ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ジェリービーン

リキッド・ゴールド (Liquid Gold)

Liquid Gold Pic今回も正統派ディスコ、リキッド・ゴールドと参りましょう。イギリスの男3人・女1人のグループで、80年前後に少々派手なディスコ曲を世に送り出しました。

主なヒット曲は、最も売れた「My Baby's Baby」(79年、米一般総合チャート45位、米ディスコチャート5位)に始まり、さびのメロディーラインが哀愁帯びて泣きたくなる「Dance Yourself Dizzy」(同、米ディスコ26位)、ややミデアムスローな「What's She Got」」(83年、米総合86位、米ディスコ23位)、けっこう渋めのギターリフが五臓六腑に染み渡る「Substitute」、「パニックになるな!」と言われながらも思わずパニくってフロアに駆け込んでしまうお馴染みアゲアゲ「Don't Panic」が"黄金クインテット"。本国を中心に大人気だった彼らですが、アメリカの一般チャートにも食い込んだのは立派です。

日本では、とりわけ「Dandce Yousellf...」(邦題:今宵ダンスで)と「Don't...」(同:ドント・パニック)の2曲がフロアの人気をさらいました。特に「今宵ダンスで」なんてのは、なかなかシャレオツなネーミングだと思いますよ。「ええ本日はお日柄も良く……皆様ようこそお越しくださいました……では、今宵はひとつダンスということで…」みたいな感じで、きちんと段取りを踏む和の奥ゆかしさを感じさせますね。こちらも襟を正して、「ああ左様でございますか、では踊ることと致しましょう」という気になります。結婚式の2次会のパーティーなんかにぴったりだと個人的には思っております。

このグループの結成は1977年で、中心メンバーは声量たっぷり女性ボーカルのエリー・ホープ(Ellie Hope)とレイ・ノット(Ray Knott)。2人とも70年代前半、「The Mexican」というヒットを飛ばしたイギリスのベーブルース(Babe Ruth)というロックグループの元メンバーでした。

ちなみにこのメキシカンという曲は、現代のダンスフロアにも十分通用するノリノリ西部劇なナンバーでして、ジャニス・ジョプリンばりの迫力ボイスをきかせていたJenny Haan(ジェニー・ハーン)なる女性がメインボーカル。80年代にはジェリービーンが彼女本人をボーカルに起用して、ローランド系アナログ・ドラムマシーンを駆使したフリースタイルのディスコ曲にリメイクし、大ヒットさせています。

実は、リキッド・ゴールドが残したアルバムは、「My Baby's Baby」、「Dance Yourself Dizzy」などが入った79年発売の「Liquid Gold」(上写真)のみ。とにかくジャケットは金ピカでインパクト大。でも、いくら「リキッドゴールド」(彩色用の光沢金)だからといっても、デスマスクみたいな不気味さの方がかえって際立ちます。私も真夜中なんかにレコード棚からこれを引っ張り出すと、背筋がぞっとして踊る気力を失ってしまうわけです。

結成から7年後の1984年、メンバーが1人抜け、2人抜けした結果、あえなく解散した「光沢金」。それでも、イギリスでは珍しいド真ん中の「メロディー明快、ジャケットも明快」のユーロディスコ系のグループとして、今も一度(ひとたび)かかれば踊る者を興奮のるつぼへと引きずり込む魔力に満ちております。アルバムの正式な再発CDは未だ出ていないものの、以前紹介した「Disco Discharge」シリーズや日本国内盤の「懐かしのディスコフィーバー!」的な各種ディスコ・コンピレーションには、主なヒット曲が収録されております。

ネイキッド・アイズ (Nakid Eyes)

Naked Eyesさて、今回は灼熱の夏を彩るニューウェーブ・シリーズ第3弾、ネイキッド・アイズと参りましょう。80年代前半、サンプリング・シンセサイザーの草分けで当時約1千万円もしたフェアライトCMIをいち早く導入し、ユニークな哀感漂う音作りにせっせと励んでいた英国の男性2人組です。

最大のヒット曲は、1982年発表の「Always Somthing There To Remind Me」(米ビルボード一般チャート8位、米ビルボード・ディスコチャート37位)。米ポップス界の巨匠バート・バカラックによる60年代の作品のカバーです。邦題は「僕はこんなに」といかにも意味不明ですが、曲調は美メロで至って真面目であり、フェアライト特有の「カン、カン、ボワ〜ン、ドッカ〜ン」という金属的かつ工場機械的な電子音が、大仰なだけにかえって日本人好みのはかなさを感じさせてくれています。

変則的高速ビートのこの曲は、「踊ってみな」と言われても、なかなかのり切れない難攻不落な展開のため、当時のディスコで聞くことはほとんどありませんでした。でも、少々控えめな曲調の次のヒット曲「プロミセス・プロミセス」(83年、一般11位、ディスコ32位)は、けっこう耳にしております。人気DJだったジェリービーンによる「ジェリービーン・ミックス」では、まだ無名歌手で、彼の恋人でもあったマドンナのささやくような美声も入っていて、二重に楽しめる内容となっています。

続くヒット曲「(What) In The Name Of Love」(84年、一般39位、ディスコ35位)は、「こんなに」と「プロミセス」を合わせたような「カン、カン、ボワ〜ンの哀愁ダンサブル」な雰囲気を漂わせており、これまたメロディーラインが美しい。フロアで激踊りを披露するわけにはいかないにしても、奥の暗がりで席に座ってドリンクでも口にしながら、手足をリズミカルに動かすには最適な内容となっています。

