はジミーだと思いますが、歌は別の人物が歌っているといわれています。この「口パク説」については、各国のカルトディスコサイトでしょっちゅう議論されていますが、結論は出ていません(まあ、どっちでもいいが)。

バルティモラが出したアルバムは2枚。ターザンボーイのほか、子供向け番組の挿入歌みたいな「Woody Boogie」が収録された「Living in the Background」(85年)の後、87年に「Survivor in Love」を発表したものの、後者はまったく売れませんでした。結局は「ターザンボーイのバルティモラ」の一発屋で終わったわけです。

それでも、ターザンボーイだけはさすがにインパクトが強く、アメリカでは映画に使われたり、口臭消し薬品の「リステリン」のCMに使われたりして生きながらえました。93年には突如、リミックスバージョンがビルボード一般チャートで51位まで上昇しています。

けれども、そのすぐ後の95年には、バルティモラは永遠に姿を消すことになりました。ジミーがエイズでこの世を去ったのです。享年37でした。

写真上のCDは、かなり前にイタリアで発売された「Living in the Background」。ボーナストラックとして、ターザンボーイが、リミックスなどを含めて怒涛の4バージョンが収録されています。中でも、85年に12インチで発売された「サマー・バージョン」というのは、呑気な哀感が漂ってきます。まさに“おバカで哀しく、そして楽しい”ターザンボーイの真骨頂というべきでしょう。

Baltimora2

ストック・エイトケン・ウオーターマン (Stock Aitken Waterman)

ストック・エイトケン・ウォーターマンいやあ、来週また出張になりそうなので、今のうちに……というわけで、今回はストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)!! ハイエナジー&ゲイの流れからすれば、ある意味当然の帰結ではあります。

日本人にとっては、猛烈にバブルな曲の数々。80年代後半に訪れた、美しき放蕩、夢にまで見た似非日本経済王朝期に最もふさわしかったといわざるを得ません。「一期は夢よ、ただ狂え」(「閑吟集」)ならぬ、「踊れや叫べ。ディスコの出番!」てなわけで、もう全国各地に「マハラジャ」が出現しちゃってたころであります。SAWって、そんなアホな雰囲気にぴったりだった気がします。

とにかく私もアホでした。ファッション雑誌「メンズノンノ」とか「チェックメイト」とか買っちゃって、誌面でにっこり笑うモデルの阿部ちゃん(阿部寛)や風間徹を見習ったつもりになって、「丸井」でローンで買ったDCブランド(その多くは今は消滅)の衣料品に身を包み、ディスコに夜な夜な出かけるのでした。

でも、行くのは新宿とか六本木とか渋谷のフリーフード/フリードリンクの店が中心でしたな。ゼノン、リージェンシー、ヴィエッティ、メイキャップ、ウイズ、キゼー(日本発の「お立ち台」を導入)、スターウッズ、ラ・スカーラ……。そんなあたりが出没店でありました。

一方で、有名なマハラジャ、エリアのほか、88年の正月に「バブル崩壊の予兆」として悲惨な機材落下事故を起こしたトゥーリアなどは、一通り行きましたけど、通うほどにはならなかった。服装チェックとかVIPルームとか、今の格差社会じゃあるまいし、庶民の変な優越感を助長する感じも「トホホ」でありました。何しろ、所詮はおバカさんで陽気なディスコなわけで、もっとラフな格好で自由奔放に踊る方が好みだったわけです。

そんな当時のディスコで、派手やかにかかっていた曲の多くは、SAWのプロデュース作品でした。デッド・オア・アライブ、ディバイン、バナナラマ、リック・アストレー、カイリー・ミノーグ……。いま聴くと、「曲調やっぱどれも似てるなあ」とはしみじみ思いますが、20代前半の気恥ずかしい思い出が確実によみがえります。とにかくフロアは、SAWの大洪水でした。

SAWは1984年、文字通り、英国のストック、エイトケン、ウォーターマンの3人によって結成されたプロデュースチームの名前。プロダクション会社名は、3人のうちピート・ウォーターマンさんの名前をとってPWL(Pete Waterman Limited)です。これまでに紹介してきたイアン・レヴィーン(レコード・シャック・レーベル)とかイアン・スティーブン・アンソニー(パッション・レーベル)などと同様、メロディーは米モータウン・サウンドを源流としたハイエナジーであります。

特に80年代末期になってからの作品は、前期ハイエナジーのよさを踏襲しつつも、もっと複雑かつ多様になっていきます。80年代末〜90年代初頭に定着する「ユーロビート」、さらには「ユーロハウス」などの元祖とも称されますが、こちらはもう私の定義する「ディスコ」の枠外になってしまいます。私の場合、トゥーリアの事故あたりから、リアルタイムのディスコには関心がなくなっていくのでありました。

