ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ジャズ

パトリース・ラッシェン (Patrice Rushen)

Patrice Rushenいやあ、いつもながら唐突です。今回は極めて正統派の女性R&Bアーチスト、パトリース・ラッシェンとまいりましょう。

左写真は82年発売の代表的アルバム「Straight From The Heart」です。邦題はなんと「ハート泥棒」! そんなきゃわゆ〜いタイトルをひっさげ、ちょいと往年の南沙織(古い)ばりのアイドル顔で登場しているのですが、実は幼いころからジャズピアノの天才少女として騒がれ、ギターもパーカッションも難なくこなしたという、相当に伊賀流忍者な手だれ演奏家だったのです。

代表曲は、なんといってもこのアルバムに入っているダンスチューン「フォゲット・ミー・ナッツ(Forget Me Nots)」(全米R&Bチャート4位、一般23位、ディスコ2位)。イントロ途中でやおら始まるハンドクラップと「ピン、ピン、ピン、ピン♪」という律儀なおとぼけ電子リズムが印象的でして、かなりの人が一度は聞いたことがある旋律と思われます。

1954年、米ロサンゼルス生まれのパトリースさんは、音楽好きの親の影響で5歳のときにクラシックピアノを始めて、高校時代にジャズに開眼。10代後半でメジャーなジャズフェスティバル(Monterey Jazz Festival)のピアノソロ部門に出場して見事優勝し、すんなりとレコードレーベルとの契約を果たします。

1974年のデビューアルバムを含めてジャズのアルバムを3枚出してヒットさせた後、ジャズレーベルからメジャーのエレクトラ(Elektra)・レコードに移籍。78年に「Patrice」という雰囲気を変えた一般向けR&Bアルバムを発売して以降、別のレーベルに移った84年まで計5枚のアルバムをエレクトラから出しました。その楽曲のほとんどは、彼女自身の作によるものです。

この5枚とも、ディスコフロアを意識した内容になっているところが大いなるプラスポイント。お得意のジャズ・フュージョンの雰囲気を濃厚に映しながらも、それ故にこじゃれたダンスチューンが満載になっております。「フォゲット・ミー」以外では、アップテンポでぴょんぴょん飛び跳ねる感じの「Haven't You Heard」(79年、R&B7位、一般42位、ディスコ5位)、軽快なベースラインとサビのコーラスが印象的な「Never Gonna Give You Up」(80年、R&B30位、ディスコ2位)、スローテンポにも合うリズムマシンの名機TR808を駆使した「Feel So Real」(84年、R&B3位、一般78位、ディスコ10位)などがあります。

ただし、アルバムの邦題は、78年から順に「妖精のささやき」(英題:Patrice、78年)、「陽気なレイディ」(Pizzazz、79年)、「おしゃれ専科」(Posh、80年)、「ハート泥棒」(Streight From The Heart、82年)、「夏微風〜サマー・ウインド」(Now、84年)てな具合に、ことごとく夢見る乙女の脱力系です。やはりかなりのアイドル扱いだったのですね。

この5枚の曲調やジャケットのデザインは、「踊らば踊れ、天まで昇れ」の80年前後の能天気ディスコ&ポストディスコ期を反映しており、以前に紹介したイブリン・キングステイシー・ラティソウステファニー・ミルズデニース・ウィリアムスあたりと似たところがあります。

でも、こうした人たちはあくまでもボーカリストとして勝負していたのに対し、パトリースさんはピアノを軸としたミュージシャンとして売り出していた点に違いがあります。…というわけで、ボーカル力については「いま一つ!」との声もありましたが、本当は別にアイドルではなく、小柄な体つきにふさわしい可憐な風情の歌声は、まずまず及第点に達していたと思います。

80年代半ばにはエレクトラからアリスタ・レコードに移籍。ここでは、ジャネット・ジャクソンみたいな歌とPVに果敢に挑戦したものの、ちょいとミッキーマウスみたいな踊りでずっこけてしまいそうな「Watch Out !」(87年、R&B9位、ディスコ22位)というダンストラックをリリースしました。

また、チャート上位には入らなくても、重量ファンクに挑んだ「The Funk Won't Let You Down」(「おしゃれ専科」より)とか、パトリース自身による上品なジャズピアノの旋律が心地よいインスト曲「Number One」(「ハート泥棒」より)とか、珍しく少々シャウト気味に歌う「Break Out」(同じく「ハート泥棒」より」)、スロー系の「Remind Me」(またしても「ハート泥棒」より)などなど、ピーク時間帯から真夜中過ぎのスモールアワーズまで、あまねくフロアを彩る佳作がけっこうあります。

80年代中盤以降は、ヒットを量産する単独アーチストとしてはさすがに勢いを失っていったパトリースさん。それでも、若いころからの実力者ゆえに、リー・リトナーやビル・ウィザーズ、ハービー・メイソン、クインシー・ジョーンズ、カルロス・サンタナといったジャズ・フュージョン界の大物らとの親交が深く、ジャズのセッションミュージシャンや作曲家、音楽監督としての活躍は続きました。ソウル音楽の海外著名ウェッブサイト「SoulMusic.com」でのインタビューによると、これまで制作に関わったアルバムは計1,000枚近いといいますから驚きです。

