ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

パトリック・カウリー

タントラ (Tantra)

Tantra大晦日だけに今年最後となりますが、ここはひとつ純粋にディスコらしいグループを紹介しておきましょう。幻惑スペーシーディスコの真髄を究めたイタリアの5人組ディスコグループ、タントラ(Tantra)さんたちでありま〜す!

プロデュースを担当したのはCelso Valli(セルソ・ヴァリ)。ほかにもMachoやAzotoなどのギンギンなダンスチューンを70年代後半から80年代半ばにかけて世に送り出していた人でして、Easy Goingのクラウディオ・シモネッティ(Claudio Simonetti)やステファノ・プルガ(Stefano Pulga)、ジョルジオ・モロダーらと共に、イタロディスコのパイオニアの一人に数えられます。

タントラとはインド密教やヒンドゥー教の経典のことですが、その音楽もまさに神秘の精神世界を演出しており、西洋と東洋の音楽的融合、さらにアフリカの大地の祈りをも随所に感じさせる独創的なサウンドが特徴。インストゥルメンタル中心でボーカルは抑え目であり、その後のハウスミュージックにもつながる催眠術系の曲調にもなっております。

代表曲は、なんといっても「The Hills  Of Katmandu」(80年、米ディスコチャート2位)。ヒットはこれだけですので一発屋のカテゴリーに入るのですけど、逆に言えば「この1曲だけでディスコの殿堂入り」も可能なぐらい、発売当時から現在までディスコ好事家たちの人気を集め続けている曲で、アナログシンセサイザーが縦横無尽、うねうねに大展開した佳作となっております。

特に、かのパトリック・カウリーがリミックスを手がけたThe Hills Of Katmanduは、12インチのプレス数が少なかったこともあり「幻の名曲」扱いでした。実際に13分以上もあるそのリミックスを聴いてみると、同様にカウリーさんがリミックスを手がけたドナ・サマーの「I Feel Love」を、さらに果てしなく催眠術系に変貌させた感じです。彼ならではの職人技がちりばめられており、「次はどんなカウリー風うにょうにょ音が入ってくるかな?」とバカ長いのに最後まで飽きさせません。

ほかにも、「Hills of」と同じくオリエンタルな楽器音(シタールなど)が印象深く立ちあらわれてくるWishboneという曲があります。これまた12インチだと15分以上もあるのですが、「単調な反復」の美学を感じさせてくれています。催眠術系がある極限まで達し、気がつけば催眠ならぬ睡眠をも誘ってしまい、太古ヴェーダの修行のごとく、「眠りながら踊る」という未だかつて誰も到達したことがない瞑想の境地をも味わえるかもしれません。

一方で、見事に無難でディスコテークなGet Ready To GoGet Happyといった曲もありまして、いやはや、続けて聴いていってもけっこう飽きずに楽しめるグループなのでありました。

CDは、なんと1年ほど前にどど〜んと復刻・発売となりました(上写真)。以前に取り上げたあの「Disco Discharge」の姉妹シリーズである「Disco Recharge」の一つでして、2枚組となっております。ほぼすべての主要曲とバージョン(パトリック・カウリー・リミックスも)が網羅されていて、新年早々(間もなく)、かなりお勧めではあります。

ポール・パーカー (Paul Parker)

Paul Parker本日の関東地方、非常にぽかぽか陽気ですので、2回飛んで再び陽気なサンフランシスコねたを……というわけで、今回は故パトリック・カウリーの盟友ポール・パーカーであります。

いきなり年齢不詳です。でも、ジャケ写などを見ている限り、最も活躍した1980年代には既に30代になっていたのではないでしょうか。サンフランシスコだけに(?)ゲイアーチストでして、パトリック・カウリーらがSFに創立したハイエナジーサウンドの殿堂メガトン・レコードから、著名ダンスヒットを数多く世に送り出した人です。