SAWの曲の中身は、基本的には、シンセサイザーの打ち込みにボーカルを乗せる構成で、万人受けするタイプ。「ストップ・エイトケン・ウォーターマン!」なんてからかって、嫌うムキも多かったのですが、ディスコというものは、ノリがよくてフロア栄えするのなら、まずはオッケー!!。「踊る阿呆たち」の額に流れる汗は、とどまるところを知らないのであります。

実際、欧州やアジアでは、一般チャート上位に入るほどに大メジャー化。本国英国では、80年代後半、カイリーミノーグなどの曲をトップ10にがんがん送り込んでいました。実は、80年代の英国も、サッチャー保守政権の改革路線により、土地の価格が急騰するなどなかなかのバブル景気になっていました。「浮かれた気分はハイエナジー」という標語(?)は、万国共通なのかもしれません。

ただ、凡百のハイエナジープロデューサーとは違い、この人たちはR&B風の曲もけっこう制作しています。私などは、プリンセスという女性ボーカリストの「Say I'm Your Number One」(85年)とか「After The Love Has Gone」(86年)なんて、アダルト向けの名曲だと思います。ディスコでもよく耳にしました。

写真のCDは、彼らの代表作品を集めた豪華3枚組ボックス・セット。シングル・バージョンが多いのですけど、3枚目は素敵な12インチバージョン集となっております。これには、みんな知ってるディバインの「ユー・シンク・ユア・ア・マン」の貴重なリミックス(男性ナレーションが入っている)や、前述したプリンセスのしっぽりR&B「Say I'm Your Number One」、SAW名義でリリースした「ロードブロック」のレア・グルーブ・ミックスなどが収録されております。

ず〜と聴いているとさすがに飽きますが、なぜだか落ち込んだとき、自分をバブリーに盛り上げたいときには最適でしょう。

サンタ・エスメラルダ (Santa Esmeralda)

Santa Esmeraldaサンタ・エスメラルダ(写真)は、リロイ・ゴメス(Leroy Gomez)率いるディスコグループ。アニマルズのヒット曲のディスコリメイク「悲しき願い」(1977年)が何と言っても有名です。全米ディスコチャートで4位まで上昇したほか、欧州、アジアなど世界中で大ヒットを記録しました。

リロイは米国出身。もともとはサックス奏者で、「愛のディスコティック」や「モア・ザン・ア・ウーマン」などのディスコヒットで知られるタバレスのツアーメンバーでした。まず70年代中盤、ソロで「Here We Go Around」をフランスでヒットさせた後、エスメラルダを結成して「悲しき願い」をリリースし、これが当たったわけですね。

ちなみに、この曲のアレンジャーはドン・レイ。私も大好きなのですが、自身でも「Got To Have Loving」(78年)という、非常にノリの良いアッパー系ディスコヒットを飛ばした人です。

エスメラルダは言うまでもなく、70年代ディスコシーンの一つの主流をなす「陽気で明るいラテン系」の代表格。そのフラメンコ風でカスタネット満載の曲調を耳にした途端、老若男女を問わず、誰もが情熱的なスペイン人になって踊り狂ってしまいます。

彼らにはもう一つ、もろラテンな「Sevilla Nights」というディスコヒットもあります。イントロからして「悲しき願い」とそっくり。インストでして、もう少し落ち着いた曲調です。お約束のカスタネットが小気味よく入ってきて、耳をくすぐります。

この曲は、「サタデーナイトフィーバー」と並ぶディスコ映画「イッツ・フライデー」の2枚組サントラにも収録(過去投稿を参照)。ごきげんなラテンナンバーって、この手の映画には欠かせませんな。

ところで、実はこの映画、ようやく最近、日本でもDVD(写真下右)が発売されました!。私自身、嬉し涙がいまも止まりません。なぜなら、この映画は「フィーバー」よりももっとディスコ的だと思っているからであります。

とにかく最初から最後までおバカさんで、間抜けで、かつ“ラテン”。実際に、エスメラルダ以外にも、ラテン系ディスコが何曲も使用されております。「フィーバー」で感じられるような、社会性やメッセージ性や若干の暗さは微塵もなく、潔いほどです。

当時のディスコの雰囲気を純粋に味わうなら、こっちの方がお奨めですね。売れる前のジェフリー・ゴールドブラム、デボラ・ウィンガー、それにキュートな10代のテリー・ナン(後のベルリンのボーカル)も出演しています。

