ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

ハイエナジー

ベティ・ライト (Betty Wright)

Betty Wrightまず左の写真をご覧ください。……「なにもそこまで…」とため息が出そうですが、この方が何を隠そう、今回ご紹介する“無冠のディスコディーバ”ベティ・ライトさんです。

ベティさんといえば、まだ十代のころに出した「Clean Up Woman(クリーンアップ・ウーマン)」(71年、全米R&B2位、一般6位)や「Baby Sitter」(72年、R&B6位)を思い浮かべるソウルファンも多いことでしょう。確かに、ソウル界ではなかなかの知名度となっております。

けれども、ディスコファンにとっては写真のアルバム「Travelin' In The Wright Circle」(77年)が事実上の“ディスコデビュー”です。思わず「やっちゃったよ…」と同情的につぶやいてしまいそうな、前に紹介したシェリー並みの艶やかなディスコ姿でございます。

このアルバムは売れませんでしたが、ディスコ的にはとてもよい内容です。全9曲のうち半分ぐらいはバラードの構成とはいえ、あとはアップテンポの「I'm Tellming You Now」、ミデアムテンポの「Child Of The Man」、“四つ打ち”アップテンポの「Open The Door To Your Heart」、そして極めつけハイパーディスコ「Listen To The Music (Dance)」(最後4曲目)などの佳作が並んでいます。いずれもシンセサイザーを少々取り入れ、ダンスミュージックならではノリのよさをうまく引き出していると思います。

少女時代から頭角を現したベティは、“早熟ゆえの悩み”ということで70年代半ばに入って息切れし、セールスが落ち込んでいました。ディスコ姿で大復活を!というわけで、ブルーを基調としたド派手衣装で大いに張り切って臨んだのです。

……しかし、やっぱりあまり売れませんでした(しょんぼり)。「クリーンアップウーマン」の栄光も今は昔、徐々に人々の記憶の彼方へと遠ざかっていくのでした。

とはいえ、ダンスフロア向けには、その後もなかなかヨイ曲を発表し続けています。「もうこーなったら、毒を食らわば皿まで!」とばかりに、“マイアミ・ディスコの殿堂”TKレーベルに活動拠点を移し、ディスコ街道を激走。本人名義でのヒットは出せなかったものの、TK所属のディスコプロデューサーだったピーター・ブラウンの大ヒット曲「ダンス・ウィズ・ミー」(78年、ディスコチャート4位、R&B5位、一般8位)では、存在感のある「スペシャル・バックボーカリスト」として名を連ねています。

80年代に入ってからは、米ジャマイカレーベルから「One Step Up, Two Steps Back」(84年、米ディスコチャート35位)、「Sinderella(シンデレラ)」の2曲の印象的なハイエナジーディスコをリリース。どちらも私自身、ディスコフロアでよく耳にしましたが、彼女のド迫力ボーカルが縦横無尽に駆けずり回っているような(ややせわしなさも感じるが)、元気はつらつのアップリフティング・チューンです。

この人のCDは、70年代前・中期の純粋ソウル時代のヒット曲を中心としたベスト盤がほとんど。10年ほど前、英ウエストサイド・レーベルから写真の「Travellin'...」が入ったCDが一応、発売されたのですが、前述した"ドンドコハイパー"「Listen To The Music」は収録されておりません。とってもがっかりです。

タップス (Tapps)

Tapps今回はカナダつながりでタップスです。トロントを拠点に活動していた3人グループで、中心人物はポルトガル生まれのアラン・コエルホ(Allan Celho)なる人物。1983年に発売したハイエナジーディスコ「My Forbidden Lover」(マイ・フォービッデン・ラバー=禁断の恋人、YouTubeご参考)が世界的な人気を獲得しました。

この曲は、当時流行り始めてきたイタリア系ディスコ(イタロディスコ)にも似た、シンセサイザーを軸としたメロディーとビート展開を特徴としています。

私は当時、ディスコのフロアで初めて聞いた時、イントロから入ってくる「ぴゃらん、ぴゃらんら、ぴゃらん、ぴゃらららら〜♪」(描写困難)という感じの、ちょっと人を食ったような、さらには「ハンメルの笛吹き」(?)のような「おとぼけメルヘンシンセ」のリフに強く印象付けられたものです。同時期にヒットしたブロンスキー・ビートの「スモールタウン・ボーイ」のリフにも少し似ておりまして、今も耳の奥にこびりついて離れないのでございます。