それに、ディスコ時代から良作が多かったため、後年にはサンプリングされることも非常に多かった人です。だからこそ、多くの人の耳に残る旋律が多いともいえます。特に「フォゲット・ミー」は、ウィル・スミス主演の大ヒット映画「メン・イン・ブラック」(97年公開)のテーマ曲に使われたことでも知られます。

しかも、現在はなんと名門バークレー音楽大学の教授というご身分。ディスコ時代にはた〜っぷり茶目っ気を見せたとはいえ、最終的にはジャ〜ズに回帰し、まさに多芸多才の正統派音楽家として王道を歩んだのでした。

CDについては各アルバム、ベスト盤ともに、R&B時代を中心に豊富に出ております。中でも下右写真の英国Edsel盤2枚組CDは、エレクトラ時代の70年代後半に発売した3枚の全曲と12インチバージョンが網羅されていてお得感があると思います。このシリーズは2作ありまして、「ハート泥棒」など80年代前半のアルバム2枚の全曲と12インチバージョンを収録した2作目を入手すると、エレクトラ時代の5枚がすべて聴けるという趣向になっています。

Patrice Rushen2

トミー・スチュワート (Tommy Stewart)

Tommy Stewart今回もシブ〜い1枚を紹介いたします。「こんなのがCD化されるなんて」と思わせることウケあいのトミー・スチュワートさんです。

60年代からジャズ、ソウル畑のプロデューサーおよびアレンジャーとして活躍。手がけたアーチストはキャンディ・ステイトン、ジョニー・テイラー、エディ・ケンドリックス(元テンプス)など多彩ですが、彼自身の存在感は今ひとつです。はっきり言って無名です。

でも、そんな彼が76年に残した「Tommy Stewart」というアルバムは、発売当時はまったく注目されなかったものの、80年代以降、70年代の珍しいソウル/ファンク/ジャズの音源を指す「レア・グルーブ」の代表例として突如、注目を浴びました。世界中のディスコやクラブで盛んにプレイされるようになり、21世紀に入った現在でも、「ディスコ・ファンクの元祖」との評価を得ているほどです。

このLP、ディスコの一つのルーツではあるだけに、以前から欲しいとは思っていたのですけど、如何せん「レア」だけに、見つかりませんでした(あったとしてもたぶんバカ高い)。まあ、「80年代シンセディスコ万歳」派の私としては、本筋モノではないため、放っておいていたわけです。

ところが、2、3年前のこと、その「Tommy Stewart」が、何の因果かアメリカでCD化されてしまったのでした。もちろん即買いです。聴いてみると、う〜ん、確かにディスコの元祖といわれるだけの内容ではありましたな。スライ&ザ・ファミリーストーンズ、オハイオ・プレイヤーズ、アイズレー・ブラザーズのような正当ファンクの系譜を受け継ぎつつ、女性コーラスをフィーチャーしたヴァン・マッコイ風なディスコの味付けが施されています。

アルバム全8曲中、最も有名なのがミディアムスロー・ダンサーの「Bump And The Hustle Music」。さらに、「Make Happy Music」「Atlanta Get Down」「Disco Hop」など、タイトルを見ただけでもいかにもディスコな曲が並んでいます。お茶目なおバカさ(ディスコに必須)、それに派手さには欠けますが、安定感のあるファンクネスをむんむんと発散していて、個人的には非常に気に入っております。

アマゾンとかを見る限り、このCDは今も比較的、入手しやすいようです。けれども、間もなく「正真正銘のレア」になってしまうと思われます。コテコテのハレルヤビバディスコに抵抗感を抱く方々も含めて、久しぶりにおススメの1枚なのでありました。


おまけ:(最近発見したYouTubeの変てこディスコメドレー。オランダのゲイオヤジが歌って踊ります。皆さんはいくつ分かりますか?)

ハービー・マン (Herbie Mann)

Herbie Mannジャズ奏者がディスコを演奏することは珍しくありません。ハービー・ハンコックなんて「もういいよ、ディスコ」と顰蹙を買うぐらい熱中した時期がありました。

でも、ジャズフルート奏者がディスコをやるというのは珍しい。っていうか、ジャズのフルートというパート自体、地味で目立たない存在でしたから。

1960年代にジャズ界でフルートの地位を向上させた大立者であり、しかも70年代半ばからは、ディスコを立て続けに出したその人の名は、ハービー・マンであります。

写真を見ていただければおわかりの通り、当時公開された映画「スーパーマン」のヒーローの衣装に身をまとい、何だかずいぶんとうれしそうです。アルバムタイトルもそのまんま「スーパーマン」(78年)。シングルカットされた「スーパーマン」は、世界中のディスコでヒットしました。セリ・ビーというマイアミのディスコアーチストが、同名曲をリリースしてヒットさせたことでも知られています。

