ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

サルソウル

キャロル・ジアーニ (Carol Jiani)

Carol Jianiいやあ、油断してたらもう2月になってたびょん! 本業多忙にて更新を怠っておりましたが、今回は前回からの流れでキャロル・ジアーニであります。

異色のナイジェリア出身で、学生時代にカナダのモントリオールに移住したキャロルさんの本名は、ウチェナ・イケジアーニ(Uchenna Ikejiani)。まず70年代後半、Montreal(モントリオール)という地元発ディスコグループが、米NYのサルソウル・レーベルから出したミニアルバム「Untitled」のリードボーカルとして本格デビューしました。

このグループでひっそりと始動後、名前が英語では発音しにくい(日本語でも)とのことで、キャロル・ジアーニと改名しすっきりとソロデビュー。代表曲「ヒット・エンド・ラン・ラバー(Hit And Run Lover)」(81年、米ディスコチャート4位)を世に送り出したわけです。

アレンジには、同じモントリオールを拠点に、ハイエナジーアーチストとして一時代を築いたライムのデニス・ルパージュが参加しています。曲調も厚みのあるシンセ音にパーカッション、それにサックス、クラリネット風の効果音などが取り入れられ、非常にライムと似た感じになっています。メロディーにはやや物悲しさが漂い、後の哀愁ユーロにも通じる美メロ系です。オリジナルが発売された直後には、モビーディック・レーベルからも9分以上ある別バージョンが出されました。

この人はとにかく「ヒット・エンド…」に尽きるわけですが、ほかにも続編的な「Mercy(YouTube参考)」のほか、「Ask Me」、「Touch And Go Lover」といったまずまずのハイエナジー曲をリリース。80年代半ばにはイギリスに渡り、レコード・シャック・レーベルのハイエナジーを手がけたプロデューサーであるイアン・レヴィーンと組んで、イギリスでは大ヒットとなった「Vanity」(85年)をリリースしました。

90年代に入るとカナダに戻り、かつての70年代の仲間と組んで「スーパースター」なる自信過剰な(?)タイトルのアルバムを出すなどしましたが、あまり話題にはならず、その後は少しずつ表舞台から姿を消していきました。

振り返ると、さほど強い印象を残したとはいえず、一発屋的な扱いの歌手です。同じジャンルでいえば、以前紹介したイブリン・トーマスミケール・ブラウンなどよりも少し格下です。私もディスコではよく聞きましたけど、周囲の人々ともども「おお! キャロル・ジアーニだ!」なんて感動は沸き起こるはずもありません。それでもまあ、「ヒット・エンド…」については、ディスコ史に残る名曲の一つといえましょう。

この人のCDは、さすがにカナダのUnidiscがベスト盤を出していて(上写真宇)、主な曲がほどよく収録されています。注目すべきは、前回のスージーQのときに触れた“執念の”「Get On Up And Do It Again」の“セルフリメイク”が入っていることでしょうか……しかし、この曲はヘンに大人っぽくアレンジされていて、原曲の弾ける小気味良さが失われており、なんともいけません(しょんぼり)。

もう一枚、CDという点では、サルソウル・レーベルの英国盤コンピ「Disco Trance & Cosmic Flavas」(下写真)も掘り出し物。ウチェナ・イケジアーニ時代の「モントリオール」の曲である「Higher And Higher」がフルバージョンで入っています。内容は一般的な70年代アップテンポ・ディスコとはいえ、貴重な音源です(アナログでは珍しくないが)。
Salsoul Disco Trance & Cosmic

ロレッタ・ハロウェイ (Loleatta Holloway)

Loleatta Hollowayロレッタ・ハロウェイといえば、まず「リライト・マイ・ファイア」(79年)を挙げておきましょう。ダン・ハートマンのこの代表作では、中盤で見事な声量のメガトンボイスを披露しており、彼女自身にとっても「ディスコディーバ」としての地位を確立させた作品の一つとなりました。

最近、ディスコサイトのDiscomusic.comに載ったロレッタのインタビューによると、「リライト」の女性バックボーカリストの候補としては、ロレッタのほかに、パティ・ラベルとベット・ミドラーがいました。二人ともロレッタより「格」はずっと上なので、制作予算の都合もあったのかもしれませんが、結局はロレッタのド迫力ボイスが選ばれ、全米ディスコチャート6週1位という、セールス的にも大満足の結果を得たのであります。

ロレッタは1946年シカゴ生まれ。少女時代に教会でゴスペルを歌い始め、「キャラバンズ」という地元ゴスペルグループの中心歌手として活動を本格化させます。その後、ミュージカル出演などを経て、70年代前半にソウル歌手としてデビュー。「Our Love」「Mother Of Shame」「Cry To Me」などのR&Bの中ヒットを出しました。

彼女がブレイクしたのは、ディスコブームが到来した70年代中盤です。ニューヨークのサルソウル系のレーベルから、「Hit And Run」や「Run Away」といったダンスチューンを次々と繰り出し、いずれもディスコで大人気を集めたのです。プロデュースは、フィラデルフィアディスコのオーケストラ「M.F.S.B.」のノーマン・ハリスが主に担当していました。

ソウル歌手としてのプライドがあった彼女は当初、「こんなに速くて、しかも長〜い曲を歌えるか!」などと不満だったようですが、まずは「時流に乗ってひと稼ぎ組」の仲間入りをしたわけです。

そして79年のリライト・マイ・ファイヤに続き、80年に全米ディスコチャート1位となった「ラブ・センセーション」をダン・ハートマンと組んで世に送り出します。前述のDiscomusic.comのインタビューでは、次のように話しています。 「ダンは『Hit And Runを聴いて、一緒に仕事することを決めた。ロレッタの声が必要だと思ったんだ』と話していた。それにしても、ラブ・センセーションは今までで一番きついレコーディングだった。だって29回も取り直したんだから。2日目になると声がつぶれてきちゃったから、ダンにノドの薬『ヴィックスベポラップ』をもらって、それをコーヒーで無理やり飲み下しながら、歌い続けたのよ」