グループは、学生時代の級友であるAllan、Tony DaCosta、Paul Silvaの3人で結成。ボーカルとして加えた女性は、Barbara Doustという人ですけど、コンサートなどでの「表向きの顔」として、Candy Berthiaumeという別の女性を起用していたそうです。本物の人は、なんだかかわいそうですが。

TAPPSという名前は、級友3人のファーストネームを繋ぎ合わせた造語。彼らを紹介したウェッブサイトなどによると、最初は、ポルトガル系移民がたくさんいたトロントで、音楽好きの若者が集まって「地元で人気者になろう」とスタートしたようですが、ディスコグループとしては世界的にも知られるようになりました。

彼らは代表曲となった「My Forbidden・・・」の後も、「Runaway」とか「Harricane」、それに「In The Heat Of The Night」といったハイエナジー曲を次々と世に送り出し、そこそこの人気を保ったのですが、80年代後半には失速。「ハイエナジー」というジャンル自体の影が薄くなり、やはり消えていく運命となりました。

「ポルトガル系ディスコ」(?)の珍しいグループだったTappsですが、CDはあまり出ていません。写真は、80年代モノを数多くCD化している米Thumpレコードが15年ほど前に発売したCD「Greatest Hits」ですが、あまり巷では見かけなくなりました。12インチをこつこつと集める方がずっと賢明だと思われます。

なんだか地味だったかな、TAPPS……。それでも、私の耳の奥では今も、あの「おとぼけのリフ」が鳴り響きます――「ぴゃらん、ぴゃらんら、ぴゃらん、ぴゃらららら〜♪」(やっぱり描写困難)。

オー・ロミオ (Oh Romeo)

Oh Romeo3連休・時間がちょっと空いたので・とっとと投稿いたします(七五調で)。というわけで、「もういいよボビーO」……と言われること必定ですが、思い入れを含めましてもう一丁「オー・ロミオ」であります。

フラーツ、ディバインほどではないにせよ、ボビーOがプロデュースしたアーチストの中では重要な位置を占める人々で、特に欧州やカナダ、日本のディスコで人気でした。写真を見てお分かりのとおり、このアーチストは女性デユオ……だとは思うのですが、ボビーはほとんど自分だけで制作した曲を、色んな無名アーチストに歌わせてどんどんリリースしていましたから、これも「ボビーの分身」といっても過言ではありません(写真の2人も実際に歌っている人たちではなく、ただのモデルだったりして)。

代表曲は、哀愁ハイエナジーの傑作「These Memories」のほか、「Once Is Not Enough」「One More Shot」、デッド・オア・アライブ「ユー・スピン・ミー・ラウンド」に少し似た「Saving Myself」などで、いずれも1983年から85年にかけてリリースされました。変わったところでは、妻帯者との「禁じられた恋」を歌った不倫ディスコ「Try It (I'm In Love With A Married Man)」(83年)というのもありました。この曲はつい5年前にペット・ショップ・ボーイズやや暗〜い感じにリメイクしています。

オーロミは私が高校生のとき、「Once Is Not Enogh」を札幌のディスコで聞いて知りました。最も有名な「These Memories」は、ディスコで聞いた記憶がなぜかありません。しかし、「YOU&愛」という全国チェーンの貸しレコード店に、東京の著名ディスコのチャートを載せた小冊子が置いてあり、その中で複数のディスコで上位にランクインしていたのを覚えています。

「東京で人気なんだからいい曲なんだろう」というトホホな直感を頼りに、さっそく「These Memories」の購入を決めたものの、札幌の輸入盤店では見つからず、しょうがないので東京・六本木の「ウィナーズ」という輸入盤店の通販で買いました。聴いてみたら美メロ系のとても良い曲でしたので、この時は「うまく予想が当った」と独りほくそ笑んだものです。

この曲はリミックスを含めていくつかのバージョンがあるのですが、届いたのはイントロが4分ぐらいあるバージョンでした。途中で非常に印象的なピアノのソロが入っており、今でもこのバージョンが最も出来が良いと思っております。ただし、ラストが中途半端なコーラスで終わっているのはいただけないのですけど、これについては、マスター自体の音質が悪く雑な作りの曲も多いボビー0には珍しいことではないので許容範囲です(寛大)。

