Tommy Boy今回は、シュガーヒルの成功に触発されて登場したヒップホップレーベル「トミー・ボーイ」を紹介しておきましょう。大学生のラジオDJだった米国人トム・シルバーマンによって1981年、細々と立ち上がったのですが、元黒人ギャングのアフリカ・バンバータを発掘して一気に人気レーベルとなりました。

もともとディスコ音楽に関心が高かったトム氏は、レーベル設立に先立つ1978年に、「ダンスミュージック新聞」みたいな零細メディアを立ち上げています。これが後に、世界初の本格的ダンスミュージック専門メディアともいわれる「ダンス・ミュージック・レポート(Dance Music report=DMR)」に発展します。

DMRはダンスチャート(曲名の横には参考としてBPMが記されていた)や新譜紹介を内容としており、しばらくして世界中の輸入レコード店で発売されるほどの“権威”になりました。私も地元札幌のタワーレコードでときどき購入して、レコードを買う際の参考にしたものです。

そんなトム氏に見出されたアフリカ・バンバータが、「アフリカ・バンバータ&ザ・ソウル・ソニック・フォース」の名で「プラネット・ロック」を発売したのは1982年のこと。まだメジャー化する前のアーサー・ベイカーのプロデュースによる斬新な打ち込みシンセサウンドが大いに注目され、大ヒット(全米ディスコチャート3位など)となりました。

さらに、似たようなサウンドの「プラネット・パトロール」というジョン・ロビーを中心とした伝説のグループも「Play At Your Own Risk」(82年、ディスコチャート10位)などのヒットを連発し、インディーレーベルであるトミーボーイの地位向上に貢献しました。

こうした曲は、ラップやサンプリングを取り入れた「フリースタイル」とか「エレクトロ・ファンク」の範疇に入りますが、ライバルのシュガーヒル以上に、クラフトワークやYMOやヤズーなどのテクノポップの要素を盛り込んでいるのが特徴です。

私も当時、新しい音使いには相当に感動したものです。FMラジオで聞いてすぐ、レコードレンタル屋で借りて試聴しました。

でも、ほとんどTR808などの“打ち込みシンセ”一本で勝負しているため、いまいち音の厚みに欠けるのが難点。ディスコで初めて聞いたときには、「おおぉ、ついに来たかああぁ!」と勇んでフロアに飛び込んでいったものの、その軽〜い音色にどうも体がノリ切れず、結局は肩を落としてしょんぼりと座席に戻った記憶があります。

看板ミュージシャンのアフリカ・バンバータは、黒人の地位向上運動にも積極的に取り組み、いまや若者たちのカリスマにまでなっています。ほかにもThe Force MD's、TKAなどのメジャーミュージシャンが数多く輩出し、「B-Boy全開バリバリ」のヒップホップ好きには絶対に欠かせないレーベルとなった「トミーボーイ」――ですが、ディスコという意味では、最初から何かが違っていました。やはりブレイクダンスに適した「荒削りなストリートっぽさ」は、屋内フロアでのぬくぬくとしたプレイなど許さなかったのかもしれませんねぇ。

写真は数あるトミーボーイのベストCDの一つ「Tommy Boy's Classic Cuts」(米ライノ盤)。90年代以降にリリースされた作品も含め、代表曲がまとまって収録されています。