Nina Hagenみなさんこんばんは〜!世の中すっかり春めいてきました。寒さが遠のくこんな季節、大学時代に六本木のディスコの帰り、終電は終わったし、カネも使い果たしたんで国道246号沿いをとぼとぼと三軒茶屋方面のアパートまで歩いて帰った記憶がよみがえります。くたびれてタクシーに乗ろうと思っても、乗りたいお客が多すぎて簡単につかまらない時代でもありました。30年前のバブルのころのお話でしたとさ(どのみちトホホ)。

…というわけで、今回はなんとなく背中がぞくぞくします。ムーミン谷のおさびし山のような、幽界へといざなう不気味な静寂があたりを包みこんでいますよ。かと思ったら、びっくり仰天玉手箱、闇夜に轟く戦慄の調べが背後に忍び寄ってきました。悪魔、魔女、黒ミサ、呪いの祈祷…。今夜はあなたをめくるめくゴシック・ワールドへとご招待します。さあ、ディスコ界きっての変態パンクロッカー、ニナ・ハーゲンと参りましょう!

この人はもう、本当はニューウェーブとかパンクとかロックとかディスコとかで単純にくくれない(実際ノーウェーブ=No Waveなんて形容もされた)、奇天烈要素満載で独自路線をゆく究極の個性派破天荒。なんか往年の戸川純というか、突き抜けておかしくなっちゃった椎名林檎みたいな感じ。暗黒そのものです。

私は10代のころ、開店したばかりの輸入盤店「タワーレコード札幌店」に通っていたのですが、バブル期の直前の1984年初頭にそこで入手した「Dance Music Report」(英語だけどwikipediaご参照)というアメリカのダンスミュージック専門誌をめくっていたら、ディスコチャート(これが購入の目的だった)で急上昇している曲を発見。それこそが彼女の代表アルバムである「Fearless」(1983年発売、ドイツ盤などの表記は「Angstlos」)収録の「ニューヨーク・ニューヨーク」(New York, New York、米ビルボードディスコチャート9位)でした。

なんだか新宿に昔あったディスコの店名みたいですけど、とにかくディスコシーンでも注目されたわけです。実際、タワーレコード札幌店の棚にもアルバムやディスコ用12インチ盤が大量に置かれていました。彼女の変なポーズの写真があしらわれている奇抜で分裂した(スキゾフレニックな)ジャケット(下写真)がひと際目を引いていたのですが、なんだかコワいので手が伸びなかったのでした。

しばらくしてこの曲をラジオで聞く機会があったのですけど、いやあ参りました。やっぱり恐ろしく変てこかつ悪趣味で、踊るどころの話ではなかった。特に彼女の歌唱法は、超高音から超低音、か細い囁きからだみ声まで自由自在。上手なのは分かるのですけど、あっちこっちに声が飛んじゃってまとまりがなく、イライラ(頭がくらくら)してきます。

ただし、その曲調はともかく、歌詞はすばらしい。徹頭徹尾「ディスコ、ディスコ!」と恥ずかしげもなく連呼しているので〜す!

内容は、ニューヨークを訪れて、世界一の大都市の華やかな文化、とりわけ当時まだ流行の先端を行っていた「ダンステリア(Danceteria)」や「マッドクラブ(Mudd Club)」「ロキシー(Roxy)」などのディスコに次々と入って大いに満喫した、みたいな感じ。凄まじいまでのディスコ魂が横溢しております。もちろん、「ニューヨークに住みたけりゃ、ただおバカになるだけでいいのよん!」とも言ってますから、パンクロッカーならではの皮肉がたっぷりとこめられているわけですが、ディスコ堂的には「ディスコ」の連呼というだけでプラス100点ですわ。

とくに日本の現場のディスコでは、耳にする機会はほぼ皆無。でも、アルバムをよくよく聴けば、シンセサイザーやシンセベースの音が小気味よく入って、踊りやすくしっかりとビートを刻んでいる曲もけっこうある。例えば、Fearlessには「Zara」なんていう曲もあり、彼女お得意の変てこなオペラ歌唱をオーバーダビングしつつ、デペッシュモードやニュー・オーダーみたいなシンセサイザーやドラムマシンも駆使されていて好感が持てます。