ピークは1982〜83年で、ディスコが絶滅寸前まで追い込まれたアメリカで細々と、西海岸(特にヒッピーの聖地でもあったSF)を中心に生き残った自由でおおらかな「ゲイ・ディスコ」の旗手として、パトリックのプロデュースで「ライト・オン・ターゲット」(全米ディスコチャート1位)、「ショット・イン・ザ・ナイト」、「ラブ・イズ・オン・ザ・ライン」などのヒットを飛ばします。このころ、これらの曲が入った彼唯一のアルバム「Too Much To Dream」もメガトンから発売しました。

さらに、80年代中盤から後半にかけて、英国のハイエナジー・プロデューサーであるイアン・スティーブンスのプロデュースにより、「デザイヤー」、「ドント・プレイ・ウィズ・マイ・ファイヤー」、「ウイズアウト・ユア・ラブ」、「タイム・アフター・タイム」などのヒット曲を出し、命脈を保ちます。この間、仲間のハイエナジーアーチストで、「ロケット・トゥ・ユア・ハート」などのヒット曲があるリサのプロデュース(曲は「Tempt Me」など)もやっています。

86年には、パマラ・スタンレーとのデュエットで「ストレンジャー・イン・ア・ストレンジ・ランド」と「ランニング・アラウンド・イン・サークルズ」という小ヒット曲を出しました。

「もうそろそろ落ち目になるかなあ?」といったあたりの87年には、マン・パリッシュがプロデュースした「ワン・ルック」というラテン・ヒップホップ(フリースタイル)系の異色作が、なんと全米ディスコチャート1位に輝きました。けれども、イメージチェンジの効果もここまで。90年代以降は力尽きて……ということなのか、記憶の彼方です。去年あたりから、再びプロデュース業などを開始したようではありますが。

以上、ずらずらと並べた曲群についてはすべて、私はディスコで聴いたことがあります。それほど印象深いアーチストなのでありました。太く安定した声が特徴で、フロアでもがんがん鳴り響いたものです。ハイエナジー全盛時代の立役者だったことは言うまでもありません。

写真はポール・パーカーの全盛時の曲を集めた2枚組ベスト(ユニディスク盤)。これが一番網羅的でよいです。以下、ポールの表情がな〜んとなく分かる「ライト・オン・ターゲット」のYouTube動画も張っておきます。

メガトン・クラシックス (12 by 12 Megatone Classics)

Mogatone夏休みシーズンですが、いかがお過ごしですか?……というわけで、暑さで脱力ぎみの私は今回、大好きなメガトンレーベルを改めてご紹介いたします。前回紹介のシェリー・ペインの続きでもあります。

メガトンレコードは1981年、“ゲイの都”米サンフランシスコで設立されました。創業の中心になったのは、天才シンセサイザー・プレイヤーのパトリック・カウリーと、仲間の音楽プロデューサーのマーティー・ブレクマン。80年代に隆盛を極めたハイエナジーサウンドのヒット曲を連発しました。

メガトン・サウンドの中心になったのは、何といってもパトリック様。彼が作り出した音楽は、今にいたっても再評価され続けるほど、時代を超えた魅力があります。

まだ電子楽器が未発達だったにもかかわらず、イントロ、ブレイクからエンディングに至るまで、凝りに凝った重厚な音作りを行っており、まさに「楽しく踊るためのディスコ音楽」という点では、最高峰の位置にあるとさえ思います。

このレーベルから曲をリリースしたアーチストには、シルベスター、ポール・パーカー、モダン・ロケトリーなどがいまして、これも実に多彩であります。私も当時、ずいぶんとレコードを集めましたし、ディスコでリクエストもしました。踊りまくった曲は数知れず、であります。

共通項はやはり、その多くが「ゲイ・アーチスト」だということ。音楽的には、めちゃめちゃ明るくてソリッドなシンセ使いと、ソウルフルでパワー溢れるボーカルが特徴であります。

女性ボーカルもなかなか充実しておりました。「ラスト・コール」「ソウル」などのヒットで知られる、ジョー・キャロル(2003年に死去)とローレン・カーターのデュオ「JOLO(ジョロ)」なんていうものいました。彼女たちは、パトリック・カウリーのお気に入りで、彼名義のヒット曲「メナジー」などでボーカルを務めています。

