ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

シュープリームス

キム・ワイルド (Kim Wilde)

Kim wildeさて今回は、80年代の英国を代表する女性歌手キム・ワイルドさんで〜す!その名のとおり、当初はブロンディみたいなワイルドなロックまたはポップスの曲調が多かった人ですけど、80年代半ばから緩やか〜にディスコ化。怒涛のエネルギーに満ち溢れた数々のヒットを放っています。

当時は、シーナ・イーストンとかマドンナとか、女性の音楽的社会進出を思わせる美貌系のソロ女性歌手ブームがありましたので、彼女もその一人ということになります。

1960年生まれの彼女の父親は、1950〜60年代の英国ロックンロール&ロカビリー界のトップスターだったマーティー・ワイルド。1981年の20歳のとき、その父親の協力の下、同じくミュージシャンである実弟のリッキーがプロデュースして、デビューアルバム「Kids In America」を発表。収録曲の同名シングル「Kids In America」が、いきなり本国のシングルチャートで2位に輝きます。全米チャートでは最高25位といまひとつでしたが、ドイツやフランス、豪州などでも軒並みチャートインしました。

この曲は、父の影響を感じさせるアップテンポのロック調で、随所にアナログ・シンセサイザーの「びよんびよん」な音が響き渡ります。キムさんのクールで無機質な表情に似合わないあどけない声が、現在にも通じるミスマッチな魅力を放っています。

続く82年に発表した2枚目「Select」では、ロック色をやや弱める一方、シンセポップ、ニューウェーブ色を強めました。この中には、昔紹介したウルトラボックスみたいなブリティッシュ・ニューウェーブロック大全開でアゲアゲな「Words Fell Down」や「View From A Bridge」や「Chaos At The Airport」、かと思えばしっぽりと哀切感漂わせる隠れた名曲「Cambodia」などが収録されています。

その後、毎年のようにアルバムを発表した彼女ですが、「Kids In America」ほどのヒット曲には恵まれませんでした。ただ、1984発表の4枚目「Teases & Dares」に収録されている「The Second Time」などは、テイラー・デインみたいな“ラッパ・シンセ”が縦横無尽に駆け回り、それを几帳面な電子ドラム音が「まあそう慌てなさんな」とばかりにしっかりと下支えするダンサブルさが持ち味で、当時のディスコでもけっこう耳にしました。

さらに、同アルバムの別の収録曲としては、もろ「親父の影響」で作られたと思われるロカビリー・ディスコ(?)の「Rage To Love」にも、個性的な発想の音作りを感じさせます。

セールス的に停滞気味になった彼女にとって本当の転機となったのは、やはり86年発売の5枚目「Another Step」(写真)に収録の「You Keep Me Hangin' On」でしょう。ついにというか、いきなりというか、あれよと言う間に米ビルボード一般チャート1位(ディスコチャートでは6位)に輝いてしまったのです。

この曲は、ザ・シュープリームスの名曲をハイエナジー風のディスコにリメイクした内容で、当時流行りのゲートリバーブのエフェクトをかけた「ビシッ!バシッ!」ドラムも絶好調の一品。「おもしろうて、やがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」(By 芭蕉)の大バブル経済下だった六本木界隈のディスコでも、バナナラマ並みに高らかに響き渡っていましたとさ。

ちなみに、このアルバムの他の収録曲では、「Another Step (Closer To You)」もなかなかおもしろい。というのも、同じく英国のソウルディスコ歌手で、「ママ・ユース・トゥ・セイ」のヒット曲を持つJunior(ジュニア)さんとの異色デュエット曲になっているからです。曲調はオーソドックスな80年代ロックディスコという感じですが、2人の一風変わったソプラノ系の声質が、ディスコに集う者たちに、「はて踊るべきか、踊らざるべきか」と一瞬戸惑いを起こさせるような、独特の高揚感を生み出しています。

80年代後半にはもう1曲、「You Came」(88年、米ディスコチャート10位)という曲を発表しました。もうこのあたりまでくると、確信犯というかある種の開き直りというか、メロディーライン重視の「ちょいとユーロビート」な感じになっちゃってます。

というわけで、90年代に入ると、20代のころのワイルドさもさすがに影を潜め、セールスまでもが落ち込む一方になっていったキムさん。それでも、鮮烈デビュー作だった「Kids In America」からの一連の鋭角的な作品群は、その風貌とも相まって、パワフルで華々しかった80年代の音楽シーンを象徴しており、相当なインパクトがあったと思います。

再発CDは各アルバムともに発売されています。写真は「You Keep Me…」が収録された代表的アルバム「Another Step」で、収録曲のロングバージョンを網羅したCD2枚組の英Cherry Pop盤が5年前に出ています。

次回も、ニューウェーブとかそのへんに焦点を絞ってみたいと考えております。

ダイアナ・ロス (Diana Ross)

Diana Ross黒人女性歌手のトップスター、ダイアナ・ロスは、マイケル・ジャクソンの長年の親友でもあったことはよく知られています。

1960年代、希代の大人気黒人コーラスグループ「シュープリームス」の事実上のリーダーとして活躍したダイアナは、60年代末にはソロ活動を本格化、同時に、同じモータウンレーベル所属のアイドルとして売り出し中だったジャクソン5を、いわば“弟分”として自分のコンサートなどで紹介しています。このころに“少年マイケル”との友情も芽生えたのでした。

