ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ナーラダ・マイケル・ウォルデン

ステイシー・ラティソウ (Stacy Lattisaw)

stacy latisaw祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色……というわけで、今回は、夢幻(ゆめまぼろし)のディスコ界を疾風のごとく駆け抜けた、一人の天才少女歌手を取り上げます。

前回登場のジャネット・ジャクソンと同じ1966年に、米ワシントンDC生まれたステイシー・ラティソウさんは、1979年、ジャネットさんより4歳も早い12歳でデビューアルバム「Young And In Love」を発表します。

このアルバムは「ハッスル」などのヒットで知られるディスコの仕掛け人、ヴァン・マッコイが全面プロデュース。特にシングルカットされた「When You're Young And In Love」とか、変則的なリズム進行を特徴とするシャッフルビートの「Rock With Me」などは、なかなかの佳作。12歳なのであどけなさが多少はあるにしても、単なるアイドル歌手ではなく、中高音域を伸びやかに歌い上げるソウルな歌声は高く評価されました。

彼女が本格的にブレイクしたのは、翌80年に発表した2枚目アルバム「Let Me Be Your Angel」(上写真)。プロデュースは、これまたディスコ期に頭角をあらわした売れっ子アーチストのナーラダ・マイケル・ウォルデンです。ディスコブームが米国では衰退期に入っていたにもかかわらず、シングルカットされた「Dynamite/Jump To The Beat」は全米ディスコチャートで1位、R&Bチャートでも8位を獲得しました。ダンス系だけではなくしっぽりバラードも得意で、アルバム同名曲の「Let Me Be Your Angel」も同じくR&Bチャートで8位まで上昇しています。

このころになると、知名度も飛躍的にアップ。テレビなどの出演回数も格段に増えました。81年には、憧れていたジャクソンズのツアーにも前座として参加。ステイシーさんは、米国人音楽ジャーナリスト、ジャスティン・カンター(Justin Kantor)氏による最近のインタビューに答えて、「ほかにも候補はたくさんいただろうに、彼らはこの私を選んでくれたのよ。歌手としての地位を上げてくれるまたとない機会になった。ステージの後、楽屋でマイケルたちと直接話せて感激したわ」と話しています。

その後もアルバムを年1回のペースで順調にリリースし、ヒット曲も連発。けれども、自ら、生来内気な性格だったというティーンエイジャーのころの彼女にとっては、いきなり人気者になったことには戸惑いもありました。通学と全米をまたにかけた音楽活動の両立は困難を極め、妬んだ同級生や先生(!)からの苛めにも遭っていたのでした。

レコード会社の方針にも、かなり不満があったようです。このインタビューでは、担当してもらったプロデューサーについて、「自分の好きなように歌わせてくれたヴァン・マッコイとナーラダ・マイケル・ウォルデンはお気に入りだった」と振り返っていますが、他の制作者とはしっくりいっていなかった様子です。「あるプロデューサーは、『このパートはジャネット・ジャクソンのように歌ってよ』なんて言ってきた。『はあ?何言ってんの?私は私。ジャネットじゃないわ!』と憤慨して言い返したのを覚えている」と話しています。

特に、「1985年にマイケル・マッサー(Michael Masser)がプロデュースして発売した『I'm Not The Same Girl』は完全な失敗作だった」ときっぱり! 「彼はホイットニー・ヒューストンやダイアナ・ロスと仕事をしてきた人だけどもう最悪。私を酷い目に遭わせたの。思うに、あのアルバムには、ホイットニーが歌うのを断った曲がいくつかあったのよ。ホント最悪な曲ばっかだった」とかなり辛辣です。生来内気ではあるけれども、芯はなかなかしっかりしていると思われます。

確かに、この「I'm Not…」は、やっと大人になってきたステイシーさんにとっては、少々子供っぽくて軽い収録曲が多かった(例:「Can't Stop Thinking Thinking About You」「I'm Not The Same Girl」)。ちょうど以前に紹介したティファニーやデビー・ギブソンといった少女歌手が台頭してきた時期でもあったので、レコード会社側としては同じような路線で成功させたかったのだと思いますが、彼女自身は「こんな曲はもう卒業したい。ぜんぜん成長できない!」と憤懣やるかたなかったのでした。とりわけ「I'm Not The Same Girl(私はもう同じ女の子じゃない)」というタイトルは、皮肉にも聞こえます。

その後、アトランタレーベル系のコティリオンから「黒人音楽の王道」モータウンへとレコード会社を移籍しました。86年に通算8枚目となるアルバム「Take Me All The Way」をリリース。「Nail To The Wall」(ディスコ2位、R&B4位)と「Jump Into My Life」(同3位、同13位)のダンスナンバー2曲がシングル曲としてヒットしました。