このデュオの構成メンバーはPete ByrneとRob Fisherで、80年代初めに2人で活動を始めて、活動を休止した84年までに2枚のアルバムを出しています。うちRobはClimie Fisherという別のデュオを結成し、「Love Changes (Everything)」(88年、一般23位、ディスコ16位)というダンスヒットを飛ばしますが、99年に病気のため39歳で早世しています。

今あらためて聴いてみますと、前回紹介したABCにも似た、80年代に大量に登場したエレポップな要素がふんだんに詰まっていることが分かります。それでも、この人たちの曲は、特にメロディーラインに個性が感じられます。短い活動期間ではありましたが、一発屋ではありませんし、ディスコ界にもポップス界にも、相応の貢献を果たしたといえましょう。

CDは、2枚のアルバムともに再発で出ております。ベスト盤もいくつかあり、写真は2002年発売の米EMI盤ベスト「Everything And More」。主なヒット曲の12インチバージョンが入っていてうんと楽しめますが、最近は希少化しているようです。

フリーズ (Freeez)

John Roccaアメリカでは、1980年を境にディスコが「ダサダサ」ということになって衰えたのですが、その音楽遺伝子は脈々と受け継がれていきました。その代表例が俗に「フリースタイル(Freestyle)」と呼ばれたアメリカ発ダンスミュージックです。有名ディスコが次々と閉店を余儀なくされる中、なおも世間の目をはばかりながら営業していたディスコたちは、このジャンルの曲の登場により一命を取りとめた、といっても大げさではありません。

フリースタイルはニューヨークとフロリダが発信源。その三要素は、大きく言って「電子音」「シンコペーション」「ラテン風リズム」でして、文字通り自由な発想の曲作りを持ち味としています。とりわけお馴染みのローランドTR-808のドラムマシーンが紡ぎ出す「ピコポコ、ポンポコポン♪」の音色が特徴的ですね。「シンコペーション」とは、曲を実際に聴くと分かりますが、バックビート(裏拍)を強調し、テンポ展開を微妙にずらした複雑なビート&リズムのことで、生ドラムや生ベースではなかなかうまく表現できないとされています。

フリースタイルの初のヒットはマン・パリッシュの「ヒップ・ホップ・ビー・ボップ」(1982年、全米ディスコチャート4位)とされており、以後、大量のアーチストたちがさまざまなヒット曲を飛ばし、80年代後半までブームといえる状況が続きました。アーチストはやはりイタリア系やヒスパニック系が中心で、それに黒人ミュージシャン、英国テクノポップグループも加わるといった格好でした。レーベルはStreetWiseやEmergencyなどが有名です。マイノリティーが作り出した文化であり、現在に通じるヒップ・ホップの源流でもあります。

代表的なアーチストは……といっても、恐ろしいほどたくさんいます。Lisa Lisa and Cult Jam、TKA、C-Bank、Planet Patrol、Tina-B、Expose、Shannon、Information Society、Cover Girls、Jellybean、Arthur Bakerあたりをひとまず挙げておきます。

これらのアーチストの曲は、どれも当時、流行だったブレイクダンスにぴったりな曲ばかりです。特にポッピングとかエレクトリックブーガルー(エレクトリックブギー)みたいな、「カクカク、カキカキ、痛えっ!(関節がはずれる音)」のロボットダンスな踊り手に人気でした。フリースタイルの曲が満載のダンス映画「ビート・ストリート」なんて映画が公開されたのもこのころです。

フリースタイルのアーチストはいずれ少しずつ紹介していくつもりですが、今回は私の思い入れ優先でフリーズ(Freeez)にしたいと存じます。代表曲「I.O.U.」(83年、ディスコチャート1位)は当時、軽く1万回ぐらい聴きましたし(うそ)、ディスコでも「もう勘弁してください」というぐらいかかっていました。

歌っているのは中心メンバーのジョン・ロッカ(John Rocca)で、「ホントに男なの?」というぐらい、ものすご〜く高い声です。イギリスのグループで異色ではありますが、I.O.U.のリズム展開はフリースタイルそのもの。シンセサイザーでがんがん押していくタイプ……というか、ボーカル以外はシンセサイザーの音しか聞こえてきませんが、そこがまたよかったのですね。8分近くある12インチバージョンというのもありました。

フリーズはI.O.U.。の後、「ポップ・ゴーズ・マイラブ」(83年、ディスコ5位)がかなりのヒットになりましたけど、後はふるいませんでした。

ジョン・ロッカだけはソロでしばらく活躍を続け、84年に「I Want It To Be Real」、93年に「Shine」がそれぞれディスコチャート1位に輝いています。特に前者は、フリースタイルの名曲の一つだと私は思います。ほかにも「Once Upon A Time」(84年、ディスコ72位)という、世界中のDJから高い評価を得ているディープな佳曲もありますね。

Freeez、ジョン・ロッカともに、CDは基本的にありません(きっぱり)。I.O.U.だけはいろんなコンピにやたらと収録されていますが。上写真は、音質に難があったり、そもそもCD-R(!)だったりする米Hot Productions盤のジョン・ロッカのベストです。内容も、「I Want It To Be Real」がオリジナルではなく、リミックスしか入っていないなど今ひとつ。これでさえ、今ではレア盤になってます。

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プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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