Denice Williams, When Love Comes Calling昨日、部屋で朝方まで本を読みふけっていたら、近くの公園の樹木から「キョッ、キョッ!」と、ウグイスかホトトギスの地鳴きのような澄んだ鳥の声が聞こえてきました。寒空の中、春の兆しもちほら。今回はソウルディスコ界きっての「シンギングバード」、デニース・ウィリアムスと参りましょう。

ディスコ的には1979年のはっちゃけチューン「I've Got The Next Dance」(米ディスコチャート1位、R&B26 位、一般ポップチャート73位)と、84年のお馴染み「Let's Hear It For The Boy」(米ディスコ、R&B、一般ポップともに1位!)ということになりますが、バラードでもミディアムスローでもなんでもこなす、ソウル界屈指の美声の持ち主です。

耳に心地よく響くユニークな声質は、かつて紹介した“黒猫系ボイス”のチャカ・カーンとかアーサ・キットの逆をゆくかのごとく、「おとなしめの三毛猫」をも彷彿とさせます。4オクターブもの音域を生かした「さえずり唱法」が身の上でして、まさに、ミニー・リパートンと並ぶ「ソウルソプラノの女王」といえましょう。パティ・ラベルのような特大声量パワーで攻めるタイプとは、対極に位置する歌姫ですね。

1951年、米インディアナ州生まれ。バルティモアにある大学に通っていたころまでは、看護婦を目指す普通の女性だったのですが、地方のクラブで歌手のアルバイトをやっているうちに音楽関係者に「あまりに歌がお上手!」と発掘され、プロの道を歩み始めたのでした。

70年代前半まではマイナーなグループでボーカルを務めたり、スティービーワンダーのバックコーラスを担当したりと、地味な活動が目立ちました。しかし、76年のデビューアルバム「This Is Niecy」からシングルカットされたモータウンっぽいミディアムスロー「Free」が米R&Bチャート2位、ポップ(一般)チャートで25位まで上昇するヒットとなり、一躍注目の的になりました。

その後はしばらく安定した人気を保ち続けます。78年には、ストリングスを重視したイージーリスニング系ディスコ「Gone Gone Gone」(79年)などでも知られる往年のソウルボーカリスト、ジョニー・マティス(Johnny Mathis)とのデュエットによるミディアムスロー「Too Much, Too Little, Too Late」がポップチャートとR&Bチャートで1位になる大ヒットとなります。ディスコブーム期には、前述の「I've Got…」ではじけまくって大活躍。しっとり気分で丁寧に歌い込んだかと思うと、いきなりアップテンポで飛んだり跳ねたりと忙しい日々でした。

80年代に入ってからはさらにパワーアップ! まず、82年に再び甘美なボーカル魔術を駆使したバラード「It's Gonna Take A Miracle」(R&B、ポップ1位)がヒットした後、映画「フットルース」のサントラに使われた前述「Let's Hear It…」が彼女にとっての最大のヒットとなり、完全に油がのったサンマ状態で歌いまくることになったわけです。
 
まあ、セールス的にはこの辺がピークでした。個人的には、「指ぱっちん」とともに厳かに始まる緊迫のミディアムテンポ「So Deep In Love」(82年、これもジョニーさんとのデュエット)とか、朝もやに包まれたヨーロッパの田園風景のようなメロウなイントロから突然、「ダンサブル上等!」な展開になる「Next Love」(84年)、「打ち込みシンセドラム」を駆使したいかにも80年代なディスコ曲「Never Say Never」(86年)といったお気に入りがあるのですが、80年代も後半になると、どうしてもひところの勢いがそがれた感じになっております。

90年代に入ると、自身のルーツである黒人ゴスペルミュージックに傾倒。スピリチュアルな世界観を表現するようになり、逆にポピュラー音楽の表舞台からは去っていきました。このあたりは、ドナ・サマーグロリア・ゲイナーを始めとする、かつてディスコで鳴らした歌手たちの一つのパターンでもあります。

嬉しいことに、彼女の全盛期のアルバムが近年、続々とCD化されております。例えば、「I've Got…」が収録された「When Loves Come Calling」(上写真)。レイ・パーカーJrEW&Fのモーリス・ホワイト、デビッド・フォスター、TOTOのスティーブ・ルカサーなどが参加した豪華盤で、英国の再発レーベルであるBig Break Records(BBR)が3年前に発売したものです。「I've Got」と、別のミデアム系ディスコ曲「I Found Love」の12インチバージョンが入っていて楽しめます。