写真のCDは、当ブログではたまに出てくる米マイアミのHot Productionsレーベルのベスト。オーロミのほぼ唯一のCDです。米アマゾンのレビューでは「CDリマスターの音質が悪い」などと不評ですが、いやあ、ボビー0はもともと、新品レコードだって音質は良くないケースが目立ちますからねえ。音楽CDではなく、CD-Rの場合が多いHot Productionにしては珍しくちゃんとした音楽CDですし、選曲も網羅的で無難です。意外と完成度は高いと思います。These Memoriesについては、私が好きなやつを含めて3バージョン入っています。

ザ・フラーツ (The Flirts)

The Flirts久しぶりに"シンセサイザーたっぷり"系ディスコを取り上げましょう。ご存知ボビー・オーランド(ボビー・オー)がプロデュースした"秘蔵っ子"で、こてこてハイエナジー・ディスコの女性3人組「フラーツ」であります。

この人たちは80年代初頭、ニューヨークで結成されました。単純にボビーOがNY在住だったからですが、欧州や米西海岸で人気だったハイエナジー系にしては珍しいことです。「NY発ハイエナジー」であることから、ディスコブーム後のアメリカの代表的なダンスミュージックであるフリースタイルの要素も取り入れられています。

発売した新作アルバムは、ディスコアーチストとしては多く計5枚。女性3人組ディスコということで察しがつくように、歌詞も容姿もセクシー路線なわけですが、メンバーはころころ変わりました。どちらかというと、本国アメリカよりもヨーロッパでの人気が高かった人たちです。

代表曲は、82年のデビューアルバム「10¢ A Dance」(テンセント・ア・ダンス)からのシングルカット曲「Passion」(82年、全米ディスコ21位)のほか、同時期のハイエナジー&イタロヒット「Slice Me Nice」(Fancy)に似た、というかあからさまにパクったとされる(もともとボビーOはちょいパクリの名手)「Helpless」(84年、同12位)、「You & Me」(同1位)、「New Toy」(同5位)、「Danger」(83年)あたりです。若きニコラス・ケイジが出演した青春映画「ヴァレー・ガール」(83年)にも使われた「Jukebox」(82年、同28位)というのもありました。

異色なところでは、83年発売のアルバム「Born To Flirt」に入っている「Oriental Boy」というのがあります。直訳すると「東洋の男の子」ですが、歌詞に「スシ」「ソニー」「トヨタ」「サヨナラ」などの日本語が次々出てくるため、対象はモロ日本人だとわかります。内容は「すしバーで出会った東洋人に恋したけど結局フラれちゃったよ〜ん」と嘆く米国人女性の恋物語ですが、これってかつて紹介したアネカの「ジャパニーズ・ボーイ」とおんなじ展開です(トホホ)。

私自身は、中でもパッション、ヘルプレス、ユー・アンド・ミーを当時のディスコで耳にしました。好きなボビーO作品ということで、もう手放しに興奮し、フロアを駆けずり回って踊りまくった記憶があります。特にユー・アンド・ミーのイントロは、マドンナの「イントゥー・ザ・グルーブ」を彷彿させるカッコよさです(ていうか、これもちょいパクった?)。

ボビーOは多作のプロデューサーとして知られ、ピーク時の80年代前半には年間数百枚の12インチをプロデュースしたと言われています。「作品1曲をミリオンセラーにするより、200曲を5000枚ずつ売る方が好きだ」という本人の有名な言葉があり、実際にその通りの活動ぶりでした。もの凄くたくさんのアーチストを手がけているわけですが、このフラーツは「Shoot Your Shot」などのヒットで知られるディバインと並んで、長く深く付き合ったアーチストでした。

その期間は、82年のデビュー時から、ボビー自身がサンプリングなどの新しくて手間要らずの打ち込み音楽に嫌気がさし、音楽活動と距離を置くようになった92年ごろまでです。フラーツはドラムマシーン&シンセサイザー満載の典型的な"ボビーO"サウンドではありますけど、まだ電子音楽も素朴な時代でしたし、ギターやパーカッション(カウ・ベル)などの生音も少々入っているので、ほどよい手作り感があります。

フラーツのCDは、カナダのユニディスクレーベルから各種発売されています。どれも音質は良好で、ロングバージョンもふんだんに含まれています。上写真はその一つの「10¢ A Dance」で、「パッション」「ジュークボックス」「Calling All Boys」などが入っています。

Evelyn Thomas (イブリン・トーマス)

