Sinittaユーロビート系の「いま聴くのはキツいかなあ…シリーズ」としては、シニータも代表格に挙げられるでしょう。「ソー・マッチョ」「トーイ・ボーイ」「G.T.O.」などなど、往年のヒット曲を耳にするたび、80年代後半のバブルディスコの気恥ずかしさがよみがえります。

1964年米国に生まれ、英国に育った彼女は、ディスコが80年以降も生き残り、ユーロビートの発信源の一つでもあった英国で女優、ダンサー、歌手として活躍しました。

「ソー・メニー・メン」(82年)のミケール・ブラウンの娘、「ノック・オン・ウッド」(79年)のエイミー・スチュアートの姪であることはかなり知られています。「ブレイク・ミー」のホット・ゴシップに在籍していたことも以前の投稿で触れました。しかし、これに限らず、彼女はけっこうエピソードが豊富な人です。

私がまず特筆したいのは、売れる前の1983年初頭、フォレストというアーチストの「ロック・ザ・ボート」のビデオクリップに出ていたということ。先日、YouTubeでその動画を発見したので下に紹介しておきますが、非常に珍しいものと思われます。



この動画をアップしたのは、どうやら当時のビデオ制作者本人らしく、動画がスタートする直前の字幕で、「金曜日の夜に注文を受けて、日曜日午前中の3時間で仕上げて、月曜日朝9時半にTOTPに届けたという、思い出深い作品だ」とエピソードを語っています。TOTPとは「Top Of The Pops」の略で、日本の「ザ・ベストテン」みたいに英国で当時、大人気だった音楽番組のことだと思われます。ついでにこの人のプロフィールをみると、「YouTubeに動画を掲載するのは、自分の作品を紹介するだけではなく、今でも仕事を探しているからです」と書いています。いま仕事がなくて困っているのでしょうか??

フォレストの「ロック・ザ・ボート」(邦題:「愛の航海」)は、「世界初のディスコヒット」ともいわれる有名なヒューズ・コーポレーションの同名曲(74年)をディスコリメイクした曲で、英国一般チャートでは4位まで上昇しております。

当時の日本のディスコでもとて〜も流行っていました。私自身、札幌の「テレサ・ガリレオ」という店で執拗にプレイされていたのを思い出します。お気に入りの曲だったこともあり、粘着質でくねくね踊った記憶があります。

動画をみると、確かに下積み時代のシニータが「黒人が踊る白鳥の湖」のようないでたちで、ほかの出演者とともに画面いっぱいに飛び回っているのがなんとかわかります。ただし、3時間で仕上げた超やっつけ仕事のビデオだけに、内容はトホホですがね。

シニータはこの後まもなく、ストック・エイトケン・ウォーターマン(SAW)という大ヒットメーカーのプロデューサー・チームらの力を借りつつ、「ユーロの女王」として君臨するわけです。「あの日にゲット・ライト・バック」(原曲はマキシ・ナイチンゲール)「夜明けのヒッチハイク」(原曲はバニティ・フェア)みたいに、過去のヒット曲のリメイクも多かったですね。ちなみに、スターの仲間入りをして浮いた話も増え、かのブラッド・ピットと付き合っていた時期もあったそうです。

カイリー・ミノーグやバナナラマもそうですけど、SAWなどが生み出したユーロビートものは80年代後半、米国一般チャートでさえ相当に上位にきていましたから、世界的なブームでした。「いま聴くとツラい」とはいえ、もしかしたら侮れないのかもしれません、ザ・ユーロビート。

シニータは90年以降には失速しましたが、2000年代に入り、音楽以外のことで再び話題を提供しています。英国の複数のメディア報道によると、夫Andy Willnerの間に子が生まれなかったため、代理母を頼んで出産してもらおうとしたのでした。けれども、それでも代理母が流産するなどして失敗し、2年前、2人の養子を迎えることを決めました。

再発CDは各種あります。写真はビクターの国内盤「Sinitta!」で、「あの日にゲット・ライト・バック」をはじめ、トーイ・ボーイより後のヒット曲が並んでいます。

フォレスト「ロック・ザ・ボート」の方は、スペインのディスココンピ「I Love Disco Vol3」に12インチバージョンが収録されています。でも、この12インチはやたらと長くて(9分近い)間のびするため、動画にあるショートバージョンの方が好きですね。