しかし、もっと驚くべきは、その生い立ち。1955年に旧東ドイツの首都、東ベルリンに生まれた彼女の実母は人気女優、実父は脚本家でして、最初からショービジネスの環境に育っています。両親の影響もあって早い段階でバレエやクラシック音楽を習い、テレビなどにもときどき出演してけっこうなタレントでした。旧東ドイツの映画について真面目に解説している珍しい海外のブログなどによると、1975年には「Today Is Friday」というテレビ映画にも主演し、驚天動地の清純派ぶりを見せつけております(内容は若者の望まぬ妊娠や堕胎をテーマにしたシュールなものだったけど)。

後のパンキッシュなルックスとはまったく真逆でかなりの美形。同じ「過激女性パンクロッカーの草分け」であるリーナ・ラビッチやスージー・アンド・ザ・バンシーズのスージー・スー、リディア・ランチ、さらにはちょっと異質だけど異形・異声の歌姫だったケイト・ブッシュなどとともに、「変な声だし風貌だけど普通にしてれば美人かもなあ」法則が成り立っているかのようです。

彼女は1976年、社会主義政権の当局の妨害など幾多の困難を乗り越えながら、自由を求めて両親と共に西ドイツへと移住。79年にはレコードデビューを果たします。その直前、パンクの本場ロンドンで先輩女性ロッカーであるリーナ・ラビッチやあのセックス・ピストルズの主要メンバーであるジョン・ライドンらと交流し、「こんな自己表現もあったのか!」と完璧に開眼。まったくカオスなミュージシャンへと変貌を遂げたのでした!

とまあ、そう言うこのブログも、もはやかなりカオスなわけですが…。けれども、そもそもディスコってそんなごちゃまぜなところも魅力なわけです。要は踊り狂ったもん勝ち。思いもよらない展開は常に大歓迎です。「愛ラブ混沌!」、いや「表現の自由万歳!」と小さく叫んでおきましょう。

それにしても、国内外ともに、こういう奇想天外で極端な変態ミュージシャンが最近は減ったような気がします。ヒットチャートに入るようなメジャー音楽の世界では、似た感じのダンスミュージックやバラードばかり。DTMのようなコンピューターで作る画一的でパターン化された音楽が主流になったことも一因でしょう。最大市場のアメリカもそうですが、音楽業界はメガ企業による寡占化も進みましたし、マスコミ全体を含めて巨大になり過ぎました。

まあ、一方のマイナーの世界では、例えば私の住むJR中央線沿線などにも面白いことをやろうとするミュージシャンはいっぱいいますし、インディーでアンダーグラウンドなままだからこそ、カルト趣味を満足させられるのかもしれません。実際に聴き手の嗜好も多様化しています。でも、それで稼いで食べていける人間などまずいません。無難で世間受けする音楽ばかりがもてはやされる風潮は、ニナさん的な表現の自由という意味でもいかがなものでしょうかね。

彼女は90年代以降も勢いを保ち続け、現在に至っても現役で活躍中。2000年代に入ってからは、イラク戦争の反対運動や動物愛護活動などに精力的に取り組んでおります。

CDはまあまあ出ています。肝心の「ニューヨーク・ニューヨーク」が入ったアルバム「Fearless」は今は廃盤ですが、主なヒット曲を網羅しツボを押さえたベスト盤がいくつかあります。上写真はその一つ「14 Friendly Abductions―The Best Of Nina Hagen」。私自身、最近は懐かしさもあってヘビロテで愉快にガンガン聴いております。特に最後14曲目に収録の1980年発売のカバー曲「My Way」は、前年に21歳で急逝したセックス・ピストルズの破天荒ベーシスト、シド・ビシャスへの鎮魂歌(彼も78年に歌ってヒットさせていた)ともいえます。やはり彼女の真骨頂、飛び切りハードな曲調ながらも、不思議な哀切感を漂わせる名品なのであります。

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