Evelyn Thomasイブリン・トーマスは、80年代のハイエナジーサウンドの代表的な歌手で、1953年にシカゴで生まれました。そのものズバリのタイトル「ハイ・エナジー」(84年)で知られます。彼女にとって、唯一の全米ディスコチャート1位を記録。英国チャートでは5位、全米一般チャートでは85位でした。この手のディスコシンガーとしてはかなりの成績だっといえます。

プロデュースは、イアン・レビーン(Ian Levine)で、80年代にハイエナジーサウンドの曲ばっかり発売していた英レコードシャック・レーベルのヒットメーカーだった人です。まあ、「ハイ・エナジー」自体、今聴いてみたら平凡な曲調だとは思うのですけど、とにかくディスコではかかりまくりでした。

「ハイ・エナジー」はひとまず置いといて、この人はほかの曲に見るべきものがあると思っています。特に70年代の作品がヨイ。78年のデビューアルバム「I Wanna Make It On My Own」(写真右下)なんかは、彼女のルーツでもあるゴスペルの味わいがダイナミックに感じられてなかなか好盤であります。プロデュースはやはりIan Levineで、彼にとっても、ハイエナジーサウンドを量産する前の貴重な音源になっているといえます。

2枚目アルバム「Have A Little Faith In Me」(79年)も同様で、80年代の「いかにもハイエナジー」とは違い、オーケストラの魅力もたっぷり入った好盤だと思います。彼女の声質はこのあたりの曲調の方が合っているのではないでしょうか。これもプロデュースはIanであります。

彼女は「ハイ・エナジー」以降にも、「Masquerade」、「Reflections」、「No Win Situation」といった中ヒットを欧州を中心に飛ばしています。ただし、だんだんと軽めのユーロビートっぽい曲調になっていきますので、なんだかイマイチという印象ですね。

ちなみに、「I Wanna Make It On My Own」のジャケットが妙な肖像イラストだというワケについては、本人が米ディスコサイト「Discomusic.com」(左記リンク参照)の掲示板で、「レコード会社(カサブランカ・レコード)サイドが、『写真うつりが良くない』と言って私の写真を載せなかったの。失礼しちゃうわよね」と語っております。

この人、「ハイエナジー」のビデオクリップをよく見ると、ちょっと“柳沢慎吾”みたい。といっても、写真が却下されるほどではないとは思いますが。

イブリンのCDは各種発売されております。左上写真のカナダUnidiscレーベルのベスト盤が一応、音質もまあまあで推薦盤でしょうか。ファースト、セカンドアルバムのCDは、音質にやや難のある米Hot Productionレーベルから出ています。
Evelyn Thomas 2

Pet Shop Boys (ペット・ショップ・ボーイズ)

Pet Shop Boys80年代中盤のデビュー直後から、ディスコで存在感を示し始めたのが英国最高峰の“男性ポップ・デュオ”ペット・ショップ・ボーイズであります。「英国発」ということでは、チョット前にジョージ・マイケルらの「ワム」なんていうのも大人気になっていたのですが、すぐに解散したので、やはりペットさんが「最高峰」でありますな。

ペットさんはボーカルの二ール・テナントとクリス・ロウの二人組。1984年の「ワン・モア・チャンス」というのが一応のデビューで、続いて「ウエストエンド・ガールズ」というシングルを出します。シンセサイザーへの関心が高かった彼らは、当時を代表するディスコジャンルであるハイエナジーに強くひかれており、プロデュースをかのボビー・オーランドに依頼したのでした。

結果として、「ウエストエンド…」は欧米のディスコを中心に少し人気が出ましたが、まだヒットまでは至りません。彼らは「何かイマイチだったなあ」ということで、ボビーとの契約を打ち切って再出発。別のプロデューサーと組んで、「オポチュニティーズ」、さらには「ウエスト…」をセルフリメイクして発売し、特に「ウエスト…」が全米ディスコチャート2週連続1位を獲得(86年3月)するなどの大ヒットとなりました。ここで破竹の大ブレイクを果たしたのです。

ただ、「オレが育ててやったのに裏切った」と感じたボビーとの関係は、決定的に悪化しました。両者協議の末、ボビーが関わった初期の作品については、ボビーが大方の権利を保持する契約にさせられたと伝えられています(この結果、ボビーは巨額の富を得た)。