70年代に入ると、ほぼ完全にソロ歌手となります。シュープリームスのほかのメンバーとの確執も深まったわけですが、セールス的にはまずは順調で、「Ain't No Mountain High Enough」(70年、ビルボード一般、R&B各1位)、「Touch Me In The Morning」(73年、一般1位、R&B5位)などのヒットを出しました。それでも、飛ぶ鳥落とす勢いだったシュープリームス時代と比べると、やや影が薄くなったとの感は否めませんでした。

そんなダイアナは1976年、「Love Hangover(ラブ・ハングオーバー=恋の二日酔い)」などのディスコソングが収録されたアルバム「Diana Ross」を発表しました。この「二日酔い」はディスコブームの時流にうまく乗っかり、全米ビルボード一般、R&B、ディスコの各チャートで1位を獲得し見事「三冠女王」を達成したのでした。

この人は美貌もウリの一つでして、女優としても実績を重ねています。ビリー・ホリデイの生涯をモチーフにした「ビリー・ホリディ物語」(72年)で主演したのは有名ですが、78年には、「オズの魔法使い」の黒人版である「The Wiz(ザ・ウィズ)」でマイケルジャクソンと夢の共演を実現しています。

この「ウィズ」は、興行的には大コケしたものの、クインシー・ジョーンズがプロデュースしたサントラはヒットしました。特に、マイケルとのデュエットである「Ease On Down The Road」は、ディスコ史に燦然と輝く名曲であります。マイケルにとっても、この映画でクインシーとの出会いを果たし、両雄の協力関係はやがて「オフ・ザ・ウォール」、続いて「スリラー」という歴史的ヒットアルバムとして結実することになります。

ダイアナは79年には、ディスコ満開のアルバム「ザ・ボス」(ディスコチャート1位)を発表。この中からはお馴染み「ザ・ボス」、「ノー・ワン・ゲッツ・ザ・プライズ」などがフロアで大人気となりました。

そして1980年には、シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズをプロデューサーに迎えて“ダメ押し”ディスコアルバム「ダイアナ」を発表。ナイル・ロジャース側とモータウンが出来栄えを巡って対立するハプニングがあったものの、収録曲の「アップサイド・ダウン」が一般、R&B、ディスコの各チャートで1位、ゲイ・ピープルの“カミング・アウト”賛歌の「アイム・カミング・アウト」が一般チャートで5位に入るなど、セールス的には大成功しました。

その後は少し勢いが衰えたダイアナさん。でも、ディスコ的には、ダリル・ホールがバック・ボーカルで参加した「Swept Away」(84年、ディスコ1位)、マイケルがバック・ボーカルで参加した「Eaten Alive」(85年、同3位)、「チェイン・リアクション」(86年、同7位)など、順調に「ディスコでも女王と言われたい」状態を持続しました。このあたりの80年代の曲は、私もディスコでずいぶんと耳にしました。とりわけSwept Away(スウェプト・アウェイ)は、アーサー・ベーカーのフリースタイルっぽいミックスが秀逸でした。

ディスコ・クイーンといえば、一般的にはドナ・サマーということになりますが、ダイアナさんは黒人歌手の「クイーン・オブ・ポップ」とさえ称されるだけあって、ディスコ系の曲でもまんべんなく名曲を世に送り出しています。そのキャリア、曲群は一度の投稿ではとても紹介しきれません。

今回のマイケルの悲報に接し、ダイアナは「突然のことであまりに悲しい。彼の家族や子供たちために祈りを捧げたい」といったコメントを発表していますが、多くを語ろうとはしていません。あまりにもショックを受けたためか、先日の追悼式にも「独りになって喪に復したい」と欠席しました。

実は、ダイアナ自身も、シュープリームス時代の仲間との仲たがいだけでなく、私生活で結婚、離婚を繰り返したり、5人の子のうちの1人が、モータウン創始者のベリー・ゴーディーとの間にできた子であることが後にバレたり、けっこうセレブ特有の波乱の人生を歩んでいます。

マイケルとは60年代後半の出会いの後、ずっと公私ともに友人としての付き合いがあったようです。スーパースター同士、周囲になかなか明かせぬ孤独感を互いに理解し合っていたのかもしれません。最近、やたらとCD/DVD店で見かけるUSAフォー・アフリカの「ウイ・アー・ザ・ワールド」(85年に大ヒットしたチャリティー曲)でも、マイケルとダイアナが、仲良く同じパートを掛け合いで歌っていてなんだか象徴的です。

写真上のCDは、ディスコ系アルバムとしての代表格「ザ・ボス」。1999年にモータウンで発売された盤で、「ザ・ボス」の12インチバージョンが収録されています。写真下のCD「ダイアナ」は、「ラブ・ハングオーバー」「シュープリームス・メドレー」をはじめ、相当に貴重な12インチバージョンが収録されたデラックス盤です。「ディスコのダイアナ・ロス」を知るには、このあたりが基本になるかと思います。

Diana
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


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