James Brown「オバマは結果的に、白人票の40%以上を獲得した。我々アメリカ人は『イエス』と答えたのだ。“原罪”を克服できると宣言したのである」――。AP通信は、先ごろ開票が終わった米大統領選での「オバマ勝利」についてこう解説しています。“原罪”とは黒人奴隷制度や黒人差別の歴史のこと。18世紀後半の建国以来、実質的に白人支配が続いてきた国に、一つの変革期が訪れた瞬間でした。

いまからちょうど40年前の1968年春、アメリカの人種差別撤廃運動の象徴だったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されました。その翌日の夜、アメリカ国内で暴動が頻発し、世界中が騒然とする中、追悼の意味を込め、米ボストンでテレビ中継付きのコンサートを開いたのが、2年前に死去した「ソウルの帝王」ジェームズ・ブラウン(JB)でした。

33年生まれのJBは、幼いころに両親に見捨てられ、極貧にあえぎ、犯罪を繰り返す不良少年だった時期もあります。それでも、天賦の音楽的才能を生かし、音楽界の頂点に上り詰めました。

60〜70年代には、政治的なメッセージを込めた曲もたくさん発表しました。よく知られているのは「Say It Loud - I'm Black and I'm Proud」ですね。「黒人としての誇りを持て」ということですが、これは「私には夢がある」と有名な演説で訴えたキング牧師の思いと共通するわけです。

実際のJBは、白人へのセールスを考慮しなければならない事情もあり、扇動的なアーチストというわけではあません。ボストンでのコンサートも、黒人たちを煽るような内容ではなく、逆に冷静になることを呼びかけました。でも、キング牧師はもちろんのこと、黒人過激派組織ブラックパンサーの活動も支援していましたし、黒人の地位向上のための慈善コンサートもよく開いていました。キング牧師同様、「黒人のカリスマメッセンジャー」としての役割を果たしていたわけです。

JBは言うまでもなくソウル音楽のシンボルですが、泥臭くてファンキーでダンサブルな曲が多く、それこそが「ディスコの原点(ルーツ)」ともいわれる所以です。ステージでは、雄たけびを上げながら、やたらと激しく踊ってましたしね。

人気が低迷した1979年には、「The Original Disco Man」という「モロディスコじゃん!」というアルバムを出しています。もちろん、本人は「俺までディスコかよ〜」と不本意です。公式アルバムとしては初めてセルフプロデュースを諦め、ブラッド・シャピーロというプロデューサーに制作を全面的に託しました。

このアルバムからは、「It's Too Funky In Here」というディスコ系ヒットが出ています。それでも、チャートアクションは全米R&B15位、ディスコ65位でして、58年から74年にかけて、全部で17曲ものR&B1位曲を世に送り出した“帝王”からすると、かなり寂しい結果でした。

アルバムを通して聴くと、全6曲中でディスコは半分の3曲。残りはバラードとかの正統派ソウルです。「ディスコの元祖だよん!」とタイトルで宣言している割には、踏ん切りがつかない感じで残念ですね。ただ、3曲のディスコは非常によい。「Star Generation」なんて、間奏でジョルジオ・モロダー並みの「シンセドンドコ音」やディスコならではの軽快パーカッションが入ってくるゴキゲンさでして、今なお捨てがたい魅力を湛えています。

80年以降、ディスコレーベルのT.K.などから何枚かアルバムを出してコケた後、大チャンスが巡ってきたのはシングル「Living In America」(R&B10位、ディスコ3位、一般4位)を発表した85年でした。これはヒット映画「ロッキー4」で使われたのが好影響をもたらしましたね。86年、この曲が入ったアルバム「Gravity」を発表しヒットしましたが、実はこれもセルフプロデュースではなく、かの「白人ディスコの代表選手」ダン・ハートマンがプロデューサーです。とてもリアルに「実をとった」といえましょう。

80年代後半も多少勢いは続き、「I'm Real」(88年、R&B2位)「Static」(同、同5位)なんてヒットも出ましたが、このあたりで「JB栄光伝説」もオシマイとなります。90年代以降は、妻への度重なる家庭内暴力沙汰やドラッグ事件で話題になるなど、自由奔放なJBの人生の「負」の部分が、クローズアップされることになりました。さしたるヒットに恵まれず、かつては夢物語だった「初の黒人大統領誕生」の朗報も聞けぬまま、2006年12月25日、肺炎がもとでこの世を去っています。

「プレ・ディスコ期」の黒人音楽界、さらには黒人社会にも多大な影響を与えたJBでしたが、病には勝てなかった。しかし、考えてみれば、彼の人生はまさにミラーボール的多面体、光も影も呑み込んでしまうような迫力があります。愛嬌もあるし、ある意味おバカさをも包み込んで「ディスコ的」です。徹頭徹尾、生々しい現実に生きた人間臭いソウルシンガーでした。

そんな彼が、違和感を感じながらもディスコに傾倒した時期があったことは、ディスコ史の上でも特筆すべき事実だと思います。

日本ではつい最近、トップミュージシャンだった小室哲也が詐欺容疑で逮捕され話題になっています。彼は逆に90年代の「ポスト・ディスコ期」に、「欧州産ユーロビート・ディスコの日本版」を規格大量生産して一躍時代の寵児となったわけですが、音楽面、私生活面ともにあまりにも浮世離れし過ぎたとの感があります。

有名ミュージシャンにスキャンダルはツキモノですけど、JBのようにどこかで親しみを感じさせるような部分を保っていないときつい。その意味で彼は一見ディスコ的なようで、内実は「ディスコ的」ではありませんね。愛嬌があまりにも足りません(おバカになればいいってものでもないけどね)。

写真のCDはもちろん「The Original Disco Man」(ユニバーサル盤)。LPでの入手は比較的容易です。CD7曲目のボーナストラックは、なんとエルビス・プレスリーの「Love Me Tender」のリメイク。ジャケット写真には、ディスコフロアのど真ん中に置かれたデカ椅子にどっかと座り、得意満面でポーズをとるJBの姿が見えますね。

86年発売の「Gravity」の方のCDは入手容易。このほか、80年にニューヨークの高級ディスコ「スタジオ54」で開かれたJBのライブを収録した「Live At Studio 54」(Castle Pie盤)という、ユニークな「ディスコもの」のCDもあります。