ウエストエンド・ガールズについては、私も旧バージョンの方の12インチを買ったときのことを覚えています。場所は、昔よく行っていた札幌の「ディスク・アップ」という輸入盤店でした。いつもはけだるい感じの店員氏が珍しく、「これいいよ!」なんて明るくすすめるのです。「ボビー・オーランドだし、まあいいかな」と、なんとはなしに買ってみたら=写真=、これが意外にもスゲエ暗〜い曲だったのですよ。もちろん、ディスコでもまったくかかりませんでした。

それでも、しばらくして新バージョンの「ウエストエンド・ガールズ」が大ヒットして、ディスコでかかり始めたときには、「先に知っていたもんね」と自己満足したものでした。やっぱり新バージョンの方が断然出来がよく、2枚目を買うハメにはなりましたが。

周知のとおり、ペットさんはその後、現在に至るまでトップ・デュオであり続けています。デビュー当時から変わらないのは、ダンスミュージック、しかも「ディスコ」へのこだわりであります。ビレッジピープルの「ゴー・ウエスト」とか、ボーズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」などのリメイクもやっておりますしね。ここまでディスコへの敬愛を隠さないメジャーアーチストは、ほかにあまりいません。

ある雑誌のインタビューで、二ールは「僕がディスコ、特にハイエナジーミュージックが好きなのは、名もなく、名声もなく、はかない存在だからだ」と語っています。う〜ん、なんとなく分かります。彼らの曲って、奥深いノスタルジーや優しさを感じさせます。歌詞も、ややシニカルながらも、幻想的で洗練されており、非常に評価の高い部分であります。これまた「泣きながら踊る系」といえるでしょう(ウソ)。

ペットさんのCDは、12インチバージョンを含めてすんごくたくさん出ておりますが、一番のオススメはやはり、そのものずばりのタイトルの有名なベスト集「ディスコ」(86年)。新バージョン「ウエストエンド…」のシェップ・ペティボーン・ミックスも入っています。あとは5年前発売の英国盤「Behaviour/Further Listening」と「Actually/Further Listening」がヨイ。どちらも12インチバージョンや未発表バージョンが数多く収録されております。

Harem Records (ハーレム・レコード)


ハーレム・レコード80年代初頭に出てきたボーズ・タウン・ギャングやイブリン・トーマスなどの「ハイ・エナジー」サウンド。私が最も好きなディスコのジャンルなのですが、その基礎を作った代表的なレーベルが今回紹介するハーレムであります。「オーケストラからシンセへ」という、ディスコの過渡期の典型的な音になってます。

創始者はサイモン・スーザンというアラブ人で、若いころに英国に移住。70年代初頭に英国で巻き起こった、米国のレアなソウル音源を楽しもうという「ノーザン・ソウル」の動きに触発されて、自ら音楽制作に乗り出します。70年代前半に米ロサンゼルスに移り住み、特に注目され始めていたディスコの分野で、次々とヒット曲をプロデュースするようになりました。

彼の出世作は77年に出した「アップタウン・フェスティバル」(シャラマー)です。豊富なソウルの知識を生かした黒人音楽メドレーで、全米ディスコチャートで2位まで上昇するヒットとなりました。

このころに独自レーベル「ハーレム・レコーズ」を立ち上げ、本格的にレコード制作を始動。ディスコ映画「サンク・ゴッド・イッツ・フライデー」のサントラにも収録されたパティ・ブルックス「アフター・ダーク」のほか、アルペジオ、ロマンス、カリズマ、フレンチ・キッスなどなど、70年代後半のディスコの大人気プロデューサーとしての名声を得たのです。

彼が手がけた代表的なアーチストは、何といっても彼の名を冠した「サイモン・オーケストラ」でしょうね。かのメリー・ジェーン・ガールズのイヴェッテ・マリーナの母でもあるパティ・ブルックスをボーカルに起用した「ガール・ドント・メイク・ミー・ウエイト」(77年)や、無名シンガーだったジェシカ・ウィリアムスをメーンに起用した「ミスター・ビッグショッツ」(79年)などのヒットが有名です。

私がディスコで聞いたのは、80年前後からのヒット「タイ・ミー・ダウン」(ロマンス)、「ギャンブリング・オン・ユア・ラブ」「クイーン・オブ・フールス」「ゼイ・コール・ミー〜クイーン・オブ・フールス」(いずれもジェシカ・ウィリアムス)あたりです。

