ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ジャック・モラーリ

ブレイク・マシーン (Break Machine)

Break Machine「跳ねば跳ねよ 踊らば踊れ 春駒の 法の道をば 知る人ぞ知る」(跳ねろや跳ねろ 踊れや踊れ 春駒のように 仏の道を 知ることができよう)by 一遍上人――というわけで、今回は鎌倉時代の「おどり念仏の大スター」も腰を抜かすことウケアイの「跳んだり跳ねたりブレイクダンス」を考察しちゃいましょう。

ナイトフィーバー的ディスコブームが一段落した1980年代に、世界を席巻し始めたブレイクダンス。TR808に代表されるドラムマシーンやアナログシンセサイザーのエレクトロな音色を前面に出した、アメリカの「フリースタイル」やラップなどのヒップホップ系音楽が、この新しいダンススタイルにぴったりはまって大流行したのでした。

ブレイク(破壊)というくらいですから、文字通りあっちこっちに跳ね回り、立ち技、床技を繰り出して見物人を沸かせます。捻挫、骨折なんてあたり前! エネルギー燃えたぎる若者たちは、こぞってぴょんぴょん、クルクル、くねくねと挑戦したものでした。日本では「僕笑っちゃいます」のヒットで知られる欽ちゃんファミリーの風見真吾が、「涙のtake a chance」(84年)という曲で踊っていました(私もレコード買っちゃいましたのでトホホ)。

そんなブレイクダンスの曲を繰り出したアーチストは数あれど、私にとっての代表選手は「ブレイクマシーン」ですね。「ストリートダンス」(84年、ビルボードディスコチャート6位、英一般チャート3位)と、「ブレイクダンス・パーティー」(同、英チャート9位)などがヒット曲で、特に後者は、シンセドラム&ベースのノリが小気味よく、大のお気に入りでした。

ブレイクマシーンはアメリカのヒップホップアーチスト、キース・ロジャーズ(Keith Rodgers)を中心とした音楽ユニット。プロデューサーは、70年代に「ディスコ王国」として名を馳せたカサブランカレーベルの中心人物で「YMCA」のビレッジピープルなどを手がけたジャック・モラーリ(Jaques Morali)でした。ジャックさんはディスコブーム後、ブレイクダンスで秘かな復活を遂げていたことになります。

当時のブレイクダンス用の曲は、ラップが入った泥臭〜いヒップホップが多かったのですが、ブレイクマシーンの曲は、メロディー重視のエレクトロファンクといった風情です。それでも、ストリートダンスブレイクダンスパーティーのYouTube映像を見ても分かるとおり、ブレイクダンスにもぴったりはまっております。

ところが、実際のディスコのフロアでは、ブレイクダンスはしっくりきませんでした。答えは簡単、「ほかの客に迷惑」だからです! 特に、床に倒れ込んで技を繰り出す“床技”は動きがド派手で、場所を広大に必要とします。はっきり言って邪魔なのでした(トホホ)。私も友人たちと、北海道の雪の上で「ウィンドミル」とか「ヘリコプター」なんかを練習して、なんとかできるようになったのですが、ディスコでやってみたことはありませんでした。もしやっていたら大顰蹙ですし、恥ずかしいことこの上ありません。

つまり、ブレイクダンスは、ストリートもしくは舞台(ステージ)で披露する「見物型」の踊りであって、「参加型」の踊りではないんですね。ディスコとは、特定のミュージシャンやパフォーマーが登場する一般的な「ステージ」ではなく、あくまでも客自体がステージに登場する「フロア」が主舞台で、誰もが参加できる場でなくてはいけませんから、貴重な空間を独占するブレイクダンサーたちは敬遠されたわけです。とりわけフロアが狭い日本のディスコでは、なおさらのことです。

日本のディスコは、70年代に流行った独自のステップダンスに見られたように、同じダンスを集団で踊る「盆踊り」を大きな起源としています。盆踊りは、500年前の戦国期の「風流踊り」(昔の投稿参考)が前身です。さらにその「風流踊り」は、平安時代に空也上人(写真下左)、鎌倉時代に一遍上人という“元祖DJ”がそれぞれ提唱した集団乱舞「念仏踊り(おどり念仏)」にルーツがあるといわれています。

いずれの「踊り」も音楽や拍子、念仏に合わせて派手に体を動かすことで、「みんなで忘我の境地で踊り狂って阿呆になろう!……否、極楽浄土へ行こう!」というありがたい教えが根源にあるのですね。自由で個性的なのは大いに結構ですが、あまりに大胆でワガママな(!)ブレイクダンスは、ディスコという集団乱舞空間では駆逐される運命にあったのであります。

ディスコ的には厳しい立場に置かれたブレイクダンス。ですが、周知の通り、ブレイクダンスは、「見物型」の踊りとしては、いまも消えることなく生き続けていますし、かえってスゴく複雑かつ高度に(踊りというよりむしろ曲芸のように)発展しちゃってます。「古今東西、踊ること自体が祈りであり愉楽なのだ」というわけでしょうか。ただ、あまねく人々の魂を救う「衆生済度」の観点からすれば、「ブレイクダンスはディスコダンスにはなれなかった」のです。

