ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ヌード

サマンサ・フォックス (Samantha Fox)

Samantha Fox Touch Meサブリナに負けず劣らずの「バブリーボディー」で一世を風靡したのがサマンサ・フォックスです。10代からお色気アイドル路線まっしぐらでして、ついでにディスコヒットも連発しました。

1966年ロンドン生まれ。実母が下着姿のサマンサの写真をゴシップ新聞に送ったところ、フォトコンテストで上位にランクインしたのをきっかけに、ピンナップガールの道へと進みます。続いてかの「プレイボーイ」誌などで豪快にヌードも披露し、思惑通り「英国のセックスシンボル」となりました。

これまた自然の成り行きで歌手として曲を発表したのは、1980年代半ばです。19歳のときのデビュー曲の「タッチ・ミー」(86年)が、英米の一般チャートでいきなりトップ5に入る大ヒットを記録しました。とてもラッキーな躍進ぶりといえます。

その後も、「ドゥ・ヤ・ドゥ・ヤ」、「アイ・サレンダー」、「ストップ・ミー・ナウ」、「ノーティー・ガールズ」(全米一般チャート3位、全米ディスコチャート9位)、「アイ・オンリー・ワナ・ビー・ウィズ・ユー」「アイ・ワナ・ハブ・サム・ファン」(全米一般チャート8位、全米ディスコチャート2位)といったユーロビートやラテン・ヒップホップ、フリースタイル系の曲を次々と発表し、欧米や豪州、アジアで大ヒットを記録したのでした。もちろん、バブル期日本のディスコフロアでもギンギンにかかりまくりです。

80年代後半のディスコを語る際、どうしても登場してくるのが「打ち込みパターン化の帝王」ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)ですが、前回投稿のサブリナ同様、この人も一時期は影響下に置かれました。まあ、私は特別に嫌いじゃないですけどね、SAW。上記のヒット曲の中では、「ストップ・ミー・ナウ」(2時間でレコーディングを終えたとの伝説あり)、「アイ・オンリー・ワナー…」、などが彼らのプロデュースです。

ただ、ボーカルスタイルや曲調という点では、サブリナや同じSAW系のカイリー・ミノーグバナナラマたちと違い、少々ワイルドなロックテイストが含まれているのが特徴といえるでしょう。

90年代に入ると、彼女の肉体にも徐々に衰えが目立ち始め(?)、セールスも下降線に。サマンサに内緒で巨額の富(2億円近くといわれる)を勝手に口座から引き出していたとして、事実上のマネジャー役だった実父を提訴するという“骨肉の父娘紛争”も勃発しました(娘が勝訴)。この父親は元大工だったそうですが、「いきなり打ち出の小槌」の娘から、手痛いしっぺ返しを食らったわけです。娘の下着姿を売り込む母親といい、なんだか日本の芸能界でもありそうな「アホ親」といった風情もありますね。

さて、この人のCDはベスト盤を中心にまずまず出ています。写真は「タッチ・ミー」や「ドゥ・ヤ・ドゥ・ヤ」などが入ったデビューアルバム「タッチ・ミー」。ジャケットのサマンサが、なかなかワイルドで場違いな感じですが。……あと、下写真は日本盤(BGMファンハウス)の「12インチ集」。肖像権絡みでしょうか、写真がヘンにボケちゃってますが、これは文字通り、彼女のヒット曲の貴重なロングバージョンが計11曲収録されていて、内容的には結構おススメでございます。

Samantha Fox

ティファニー (Tiffany)

Tiffanyえ〜と、80年代後半の“ミーハー”シリーズですが、今回はティファニーということで。16歳のときの87年に出した「I Think We're Alone Now」(邦題:ときめきハート)が、あれよという間に全米一般チャート1位に上り詰めました。

が、ディスコチャートでは26位と今ひとつ。でも私自身、当時から12インチを持っているところをみると、ディスコでもかかっていたのではないかと思います(記憶あいまい)。あらためて聴いてみると、ユーロビートみたいですけど。

「I Think…」は、67年に男性グループTommy James & the Shondellsがヒットさせた曲のリメイク。79年には、スコット・アランなる謎のアーチストも、TKレーベルからディスコリメイクを出していて、全米ディスコチャート21位まで上がっています。ちょっとAORっぽい感じですが、こちらはなかなかエッジの効いた「もろディスコ」曲です。

ティファニーはこの曲の直後、バラード「Could've Been」(邦題:思い出に抱かれて)も1位になり、勢いのいいところを見せます。ところが88年、本人、両親、それにマネージャーが、ギャラの管理などマネジメント方針をめぐって対立し、裁判沙汰となりました。

スキャンダラスなイメージがまとわりついて人気が急降下、90年代以降、二度と浮上することなく現在に至っております。7〜8年前には、雑誌プレイボーイでヌード(巨乳)も披露する有様で、まさにJガイルズバンド「堕ちた天使」(82年の大ヒット曲。クラスのアイドルがヌードモデルになったエピソードを歌っている)さながらの状況ですね。

前回投稿のシニータやカイリー・ミノーグもそうですが、このころは女性アイドル路線が世界的に目立ちました。特にアメリカで、ティファニーと人気を二分していたのは、ほぼ同い年のデビー・ギブソン(写真下右)です。

デビーの方も「オンリー・イン・マイ・ドリームス」(87年、全米一般チャート4位)とか、「エレクトリック・ユース」(89年、同11位)といったディスコな曲をチャートに送り込む一方、「フーリッシュ・ビート」(88年、同1位)「ロスト・イン・ユア・アイズ」(89年、同1位)などのスローバラードも大ヒットさせました。「オンリー・イン・マイ・ドリームス」なんて、ディスコでもけっこう耳にしたものです。

しかも、90年代に入って落ち目になり、3年前には雑誌プレイボーイでヌードを披露したというのも、ティファニーと似た経緯です。ただ、「歌だけ」のティファニーと違って、ピアノを弾きこなし、作詞、作曲もやる器用な人だったこともあって、ミュージカル女優なんかとしては人気を保っているようです。

それにしても、ティファニー、デビーともに、10代とは思えないほど歌はかなり上手かった。ポップ歌手というより、カントリーとか、ロックの要素を強く感じさせる人々です。

二人のCDはたくさん出ています。というよりも、もう87〜88年ごろにはCDの方がレコードより優勢になっていましたし。ほとんどのアルバムは、今では中古CD店で500円ぐらいで売っているはずです。

最後に、ティファニーとデビーの近況を伝える動画を張っておきます。若くして大ステージで飛び回っていた2人だけに、少し寂しい気がします。

ティファニーがCD店でプロモーション
デビーがショッピングモール(?)で熱唱

Debbie Gibson
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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