さらに特筆すべきは、シェリー・ペインのような「元大物」をときどき起用していたことでしょう。「ナッシング・フロム・ナッシング」などのヒット曲で知られるビリー・プレストン、元ラベルのサラ・ダッシュなどが、思いっきりハイエナジーな曲をリリースしていました。メジャーでは影が薄くなっても、世界のダンスフロアをギンギンに盛り上げていたわけですね。

それでも、最盛期は数年と持ちませんでした。以前に紹介したモビーディック・レーベル同様、中心人物が次々とAIDSで亡くなっていったのが主な原因です。パトリックは82年に既に死亡しており、創業仲間のマーティーも91年にこの世を去りました。代表的歌手だったシルベスターも88年に亡くなっています。

こうした逆境の中、メガトンは94年、その短い歴史の幕を閉じました。それでも、輝ける星たちを育て、かつ後世に残る音楽を残していった稀有なディスコレーベルだといえます。

写真のCDは、1990年ごろに発売されたメガトンレーベルのベスト盤「メガトン・クラシックス」。Vol.1とVol.2があります。内容は、シルベスター、ビリー・プレストン、JOLOなどなど、代表アーチストが目白押しです。でも、ここがマイナーなディスコ音楽業界の辛いところでして、最近は非常に手に入りにくくなっています。12インチでこつこつと集める方が確実かもしれません。

シルベスター (Sylvester)

Sylivester1980年代前半のディスコシーンを語るとき、絶対に欠かせないのが「ミーハー・ゲイディスコ」のハイエナジー。そのハイエナジーを語るとき、絶対に欠かせないのがシルベスターなのであります。

ドラッグクイーン(女装スター)特有のド派手なファッションに身を包み、思い切りカミングアウトしていた黒人ゲイディスコ・ディーバ。「私は鼻を整形したのよ」なんてことを平気で公言する自由奔放な人でもありました。黒人とゲイという2大マイノリティーが、享楽的かつ退廃的なアメリカのディスコの原動力になったという意味では、ディスコ文化全体を象徴する存在だったともいえるでしょう。

1947年、ロサンゼルスに生まれ、すぐにサンフランシスコに移住。一族にミュージシャンが多かったため、幼少時からジャズやゴスペルのシンガーとして活躍していましたが、注目され始めたのは70年代後半。77年にサンフランシスコのゲイディスコ・レーベルであるファンタジー・レコードからアルバム「Over And Over」をリリースし、ディスコで大ヒットしました。

翌78年には、アルバム「Step 供廚鯣売。その中の代表曲「You Make Me Feel」が、「Disco」とのカップリングでディスコチャート6週連続1位を獲得しました。

それでも、彼の地位を決定付けたのは、やはり「Do Ya Wanna Funk」」(82年、ディスコチャート4位)です。日本では発売直後から83年にかけて、ものすご〜くヘビープレイされたダンスクラシックです。さびの部分の「ドゥ〜、ユ〜、ワナ、ファンク(チャッ、チャ!!♪)」は「フロアのみんなの合言葉」。汗だくで踊らされたものです。

この「Do Ya…」は、「ファンタジー」、「モビー・ディック」と並ぶ「3大サンフランシスコ・ゲイレーベル」の一つである「メガトン・レコード」から発売されました。プロデュースは、ゲイディスコの名プロデューサーであり、シルベスターの親友でもあったパトリックカウリーであります。

実は、この曲はパトリックの遺作でもあります。82年、当時は「Gay Cancer(ゲイの癌)」と呼ばれたエイズにおかされていた彼は、「この曲をきちんと仕上げてから死にたい」と、病身をおしてスタジオに通います。最後はソファに横になりながら、制作エンジニアたちに指示を送り、執念で完成させました。その直後の82年11月12日、わずか32歳でこの世を去ったのです。

パトリックが亡くなったその日、シルベスターは、ライブのためロンドンのディスコ「ヘブン」にいました。ステージに立ったシルベスターは、「この曲を今日、天国に召された親友、パトリックに捧げます」と客に告げたあと、「Do You Wanna Funk」を熱唱したのでした。