さて、ブレイクマシーンの曲はほとんどCD化されてませんので、レコードを求めるのが筋です。写真上は1984年発売のミニアルバム「Break Dance Party」で、主なヒット曲がロングバージョンで網羅されています。レア度は低く、入手はかなり容易です。私の好きな「ブレイクダンス・パーティー」の12インチバージョンは、最近発売された英Funky Town Grooves盤コンピレーションCD「Mirage Records Soul & Funk Collection Vol.3」に珍しく収録されています。円高なので輸入盤だと送料込み2000円位で入手可能です。

<日本古来の踊念仏ディスコ>
空也の踊念仏(国際日本文化センター)




(国際日本文化センターHPより)

ヴィレッジ・ピープル (Village People)

Villege People1970年代後半に米ニューヨークで結成されたヴィレッジ・ピープルは、あまりに有名なディスコミュージシャン。「YMCA」(79年、全米ディスコチャート1位)は、世界中の誰もが知っている超陽気なディスコアンセムです。

ディスコとは、人種や性別を超えた「無差別性」と、享楽的で高揚感あふれる「解放性」を兼ね備えたダンスミュージックです。善悪の彼岸を超え、夢は宇宙まで駆け巡りるのです。その意味で、ビレッジピープルこそ典型的なディスコアーチストといえます。

6人のメンバーが身にまとう奇天烈コスチュームは、警察官や海兵隊やカウボーイ(ザ・新大陸アメリカ)からインディアン(ザ・旧大陸アメリカ)までばらばら。「ディスコってこんなに支離滅裂なんだよん!」とあからさまに宣言しています。

もちろん、彼らがゲイ文化の代弁者であることも大きいでしょう。敢えてマッチョな(すげえ男らしい)格好をすることによって、かえって「いや〜ん」度も際立っています。そこには、「自由の国アメリカ」が、見事なパロディとして表現されているかのようです。

代表曲YMCAは、日本にも支部があるキリスト教の青年男性向け組織のこと。1970年代には、ゲイがパートナーを探しに集まる場所として知られていました。「オレが人生に悩んでいたとき、ある人が『いい場所があるよ』と声をかけてくれた。それがYMCAだった。君たちもYMCAへ行けばイイことあるよ!」と能天気に歌う彼らは、確信犯そのものです。

ほかのヒット曲に、「サンフランシスコ」というのもありますが、これもYMCAと同様、ゲイ仲間たちに対し、「(ゲイ天国として知られる)サンフランシスコに行けば、自由が、そして喜びが手に入る」と訴えかける内容です。

「パロディ」という意味では、日本ではピンクレディーのヒットで知られる「イン・ザ・ネイビー」も秀逸です。ゲイと正反対にある(とされる)軍隊に入って七つの海を守ろう!、と呼びかけるのですから、脱帽します。

インザ・ネイビーについては、実際に米海軍が、若者に入隊を呼をびかけるために利用しようとしたことがあったといいます。この曲を使ったビデオも制作された(これか?)のですが、「税金を使って、しかもいかがわしいゲイグループを起用して宣伝するのはいかがなものか」と批判の声が出たため急きょ、ビデオ映像が使用中止になったとされています。そんなエピソードに、ちょっとした「アメリカの無邪気な自由」を感じなくもありません。

YMCAにしても、「アメリカの象徴」ともいえるニューヨーク・ヤンキースのヤンキーススタジアムで今なお、数人のグラウンドキーパーがあの「Y、M、C、A」の身振り手振りを披露する応援パフォーマンスを行っているくらいです。

けれども、ヴィレッジ・ピープルの運命は、80年代に入った直後に暗転します。ディスコブーム崩壊のあおりを受け、彼ら主演の映画「キャント・ストップ・ザ・ミュージック」(80年)はさんざんな結果に終わりました。「未知の病」だったAIDSの蔓延も、追い討ちをかけました。

それでも、彼らが最期に出したアルバム「セックス・オーバー・ザ・フォーン」(85年)は、まずまずの人気でした。タイトルは過激ですが、はしゃぎまくった過去を反省したのか、内容は真面目で、「セーフ・セックス」を全体のテーマとしています。シングルカットされたタイトル同名曲は少し落ち着いたハイエナジー系の曲調となっており、メロディアスな佳曲です。私もディスコでよく耳にしました。

プロデューサーは、ヴィレッジが所属したカサブランカ・レーベルの中心人物でもあったジャック・モラーリ。80年代には、彼も曲作りの面でいろいろと工夫したようですが、「夢よもう一度」というわけにはいきませんでした。再び浮上することがないまま、91年にAIDSでこの世を去っています。

YMCAとかイン・ザ・ネイビー、マッチョマンといった大ヒット曲が入ったアルバムやベスト盤のCDは、いうまでもなくたくさん出ています。個人的には、やはり写真の「セックス・オーバー・ザ・フォーン」が気に入っております。「ニューヨークシティー」とか「ジャスト・ギブ・ミー・ホワット・ユー・ウォント」など、けっこう良い曲が入っていておススメです。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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