ディスコ堂 by mrkick

音楽に貴賎なし ―Discoの考察とCD批評

フルート

ジョー・トーマス (Joe Thomas)

Joe Thomas 2ちょっと時間が空いたのでサクサクっと次のアーチストを紹介いたします。その名はジャズ畑のフルート奏者ジョー・トーマス……「ってディスコじゃないよん!」と突っ込まれそうですが、彼が70年代後半に出した何枚かのアルバムは、ディスコテイストたっぷりです。以前紹介したディスコ「スーパーマン」で知られるジャズフルート奏者ハービー・マンと似たパターンですね。

このところゲイのお話が多いわけですけど(私はストレート)、これまで何度も説明したように、ディスコのブログですから仕方ありません。「じゃあ、またゲイ?」ということもアリでしょうけど、今回はどちらかというと「男と女……めくるめく夜の世界へようこそ」シリーズです。ううん、これもディスコのブログですから、ある意味仕方ありません。ディスコとは、非日常の熱狂と祝祭の「ほら穴」ですから、世界ディスコ史的には、ドラッグやらセックスやら、多かれ少なかれ入り込んでくる余地があるのですね。

さて、ジョーさんの最大の代表曲は「Plato's Retreat」(訳は「プラトンの隠れ家」、78年、全米ディスコチャート11位)であります。この曲はなんと、70年代後半、ニューヨークの「秘密の社交場=セックスクラブ(男女用)」として知られた、伝説のナイトクラブ兼ディスコの名前をそのまま曲名にした異色作なのです。その店はもちろん個室付きで、サウナも温水プールもあったという豪華施設でした。先日、その店のコマーシャル映像をYouTubeで見つけましたので、まずは張っておきます。



まったく、我ながらよく見つけたわ。呆れます。でも、当時のニューヨークの風俗を知る貴重な映像とはいえましょう。「当店はあなたの(○○の)望みをかなえます」「自由な考えを持った大人たちの楽しい社交場です」などと、劣情(トホホ)をあおるフレーズがどんどん出てきます。合間にディスコフロアのシーンも挟まっていますね。

この店をそのまま曲名にしたジョーさんの曲も、そのまんま「劣情あおり系」です。歌詞も「プラトーズ・リトリートで変なコトいっぱいしよう、イエイ!」「上着をはだけて、さあブイブイ体を動かそう」なんて感じでアホエッチに明るい。でも、歌詞はともかく、曲自体はバランスが取れていて非常に優れたディスコだと思います。「Souvenir」などで有名なヴォヤージみたいな、ノリノリでイケイケな感じがにじんでいます。

アメリカの70年代後半は、まあそんな時代だったわけです。「こりゃあレーガン政権の保守反動の時代にもなるわな」と感慨も覚えますな。実際、80年代に入った途端、とりわけエイズ禍により「フリーセックス」というわけにはいかなくなり、店の評判もガタ落ち。この店に通った多くの男女が、エイズで亡くなったといわれています。そして85年、NY市当局の命令により閉店に追い込まれました。

日本では、最終的に90年前後のバブル期まで、ディスコの時代は続いたわけですが、ここまでキワどい店があったとは聞きませんね。もの凄くアンダーグラウンドな店はあったはずですけど、もっと健全だったと思いますよ。

ジョーさんの方はといえば、やはり「完全ディスコ化」が災いしたのか、80年代に入ると落ち目になりました。ジャズ奏者としても“色”がついてしまい、もはや堅気の世界に戻ることはできなかったようです。トホホ。

ジョーさんには、ほかにも「Make Your Move」とか、「Polarizer」、「Get On Track」などのディスコ系の佳曲があります。ただ、マイナーなだけに、CDははっきり言ってヨイものが少ない。上写真の米LRC盤のベスト盤が、「Plato's」が収録されている上に、全体的にファンキーな選曲でおススメです。

ハービー・マン (Herbie Mann)

Herbie Mannジャズ奏者がディスコを演奏することは珍しくありません。ハービー・ハンコックなんて「もういいよ、ディスコ」と顰蹙を買うぐらい熱中した時期がありました。

でも、ジャズフルート奏者がディスコをやるというのは珍しい。っていうか、ジャズのフルートというパート自体、地味で目立たない存在でしたから。

1960年代にジャズ界でフルートの地位を向上させた大立者であり、しかも70年代半ばからは、ディスコを立て続けに出したその人の名は、ハービー・マンであります。

写真を見ていただければおわかりの通り、当時公開された映画「スーパーマン」のヒーローの衣装に身をまとい、何だかずいぶんとうれしそうです。アルバムタイトルもそのまんま「スーパーマン」(78年)。シングルカットされた「スーパーマン」は、世界中のディスコでヒットしました。セリ・ビーというマイアミのディスコアーチストが、同名曲をリリースしてヒットさせたことでも知られています。

このアルバムには、日本でもシングル発売された「Jisco Dazz」なんて曲も収録されています。邦題は、珍奇かつ言い得て妙な「ディスコでジャズろう!」であります。

プロデューサーは、数多くのディスコ曲を手がけてきたパトリック・アダムス。もちろん、アルバムを通してハービーのフルートが全開です。ボーカルが少なめなのがちょっと不満ですけど、「軽快なフルートの音は、けっこうディスコに合っている」と実感させてくれます。

この人のディスコアルバムは、ほかに「Discoteque」(75年)、「Yellow Fever」(79年)というのがあります。特に前者には、これもディスコで大ヒットした「Hi-jack」(全米ディスコチャート1位)のほか、AWB(アベレージ・ホワイト・バンド)の演奏によるヒットでも知られる「Pick Up The Pieces」、40歳以上の人なら知っている「ドリフの早口言葉」に似ている「Mediterranean」などを収録。全編通して楽しめます。

一方の「Yellow…」は、正統的なディスコアルバムで、時代を象徴する「ドンドコ」リズムが炸裂しています。

ご他聞にもれず、この人も「儲かるディスコをとるか、一流ジャズ奏者としてのプライドをとるか」で迷いが生じました。「おまえも落ちぶれたものだな」などと、訳知り顔の音楽評論家やかつてのファンにもキツイ言葉を浴びせられるようになったのです。そしてついに、Yellow Feverを出した後のこと、コンサートで「私はもうディスコの曲をやりません」と宣言するに至ったのであります。何と悲しいことでしょう!

ディスコから足を洗った80年、もっとディスコをやって欲しかったアトランティックレコードからは契約を解除されました。以降、ハービーの曲のセールスは急下降。でもまあ、やりたい方向に戻っていったのは、本人にとってはよかったのでしょうな。

ハービーさんのディスコアルバムは、意外にも全部がCD化されています。米国の「Collectables Records」のシリーズが、音質もいいし、内容が最も充実しております。
プロフィール

mrkick (Mr. Kick)

「ディスコのことならディスコ堂」----本名・菊地正憲。何かと誤解されるディスコを擁護し、「実は解放と融合の象徴だった」と小さく訴える孤高のディスコ研究家。1965年北海道生まれのバブル世代。本業は雑誌、論壇誌、経済誌などに執筆する元新聞記者のジャーナリスト/ライター/翻訳家。もはや踊る機会はなくなったが、CD&レコードの収集だけは37年前から地味〜に続行中。アドレスは↓
mrkick2000@gmail.com

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*最近多忙のため、曲名質問には基本的にお答えできません。悪しからずご了承ください。
*「ディスコ堂」の記事等の著作権はすべて作者mrkick(菊地正憲)に帰属します。

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