このアルバムには、日本でもシングル発売された「Jisco Dazz」なんて曲も収録されています。邦題は、珍奇かつ言い得て妙な「ディスコでジャズろう!」であります。

プロデューサーは、数多くのディスコ曲を手がけてきたパトリック・アダムス。もちろん、アルバムを通してハービーのフルートが全開です。ボーカルが少なめなのがちょっと不満ですけど、「軽快なフルートの音は、けっこうディスコに合っている」と実感させてくれます。

この人のディスコアルバムは、ほかに「Discoteque」(75年)、「Yellow Fever」(79年)というのがあります。特に前者には、これもディスコで大ヒットした「Hi-jack」(全米ディスコチャート1位)のほか、AWB(アベレージ・ホワイト・バンド)の演奏によるヒットでも知られる「Pick Up The Pieces」、40歳以上の人なら知っている「ドリフの早口言葉」に似ている「Mediterranean」などを収録。全編通して楽しめます。

一方の「Yellow…」は、正統的なディスコアルバムで、時代を象徴する「ドンドコ」リズムが炸裂しています。

ご他聞にもれず、この人も「儲かるディスコをとるか、一流ジャズ奏者としてのプライドをとるか」で迷いが生じました。「おまえも落ちぶれたものだな」などと、訳知り顔の音楽評論家やかつてのファンにもキツイ言葉を浴びせられるようになったのです。そしてついに、Yellow Feverを出した後のこと、コンサートで「私はもうディスコの曲をやりません」と宣言するに至ったのであります。何と悲しいことでしょう!

ディスコから足を洗った80年、もっとディスコをやって欲しかったアトランティックレコードからは契約を解除されました。以降、ハービーの曲のセールスは急下降。でもまあ、やりたい方向に戻っていったのは、本人にとってはよかったのでしょうな。

ハービーさんのディスコアルバムは、意外にも全部がCD化されています。米国の「Collectables Records」のシリーズが、音質もいいし、内容が最も充実しております。

フィリス・ハイマン (Phyllis Hyman)

Phyllis Hyman
ディーバ特集の掉尾を飾るのは、フィリス・ハイマン。今までの人々よりもアダルティな曲が多かったこの人も、もうこの世にはいません。1995年に睡眠薬を多量に服用し自殺。享年44。

純粋なディスコ歌手ではなく、ソウルとかジャズ畑です。でも、「You Know How To Love Me」(79年、ディスコチャート6位)の印象はあまりにも強烈。派手さはありませんが、ゆるりとした時間帯には欠かせないミディアムテンポの佳曲であります。

1950年、フィラデルフィア生まれ。ニューヨークの人気ジャズクラブ歌手だった1970年代半ば、ノーマン・コナーズに見出されてレコード歌手の仲間入り。最初は売れませんでしたが、77年にブッダ・レーベルから出したアルバム「フィリス・ハイマン」でまずはブレークを果たしました。ディスコ的にはここから「Losing You-Losing You」をヒットさせています(チャート36位)。

79年にはアリスタ・レーベルからアルバム「You Know How…」を出し、アルバムタイトル曲が大ヒットしたわけですが、このレーベルとは意見の相違があって、契約をめぐって対立するようになります。

翌83年にはアルバム「Goddess of Love」をリリースし、中でも「Riding The Tiger」はディスコでヒット。この曲は私自身もフロアで耳にした曲で、イントロでジャングルの中にいるような効果音が入っていたのが印象的でした。ただし、レコード会社の協力はあまり得られず、このあたりで人気は下降線をたどるようになりました。

それでも、彼女は80年代後半に復活を果たします。新しいレーベルはプロデュースチーム「ギャンブル&ハフ」で知られるディスコの名門フィラデルフィア・インターナショナル。ビルボードのR&Bチャートで上位に入るようなヒット曲を再び連発するようになりました。

91年には、彼女の最大のヒット曲「Don't Wanna Change The World」(R&Bチャート1位)をリリースしています。

けれども、彼女は精神的に追い詰められていました。90年代初頭には肉親の相次ぐ死去や金銭トラブル、それに過労が重なって、アルコール依存症になっていました。急に太りだし、自身の容貌が崩れることへの恐怖も口にするように。そううつ病など複数の病と闘っていたといわれています。「もう疲れた」と書かれたメモを残して自殺したのは、NYアポロシアターでのコンサートの数時間前でした。

彼女の繊細さは、歌にもよくあらわれています。ノリノリのダンサーはありませんが、フロアというよりも、自宅で夜遅く、アルバムを通して聴くのによいアーチストといえましょうか。YouTubeではディスコ風のものがなかったので、晩年の代表曲の一つ「When You Get Right Down To It」(92年)を紹介しておきます。

再発CDは比較的たくさん出ています。写真のはアリスタ時代の米盤ベスト。Riding The Tigerが入っているのが嬉しいところです。
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


たまには「ボカロでYMCA」
キュート奇天烈でよろし。
本業分野の著書!(自己宣伝)


初証言でつづる昭和国会裏面史!
著書です!(自己宣伝)


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