Carrie Lucas今回はおもむろにキャリー・ルーカスと参りましょう。なんといっても「アイ・ガッタ・キープ・ダンシン(I Gotta Keep Dancin')」(1977年、米ディスコチャート2位、R&Bチャート44位、一般チャート64位)と「ダンス・ウィズ・ユー(Dance With You)」(79年、同6位、同27位、同70位)が代表曲。特別に歌唱力があるというわけではありませんが、モデル顔負けの180センチ近い長身と美貌を生かしつつ、勢いのあるレーベルや豪華バックミュージシャンといった周囲にも恵まれてディスコスターになりました。

米カルフォルニア州に生まれ、幼いころから歌手を目指していたキャリーさん。ですが、ベスト盤の2枚組CD「The Best Of Carrie Lucas」(写真)のライナーノーツに載っているインタビューによると、「とてつもなく内気な性格で、歌手になりたいなんて親にも言えなかった。でも、地元の合唱団や学校の合唱部に所属していて、歌うことが大好きだった。みんなに内緒でタレント事務所を訪れたことが何度かあった。面接でことごとく落とされたけど」などと語っております。

彼女はまず、地元ロサンゼルスでほかのアーチストに楽曲を提供したり、ソウル歌手D.J. ロジャーズのバックボーカルを務めたりして、徐々に認められるようになりました。間もなくロサンゼルスのディスコ系新興レーベルであるソーラー(Solar)の創業者ディック・グリフィー(Dick Griffy)に見出され、1976年に見事、のっけからホーンセクションが炸裂し、エンディングまでぐいぐいとドラマチックに展開するオーケストラディスコの真髄を見せつける「I Gotta Keep Dancin'」でレコードデビュー。その上、幸運にも大ヒットしてしまったのです。

この過程では、既にスティービーワンダーのバックバンドのキーボーディストとして活躍していた実弟のグレッグ・フィリンゲンズ(Greg Phillingens)の存在が大きく影響しました。「I Gotta...」が収録された1977年発売のデビューアルバム「Simply Carrie」では、グレッグがアレンジャーやキーボード奏者として参加しています。

「I Gotta...」のヒットで勢いに乗った彼女は、これ以降84年までに、Solarでさらに5枚のアルバムを発表。ディスコ最盛期の1979年には、3枚目のアルバム「In Danceland」の収録曲で、軽快なコーラスとギターリフの音色が印象的な「Dance With You」が再びヒット曲となり、「天空を突き抜ける長身ディスコディーバ」の称号をほしいままにしたのでした。

この間、発掘してくれたディックとは結婚まで至りました。各アルバムにはウィスパーズシャラマーのジョディー・ワトリー、レイクサイドなどの売れっ子のレーベルメイトがバックミュージシャンとして参加しており、文字通り「ソーラー総出」の贅沢極まりない応援団を背に、ディスコ街道をまい進したのであります。

なにしろディスコ系アルバムを短期間に6枚も出しておりますので、上記2曲以外にもけっこう踊れるナンバーがあります。ドゥーワップ調のメロディーをベースに、あろうことか途中でスタンド・バイ・ミーの旋律も入ってきて意表を突く「Street Corner Symphony」(79年)、カーリー・サイモンやリタ・クーリッジみたいなさわやかなポップス路線で執拗に攻め立てる「It's Not What You Got」(80年、米ディスコ10位、R&B74位)、シャラマーみたいないかにもSolarらしい小気味よいコーラス、メロディー、ビート展開が印象的なミディアムナンバー「Show Me Where You're Coming From」(82年、R&B23位)といった佳曲が数多くあります。

Solarの人気に陰りが見え始めた80年代半ば以降、音楽活動が休止状態となり、結婚生活と子育てに専念するようになったキャリーさん。あれだけ精力的に歌いまくっていたのに少々残念ではありましたが、CDは再発モノの多いカナダのUnidisc盤を中心にまずまず出ています。個人的には、代表作ではないものの、80年代にリリースされた「Portrait Of Carrie」と「Still In Love」の2枚のアルバムが、70年代の売れ線ドンドコディスコからシンセサイザーを取り入れた落ち着いたR&B風へと曲調がうまく移行していて気に入っております。