エスメラルダのCDは、単発リリースのアルバムからベストまでけっこう出ています。写真上は、カナダのUnidiscから発売されている、「悲しき願い」など5曲入りの単発アルバム「Don't Let Me Be Misunderstood(悲しき願い)」です。

待望のDVDの方は価格1500円弱とお安く、これまた嬉しい。ただし、来年1月末までの限定販売だそうです。It's Friday

Devo (ディーボ)

Devo10年以上前、キッチュ(まがいもの=でも逆におシャレ)という逆説的な言葉が流行りましたが、そんな表現にふさわしいのがディーボ。1980年前後、赤い植木鉢みたいな帽子を頭にかぶり、変な格好でテクノダンスミュージックを次から次へと繰り出した人々です。

ニューウェーブ系にしては珍しく米国出身の男性五人組です。まあとにかく変てこなバンドで、70年代半ばの結成当初は、ステージで演奏を始めると観客からやじられたり、ビールびんを投げつけられたりと大変だったそうです。米国人は前衛的で小難しい音はあまり好みませんからねえ。

それでも、次第に理解者が増えてきて、カルト的人気が出てきたのが80年です。「ウィップ・イット」がビルボードで14位に入る健闘を見せて、自分たちの居場所を確保したといったところでしょうか。その後もバンドは解散せず、現在もライブ活動を続けているようです。

彼らの曲は80年代前半、日本のディスコでもかかっていました。私のいた札幌では「ピーク・ア・ブー!」(Peek-A-Boo!=いないないばー!)という人を食ったような曲をフロアで盛んに耳にしましたね。さすがに凡百のテクノポップバンドよりはシンセの使い方が重厚で、ノリが非常に良かった。同じころのシングルヒット「ザッツ・グッド」なんていうのもかかっていました。

本人たちもあるディスコのビデオで「ディスコを意識している」と断言していましたから、曲調も基本はドラムマシーンを駆使した80年代ディスコを感じさせます。

ただ、この人たち、おバカさんなようでいて「バカを装っている感」がある。ディーボとは「De-Evolution」の略語だそう。強引に訳すと「退化的進化」「進化的退化」「脱進化」???……てな具合でやっぱり人を食っている。歌詞の内容も、ポストモダンだかなんだ知りませんけれど、前衛的でよく分からないのが多いです。パロディなんでしょうが、インテリくささは否めません。

ディーボにはコアなファンが多いので、比較的CD化もされています。上の写真は15年ほど前に発売されたベスト版。とりあえずヒット曲が網羅されているので一番、手っ取り早いと思います。下の写真は、出世作となった80年「Freedom of Choice」で、ウィップ・イットが入っています。聴くほうは理屈をこねず、素直に曲を楽しむことと致しましょう。Devo-2

54

54投稿数が54回突破ということで、「54」を紹介します。本当はちょうど54回目にしようと思っていたのに、うっかり55回目になってしまいました。

70年代後半のニューヨークの代表的なディスコだった「スタジオ54」を題材にした映画「54」のサントラで、Volume1と2に分かれています。映画が公開されたのは5、6年前。ストーリーは「サタデー・ナイト・フィーバー」にも似て少し感傷的すぎるものの、当時の雰囲気が出ていて、なかなか面白い映画だと思いました。

1、2ともに映画で使われた曲が満載です。12インチバージョンは入っていませんが、一般的過ぎる曲が少ないのがとてもよろしい。

カーチス・メイフィールド「ムーブ・オン・アップ」のディスコリメークとか、アシュフォード・アンド・シンプソンの「ファンド・ア・キュア」とか、他ではあまり耳にしない渋めの曲が入っています。あと反戦歌「黒い戦争」で知られるエドウィン・スターの「コンタクト」(Vol.1に収録)なんて、「あの硬派エドウィンさんが…(泣)」というくらいおバカさんなディスコぶりを披露しています。

54は当時、華やか系のディスコとして本物のセレブをたくさん集めていました。ダイアナ・ロス、ミック・ジャガーといった歌手から、アンディ・ウォーホール、カルバン・クラインといったアート系の人まで、客の顔ぶれは大変豪華でした。内装ももちろん高級そのもの。入店審査は物凄く厳しく、入り口付近は、審査で外された人々でいつもあふれ返っていたといいます。

でも、そんなエリート主義はなんだか鼻につきますな。「何でもあり」がディスコの真骨頂なのですから、「誰が入ったっていいじゃないか」なんて私など思うのですが、それでも、そのハイパーでバブリーな豪華ぶりは伝説的でもあります。世界で最も有名なディスコだということは認めざるを得ません。

