サマンサ・ジルズ「円高でお金持ちだよん」――ということで日本が有頂天になっていた80年代後半、ディスコは“マハラジャ旋風”に代表される第2次黄金期を迎えていた。「さあジャパンマネーでお買い物だよん!」というわけで、レコード業界関係者たちは、ハワイの不動産ブームをよそに、ヨーロッパの音楽著作権を買いあさっていたという。

最大の標的は、ものすごーく不況に陥って通貨リラが暴落していたイタリアやスペインなどの「ユーロビートの本場」の国々だった。「ユー、アー、プレ〜イボーイ♪」「アイライクショパン〜♪」などと聴けば、ピンとくる40前後の人々も多いであろう。

ちょっと地味だけど、ベルギー出身のサマンサ・ジルズも、そんな感じで日本に「安く輸入」された一人だった。ベルギーといえば、70年代後半の「ディスコ第一期黄金時代」には、「サンチャゴ・ラバー」でお馴染み(?)のエミリー・スターという「アイドル的ディスコちゃん」が人気を博したが、それ以来ということになる。

サマンサもまさに「ちゃん」付けが似合うような、美少女アイドル系だった。何しろ1984年に「フィール・イット(Let Me Feel it)」でデビューした当時は12歳。「英国ハイエナジー・ディスコチャート」で上位にランクインするなど、まずは欧州で人気に火がついたが、即座に日本にも飛び火したのである。

私は上記「ハイナジー・チャート」で初めて目にして、さっそく英レコード・シャック盤の「フィール・イット」の12インチを買ってみたのだが、最初に聴いた印象は「まあまあ」。でも、B面に、少し面白いアレンジのリミックスが入っていたのを記憶している(今は部屋の片隅に埋もれていて捜索不可能)。

サマンサはその後、「Music Is My Thing(ミュージックがすべて)」(86年)、「Hold Me」(87年)、「One Way Ticket To Heaven(天国への片道切符)」(88年)、「S.T.O.P.」(同)といった、哀愁路線のハイエナジーヒットを立て続けに飛ばしていった。ヨーロッパでの低落気味のセールスをよそに、日本では大いにもてはやされ、その勢いは90年代初頭の「ジュリアナ東京」なんかの時代まで続いた。もはやサマンサに怖いものはない……。

ところが、それから間もなく彼女は、忽然と姿を消すのである。90年代半ばごろまでは、日本で細々と、ありがちな「大人のサマンサ」路線のアルバムをエイベックスから出していたのだけれど、96年発売の「デスティニー」を最後に、ぱったりと音沙汰がなくなってしまったのだ。理由は、単に「売れなくなった」ということなのだが、日本における「バブルディスコの終焉」とも、濃厚に重なり合っていることは確かだろう。

あっさりと日本にも捨てられ、忘却の彼方へと追いやられてしまったサマンサ。けれども、ハイエナジー(ユーロビート)の一つの象徴として、日本ディスコ史にしっかりと足跡を残していったという事実は消えない。今も故郷ベルギーの港湾都市アントワープあたりで、トレードマークのブロンド髪をはためかせながら、元気に暮らしていることを祈るばかりである。

ちなみに、「ミュージックがすべて」は、4年前に日本の子供アイドルグループ「dream」がリメイクしてヒットさせている。私は何だか懐かしくて、近所のCD店で思わず買ってしまったのだった(トホホ)。

写真のCDは、1988年に発売された日本盤ベスト。「ミュージックがすべて」「ホールド・ミー」「天国への片道切符」が、いずれもロングバージョンで収録されているのがうれしい。ただ、ジャケットの少しはにかんだ表情のサマンサが、妙に哀しみを誘うのである。