Stevie Wander今回はやぶから棒にスティービー・ワンダー! 前回登場のスターズオン45にも真似されるぐらいですから、芸歴は長く知名度抜群。ヒット曲はべらぼうな数です。

スティービーは1950年、米ミシガン州に生まれ、間もなくデトロイトに移りました。未熟児で誕生したことが原因で盲目となりましたが、幼少期に音楽に目覚め、黒人教会のゴスペルコーラス隊に参加します。9歳までにはピアノ、ドラム、ハーモニカを習得。もちろん歌もお上手。視覚を補って余りある天才少年ぶりを発揮します。

11歳のとき、地元デトロイトに誕生したばかりのモータウン・レコードの関係者に発掘され、すぐにデビュー。「リトル・スティービー・ワンダー」と銘打って大々的に売り出され、63年、尊敬するレイ・チャールズやサム・クックを意識したダンスナンバー「フィンガーチップス(Fingertips)」が米ビルボードチャートのポップ、R&B部門で堂々1位を獲得。これをスタート地点として、60年代から2000年代に至るまでヒットを量産し続けています。

そんなわけで、ソウル界ではトップクラスの大御所になるわけですが、ディスコへの貢献度も絶大でした。実は、彼はピアノからドラム、ベース、ギター、ハーモニカまでこなすマルチインストゥルメンタリスト(多楽器奏者)だった上に、以前に紹介したジャズ畑のハービー・ハンコックと同様、いやそれ以上にシンセサイザーに代表される新技術の導入に積極的な先駆者でした。「新しもの好き」の本領を発揮し、ブームが来る前に「ディスコっぽい曲」も発表していたのです。

まず、1966年には、誰でも耳にしたことがあるであろう「アップタイト」という曲が大ヒット(ビルボード一般3位、R&B1位)。これは完全にダンスフロアを意識した曲調で、あのモータウン独特の跳ね上がるようなドラムビートが特徴になっています。同じ時期にヒットしたマーサ・アンド・ザ・バンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」(64年、ビルボード一般2位)などと並び立つ「モータウン・ダンスビート」の代表曲といえます。後の時代には、ワム「フリーダム」やバネッサ・パラディス「ビー・マイ・ベイビー」などでもみられたビート展開ですね。

70年代に入ると、音楽会社側からの提供ではなく、自分自身で手がけた曲が多くなり、キャリアとしてもピーク期を迎えます。後に「君の瞳に恋してる」で知られるボーイズ・タウン・ギャングもリメイクした「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours(邦題:涙をとどけて)」がビルボードR&Bチャート1位に輝く大ヒットを記録したのに続き、72年にはアルバム「Talking Book」の収録曲「迷信(Superstition)」が、ビルボード一般、R&Bチャートでともに1位を獲得しました。

特に「迷信」は、いくつかのリズムを混合した「ポリリズム」と呼ばれる複雑な曲調がベースになっており、まだ目新しかった電気キーボードのクラビネットの音色がぴょんぴょん飛び回る、まさに時代を画する一作。欧米を中心に芽吹いてきたディスコのフロアにも新風を吹き込んだのでした。

さらに、1974年に発表した大ヒットアルバム「Fullfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」では、ジャクソン・ファイブポール・アンカ、それに当ブログでも紹介済みのミニー・リパートンデニース・ウィリアムスという「超絶高音系」の二大ソウル女性歌手が参加するという豪華ぶり。まだ20代半ばだというのに、既に大御所の貫禄を醸しています。

「Fullfilingness'…」の後、2年間の準備期間を経て、1976年に発表した2枚組アルバム「Songs In The Key Of Life(キー・オブ・ライフ=写真)」はもう、無敵の“良曲百貨店”状態。最高傑作といってよいと思います。デューク・エリントンに捧げた「Sir Duke(愛するデューク)」(一般1位、R&B1位、ディスコ2位)、わが愛娘に捧げた「Isn't She Lovely(可愛いアイシャ)」(ディスコ2位)、自らの幼少期を振り返った「I Wish(回想)」(一般1位、R&B1位、ディスコ2位)、いま聴いてもめちゃくちゃ盛り上がってみんな踊り出すこと必定の「Another Star(アナザー・スター)」(一般32位、R&B18位、ディスコ2位)といった具合に、どれもフロアキラーになりうる名曲ばかりです。