けれども、やっぱり「ディスコ歌手で終わりたくない」と、84年にはサルソウルを飛び出し、敢えてストリートワイズというインディレーベルに移りました。これが転機となり、人気は下降線を辿るようになりました。

ところが、90年代に入ると再び光を浴び始めます。90年にはハウスのグループBlack Boxの大ヒット曲「Ride On Time」が、「ラブ・センセーション」をもろサンプリングした内容だったため、著作権訴訟に発展。「よし、次は自分で作ってやる!」というわけで、翌91年、ラブセンセ−ションをセルフリメイクした「Good Vibration」を発売し、全米一般チャート1位(!)の大ヒットとなったのでした。訴訟にも事実上、勝って和解金を得ていますので、ウハウハの儲けぶりだったのです。

その後、2000年代に入っても、彼女はかつての自分のヒット曲のニューバージョンを続々とリリースし、どれもチャートをにぎわせています。結果的に、とても息の長い歌手として活躍することになったわけですね。

まあ、70〜80年代を通して、日本のディスコでは特別に人気があったわけではないのですが、世界的に見れば大物ではあります。近年の若い世代のニューヨークディスコ、ガラージ・クラシック人気とも相まって、このところ再発CDが大洪水で出ています。写真はそのうちの一つの米ライトスタッフ盤です。

ジョセリン・ブラウン (Jocelyn Brown)

Jocelyn Brown「陰徳を施せ、そしてそれが名声を博したら赤面せよ」(アレキサンダー・ポープ=英国の詩人)――というわけで、今回はジョセリン・ブラウンであります。「表のディスコディーバ」がドナ・サマーだとすれば、「裏のディスコディーバ」はこの人といえるかもしれません。

1950年米ノースカロライナ生まれ。3歳で歌い始め(もちろんゴスペル)、14歳にはプロとして活動を始めます。前回投稿のエクスタシー、パッション&ペインのバーバラ・ロイが、姪であるジョセリンを説得。彼女も歌の道を歩み始めたのでした。

ジョセリンはもともとは教師を目指していました。学校を出た後、実際に3年ほど教師を勤めています。それでも、歌手としての活動が多忙になり、辞めることにしたのでした。

歌手活動に専念してからの活躍は、目を見張るものがあります。70年代にKleer、Mantus、Disco Tex & Sexolettes、Cerrone、Machine、Changeといったディスコ系アーチストのバックボーカルを次々と務め、実績を重ねていきました。さらにはダン・ハートマン、ダイアナ・ロス、ロバータ・フラック、ジャニス・ジョプリン、ジョン・レノン、ベット・ミドラー、ミック・ジャガー、ジョージ・ベンソンなどなど、様々な大物アーチストのライブに参加。ジャンルを越えて大活躍し、「ボーカル職人」とでもいうような存在になったのでした。

ディスコ・ディーバとしての転機になったのは、78年にNYのディスコプロデューサーであるパトリック・アダムスが手がけた「Musique」というプレリュードレーベルのグループに、バックボーカリストとして参加したことでした。「Keep On Jummin'」と「In The Bush」という2曲が大ヒットし、彼女のド迫力ボイスがあらためて注目されるようになったのです。

翌79年には、同じプレリュードからデビューしたグループ「インナー・ライフ(Iner Life)」のメーンボーカルに抜擢され、「I'm Caught Up」などのヒット曲を世に送り出しました。その後このグループは、今では「ガラージ・クラシック」として知られるサルソウル・レーベルに移り、「Ain't No Mountain High Enough」(81年、ビルボードディスコチャート20位)や「Moment Of My Life」(82年、同15位)といった名曲をリリースしました。

それでも、彼女が関わったどの曲にしても、彼女自身の名がメーンでクレジットされることはなく、あくまでも「影」の存在でした。いわば「陰徳」を積んできたわけですが、それがようやく報われることになったのは、1984年の「Somebody's Else's Guy」(同13位)でしょう。これは彼女自身の名でヒットさせた最初の曲。同時期に発売された「Picking Up Pomises」(84年)ともども、札幌のディスコでよ〜くかかっていたものです。

これ以降は、もう完全に「ジョセリン・ブラウン」として一本立ちします。90年代には「Always There」(91年)をはじめとするヒットを連発するようになりました。ニューヨリカンソウルとかインコグニートとのコラボレーションでも有名ですね。ただし、このあたりはもはやハウスでR&Bな「クラブ」の世界であって、「ディスコ」ではありませんが。

ディスコ系の「助っ人女性ボーカリスト」としては、マーサ・ウォッシュ、ロレッタ・ハロウェイと並ぶ「御三家」の一人ともいえる、ジョセリン・ブラウン。彼女は最近のマスコミのインタビューでこう答えています。「私は単に仕事としてではなく、ディスコが大好きで歌っていたの。でも、ジョン・レノンにしても、ダイアナ・ロスにしても、著名アーチストたちは皆、それぞれに伝説を持っていたわね。人をどうやって楽しませるか、それに自分自身をどう楽しませるか、という点について大いに学ばせてもらったわ」。彼女自身、新たな伝説になった、ということになりましょうか。

ジョセリン・ブラウンのCDは豊富に出ておりますが、最近は写真のインナー・ライフ時代の選曲集(サルソウル盤、2枚組)を好んで聴いております。マスターテープ自体が古いため、少し音質が落ちる部分がありますけど、まあディスコものではいつものことだし、諦めております。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権は作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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