この2曲ともよく“バブリーディスコ”では耳にしました。アルバム自体が小粋なファンク系あり、力強いゴスペル風のバラードありとバラエティーに富み、かつ歌声にも円熟味が増していて、相当に出来栄えが良いと思っております。ただし、全体的に売れ線狙いが見え隠れして、同時期に特大ブレイクした「Control」の「ジャネットくささ」は否めませんが。

さて、モータウンで心機一転、アルバムを再びヒットさせたステイシーさん。89年に発表した記念すべき10枚目のアルバム「What You Need」からは、幼なじみのジョニー・ギルとのデュエットによるねっとりしたスロージャム「Where Do We Go From Here」が大ヒットし、全米R&Bチャートで初の1位を獲得したのでした。

ところが、間もなく再びレコード会社側との関係が悪化します。アーチストを型にはめようとする音楽業界にもともと疑問を抱いていた彼女は、契約を更新することなく、そのまま引退してしまったのでした。「チャート1位」を獲得してすぐに引退するケースなど滅多にありません。「驕れる平家は久しからず」のような例ではないにしても、あれよと言う間に20代半ばで儚く消えていった「天才少女歌手」の引退劇に、栄枯盛衰の一つのパターンを見ることは可能でしょう。

その後は結婚して夫や子供たちとの家庭生活に専念するとともに、キリスト教に深く傾倒する日々となったステイシーさん。昨年には自伝を発表したのですが、そのタイトルは、何だかこだわった感じの「I'm Not The Same Girl----Renewed(もう同じ女の子じゃない----生まれ変わった私)」でした。

この人のアルバムは一応10枚ともCDで再発されていますが、一部は入手困難になっています。ベストであれば、16曲入りの米Rhino盤(下写真)がよいでしょう。1位になった「Where Do We Go From Here」がなぜか入っていませんが、それ以外のヒット曲はほぼ網羅されています。

Stacy Lattisaw Best

シスター・スレッジ (Sister Sledge)

Sister Sledge「シスター・スレッジ」は米フィラデルフィア出身の仲良し4人姉妹。1971年にデビューし、マイナーヒットをいくつか出した後、1979年に大転機が訪れます。シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズのプロデュースによる「ウィ・アー・ファミリー」がメガヒット(全米ディスコ、R&Bチャート各1位、一般チャート2位)し、代表的ディスコグループとして定着したのでした。

あまりにも有名すぎる「ウィ・アー…」は、同名アルバムの一曲。「ヒー・イズ・ザ・グレイテスト・ダンサー」、「ロスト・イン・ミュージック」、「シンキング・オブ・ユー」といった他のアルバム収録曲も、ディスコの定番であります。もちろんCD化(写真上)もされておりまして、ディスコ好きにとってはお得な必須盤となっています。

デビューから8年間はさほど売れていなかったわけですから、「ディスコで突然ブレイク」型の典型アーチストといえるでしょう。飛ぶ鳥落とす勢いだった“シックの2大巨頭”がプロデュースを担当してくれたことが幸いしたとしかいいようがありません。

ただ、「シックの姉妹グループ」としての扱いになってしまったのは確かで、ほかの人のプロデュース作品は概ね売れていません。「ほかの人」といっても、ジョージ・デュークだったり、ナーラダ・マイケル・ウォルデンだったりと、超メジャーな人々でして、曲自体は良いものがたくさんあるわけです。やはり「シックあってのシスタースレッジだった」ということなのでしょう。

さて、彼女たちを支えたシック作品の中で、私がもっとも気に入っているのは1985年発売のアルバム「When The Boys Meet The Girls」(写真下)です。「ウィ・アー…」と同様、シック特有のストリングス中心のやや軽い音調なのですが、全体的におどけたような明るいメロディーが展開し、それに乗せた彼女たちの健康的で弾むようなボーカルがかなり効いています。

このアルバムの中では当時、アルバム同名曲と「フランキー」という曲がディスコで流れました。「When The…」については、私も12インチを買いまして、相当に聴きこんだ覚えがあります。ただし、ナイルさんのカッティング・ギターは「さすがのリズム感!」と思わせるものの、ドラムの低音が薄っぺらいため、踊りには向いているとは思いませんでした。

シスター・スレッジは1990年代に入っても元気に活動を続けました。特にイギリスでは本国以上に人気で、「ウィ・アー…」や「ロスト・イン・ミュージック」などのかつてのヒット曲のリメイクも盛んに制作されています。それでも、「栄光の79年」の印象があまりにも強いため、80年代以降はどうしても「消化試合」といった感が強いグループです。

一応メジャーなので、出したアルバムはことごとくCD化されています。いずれも入手は容易な部類です。

sister sledge
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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