54が流行った同じような時期、NYにはパラダイス・ガラージというディスコもありました。ラリー・レバンという伝説のDJがいたところで、ライバルの54に比べて、もっとカジュアルな雰囲気が売り物でした。凝った音響装置も有名で、フロアで踊っていると「耳からではなく、体の内部から音が沸きあがってくる」と言われていました。

このラリー・レバンという人は「伝説」になるだけあって、とても変わった人だったようです。ジャンルをまったく問わず、ロックからパンク、さらにはオノ・ヨーコ(!)まで、ありとあらゆる曲をかけていたそうです。しかも、曲間の「つなぎ」を気にせず、テンンポを合わせることもせずにどんどん次の曲をかけていったそうで。

「何でもあり」「誰でも来い」のガラージこそ、真のディスコといえるのかもしれません。まあ、当時のガラージの様子について書いてある資料などを読むと、ここも54同様、薬物とか乱交とか、ひどくアナーキーな面があったようですけれど。











ハイ・エナジー

Hi-Energy80年代前半のディスコを彩ったハイ・エナジー・サウンドは、ロンドンの「レコード・シャック」というレーベルが生み出した。シャック(shack)とは、「丸太小屋」の意味を持つ。

レコード・シャックは80年、ディスコミュージック専門の小さな輸入レコード店として創業。82年にはレコード制作に乗り出し、「イーズ・ユア・マインド」(タッチダウン)という曲を最初にリリースして以降、次々とディスコヒットを世に送り出した。

プロデュースはイアン・レヴィーンというロンドンのDJが主に担当。「ソー・メニー・メン・ソー・リトル・タイム」(ミケル・ブラウン)、「ハイ・エナジー」(イブリン・トーマス)など、おなじみの大ヒットを連発していった。コンセプトは「モータウンのようなメロディーを持ったテクノ・ポップ」だったそうだ。

ハイ・エナジーは、後のユーロビートや日本特有の「パラパラ」に継承されている。どちらかというと、「イケイケミーハー系」の王道を行く音である。「老若男女、おバカさんになって踊ろう」という意味で、よく出来た内容だと思う。キャッチーなメロディーと分かりやすくて手堅いビート進行は、哀愁調のユーロビートともども、特に「日本人受けする」と言われた。

実際、日本の場合、ディスコは「盆踊り」だった。地域の人が分け隔てなく参加できる、舞踏の儀式。ついでに言えば、現在の盆踊りは、500年前の室町時代の「風流(ふりゅう)踊り」にまでさかのぼることができる。当時の文献によれば、若者たちが異様な衣装を着て、集団で激しく踊り狂い、ときには踊りグループ同士の「抗争」にまで発展したという。

風流踊りのおバカさ加減って、「パラパラ族」はもちろん、かつての「竹の子族」「ローラー族」にも通じるのではないか。同じ振り付けで、同じステップを踏んで高揚感を味わうわけだ。ディスコのフロアでは、こうしたステップの上手、下手も問われていた。適度に「非日常」や「狂気」もはらんでいる。

大昔のように五穀豊穣なんかの「祈り」まで込められているのかどうかはともかく、「皆でおバカさん」のつもりが、やがて「俺たちの方がおバカさん」と競い合うことになってしまう点などは、いかにも日本人らしいという気もする。

軽さが持ち味のハイエナジーの元祖「レコード・シャック」。基本的に「大衆的おバカディスコ賛成」の私にとっては大切なレーベルなのだが、こんなエピソードもある。

ジャズ・ファンクとかフュージョンの分野で80年代、「インビテーション」などのヒットを飛ばした「シャカタク」というグループがいたが、これはレコード・シャックのスペルをもじって命名された。無名のころ、メンバーが最初に音源を持ち込んだのが、なんとレコード・シャックだったのだそうだ。

持って行く先がちょっと違うんじゃないかと思うが、それでも2、3千枚プレスして販売したところ、ばか売れして手に負えなくなってしまい、メジャー大手ポリドールに権利を売ったという逸話がある。

「インビテーション」は、私が通っていた札幌の大箱ディスコで、「ソーメニーメン…」のような大盛り上がりのラストの曲が終わった後、照明が一挙に明るくなったときにかかっていた。「非日常」の終わり、つまり閉店を告げる曲だった。「インビテーションはディスコではない」ということが、こんなところでも証明されていたのだ。

写真のCDは、レコード・シャックの2枚組み12インチ集で、AWESOME RECORDS盤。音質ばっちり。主なヒット曲が網羅されており、これがあれば十分だと思う。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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