このころからシンセを多用したいわゆるハイ・エナジー・サウンドとなるわけですが、とりわけジェシカについては、声に伸びあってノリがよくて、大変に好みでした。彼女の曲が聞こえてくると、真っ先にフロアに駆けつけて踊ったものです。ただ、今あらためて聴いてみると、シンセ音は少し薄めで古臭いかもしれませんな。

ハーレム関連では、アルペジオの「サタデーナイト」なんていうのもアッパーな佳曲。かのベイシティ・ローラーズのイケイケリメイクであります。

写真のCDは、ハーレム・レコードの2枚組み12インチ音源集。音質面で常に物議を醸す(笑)ホット・プロダクション盤であるにもかかわらず、音はまあまあですし、どれもロングバージョンなのでオススメ。主なヒット曲が網羅されています。当時の「おバカ明るい系」ディスコの真髄を楽しめます。

Patrick Cowley (パトリック・カウリー)

パトリック・カウリー2ディスコミュージックがオーケストラからシンセサイザー中心へと変化を遂げ始めた1980年代初頭、一人の異才プロデューサーが世に華々しく登場します。大きな目と口ひげがトレードマークの、パトリック・カウリー。「ハイ・エナジー」と称された新進シンセディスコのパイオニアとして、米サンフランシスコを拠点に次々とヒット曲を制作しました。

パトリックは1950年、ニューヨークに生まれました。幼少時から音楽好きで、ドラムを中心にギターやキーボードを習得。21歳でサンフランシスコに移住し、地元の大学でシンセサイザーを学び始めます。まだシンセサイザーが楽器として認知されていなかった71年のことでした。

70年代後半、パトリックは、サンフランシスコのディスコレーベル「ファンタジー・レコード」で当時、頭角を現していた黒人歌手シルベスターに気に入られ、シンセサイザー担当ミュージシャンとして始動しました。このころのシルベスターのヒット曲である「ユー・メイク・ミー・フィール」や「ダンス(ディスコ・ヒート)」の制作にも関わっています。

81年、ファンタジーの従業員だった人物と共同で独自レーベル「メガトン・レコード」を設立し、プロデュース活動を本格化。そこで作った「メナジー」が全米ディスコチャートで1位を獲得し大ヒットとなりました。以後、独特の精妙なシンセ音を売り物とした「パトリック・サウンド」が全開。「メガトロン・マン」(81年)や、日本でもお馴染みのシルベスターのボーカルによる「ドゥ・ユー・ワナ・ファンク」(82年)などのヒットを連発するようになりました。ファンタジーと同様に「サンフランシスコ・ゲイディスコ仲間」である、モビーディック・レーベルにも、作品を残しています。

パトリックがプロデュースしたミュージシャンには、シルベスターのほかポール・パーカー、Jolo、ラバードなどたくさんいるのですが、特に有名な作品はドナ・サマーの「アイ・フィール・ラブ」の「パトリック・カウリー・リミックス」でしょうか。時間はなんと15分以上。もともとサイケなこの曲を、うねうねにこねくり回し、さらに陶酔感を増幅させています。

ボビー・オーランド(シー・ハズ・ア・ウェイなど)、イアン・レヴィン(ソー・メニー・メンなど)らと並ぶ、ハイ・エナジーの立役者。特にシンセの使い手としては、ポップス史上、最も偉大な人物の一人として後世、語り継がれることでしょう(断定)。

メガトン・レーベルは、私にとっても基本中の基本であります。札幌の「釈迦曼荼羅」などの地元ディスコでは、超常連でかかっていました。高校のころ、最もレコードを買ったレーベルでもあります。何しろカネがない時代でしたが、「ソー・メニー・メン」(ミケル・ブラウン)などで有名なレコード・シャック・レーベルや、「クイーン・オブ・フールス」(ジェシカ・ウイリアムス)などで知られるパッション・レーベルと並んで、ジャケ買いするようにしていました。

パトリックは1982年にエイズで死去。享年32。メガトンでの実働期間が、わずか1〜2年だというのですから驚きです。私がディスコ通いをしていた頃には既に、この世にいなかったのですねぇ。まさに早世の天才音楽人でした。

写真のCDは、ユニディスク・レーベルから出ている、パトリックのソロのベスト盤。ほかにもオリジナルアルバムの再発が何枚も同レーベルから出ています。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

*「下線リンクのある曲名」をクリックすると、YouTubeなどの音声動画で試聴できます(リンク切れや、動画掲載者の著作権等の問題で削除されている場合はご自身で検索を!)。
*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権は作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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