ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

シニータ

ホット・ゴシップ (Hot Gossip)

Hot Gossip
ディスコ的グループを「大所帯シリーズ」で調べていたら、「参加延べ約60人」というのがありました。その名は英国のホットゴシップ。…といっても、正確には、日本の昔のスクールメイツをもっとキワモノ化させたような「男女混成ダンスチーム」です。

このグループは、日本では「ブレイク・ミー(Break Me Into Little Pieces)」(1983年)が、「永遠のラスト曲」としてあまりにも有名です。私は発売直後、いつも行っていた札幌市内の輸入盤店の無愛想な店長に、珍しく「これはいいよ!」と薦められて、1,580円出して買った(円高前でチョット高かった)記憶があります。その後、各ディスコですごい勢いでかかり始めましたから、結果的に大当たりとはなりました。

発祥は、少々さかのぼって1970年代後半。初期ユーロ&スペースディスコのデビュー曲「I Lost My Heart to a Starship Trooper」(78年)が全英チャート6位に入り、本国では人気集団になりました。

この曲には、80年代後半に「オペラ座の怪人」で大ブレイクを果したソプラノ歌手・女優のサラ・ブライトマンもリードボーカルとして参加していました。当時18歳。あまりに情けない(しかし微笑ましい)証拠映像を見ると、もうかなりの大人に見えます。

この後、サラについては間もなく実力を見出され、ディスコ界をまんまと脱け出してメジャーエンタメ界に“昇格”したわけですが、入れかわり立ちかわりいろんなメンバーが入ってきて、しばらくは大勢力を保持。英国の人気テレビショーに出演する一方、ディスコ系のレコードを発表するなどの活動を続けていました。一時は、「GTO」や「トーイボーイ」(ともに87年)で知られるシニータが参加していたこともあります。

83年の「ブレイクミー」は、そんな彼らの後期の作品。イアン・レヴィンらがプロデュースした典型的なハイエナジーですけど、大所帯の強みをいかんなく発揮した、ミュージカル風の壮大な曲調になっています。ただ、この曲は本国ではセールス的に今ひとつの結果に終わり、同じころに「Don't Beat Around The Bush」を発表した後、86年には解散してしまいました。

それにしても、このグループはどうもつかみどころがありません。最近、なぜか突然CD化された81年発売のアルバム「Geisha Boys And Temple Girls」(写真)を聴くと、ディスコとは少しかけ離れたクラ〜い曲ばかりなのです(ジャケットも暗い)。ヒューマンリーグやヘブン17の曲のリメイクということもあり、何だか「テクノの実験盤」の印象です。全8曲のうち、踊れそうな曲は2曲ぐらいしかありません。

結局、デビュー曲とラストの2曲あたりが“純正ディスコ”と言えるでしょうか。ホットゴシップの曲はCD化がほとんどされていないので、「おぉ、こんなのがCDになっているのか!」と購入してみたのですが、これは正直ハズレでしたね。何でいきなりCD化されたのかは、今もって不明であります。

Miquel Brown (ミケール・ブラウン、マイケル・ブラウン)

Miquel Brownミケール・ブラウンは、世界的ディスコヒット「ソー・メニー・メン、ソー・リトル・タイム」(1983年、全米ディスコチャート最高2位)であまりにも有名ですが、けっこう激動の人生を歩んでいるようです。

1945年カナダに生まれた「Miquel」は、生まれたときの名はマイケル・ジャクソンなどと同じ「Michael」でした。実は当時、Michael Brownという米国の高名な男性の児童書作家がいて、両親が後に「間違えられては困る」と「Miquel」に変更した経緯があります。

ただし、発音はどちらも「マイケル」だということですから、まったく男っぽい名前です。つまり、日本で知られてきた「ミケール」は発音違いということになりますね。どうやら正しくは「マイケル・ブラウン」なのでした。

彼女は勉強ができたようで、米ワシントンDCにあるワシントン大学の薬学部に進学。ここで学生結婚をして、一女を設けました。有名な話ですが、この娘こそ、後に「ソー・マッチョ」や「トーイ・ボーイ」のヒットを飛ばすハイエナジー(ユーロビート)・ガールのシニータであります。

ただ、Miquelはもともと勉学に勤しむタイプではなく、少女時代から歌手に強い憧れを抱いていました。大学在学中に米国のミュージカル「Hair」のオーディションに合格し、芸能活動を開始。このころには離婚もしました。20代後半で英国に渡ってからは、ミュージカルやテレビの女優として活躍する傍ら、歌手活動も本格化させたのです。

そして30代も半ばに差し掛かった1978年、「シンフォニー・オブ・ラブ」=右下写真=というディスコアルバムを発売し、折からのディスコブームに乗って中ヒットを記録。その後しばらく停滞したものの、83年の「ソー・メニー・メン」で再ブレイクを果たしたというわけですね。このころにはもう40歳近くになっていました。

さて、その「ソー・メニー・メン」ですが、欧米では「ゲイ・アンセム」として完全に定着しています。歌詞の内容は文字通り、「私は男が大好き!特に筋肉質のヒトがいいわ。男なしでは生きられない!でも、いい男をさがすには、時間があまりにも少ない」…とひどく痴女的なのですけど、実際は「男が男を求める」という曲なのですな。私はディスコに行っていた若いころ、すっかり誤解していました。

実際、Miquelの長いパンチパーマみたいな髪型(「コーンロウ」と呼ばれる)は、営業上、男っぽさを強調するためだったといわれています。ハイエナジーディスコの世界では、世間のゲイ・アレルギーに配慮して、ボーカルに女性を起用するケースはよくあります。例えば、「いかにも」のゲイミュージシャンであるボーイズ・タウン・ギャングに一人だけ女性がいるというのも、同じ理由からです。

Miquelは何だか最初から、ジェンダー的にボーダレスな歌手として売り出されていたようです。デビューアルバムの「シンフォニー…」のジャケットでの髪型なんて、まさにパンチそのものですからねえ。それでも、本物の男性がゲイディスコを歌うよりは、抵抗感が少なくなるということなのでしょう。

…と、本題からはちょっとそれましたが、彼女の曲自体は、ほとんど説明不要なわけです。歌は伸びやかで文句なしに上手ですし、とりわけ「ソー・メニー・メン」の完成度はやはり高い。ほかの曲についても、セールスはイマイチだったものの、「He's A Saint, He's A Sinner」(84年)とか、「Beeline」(84年)とかは、フロアでもお馴染みでしたね。いずれも、彼女の歌唱力が堪能できる佳曲であります。

ちなみに、「シンフォニー…」も70年代後半の「古き良きドンドコ」が存分に楽しめる内容で、好事家の間では評価は非常に高い。まだCD化はされていませんが、ぜひ実現してほしいものです。

左上写真のCDはカナダのUnidisc盤のベスト。80年代の彼女の代表曲がほぼ網羅されております。遅咲きの“花”、Miquel Brown。日本でも、80年代前半のディスコを語る上では避けて通れませんから、一家に一枚あっても損はないでしょう(断定)。Miquel Brown 2
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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