しかし、そのシルベスターも88年、後を追うようにエイズで死去します。享年41。ディスコの一時代が終わった、というよりも、ディスコそのものへの死の宣告だったといえるかもしれません。

私が好きなシルベスターの曲の中で、もう一つ、パトリックの死後にレコーディングした「Take Me To Heaven」(85年、ディスコチャート6位)というのがあります。文字通り「私を天国に連れて行って」と繰り返し絶唱する曲なんですが、ものすごく高揚感がある。間もなく訪れようとしている、自らの死を暗示するかのようであります。

フランスの思想家バタイユは、「エロス(愛の神)とは、タナトス(死の神)である」と言いました。死と隣り合わせの絶頂感とは、ディスコの陶酔感そのものです。シルベスターは、そんなディスコカルチャーを確信犯的に体現した生涯を送ったのだと思っています。

写真のCDは、12インチバージョンなど3種類の「Do Ya Wanna…」のほか、「Don't Stop」、「Be With You」など、80年代前半の「メガトン・ハイエナジー」時代の代表曲を収録したカナダ・ユニディスク盤ベスト。聴く者、踊る者を桃源郷へと誘います。

ボーイズ・タウン・ギャング (Boys Town Gang)

Boys Town Gang日本では「君の瞳に恋してる」があまりにも有名なBTG。でも、世界的にはほかにもいくつかディスコの名曲を残しています。このCDは後に発売された国内盤ベスト(ビクターエンタテインメント)よりも収録曲数が少ないのですが、Disco Kicksのロングバージョンが入っていて貴重です。でも、ベスト盤よりも珍しいとはいえ、中古CD屋では300円とかで売られているところが悲しいのですが。

BTGについては、スリー・ディグリーズのカバー「天使のささやき」が好きな曲です。チャートインはしなかったものの、哀愁誘うメロディーが耳に残る逸品です。このCDにもベスト盤にも入っています。数年後、マグダ・レイナという女性もこの曲をカバーしていて、米ディスコ・チャートでは53位に入る健闘を見せています。日本のディスコでもよくかかっていました。

レーベルはMoby Dick。米サンフランシスコに拠点を持ち、ハイエナジー系の曲をよくリリースしていました。代表的なのはSex DanceやRocket To Your Heratで有名なLisaですが、ヒッピーやボヘミアンが多く集まるSFの自由な土地柄もあり、ゲイ・アーチストが多数、関わっていました。80年前後のヒットメーカーであるパトリック・カウリーもその一人で、American Dream(演奏アーチストはHot Posse)というヒット曲をこのレーベルからプロデュースしています。

このパトリック・カウリーは残念ながら、82年、ほかの多くのディスコアーチストと同様、エイズで亡くなってしまいました。ボーイズタウンギャングのプロデューサーのビル・モトレー(Bill Motley)も86年、エイズで亡くなっています。今と違って、「ゲイがエイズに感染する」というケースが多かった時代でした。フリーセックスとドラッグという快楽主義に彩られたディスコは、エイズの広がりとともに死んだとも言われています。

ディスコ文化は、こうした「しゃれにならない」ことは致命的です。「底抜けにおばか」でいられるうちが華なのです。日本のバブル経済期後半、東京六本木の「トゥーリア」で起きた、死傷者を何人も出した機材落下事故にも、同様のことが言えると思います。快楽主義とは、線香花火のようなもので、夢の火種がぽとりと落ちると、一気に暗くなってしまうものなのです。

「君の瞳…」は、私が7、8年前、ダンスクラシック系のパーティーDJをやっていたときにも、よくラストにかけていました。だって必ず盛り上がるんですから。狂喜乱舞状態になる。そんなラストシーンが決まった後、ゆるいスロー系の曲に変えて、照明を明るくして…。「宴の後」は、心地よさとともになんだかもの寂しさも漂います。踊り狂った自分を少し気恥ずかしく思ったりして。一気に日常に引き戻されます。

ディスコは、ばか明るくて楽しいだけではない。いくばくかの哀しみもたたえているからこそ、人の心にいつまでも残るのだと思っています。

Moby Dickレーベルの関連ページ
CDのライナーノーツ書きました(自己宣伝)


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