この後、ディスコブーム真っ只中の79年には「Journey Through The Secret Life Of Plants(シークレットライフ)」という一風変わった2枚組アルバムを発表。もともとドキュメンタリー映画のサントラに使う予定で制作されたこともあり、インストィルメンタル曲が中心で、なんだかコワくて奇妙な雰囲気です。

それでも、例えば1枚目B面収録のエレクトロディスコ「Race Babbling」などは、ミニマルでスペーシーでハウス音楽的な面白さがあると思います(ちょっと入ってるスティービーのボコーダーの声がハービー・ハンコックみたいだが)。2枚目B面「A Seed's A Star And Tree Medley」もディスコ系。それと、1枚目A面には、「Ai No Sono」という日本人の子供たちが合唱で参加している変てこな曲も入っています。

惜しむらくは、この「大ディスコ祭り」の期間中、リリースされたアルバムがこの1枚だけだったこと。各楽曲をじっくりと熟成して仕上げる職人肌のスティービーらしさゆえかとも思いますが、どうせならスティービー流のもっとポンポコポンな「もろディスコ」アルバムを出して欲しかった気もします。

さて、80年代に入ると、大方の予想通り、シンセサイザーが縦横無尽に駆け回る曲が目立ってきます。80年発表のアルバム「Hotter Than July(ホッター・ザン・ジュライ)」からは、「ズンチャ♪ ズンチャ♪」とのんびりレゲエ的展開の「マスター・ブラスター」(一般5位、R&B1位、ディスコ10位)がおもむろに大ヒット。また、68年に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げた収録曲「ハッピー・バースデー」が、そのまんま世界のダンスフロアの「お誕生日おめでとうアンセム」となっております。

このほか、80年代には、ディスコ的にいうと「That Girl」(82年、一般4位、R&B1位、ディスコ27位)「Do I Do」(82年、一般13位、R&B2位、米ディスコチャート1位)とか、めくるめく愛の賛歌「I Just Call To Say I Love You」(84年、一般1位、R&B1位)とか、高速テンポで目が回る「Part Time Lover」(85年、一般1位、R&B1位、ディスコ1位の3冠達成!!)とか、「Go Home」(85年、一般10位、R&B2位、ディスコ1位)、「Skeltons」(87年、一般19位、R&B1位、ディスコ20位)といった代表曲が生まれました。

特に、「I Just Call...」と「Part Time Lover」については、当時のフロアでも相当に耳にした定番曲で、セールス的にも絶好調だったわけですが、かつては濃厚に見られた政治的メッセージ性やソウル性は、かなり後退していきました。つまり、このあたりから「ゴーストバスターズ」のレイ・パーカーJrのごとく、80年代らしく商業的に「いけいけどんどん」になっていった模様です。まあ、それまでの功績を考えれば、ある程度は「やり尽くした感」が出てきても仕方がないとは思いますが。

同時代を生きたソウル界の大立者である故ジェームズ・ブラウンや故マイケル・ジャクソンと比べても、スキャンダルとは無縁で、非常に穏やかで朗らかな人格者とされるスティービーさん(昔から日本のテレビ番組にもよくニコニコ顔で出てたし。そんで10年ちょっと前には日本の缶コーヒーのCMにも出てたし)。ディスコからクラブミュージックへと移行した90年代以降も、昔ほどの勢いはないものの、コンスタントにヒットを出し続けております。幼くしてスターになったため、長〜いキャリアながらもまだ60代前半という若さでもありますので、これからもますますのご活躍を祈念いたしたく存じます。